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本屋
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「本が欲しいなら町に行って買いにいこうか?」と、昨夜アレキサンドライト改め、ダレクからの提案に「行きます!」と即答した瑛士。あまりにも楽しみすぎて遠足前の小学生のように眠れない夜を久々に過ごした。どれだけ本に餓えていたのだろう。
そうして朝がきて、「これを着なさい」とヘリオドルに投げられた服を着た。
着方が当たっているのか不安であるが、様子を見に着たヘリオドルが瑛士の姿をまじまじと眺め、主人がお待ちですよ、早くお行きなさい。と言われたので問題がなかったのだろうと思われる。
「お待たせしました」
いつもよりはラフな格好のダレクが待っていた。ラフな格好とはいえ、もともとこの人は顔が整っていてイケメンであったので、ラフな格好でも似合いすぎて何処かのモデルかと見間違う程だ。
腰に差してある剣が異様ではあるが、そこは見なかったことにした。
□□□本屋□□□
初めて踏み出した異世界の町に瑛士は興奮した。久しぶりの外出でもあったし、日本とは違う町並みにまるで外国に観光に来たみたいに舞い上がっていた。
とはいえ、瑛士の所持金はゼロだ。できることは主にウィンドウショッピング、もしくは建築物や町行く人達の観察であるが、創作活動をしていた瑛士にとってここは参考資料の宝箱みたいなもので、あちこち見ては今後の創作活動の為にと目に焼き付けていた。
そんな瑛士をダレクは不思議な動物を見るような目で眺めていたが、それに瑛士が気付くことはなかった。
ブラブラと町を探索し、ダレク行き付けらしい本屋にやってきた。
瑛士の通い慣れたような本屋ではなく、不思議な店だった。なぜそう思うのか、それはそのお店の店頭には本が置かれていなかった。
「これはこれは、アレキサンドライト卿。本日は何をお求めですか?」
店員がやってきて、ダレクに頭を下げながらこう言う。本屋に来た筈なのに、何処かの高級店に迷い混んだみたいだと瑛士は思った。
「今日は連れに本を買ってやろうと思ってな」
「ほう、お連れ様ですか」
店員が瑛士を見やり、表情を曇らせた。恐らくアレキサンドライト卿が連れてくるお方ならば、きっと凄い方だろうと期待して見てみたら、身長はあるが細身のそこらにいるモブ的な男だったのだから。
「えーと、従者の方ですか?それとも小姓…」
「はは…」
この反応は仕方ないと、それでも日本人特有の愛想笑いで華麗にスルーしようとしたら、店員の後ろで不機嫌になっているダレクがいた。
その反応はおかしいじゃないか?現に瑛士は住所不定、いや、居候無職だ。実質ニートと代わりない。ならばこの言われようはまだ良いじゃないか、何せ仕事を持っている。
しかしダレクはそうはそうは思っていないらしく、じわりじわりと店員の背後に迫る。何をする気かは知らないが、ろくなことになら無さそうと思い至った。なので慌てて瑛士は捲し立てた。もちろん営業スマイルは忘れずに。
「今はアレキサンドライト様のお世話になっております。クリハラと申します。本日はアレキサンドライト様に無理を言ってここに連れてきて貰いました。なんでもここには望んだ書物が全部置いてあるとか」
思いがけない瑛士の言葉に店員は気を良くしたらしい。ふふんと頬を上気させ、「ええそうですとも!」と誇らしげに腕を大きく広げた。
「当店はアスコニアスで一番の所蔵数を誇ります。もちろん品質もさることながら、種類!最新情報!皆様の疑問全てに手が届く品を揃えております!もちろん、貴方の望んだ物も当店は取り扱っておりますとも!」
「そうですか。それはそれは楽しみですね。魔法関係の物なのですが、うまく探せるか不安なのです。なにかコツなどありますか?」
「魔法関係は毎年凄い数が出版されておりますからね。素人の方は探されるのになかなか苦労されるでしょう…。素早く見つけるコツは何を目安にするかなのですが、どういったものをお探しなのですか?」
