学生旅行紀

ヨージー

文字の大きさ
上 下
5 / 7

聴取

しおりを挟む
 吉永は警察署から出たとき目を疑った。ここ最近心に思い描き続けていた人物が目の前にいた。
「あら、久しぶり」
大場はスーツ姿だった。仕事終わりなのか少し疲れた様子だった。
「聴取長かった?私最近仕事がたてこんでたから、あんまり長居したくないんだよね」
「お、お久しぶりですね。えっと、聴取は前回ホテルでされたときよりも長い気はしましたが、そんなに長くはないと思います。あ、仕事お疲れ様です」
吉永は話したいこと、会いたかったこと、思いのたががはずれないよう、自分を抑える努力をしながらしどろもどろで話した。
「ありがとう。遺体の身元が割れた時点ですぐ関係者呼び出すってやりすぎじゃないかしら」
「警察も一件目の事件がなかなか進展しなかった分、今回の件も含めてまとめて解決したいのでしょう」
「まあ、わからなくはないけど」
大場は呆れ顔をしている。吉永は大場の表情の移り変わりを懸命に記憶に留めようとしていた。
「まあいいや、また今回の事件で聴取されたこととか今度すり合わせしましょう。まだ事件は動くって予想、当たったわね」
大場は疲れを感じさせない軽やかな足取りで警察署に入っていった。吉永はしばらくして自分が呆けていたことに気づいて、警察署を離れた。

「へえ、三人ともまた聴取されたんだ」
前田は目を大きくする。須田は前田の面白いように変化する目が好きだった。
「うん、そうだね。でも少なくとも俺の聴取は事件当初のものと大差ない内容だった。今回は飛び降りだからね。むしろ呼び出されることが不自然な気すらする」
「でも萩谷さんもどうしてこのタイミングで」
前田は席に深く腰掛け直して、カクテルを仰ぐ。
「さあ、当事者じゃないんだから、考えても仕方ないんじゃない」
「すごくドライだね」
前田は目を細める。
「あれ、それそういう味?」
「カクテルじゃなくて。わざとでしょ」
前田は笑う。須田は顔にでないように前田の笑顔を噛み締めた。
「あ、ごめん。今日はこのまま帰るんだった」
前田が慌てて席を立つ。須田も併せて席を立った。前田が伝票を掴むのを須田がすかさず奪い去る。
「え、なに」
「今日から俺が払うよ」
「なに、仕送りで生活してるくせに見栄はってるの」
前田は笑いながら伝票を掴みとろうとする。須田は伝票を高く持ち上げて。前田の手から逃げる。
「バイトした。だから仕送りで払うわけじゃない」
しばらく見つめあう。二人とも少し笑った。
「うん、じゃあ今回はおごられてあげよう」
前田のその笑顔は今日一だと須田は評価した。

 澤村はお好み焼きを返した。具材が大きくはみ出した。
「へたくそ」
城里は頬杖をつく。
「いや、十分リカバリーできる」
澤村はコテを器用に使って崩れたお好み焼きを整える。
「へえ、バイト先でもそうやってごまかして料理してるの?」
「いや、俺キッチン入る仕事内容じゃないし」
澤村はコテを鉄板の端に置く。
「今回のご飯て文敏のインターンの成功を祝う席だったよね」
「ん、まあそうだな」
「でも、またその会社の人死んじゃったんでしょ。大丈夫なの?」
「いや、今回は社員の奥さんだから。間接的というか」
「それ違うっていえる範囲?」
城里は目を細める。
「それにニュースだと自殺みたいじゃん」
「情報遅れてる」
城里はコテを使ってお好み焼きを一発で綺麗に裏返す。
「え、なんか続報あったっけ」
「なんか、パソコンに文敏が見た方の事件を自白するような文章ファイルが見つかったらしいんだけど、遺体の状態が落下のけが以外にも傷があるとかで他殺濃厚って言ってたよ」
城里は調味料をさっとかけて、手際よくお好み焼きを切り分ける。
「すげえ扱い上手いな」
「これが本物のバイトの力量」
「あれ、お好み焼き屋でバイトしてたっけ」
「もう、飲み屋だって人の話覚えなさい」
そう言う城里は切り分けたお好み焼きを先に澤村の皿に取り分けた。
「あ、ごめん。それくらいするよ」
「ホールスタッフは配膳からお願いします」

