Fall in love

夏凪彗

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Fall in love

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 『屋上来てよ』
 『どうせ暇でしょ?』

 ブブ、とバイブ音が二度立て続けに鳴った。通知を確認すると、同じクラスの明松あけまつからのメッセージ。
 怪訝に思って返事に困っていると、閑静な教室にがたんと椅子を引く音がやたら大きく響いた。
 そちらを向くと、三列離れた席にいる明松がちょうど立ち上がるところだった。
 彼女が斜め後ろの俺を流し見る。数瞬の間視線が交錯して、先に目を逸らしたのは明松だった。左手に携帯を軽く掲げて、小さく振りながら教室を出ていく。メッセージ見たでしょ、といったところだろうか。
 教室内は相変わらず静かで、各々が机に向かって教科書を捲ったり、携帯を触ったりしている。
 かくいう俺は存分に空きコマの時間を持て余しているところだった。勉強をするほど真面目でもなく、しかし携帯ですることも特にない。もう寝ようかな、と思った直後のあのメッセージであった。
 今ここで机に突っ伏して気休めにもならない仮眠をとるよりかは、明松とのサボタージュの方がよっぽど有意義だろう。そう考えて、俺は早々に席を立った。
 見回してみると勉強している人が大多数だ。そろそろちゃんとしないとな、と何度目か分からない形ばかりの自戒を頭の中だけで唱えて、出来るだけ静かに教室を出る。
 

 塗装の剥げた重い金属製のドアを開けると、青地の紙に白いクレヨンで線でも引いたような、清々しい秋空が広がっていた。
 屋上のフェンスに身を預けてこちらに背を向けているのは、明松だ。無造作に伸ばされたボブカットと、模範的な長さのスカートが風に揺れている。
 明松、と声をかけるが彼女に反応はない。俺が来たことなど分かっているということだろう。
 彼女はこちらを向かずに、ぼそりと呟いた。

 「Fall in love」

 あまりにも唐突すぎて、え? と間の抜けた声が漏れた。そこで初めて明松が振り向いた。どこか揶揄うようなニュアンスを秘めたポーカーフェイスで、もう一度繰り返される。

 「Fall in loveって言ったの」

 それなりに発音がいいのが鼻につくな、とぼんやりと思いながら、

 「俺に告白でもしてるの?」

 「そうじゃなくて。……ほら、今は秋でしょ」

 頷きながら、洟をすする。秋はアレルギーで鼻水が酷くなるのだ。
 小さく溜息をはいてから、彼女に問いかける。

 「どうしてフォーリンラブと秋が繋がるの? 俺は秋、あんまり好きじゃないんだけどな」

 「私は好きだよ。秋は食べ物が美味しいし、気温もちょうどいい。景色も綺麗だし」

 「花粉さえなければ俺も好きだったんだけどね。でも今はそういう話をしてるんじゃなくて、フォーリンラブと秋の関連性について聞いてる」

 明松はこういうふうに、話がよく脱線する。
 秋の魅力についての話を終わらせて、不可解な発言に対しての説明を促す。

 「問題。秋を英語で」

 「……オータム」

 「もう一個のやつは」

 「……えっと、ファウル————」

 「fallね」

 「…………」

 明松が俺を小馬鹿にするような笑みを浮かべた。そしてやはり発音がいいのが癪だ。
 むすりとして言い訳を口にする。

 「ふたつもいらないだろ、春も夏も冬もひとつじゃんか」

 「Autumnは主にイギリス、fallはアメリカの方で使われてるらしい。fallって落ちるって意味もあるけど、秋に使うようになったのは木の葉が『落ちる』季節だからってのが由来なんだって。どうして秋だけ二種類なのかは私も知りたい」

 途端に彼女の雑学が炸裂した。へーそうなんだ、と流すと足を踏まれた。痛い。

 「で、フォーリンラブと秋に何の関係があるんだ?」

 「どうでもいいけど本当に発音がカタカナだよね」

 「悪いかよ」

 べつにいー、と歌うように嘯く明松だが、依然としてその涼しげな顔は崩れない。

 「春は出会いと別れの季節」

 「は? また急に何を言い出すの」

 「夏には『ひと夏のアバンチュール』なんて言葉もあるよね」

 「……それで?」

 「冬はクリスマスとかお正月とかバレンタインとか、恋人同士でするイベントが盛りだくさん」

 冬だけ雑では、と口にするがスルーされた。彼女にとって都合の悪いことを突っ込むと無視されるのは、まあ日常茶飯事ではある。

 「でも秋だけ何にもないんだよ」

 「冬だって特にないだろ」

 「君さっきの話聞いてた? 理解力ないの?」

 「……」

 思わず押し黙る。確かに俺は頭が切れる方ではない。明松に劣っているのも明白だ。
 負けを自覚して「そうだね秋だけだね」と同意すると再び足を踏まれた。どうやら棒読みがお気に召さなかったらしい。心なしか視線も鋭くなっている。