「ええ、そうですね。魔法の歴史はこの間読んでみたのですが、今回は一般的に使われる魔法陣の詳しい解説や種類毎に分かれているのが良いですね。まだ勉強を初めて間もないのですが、細かく観察してみたらなかなか面白くて好奇心が留まらなくなってしまいまして。そういうのってありますか?」
「もちろんありますとも!なんなら図鑑もございます!」
「本当ですか!?いやあ話に聞いていましたが凄いですね!まるでアスコニアスの頭脳を集積しているみたいです!」
「ふふふ!なかなかの誉め上手ですね。なら!特別に貴方の望んだ本を探し当ててあげましょう!」
ムフーと鼻の穴を店員が広げながら、田舎者のような風貌なのになかなか見る目を持っているじゃないかと、店員の心の声が聞こえた。その後ろのダレクは呆気に取られていたが。日本人の相手を煽てる技術は伊達じゃない。常に相手を観察し、和を保ちながらどうにかして相手を自分の都合の良い方向へと軌道修正させる。
あれよあれよという間に店員がご機嫌一杯で瑛士の望む本を全て探して持ってきてくれることになった。ミッションコンプリートである。
先ほどまでの不機嫌さは何処かに消えたダレクが、困惑しながら瑛士の隣にやってきた。
「何なんださっきのは…」
「処世術です」
「魔法かと思ったぞ」
「誉め言葉ですね。ありがとうございます」
店員が五冊程本を携えてやってきた。
「こちらが、クリハラさんのご希望に沿った本になります。どれも図が付いてまして、細かく解説がなされています」
一冊一冊店員が説明していく。どれも素晴らしいが、全て買う訳にはいかない。なんせダレクの奢りだからである。
「どれにするんだ?」
「これが良いです」
図鑑を指差す。すると店員の顔が綻んだ。イチオシだったからな。
「毎度ありがとうございました!またお越しください!」
来たときとは打って変わってご機嫌の店員がにこやかに瑛士に手を振っていた。彼も魔法陣が好きなのかもしれないな。
手に持った紙袋にずっしりとした本が綺麗に梱包されて入っている。さながら高級品のような扱いだが、何も間違っていない。実際に本は高級品だった。本一つで金貨一枚。その価値、およそ数百万。思わず血反吐を吐くかと思った。
せいぜい、高くても銅貨10枚程度かと思っていたのに…。ダレクは気にしなくても良いと言っていたけど、瑛士は死ぬほど気にしていた。それこそ胃にクるほど気にしていた。
これは早々に仕事を探さなければいけない。
心の中で吐血していると、ダレクが瑛士の購入した本を見ながらこう言った。
「なんでそれ…」
ダレクを見ると予想外だったと言いたげな顔であった。それに瑛士は答えた。
「元居たところには無かった技術だから興味があります」
「お前、魔力無いんだから魔法は使えないぞ」
「分かっていますとも。本当に純粋な興味です」
ヲタクのしての純粋な興味。と、一目見て構成やら何らやが分かれば何かの役に立つんじゃないかと考えての事だ。瑛士はこの世界の人間ではない。故に、パッと見てそれが何の魔法陣なのか把握できないとまともに生活が送れない。変に弄って爆発でもされたら困るから。
あと、どうにかしてダレクに立て替えて貰っているこのお金と生活費を稼ぐために何かしら手に職を持ちたいというのが正直な気持ちである。早くしないと本気で胃に穴が開くと瑛士は思った。
頑張ろう。
その後、帰りがてら町をダレクに色々説明してもらい、初めて居候している館を外から拝見した。
どこかのデパート並のでかさに軽く現実逃避した瑛士は、思わず隣の男、ダレクを見た。瑛士よりもやや背の高い男は貴族的なものなのだろうと判断していたのだが…。どうやら、ダレクは想像以上の金持ちらしい。役職はなんだろうな。
部屋に戻った瑛士は即行で本を開き、机に向かった。
「さて、暗記の基本は描きまくる事だ」
ダレクに貰ったノートと炭ペンを使ってとにかく描きまくった。
単純な作業だけど、根気がいる。それでもこれしか出来ないと瑛士は描きまくり、頭に叩き込んだ。
□□□
ダレクは口許に笑みを浮かべながら、机に突っ伏して寝てしまっている瑛士の髪を撫でた。
一体どれほど練習したのか、炭ペンで黒くなっている手に、ノートのページ一杯に夥しい数の魔法陣が描かれており、瑛士がどれだけ練習をしたのか分かる。
