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花園に花が咲く
しおりを挟む導いておくれ 木々の葉よ
教えておくれ 花の香よ
温室へ来ると必ずと言っていいほどこの歌がどこからか聞こえて来る。少年はいつもこの歌の続きが気になって仕方がない。妹に聞いても「知らない。聞こえない」としか答えない。
少年だけに聞こえる、不思議な歌。
今日も少女はやって来る。妹が「また来て」と強くお願いしたからだ。
そうして少年と妹は少女の好きなお菓子を用意して待っている。花園で。
少女はいつも走って来る。転びそうになりながらも一生懸命走る。真っすぐこっちを見て、にこやかに。
その様子を見ていると微笑ましく心の中が温かくなる少年。
「今日のお花」
妹がそう言って、少女に花瓶に活けた花を見せる。妹は母親に似て生け花が上手い。毎日活けては少年に見せてくる。いい加減辟易してきた頃、少女が現れて少年の代わりに見るようになった。
少女は初めて見る生け花にくりくりの目をさらに丸くして興味深く眺める。
何にでも興味を持って積極的に接してくる、いつしか自分達の当たり前になってきた少女。
当たり前にやって来て、当たり前にお菓子を食べて、当たり前に花を愛でて、当たり前に彼らの中に入って来る。
どこを見ても当たり前になっている、不思議な少女。
その少女との出会いは母親の葬儀の時。
お悔みに来た両親に連れられてやって来たが、しんみりとした空気に息苦しくなって抜け出してきた。
花の香りに導かれて温室へやって来た時、少年と妹は一つの花の前で必死に涙を堪えていた。
少年が人の気配を感じてそちらを見ると少女がこっちを見ていた。
「誰?」
自分達の葬送を邪魔されたようできつく言い放つ。
少年の言い方が鋭すぎたのか、少女は怯えて声を出せずにいる。それを感じ取った妹が歩み寄り、そっと肩に手を添えて優しく言った。
「今ね、お母様をあたし達なりの送り方でお見送りしていたの。一緒に祈ってくれる?」
少女はおずおずと頷いて二人と共に祈った。少年は名前も知らない初めて会う少女に警戒を崩せない。
それなのに、妹は母親の事、自分達の事を勝手に話し始める。少女はじっくり耳を傾けている。最後に妹が言った事は少年も驚いたが少女も驚いたようだ。
「友達になって」
友達。
そんな存在があるとは知ってはいても考えた事もない少年は妹の言動に戸惑っていた。
少女はあっさり頷いて
「いいよ。友達ね」
と少女が言うと妹は嬉しさのあまり抱きついた。
二人の女の子は気が合うようで、少女を探しに母親が来るまでずっと話していた。
妹は別れ際に手を握りながら明日も明後日も一緒に遊ぼうと約束させた。
そうやって少女が少年と妹が待つ温室へ来る日々が続いた。
「この花は?」
妹は少女が示した花を凝視してから
「違うみたい」
と声を落とした。
二人はある花を探している。
その花は彼らの母親が最期の贈り物として彼らに贈ったもの。彼らだけの花。それぞれ温室中を探して自分の花を探すように。
名前も色も形も何もかもが不明の花。自分の花は見れば分かる、それだけが手がかり。温室にある多くの花一つひとつを見ていくなど、気の遠くなる事だ。
少年は最初から探すつもりはなかった。それでも自分では分からないものを懸命に探す少女の姿は少年を動かした。
少年も自分の花を探すようになり、少女は二人分の花探しを楽しんでいるようだった。それは面白がるのではなく本当に真面目なだけだった。
花探しとお菓子を食べながらのお喋りな日々が続き、二人を見守っている内に少年の中に温かいものが小さく灯り始めた。
それが何なのか、そんなものが有るのかも分からず。
少女はお菓子が大好きだ。用意したお菓子は全部平らげる。少年は思う、新しいお菓子が必要だ。でもどんなお菓子が新しいのか分からない。本を手当たり次第読んでみたが今ひとつ足りない。
そんな時、少年は出来立てが美味しいお菓子と出会う。
これだ、と瞬時に思った。これを自分で作って振る舞うのはどうか。
少年はその晩から練習を繰り返す。何度も何度も焼いて焼いて、自分のものになるまで。
少女が喜ぶだろうと思いながらの練習は辛いものではなかった。
ようやく上手く出来るようになって、ついに手製のお菓子を振る舞う日がやって来た。
少女には秘密で妹にも前もって話してはいけないと念を押しておいた。
いつものように走って来る少女。
その日少年は初めて緊張していた。
「今日は兄さんがお菓子を焼いてくれるって」
妹の言葉に少女の目が輝いて期待感でいっぱいだと表情で分かる。緊張が増す少年だがずっと練習をしてきて、出来ると確信している。
二人が見つめる中、少年は用意した小鍋を簡易かまどに乗せ、生地を流したあと慎重に中身を加える。火加減が大事だ、と自分に言い聞かせながら蓋をする。同じものをもう一つ用意し、細長い棒をかまどにくべて待つ。時間がくるとかまどから熱源の石を取り出した。
しばらくおいてからお菓子と果物を皿に盛って出来上がり。
少女の前へそれを出すと目をきらきらとさせて、早速ひと口。見る間に頬の線が緩んで目じりも思いっきり下げて幸せな顔で少年を見上げる。少年も温かい感情に包まれた。
少年の思惑は見事に当たった。
あっという間にお菓子を平らげると力が湧いて来たと言って花探しを始める少女。
間もなく少女は少年を呼んだ。
そこへ行くと少女は振り向いて一つの鉢を差し出した。
「あったよ。これでしょ?」
決めつけて言うのには笑ったが楽しそうにしている少女を微笑ましく思いながらそれを見ると、パキリと玻璃が割れるような衝撃が走った。
俯いたような白い蕾はたおやかな感じで清楚で謙虚だが心の強さを感じる。
ゆっくりと少年は手を伸ばし、そっと蕾に触れると、蕾は起こされたかのようにぱぁっと花びらが開き始めてその顔を少年に向ける。柱頭とその周りは朱で花びらは外側に向かって朱が薄れていき、真ん中で白くなっている。さらに花びら一枚一枚に薄く本当に薄く緑の線が一本内から外へ伸びている。
凄まじい熱情が花の開花と共に少年を襲い、ただじっと自分の花を見つめていると内側からもっと別の何かが現れる。あるいは初めから存在していたか。
熱い情熱、冷たい現実、美しいひと、醜い者、優しい心、厳しい道のり、愛すること、憎むこと、求め続けること、諦めること、強い後悔、あらゆる感情が心の内側からあふれてきて止まらない。
少女を見ていると心が震えてくる。
ずっと前から知っていた。
ずっと前から見守っていた。
ずっと前から─────。
「よかったね。お花見つかって」
笑いかける少女と自分だけの花。
少年はそっと少女の手を取り、
「ありがとう」
お礼を言うともう一度ありがとうと言って翡翠の瞳を見つめた。
少年の心にあの歌が届く。
導いておくれ 木々の葉よ
教えておくれ 花の香よ
だた一つの 花のもとへ
やがて綻ぶ あの蕾へ
差し出したその手に
合わせるのは 誰の手か
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