 「……そう怒るなって。明松の言う通りだと思うよ」

 宥めるように笑いかけると、ぼそりと「こんの大根芝居野郎」との暴言が聞こえた。が、気に入らないことがあると足を踏むようなどこぞの誰かとは違う俺は、聞こえないふりをした。我ながら善人だと思う。

 「君のせいで話が逸れちゃった。話を元に戻すけど、つまり秋には恋愛に関するイベントが何もないわけ」

 「明松の口から恋愛って単語が出てくることに俺は驚いてる。……うん、それで?」

 「うるさ……Fall in loveって恋に落ちるって意味でしょ。でもfallは秋を表す言葉でもある。で、考えたの」

 含みたっぷりに間をとって、無表情ながらにドヤオーラを滲ませて彼女は言った。

 「Fall in loveって、『秋に恋をする』とも言えると気づいたのですよ。世紀の大発見」

 「…………流石に無理ねえ?」

 「それが、ですよ。『秋に恋をする 英語』でググったら『Fall in love』って出てきたのですよ、Google翻訳で」

 「Google翻訳はそんな正確じゃないらしいよ、あと違和感しかないから博士口調やめろ」

 すかさず明松の拳が飛んでくる。高身長でクールな雰囲気を纏う彼女は、しばしば運動能力が高いと勘違いされがちだ。しかし五十メートル走などは見ているこちらが悲しくなってしまうほどのスピード感なので、彼女の拳に何ら脅威はない。するりと躱して微笑みかけた。無論、煽りである。舌打ちが飛んだ。

 「……グーグル先生は偉大なんだよ知らないの」

 「ああ偉大だろうな。Google翻訳は精密じゃないけどな」

 「……グーグル先生は絶対なんだよ知らないの」

 「どうしてそこまでフォーリンラブを『秋に恋をする』にしたいんだよ」

 そこで明松の返答が止まった。彼女が俺に言い負かされるのは珍しいので、悔しがる表情でも拝もうかと彼女を振り仰ぐ。
 彼女は悔しがってなどいなかった。あの、人形のように精巧で、ぴくりとも動かない無表情があるばかり。
 ただ唯一いつもと違ったのは————その白い肌を朱に染めていたことだ。

 「……言い訳にしようと思ってた」

 「言い訳? なんの」

 彼女の瞳がふためくように揺れて、それから再び俺を捉えた。潤んだそこに俺の顔が映っている。

 「秋は恋に落ちる季節だから、……だから」


 君のこと好きなの、秋のせいにしようと思ったの。


 そう囁いた明松の声が脳内を上滑りして、どうにか彼女の言葉を噛み砕いて飲み込んだとき————視界にあった秋空だとか、色づいた山だとか、つまり明松以外の全てが見えなくなった。
 今までどういう顔をして、どういう挙動で、どういう声色で明松と接していたかが瞬時に全く分からなくなる。
 彼女をちらりと見やると、ますます顔を赤くしていた。下唇を軽く噛んでいる。

 「ねえ、……何か言ってよ」

 女子にしては低めの声が、急に可愛らしく響く。俺が今まで気がつけなかっただけか、それとも。
 教室を出る前と同じように視線が交錯して、でもそこにある意識はたった十数分前とまるで違う。
 この猫みたいに凛とした瞳が、つんと尖った鼻先が、唇が、どうしようもなく愛おしく思えてくる。

 「……明松の仮定は間違ってないと思うよ」

 伏せた睫毛がふるりと震えて、上目がちに「どういうこと?」と彼女が問う。
 吐く息が揺れて、自分がいかに緊張しているかが分かった。
 心臓でなく指先がどくどくと脈打つのを感じながら、そっと口を開く。

 「秋だからかもしれないけど、今、明松のこと、ものすごく意識してる」



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