サラサラと指の間を流れる黒髪は触り心地が良い。ダレクはこの黒い野良猫を気に入っていた。はじめは同情からだったが、予想外の事をしでかすこの男にだんだん自分が引かれていっている。面白い男だ。
もう一度撫でていると、突然指先が軋んだ。
手を開閉してみるとビリビリと電気が走っているみたいに痛み、ダレクは溜め息を吐いた。
「……そろそろだったか…」
薬を用意しないといけない。そして休暇の申請も。
眠りこけている瑛士を横抱きでベッドに寝かせ、ダレクは部屋の光を落とした。
「全く。どちらが主人なのやら」
「うおっ!?」
扉を開けるとメイド長であるヘリオドルが呆れ顔でそこにいた。完全に油断していたダレクは思わず肩を跳ねさしたが、すぐに咳払いをして平静を装う。
「いつからそこに?」
「先ほどからです。いつまでそこの猫を手元に置いておくつもりなのですか?」
後ろ手に扉を閉め、ダレクはヘリオドルを見やる。ヘリオドルはダレクに対して物怖じしない。はっきり物事を言ってくれるからダレクは安心してこの館を任せられる人物だ。だけど、ヘリオドル自身はどう思っているのかは分からない。何せ、ダレクは身の内に厄災を抱え込んでいる人間だ。いくら表面上取り繕っていたとしても、自然と沸き上がってくる恐怖は拭い去れるものではない。
「さてな。特に今のところは考えていない」
「何故あのような素性の知れないものを匿うのですか?」
視線を扉に向け、ダレクは言う。
思い出すのは初めて会った時のあの悲惨な光景だ。
「何でだろうな。何でかあのまま消滅させるのは惜しい気がしたんだ」
「消滅…?」とヘリオドルが小さく呟く。ヘリオドルは瑛士が召喚された人間であることを知らない。
ダレクはヘリオドルに向き直り、労うように肩に手を置いた。びくりと体を強張らせたヘリオドル。表情は固いが、目はしっかりとダレクを見ている。
「それはそうと、私の発作が始まった。後は任せて良いか?」
ヘリオドルの目が見開かれ、深く頭を下げた。
「はい」
ヘリオドルから手を離し、ダレクも部屋へと歩を進める。少し行ったところでダレクは思い出したように立ち止まり、ヘリオドルを振り返った。
「ああ、そうだ。もしクーが私を探していたら、風邪を引いて寝込んでいると伝えておいてくれ」
そうして朝がきて、「これを着なさい」とヘリオドルに投げられた服を着た。
着方が当たっているのか不安であるが、様子を見に着たヘリオドルが瑛士の姿をまじまじと眺め、主人がお待ちですよ、早くお行きなさい。と言われたので問題がなかったのだろうと思われる。
「お待たせしました」
いつもよりはラフな格好のダレクが待っていた。ラフな格好とはいえ、もともとこの人は顔が整っていてイケメンであったので、ラフな格好でも似合いすぎて何処かのモデルかと見間違う程だ。
腰に差してある剣が異様ではあるが、そこは見なかったことにした。
□□□本屋□□□
初めて踏み出した異世界の町に瑛士は興奮した。久しぶりの外出でもあったし、日本とは違う町並みにまるで外国に観光に来たみたいに舞い上がっていた。
とはいえ、瑛士の所持金はゼロだ。できることは主にウィンドウショッピング、もしくは建築物や町行く人達の観察であるが、創作活動をしていた瑛士にとってここは参考資料の宝箱みたいなもので、あちこち見ては今後の創作活動の為にと目に焼き付けていた。
そんな瑛士をダレクは不思議な動物を見るような目で眺めていたが、それに瑛士が気付くことはなかった。
ブラブラと町を探索し、ダレク行き付けらしい本屋にやってきた。
瑛士の通い慣れたような本屋ではなく、不思議な店だった。なぜそう思うのか、それはそのお店の店頭には本が置かれていなかった。
「これはこれは、アレキサンドライト卿。本日は何をお求めですか?」
店員がやってきて、ダレクに頭を下げながらこう言う。本屋に来た筈なのに、何処かの高級店に迷い混んだみたいだと瑛士は思った。
「今日は連れに本を買ってやろうと思ってな」
「ほう、お連れ様ですか」
