朱に交われば緋になる=神子と呪いの魔法陣=

誘蛾灯之

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看病

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 瑛士が館の異変に気が付いたのは昼前頃だった。

 普段ならばあくせく働くメイド達の姿が異様に少ないのだ。メイド達だけではない。執事や料理人すらもほとんど見掛けず、ようやく見つけたメイドも凄く顔色を悪くさせていて話し掛けるのを憚られる程だ。
 これは、もしやインフルエンザやノロのような流行り病に罹患したのではないかと1人冷や汗を流していると、廊下の向こうからこちらにやってくるヘリオドルを発見した。

 思わず駆け寄った瑛士だったが、ヘリオドルの顔色の悪さを見るや話し掛けるのが申し訳なくなった。
 現にヘリオドルは足元が覚束ないほどフラフラしているのにも関わらず、手には荷物を抱えていた。

「あの、ヘリオドルさん、大丈夫ですか?」

 心配で声を掛けると、ヘリオドルはいつも以上に無表情。いや、死んだ顔を瑛士に向けてこう言った。

「大丈夫そうに見えますか?」
「いえ。すみません…」

 彼女は初対面からズバズバ言う。オブラート無しで言うもんだから、会話をする度に瑛士の心は削られるのだが、今日ばかりはあまりにも辛そうで気にもならなかった。

「もし良ければ持ちますよ」

 そう言いながら、半ば無理矢理ヘリオドルから重そうな荷物を取った。
 荷物はバケツに手拭い。そして薬箱。やはり流行り病かと内心ガクブルしていると、ヘリオドルが瑛士を見ながら不思議そうに頚を傾けた。

「……貴方、ずいぶんと元気そうですね」

 皮肉ではなく、純粋に驚いたように言われたように感じた。

「はい。至って俺は健康ですが」
「そうですか。……なにか感じるものもありませんか?」

 ヘリオドルの言葉に疑問を抱きながらも答える。

「いえ、何も」
「そうですか…」

 ヘリオドルは何やら考え、瑛士を見やる。しかし、首を横に振ると瑛士に「今日は1日部屋にいなさい、良いですね」と言い付け、瑛士の手から荷物を強引に取り戻すとフラフラ何処かに行ってしまった。
 何なんだと思ったが、拒絶されてしまっては瑛士に出来ることはなく、そのまま部屋に向かって歩きだした。

「……いや、やっぱりおかしいよな」

 そのまま素直に戻らなかった瑛士は館を歩き回っていた。普段は馬番がいて近寄れないところも、今日はなぜだか馬番が座ってしまっている。顔色もどことなく良くない。やはり流行り病じゃと、瑛士も血の気を下げ掛けたところで、ふと違和感に気が付いた。

「馬車がある」

 いつも職場に乗っていく小型の馬車があるのだ。昨日聞いた限りでは今日は仕事の筈だ。ダレクは今館にいるのかと瑛士は館を見上げるが、だとするならば自分に少なくとも一度は接触しに来る筈だ。自惚れではないが、必ず顔を会わせる機会はあった。休日ならなおさら、こんなにも歩き回っているのだから遭遇する筈と思ったところで一つの可能性に行き着いた。

 もしや、ダレクもこの謎の流行り病に罹っているのではないか?
 脳裏に風邪なんて引きそうにない男の姿が思い浮かぶが、彼だって人間だ。病気になるときはなるに違いない。
 ダレクにはずいぶん助けられた。それこそ──覚えていないが──瀕死状態からの回復から始まり、衣食住の保証、果ては娯楽(本)まで買ってもらってしまった。ここで恩を返さねばいつ返すんだと心の中の瑛士が叫んでいる。瑛士は早速館に引き返し、ヘリオドルを探し回った。あのフラフラの体ではいつものように動けない筈だ。彼女にもお世話になっているのだから、今日くらいは掃除以外でお手伝いをせねば。

 館を走り回り、ようやくサービスワゴンを押しているヘリオドルを発見した。

「ヘリオドルさーん!」

 すぐさま駆け寄ると、心底嫌そうな顔を向けられた。

「貴方…、先ほど部屋に戻っておりなさいと申し付けたはずですが?」

 ヘリオドルの冷たい視線が突き刺さる。冷たいだけじゃない。侮蔑も入っているような気もする。そうだろう。何せこの人にして見れば瑛士はニートだ。だからこそ瑛士はここで恩を返さねばと意気込んだ。

「ヘリオドルさん。ダレク様は今館内にいるのですか?」

 ヘリオドルが眉をひそめる。

「ええ、ダレク様は確かに館に居られます」
「あの、もしかして具合が悪いとか」
「…風邪を引いておられますので、自室で寝ております」

 瑛士はやっぱり、と、納得した。

「ヘリオドルさんも体調が悪いですよね。もし良かったら俺がダレク様の看病します」
「……は?」

 絶対零度の「は?」である。さすがの瑛士も致命的なダメージを負ったが、めげるわけにはいかない。

「大丈夫です。インフルエンザの時の対処法はバッチリですから!」

 ヘリオドルがだんだん不審者を見るような顔つきになっていくが、そういえばという風にヘリオドルが瑛士にこう言った。

「…鈍感というのも、時として役に立つという言葉を体現したような人ですね」

 これは恐らく褒められてない。バカにされているか呆れられている。
 しかしヘリオドルはなんの心境の変化か、サービスワゴンを瑛士に寄せた。

「そこまで言うのなら任せましょう。しかし、これだけは覚えていなさい。体に異変、もしくは余波が飛んできたらすぐに逃げること。でないと大変なことになりますからね」
「はい。分かりました」