「今日が勝負だ」
吉永は気を引きしめる。事件は二件目の事件が発生したことでぶり返したようにワイドショーで取り扱われるようになってきていた。特に萩谷夫人が自殺に偽装され、偽物の遺書、しかも篠田を殺害したとの内容を残されたことは高い話題性を兼ねていた。しかし、吉永にとってはこれが最後の大場との接見になることを思わせた。一件目の事件は遺体の第二発見者という立場もあって、遺体の状態など、大場の知らない事件の一面を語ることができた。それは大場の関心を引くには申し分のない話で、大場がいかに事件に対して報道以上の情報を欲しているかを伺わせた。そして、二件目の事件。これは吉永にとって一件目の事件の関係者という接点しかない。警察での聴取も一応といった内容で、重要視されていないことは明らかだった。大場に語ることができるのは、その警察で行われた聴取で自分が聞かれた質問から、警察が今何に興味を持っているか、の一点に絞られているといっていい。しかも、大場は吉永との雑談を好まない。この時点で自分に残された立つ瀬などないこともわかっていたが、もう自分ではどうすることもできなかった。ただ大場に会いたい。大場と話したい。それだけが自分のなかで激しく求められていた。身なりは整えた。一張羅というほどではないが、タンスのなかから最も値の張った組み合わせを用意した。髪も集合に併せて、先ほど切り直してきた。今日何らかの、事件以上の関係性を築けなければ手のうちようもなかった。増して二件目も同一犯であれば捕まるのは時間の問題、という俗説を聞いたこともある。事件が解決して、犯人の自供が世に出てしまえば、大場の関心は完全に自分から離れてしまう。事は一刻を争った。電車を降りる。駅構内のトイレの鏡で身なりの最終チェックを行う。駅構内にはプチシュークリームの販売店が備えられていた。食べたことはない。けれど、手土産があれば、その分大場と居られる時間が伸びるかもしれない。
「前から気になっていて、話ながら食べませんか」
よしこれでいこう。もしかしたらこれで、事件以外の話題に話を持っていくことができるかもしれない。吉永は十二個入りのプチシュークリームを購入した。時間はまだ早い。集合場所で待ち続けていたら印象が悪いだろうか。
「あ、これ」
そうだ、プチシュークリームは要冷蔵だ。買うのが早すぎた。時間までお店で冷やしてもらうことはできないだろうか。それとも駅近の百貨店の食品売場などなら傷まないだろうか。その時吉永の携帯にメッセージの通知が現れた。大場からだ。
「ごめんなさい。急用ができてしまいました。また今度お話は伺います」
吉永はシュークリームの入ったビニールを持ったまま立ち尽くすことしかできなかった。

 須田は先ほどから目の疲れを感じていた。今日のバイトはスポーツ飲料のおまけの塗装だった。仕事の評価は単純にこなした数という内容だ。須田は既に二箱目の中程に差し掛かっている。最初のころは徐々に塗る手際が上がり速度があがっていったが、ここにきて集中力に陰りがみえてきていた。この内容は自分には向いていないと判断した。次からは違う内容の物を選ぼうと決心した。
 時刻は午後五時を過ぎた辺りで、まだ外は明るかった。携帯にメッセージがきていた。田尻だ。内容は今日が期限の提出書類についてだった。
「まずい、完全に忘れてた」
田尻に感謝のメッセージを送ると、須田は自転車を走らせた。学校までは二十分ほどだろうか。幸い須田のアパートは学校脇にあり、そこまで時間のロスなく迎えそうだった。
 午後六時前にはなんとか事務室にたどり着いていた。資料を受付の男に手渡す。遅くなったことを男に詫びていると男がこちらを向いた。
「あれ、須田くんって、警察の方には会えた?」
「警察ですか?」
須田の脳内に忘れかけていたホテルの事件が思い出された。
「そう、なんでも最近新聞の押し売りのでちょっとトラブルが発生したらしくて、トラブルの販売員が他にも被害を出してないか確認してるらしいんだ」
「新聞ですか」
須田には全く心当たりがなかった。
「ああ、なにもなかったならいいみたいなはなしだったんだけど、問題の販売員が須田くんのとこも訪れているはずだっていうから学科とか教えちゃったよ。もしかしたら連絡いくかも」
「わ、わかりました」

 澤村はテレビに釘付けになっていた。
「相馬が殺された…」
報道はエイチエム代表の相馬英明が自宅で刺殺されたことを告げていた。加害者は萩谷健吾とのことで、相馬の自宅で凶器のナイフを片手に呆然と立ち尽くしているところを拘束されたという内容だった。澤村は物事を考えることができなかった。辛く険しい就活戦線を一抜けしたつもりでいた。あとは残った学生生活を楽しむだけだと、バイトを辞めるタイミングを考え始めていた。澤村はたまらず城里に電話をかけようとした。しかし、コール音は聞こえるが繋がることはなかった。バイト中かもしれない。携帯をベッドに投げ、床に寝転がった。クローゼットに掛けられたスーツが視界に入った。しばらく呆然と見つめた。澤村は思い直して立ち上がり、携帯を取り上げた。今度は須田に電話をかけた。
「もしもし、澤村?」
「また、あのホテルに行かないか?」

