甘い恋をカラメリゼ

うめこ

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Tarte au citron~甘く蕩ける恋のはじまり~

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 俺が帰宅した頃には、紗千はすでに家に帰ってきていた。家族のみんなは俺が帰宅するのを待っていたようで、まだパーティは始まっていない。

 俺の家は誕生日に豪勢なパーティをするというわけではなく、夕食が少し豪華になって、ケーキがでてきて、そしてプレゼントをくれる……そういった、質素なものだった。だから、まだ夕食の準備中の今、これからパーティをするという雰囲気は一切家の中に漂っていなかった。

 ただ、それでも小さなパーティをしてくれるのが嬉しくて、いつも紗千や俺は、そわそわと夕食を待っていた。でも、今日の紗千はあまり元気がないように見えた。リビングのソファにクッションを抱えて座り込んで、ぶすっとした顔をしている。


「紗千、どうかしたの?」

「あ、お兄ちゃん」


 俺が紗千の隣に座って話しかけてみると、紗千がのそりと顔をあげる。


「大会出られなくなっちゃった」

「……大会?」


 どうやら紗千は、部活動のことで悩んでいたらしい。吹奏楽部に属している紗千は、クラリネットをやっている。幼いころからクラリネットが得意な母さんに教わっていた紗千は、中学で部活に入っても期待の一年生として目立っていたようだ。

 しかし、今回の大会に出場するための部内オーディションに紗千は敗北してしまったらしい。ただ出場できる人数にも定員があって、その枠を先輩含めて争うのだから負けてしまうのも仕方ない。周りから期待され、そしてプライドの高い紗千だからこその悩みのようだった。


「来年があるよ。大丈夫、紗千は頑張っているし、もっと上手くなれる」

「うん……」


 本人も、一年生なのだから出られる確率のほうが低いのだと自覚しているようだ。わりと素直に頷いた。

 難しいよな、と俺は他人事だからこそ軽くそんな風に思ってしまった。中高と運動部に属していた俺は上手い慰め方がわからなくて、紗千の頭をぐしゃぐしゃと撫でることしかできなかった。せっかくの誕生日なのに。こんな顔をしないでほしいと思っているのに……。


「ふたりとも、ご飯よ。準備して」


 母さんの声が聞こえてくる。俺はもう一度紗千の頭をぽんぽんと撫でると、手を引いて食卓についた。紗千はまだ機嫌が直っていないようだが、素直に俺についてきてくれる。なんだかんだ、こいつは大人だ。このくらいの歳だと「絶対に私のほうが上手いのに」なんて言い出しても仕方ないのに、自分の負けはしっかりと認めている。


「紗千、ちゃんと手は洗った?」

「……うん!」


 母さんが料理をテーブルに運んできた。明らかにいつもとは違う豪華な料理に、紗千は自分の誕生日を思い出したようにぱっと目を見開いた。そして、すでに席についていた父さんの傍らにプレゼントらしき大きな袋があることを発見すると、嬉しそうににまにまと笑い出した。

 明るくなりはじめた紗千の表情に、俺も嬉しくなる。


「紗千、お誕生日おめでとう!」


 我が家の小さなパーティがはじまった。見た目華やかなオードブル、高いからなかなか買えない高級なぶどうジュース。それから紗千の好きな料理がいくつも並んでいて、嬉しそうに紗千はそれを食べていた。

 辛い出来事を、こういう場まで引きずらないのが紗千のすごいところだと思う。でもきっと、本当はまだ苦しいだろう。いつもよりも少し、笑顔が陰っているように見えた。

 自分のために準備してくれた家族のために、悲しい顔をみせないようにしているのだろう。あとでいっぱい甘やかしてやろうかな……そんなことを考えながら、俺も食事を口に運んでいた。


「ごちそうさま! お母さん、すっごく美味しかった、ありがとう」


 食べ終わると、紗千が手を合わせて母さんに微笑む。母さんは嬉しそうに笑った。

 そして、ようやく俺の買ってきたケーキの登場だ。洒落た箱がテーブルに乗ると、紗千はワクワクとしているように頬をぴかぴかと輝かせた。

 そして、それとタイミングを併せて父さんがプレゼントを紗千に渡す。わあ、と声をあげながら紗千が袋をあけると、可愛らしい鞄が入っていた。昔はTVアニメの玩具だったのに……と苦笑いしながら俺はそれを見ていたけれど、紗千の笑顔をみているとやっぱりかわいいなんて、そう思った。


「このケーキ、梓乃が買ってきたのよ」

「え、お兄ちゃんが⁉」

「……おう、俺のセンスに感服しな」

「かんぷくってなに?」


 ふふ、とおかしそうに笑いながら母さんが箱をあける。紗千が身を乗り出して中を見つめ――はっと口に手を当てて叫んだ。


「え、うそ……かわいい!」


 あ、と俺はその横顔をみて思う。少しだけ表情に残っていた、部活での悔しさが――完全に、消えたのだ。


「ねえ、この猫、私のところにちょうだい! あ、チョコレートも!」

「はいはい」


 ケーキを見ただけなのに。俺は、ぼんやりと紗千を見つめていた。皿に分けられたケーキを食べて、それはたしかに美味しいと感じたのだけれど……紗千の、表情の変化にびっくりしすぎて味に集中できなかった。紗千は食べてさらに、嬉しそうに笑う。美味しい、そう言いながらひょいひょいと口にケーキを運んだと思えば、勿体無いからと速度を落として……そんなことをやっていた。

――ケーキってすごいな。

 ぽっと頭の中に浮かんだのは、そんな感想。そして、それをつくった智駿さんがすごいと。ケーキなんて、ただスポンジ焼いてクリーム塗って、ちょっと飾り付けして……くらいだと思っていたけれど、パティシエが本当につくりだすのは、こうした笑顔なんじゃないか――そう思った。デザインを重視したケーキなんて意味がわからないと思っていたけれど、ケーキに乗った猫をみて笑った紗千をみて、デザインも大切な要素のひとつなのだと、実感する。


「お兄ちゃんお兄ちゃん」


 ケーキを食べ終えて、母さんがテーブルを片付けているときに、紗千がこっそり俺に言う。


「私、絶対来年は大会にでるからね。そして賞をとって、今年私を選ばなかった先生をぎゃふんと言わせるの」


 ふ、と強気に――いつもどおりの生意気な笑顔をみせた紗千。あのケーキが紗千を元気づけたのだと思うと……感激に、胸がどきどきと高鳴ってしまった。
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