店員が瑛士を見やり、表情を曇らせた。恐らくアレキサンドライト卿が連れてくるお方ならば、きっと凄い方だろうと期待して見てみたら、身長はあるが細身のそこらにいるモブ的な男だったのだから。
「えーと、従者の方ですか?それとも小姓…」
「はは…」
この反応は仕方ないと、それでも日本人特有の愛想笑いで華麗にスルーしようとしたら、店員の後ろで不機嫌になっているダレクがいた。
その反応はおかしいじゃないか?現に瑛士は住所不定、いや、居候無職だ。実質ニートと代わりない。ならばこの言われようはまだ良いじゃないか、何せ仕事を持っている。
しかしダレクはそうはそうは思っていないらしく、じわりじわりと店員の背後に迫る。何をする気かは知らないが、ろくなことになら無さそうと思い至った。なので慌てて瑛士は捲し立てた。もちろん営業スマイルは忘れずに。
「今はアレキサンドライト様のお世話になっております。クリハラと申します。本日はアレキサンドライト様に無理を言ってここに連れてきて貰いました。なんでもここには望んだ書物が全部置いてあるとか」
思いがけない瑛士の言葉に店員は気を良くしたらしい。ふふんと頬を上気させ、「ええそうですとも!」と誇らしげに腕を大きく広げた。
「当店はアスコニアスで一番の所蔵数を誇ります。もちろん品質もさることながら、種類!最新情報!皆様の疑問全てに手が届く品を揃えております!もちろん、貴方の望んだ物も当店は取り扱っておりますとも!」
「そうですか。それはそれは楽しみですね。魔法関係の物なのですが、うまく探せるか不安なのです。なにかコツなどありますか?」
「魔法関係は毎年凄い数が出版されておりますからね。素人の方は探されるのになかなか苦労されるでしょう…。素早く見つけるコツは何を目安にするかなのですが、どういったものをお探しなのですか?」
「ええ、そうですね。魔法の歴史はこの間読んでみたのですが、今回は一般的に使われる魔法陣の詳しい解説や種類毎に分かれているのが良いですね。まだ勉強を初めて間もないのですが、細かく観察してみたらなかなか面白くて好奇心が留まらなくなってしまいまして。そういうのってありますか?」
「もちろんありますとも!なんなら図鑑もございます!」
「本当ですか!?いやあ話に聞いていましたが凄いですね!まるでアスコニアスの頭脳を集積しているみたいです!」
「ふふふ!なかなかの誉め上手ですね。なら!特別に貴方の望んだ本を探し当ててあげましょう!」
ムフーと鼻の穴を店員が広げながら、田舎者のような風貌なのになかなか見る目を持っているじゃないかと、店員の心の声が聞こえた。その後ろのダレクは呆気に取られていたが。日本人の相手を煽てる技術は伊達じゃない。常に相手を観察し、和を保ちながらどうにかして相手を自分の都合の良い方向へと軌道修正させる。
あれよあれよという間に店員がご機嫌一杯で瑛士の望む本を全て探して持ってきてくれることになった。ミッションコンプリートである。
先ほどまでの不機嫌さは何処かに消えたダレクが、困惑しながら瑛士の隣にやってきた。
「何なんださっきのは…」
「処世術です」
「魔法かと思ったぞ」
「誉め言葉ですね。ありがとうございます」
店員が五冊程本を携えてやってきた。
「こちらが、クリハラさんのご希望に沿った本になります。どれも図が付いてまして、細かく解説がなされています」
一冊一冊店員が説明していく。どれも素晴らしいが、全て買う訳にはいかない。なんせダレクの奢りだからである。
「どれにするんだ?」
「これが良いです」
図鑑を指差す。すると店員の顔が綻んだ。イチオシだったからな。
「毎度ありがとうございました!またお越しください!」
来たときとは打って変わってご機嫌の店員がにこやかに瑛士に手を振っていた。彼も魔法陣が好きなのかもしれないな。
手に持った紙袋にずっしりとした本が綺麗に梱包されて入っている。さながら高級品のような扱いだが、何も間違っていない。実際に本は高級品だった。本一つで金貨一枚。その価値、およそ数百万。思わず血反吐を吐くかと思った。
せいぜい、高くても銅貨10枚程度かと思っていたのに…。ダレクは気にしなくても良いと言っていたけど、瑛士は死ぬほど気にしていた。それこそ胃にクるほど気にしていた。