 日差しがホテルへ向かう度に強さを増していると吉永は感じていた。吉永は今回のホテル行きを傷心旅行のつもりで同行していた。
「雰囲気暗くないか?」
須田には空気を読んでほしかった。
「須田、澤村の気持ちになれよ。澤村はせっかく決まったと思ってた就職先が傾いちまってお先真っ暗な気分なんだ」
澤村はなにも答えない。事件は吉永の想定以上の展開を見せた。一件目の殺人。篠田の死は、相馬との男女関係のもつれと思われた。それを知った萩谷夫婦が、自分達の娘のように接してきた篠田を殺した相馬を許せず。相馬が捕まる前に殺す決断を下した。しかし、なかなか踏み切れず時間が経過したことで、萩谷由利が行動を起こす。夫である萩谷健吾を自分の命を持って焚き付けたのだ。萩谷健吾に相馬を殺すよう働きかけ、それを渋る健吾と激しい諍いを起こした。その最中、萩谷健吾に自分を突き飛ばさせた萩谷由利は萩谷健吾が動揺して動きを止めるのを見るや、自ら突き飛ばされた先の家具に頭を打ち付け、必ず相馬を殺すよう告げた上で自宅から飛び降りた。その後発見された遺書が萩谷健吾の意思を固めさせた。遺書は由利が篠田殺害を自供するもので、このままでは真犯人たる相馬が捕まらないのではないか、そう仕向けた。しかも、萩谷由利は自殺に萩谷健吾との諍いを利用し、自分の自殺をあたかも萩谷健吾に疑いのかかるようにした。萩谷健吾は警官と目を合わせたときに、自分は妻の死だけでなく、娘のように大切にしてきた篠田殺害も疑われている気がした、と語った。萩谷由利の偽装された遺書は、保存履歴が萩谷由利のなくなる前日になっており、萩谷由利の計画的な行動が伺われた。しかし、全てが萩谷健吾の供述のみのため、事実確認が進められるらしい。事件解決、それは吉永がもう大場に会えないことを意味していた。ため息まじりに運転に集中しようとする吉永だったが、須田がそれを遮る。
「就職先が傾いたって何があったんだ?」

 須田は驚愕していた。須田の聞いた吉永による事件のあらましは、自分が関わった出来事とは思えない話になっていた。
「俺、全然しらなかった」
須田は事件に関して、あまり興味を持たず、発生初期に周りの友人から質問されたことくらいしか知らなかった。二度目のホテルの訪問の頃でさえ、被害者の名前などを新たに覚えた程度だった。
「いいよ、須田。お前はそのままでいい」
弱々しい澤村の声が聞こえた。
「お前のマイペースさが今の俺には必要だ」
「そういうことは城里に言えよ」
須田はさきほどの驚きを隠しながら言う。
「え、澤村、城里と?」
「あ、おい須田それは」
驚きをあらわにする吉永と動揺する澤村が普段の三人のやり取りを思い起こさせた。
「お前らなんで俺だけのけ者にしてたんだよ」
「おい、吉永運転に集中しろよ」
吉永も澤村も元気が戻ってきたようだ。
「ん、あれ、相馬さんと篠田さんが男女関係?」
「どうした須田。大人の世界はお前が知ることよりも広いんだよ」
元気を取り戻した吉永が須田をからかう。

 車はまだあたりが明るいうちに三度目となる横長いホテルにたどり着いた。駐車場は自分達を除いて数台しか見当たらなかった。従業員の車もあるだろうから、今晩はほとんど貸し切りかもしれない、と澤村は期待を膨らませた。今日ここにくるにあたって、須田も吉永も無理強いして連れてきているので、彼らの宿泊料金は一部澤村が立て替えることになっていた。その分生活に響くが、それでも、盛大に楽しんで気持ちを切り替えたかった。
「ようこそおいでくださいました」
初老の男が出迎える。よこに若い男性スタッフが控えていて、姿勢正しく頭を下げた。
「佐藤さん、またきてしまいました」
須田は勝手知ったる様子で初老の男に挨拶する。須田のこういうところはたまに、友人として驚かされる。今回も宿泊は三階だが、前回の宿泊と違って一泊してそのまま帰るため、荷物が極端に少なかった。佐藤という男の脇に控えた若いスタッフに荷物を運ぶ役目を断り、自分で荷物を持った。佐藤に連れられ今回の部屋に通された。部屋は前回とほとんど同じ配置だった。部屋に三人だけになると吉永が早速騒ぎだした。
「今晩変に悪酔いするなよ。もしかしたら朝起きたら、この電飾で首が…」
「おい、それ不謹慎」
澤村はテンションのあがっている吉永を抑える。
「え、電飾で首がどうなるのさ」
須田は本当に何も知らないようだ。
「ああ、もう須田はいいの。あなたは何も知らずに幸せ心地で泊まりなさい」
須田は不思議な顔のまま、興味を失い自分の荷物をベッド脇に移動させた。
しおりを挟む

処理中です...