 フラフラと去っていくヘリオドルを見送り、瑛士はサービスワゴンを押しながら教えてもらったダレクの部屋へと向かった。ヘリオドルの言葉に訳の分からない単語があったが、まぁどうにかなるだろう。



 □□□看病□□□



 扉を開けるとやけに薄暗い部屋だった。カーテンは締め切り、何故か物が散乱している。一瞬泥棒にでも入られたのかと焦ったが、散らかりかたを見るに恐らく体調不良で立つのも辛く、手を置いた机がひっくり返ってまるでピタゴラスイッチのようになったんだろうと推測した。
 それにしても大規模であるが。

「ダレク様ー……」

 小さく声を掛ける。すると返事の代わりに呻き声が聞こえてきた。
 慌てて部屋のなかに入り、壁際にサービスワゴンを置くと呻き声が聞こえたベッドの方へと向かう。やけに見覚えのあるベッドだと思ったら、先日致したベッドだった。

 そのベッドではダレクが苦しげに呻き声を上げながら横になっていた。汗も凄く、呼吸も荒い。咳はないが、多分インフルエンザだろう。顔も赤いし、相当熱があるだろうと額に手を伸ばす。
 その手をダレクが物凄い力で掴んだ。

「ッ!」

 物凄い力で骨が軋む。とても痛かったが、瑛士はそんなことよりもダレクの手の熱さに驚いた。
 とんでもない高熱だ。

「ダレク様、俺です。栗原です」

 ダレクの目蓋が僅かに開いて瑛士を見る。

「……クーか?」
「はい」

 ダレクの手の力が抜けていき、瑛士の腕からベッドの上に落ちた。

「まさか夢にまでクーが出てくるとは……」
「いえ、ダレク様。夢ではなく本当にいます。看病しに来ました」
「看病……?」

 言っている意味が分からないといった風だ。
 瑛士はダレクの額に手を当て、驚愕した。熱が高すぎる。これは入院レベルじゃないのか?

「ダレク様、さすがに熱が高すぎます!医者を呼んできます!」

 こんな高熱命に関わると、近くの医者を呼びに行こうとしたのだが、ダレクの手が瑛士の服を弱々しく掴んでそれを止めた。
 ダレクは瑛士に言う。

「医者を呼んでも意味がない…。直す薬なんかない…。大丈夫だ、その内治まる…」
「治まるって…」

 ダレクの言葉に瑛士は怒りが込み上げた。
 治まるまでここに放置しろとでも言うのか。
 だけど、ダレクは瑛士に対して全く予想外の言葉を投げ掛けてきた。

「それよりもクーも早くここから出た方が良い…、体に障る…」
「なんですかそれ…」

 弱々しいダレクにそう言われ、瑛士は胸が痛くなった。自分の体が大変なときに人の心配をしている暇がないだろうと、瑛士は何故だか無性に腹立った。
 ベッドに腰掛け、ダレクの耳元に顔を近づけた。

「ダレク様、俺は看病しに来たんです。ダレク様が完治するまでお世話するつもりなので、俺のことを心配する前に大人しく寝てて下さい」
「……」

 ダレクから離れ、壁際のサービスワゴンをベッドの近くに寄せる。
 それからの瑛士はてきぱきと動いた。そもそもこんな閉めきった部屋だと空気が淀むだけだと重い窓を解放し、バケツの水に浸した布で体を隅々まで清める。氷の入った桶で冷した布を額に乗せ、定期的に取り替えた。せめて解熱剤くらいはないかと薬箱を探ってみたけど、何が何やら分からずに断念した。
 勝手に引き出しを開けて寝間着らしき服を取り替え、清潔な状態を保った。意識のないダレクは重かったけど、そんなことで弱音を吐いている場合ではない。
 そうしている内に少しだけダレクの呼吸が安定してきたように感じた。
 インフルエンザは寝て直すのが一番だ。

「…それにしても……」

 瑛士は寝ているダレクを見る。顔が赤いが、先ほどよりも眉間の皺が減っていた。
 額の布を取り替え、ついでにお返しとばかりに頭を撫でた。

「イケメンだよな…」

 初めてダレクの顔をまじまじと眺めた気がする。固めの髪質、オレンジの髪はいつも纏められているけど、今日はそうではない。撫でているとダレクの呼吸がさらに落ち着いた。ヒーリング効果なんだろうか。
 こんなものでも役に立っているのならと、瑛士は合間合間で頭を撫でてやった。
 どのくらい看病していたのか、ダレクの顔色がだいぶ良くなってきている。熱も徐々に下がり始めていて、瑛士はホッと息を吐いた。

「クー……」
「ダレク様」

 ベッドに身を乗り出してダレクを覗き込むと、目が覚めたらしく、薄く開かれた赤い瞳と目があった。まだ熱で朦朧としているらしいが、その目はしっかりと瑛士を見ている。
 また出ろと言われるのかと思っていたら、ダレクは思いもよらない言葉を口にした。

「…私の手を握ってくれないか…」

 瑛士はすぐにダレクの手を握ってやった。

「こうですか?」
「ああ…、なんだか落ち着く…」

 それだけ言うと、ダレクはすぐに寝息を立て始めた。まるで子供のようなダレクの様子に瑛士は口に笑みを浮かべた。



「早く良くなりますように」

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