これは早々に仕事を探さなければいけない。
心の中で吐血していると、ダレクが瑛士の購入した本を見ながらこう言った。
「なんでそれ…」
ダレクを見ると予想外だったと言いたげな顔であった。それに瑛士は答えた。
「元居たところには無かった技術だから興味があります」
「お前、魔力無いんだから魔法は使えないぞ」
「分かっていますとも。本当に純粋な興味です」
ヲタクのしての純粋な興味。と、一目見て構成やら何らやが分かれば何かの役に立つんじゃないかと考えての事だ。瑛士はこの世界の人間ではない。故に、パッと見てそれが何の魔法陣なのか把握できないとまともに生活が送れない。変に弄って爆発でもされたら困るから。
あと、どうにかしてダレクに立て替えて貰っているこのお金と生活費を稼ぐために何かしら手に職を持ちたいというのが正直な気持ちである。早くしないと本気で胃に穴が開くと瑛士は思った。
頑張ろう。
その後、帰りがてら町をダレクに色々説明してもらい、初めて居候している館を外から拝見した。
どこかのデパート並のでかさに軽く現実逃避した瑛士は、思わず隣の男、ダレクを見た。瑛士よりもやや背の高い男は貴族的なものなのだろうと判断していたのだが…。どうやら、ダレクは想像以上の金持ちらしい。役職はなんだろうな。
部屋に戻った瑛士は即行で本を開き、机に向かった。
「さて、暗記の基本は描きまくる事だ」
ダレクに貰ったノートと炭ペンを使ってとにかく描きまくった。
単純な作業だけど、根気がいる。それでもこれしか出来ないと瑛士は描きまくり、頭に叩き込んだ。
□□□
ダレクは口許に笑みを浮かべながら、机に突っ伏して寝てしまっている瑛士の髪を撫でた。
一体どれほど練習したのか、炭ペンで黒くなっている手に、ノートのページ一杯に夥しい数の魔法陣が描かれており、瑛士がどれだけ練習をしたのか分かる。
サラサラと指の間を流れる黒髪は触り心地が良い。ダレクはこの黒い野良猫を気に入っていた。はじめは同情からだったが、予想外の事をしでかすこの男にだんだん自分が引かれていっている。面白い男だ。
もう一度撫でていると、突然指先が軋んだ。
手を開閉してみるとビリビリと電気が走っているみたいに痛み、ダレクは溜め息を吐いた。
「……そろそろだったか…」
薬を用意しないといけない。そして休暇の申請も。
眠りこけている瑛士を横抱きでベッドに寝かせ、ダレクは部屋の光を落とした。
「全く。どちらが主人なのやら」
「うおっ!?」
扉を開けるとメイド長であるヘリオドルが呆れ顔でそこにいた。完全に油断していたダレクは思わず肩を跳ねさしたが、すぐに咳払いをして平静を装う。
「いつからそこに?」
「先ほどからです。いつまでそこの猫を手元に置いておくつもりなのですか?」
後ろ手に扉を閉め、ダレクはヘリオドルを見やる。ヘリオドルはダレクに対して物怖じしない。はっきり物事を言ってくれるからダレクは安心してこの館を任せられる人物だ。だけど、ヘリオドル自身はどう思っているのかは分からない。何せ、ダレクは身の内に厄災を抱え込んでいる人間だ。いくら表面上取り繕っていたとしても、自然と沸き上がってくる恐怖は拭い去れるものではない。
「さてな。特に今のところは考えていない」
「何故あのような素性の知れないものを匿うのですか?」
視線を扉に向け、ダレクは言う。
思い出すのは初めて会った時のあの悲惨な光景だ。
「何でだろうな。何でかあのまま消滅させるのは惜しい気がしたんだ」
「消滅…?」とヘリオドルが小さく呟く。ヘリオドルは瑛士が召喚された人間であることを知らない。
ダレクはヘリオドルに向き直り、労うように肩に手を置いた。びくりと体を強張らせたヘリオドル。表情は固いが、目はしっかりとダレクを見ている。
「それはそうと、私の発作が始まった。後は任せて良いか?」
ヘリオドルの目が見開かれ、深く頭を下げた。
「はい」
ヘリオドルから手を離し、ダレクも部屋へと歩を進める。少し行ったところでダレクは思い出したように立ち止まり、ヘリオドルを振り返った。
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