流星マトリョーシカ

ぶたまろ

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ひとつ屋根の下

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 ばしゃり。冷たい水を顔に浴びると、雲が晴れるように眠気が引いていく。ミント味のペーストをつけた歯ブラシをくわえると、脳が嫌々ながらも徐々に回転し始めるのが分かる。
 東向きの洗面所にはまぶしいほどの朝日が差し込んでいた。鏡に映っているのは、よれよれのTシャツを着たボサボサ髪の男。他ならぬタカヤ自身だ。
 親からもらった自分の顔にコンプレックスを感じたことはないが、つい先日拾った青年――ヒロトと比べると、自分の外見はかなり庶民的なほうかもしれないとタカヤは思った。鼻の高さも唇の厚みも違う。違うのは顔のパーツだけではなかった。どちらかといえば人間関係全般が苦手なタカヤと違い、ヒロトは人の懐に入り込むのが抜群にうまい。いわゆる人たらしというやつだろうか。とにかく、放っておけない不思議な引力がある。

 ヒロトはその人たらし能力をいかんなく発揮して、タカヤの家に居着いていた。拾われたあの夜から数日ですっかり元気になり、今は台所で朝食の準備をしている。
 きちんと取り決めをしたわけではないが、朝はヒロトが、夜はタカヤが食事を用意するのがなんとなく通例になっていた。朝食のメニューはいつもだいたい同じで、目玉焼き、ピーナッツバターを塗ったトースト、フルーツジュース。でも今朝はちょっと特別だ。タカヤの両親が送ってくれた高級ハムが添えられている。けして広くはない1LDKのリビングいっぱいに、焼けたハムのいい香りが漂っていた。

 その香りに誘われるようにタカヤは洗面所から出てきて、小さなダイニングテーブルにつく。ワンテンポ遅れて、ヒロトがジュースの注がれたコップを持ってきた。

「いただきます」
「どーぞ」

 ヒロトは真っ先にハムにかぶりつき、幸せそうにぎゅっと目を閉じた。それが、おいしいものを食べた時の癖なのだ。タカヤはヒロトが目を閉じているのをいいことに、その顔をまじまじと眺めた。太めの眉に一重の三白眼。黙っていれば気だるげでクールな印象だが、話してみると実際は素直で人懐こいことが、この数日で分かってきた。
 
 ヒロトは役者を目指しているのだという。小さな劇場で舞台に出たり、テレビのオーディションを受けたりしていたが芽が出ず、人生経験を積むために旅に出たらしい。旅費は行く先々で日雇いの仕事などをして工面していたが、とうとう所持金が尽き空腹で倒れたところをタカヤに拾われた、というわけだ。
 
 タカヤは自分は孤独が好きなのだと思っていた。友達は少なく、恋人ができたこともなく、この部屋に人をあげたことはほとんどない。1人のほうが快適だからだ。そうした生活にとってヒロトは異物とも呼ぶべき存在だが、彼を拾ったことは後悔していなかった。むしろ2人暮らしが心地よい。それは相手がヒロトだからなのか、それとも自分が実は案外寂しがり屋だったというだけのことなのかは分からないけれど。
  
「このハム、うまっ。こんなの送ってくれるなんて、タカヤの親は優しいな」
「まあ…ね」
 
 タカヤは苦笑いで応えた。両親はときどき段ボールいっぱいの食料を送ってくれる。このハムもそこに入っていたものだ。アルバイトで細々と生計を立てている身としてはもちろんありがたいのだが、同時に申し訳なく感じてしまう卑屈な自分がいる。
 あまり自分の家庭のことは話したくないので、ヒロトに質問を投げかけた。

「ヒロトの親は?実家はどこ?」
「あー…俺、親から縁を切られてんの」

 軽い口調で答えるヒロトの、一瞬浮かんだ寂しげな表情をタカヤは見逃さなかった。「まずい質問をしてしまった」と思ったが後の祭りだ。

「実家が病院だから、小さい頃から医者になれって言われてて。そのとおりに医学部に入ったんだけど、俺どうしても役者になりたくてさ。親に黙って大学辞めたら、激怒されて絶縁」
「連絡は取ってない?」
「全然。向こうは俺が今旅に出てることも知らない」
「そっか」
「タカヤ」
「何?」
「俺、元気になったしそろそろ働こうと思って」
「働く?どこで?」
「駅前の喫茶店で短期バイトの募集があった。ほらこれ」

 ヒロトが見せたスマホの画面には、1カ月の短期バイト募集のチラシの写真。店員の1人が家庭の事情でしばらく店を離れるため、その間ヘルプに入ってくれる人物を探しているらしい。

「タカヤに世話になった分、働いて少しでもお金を返したい。バイトする間はここに泊めてもらうことになっちゃうけど」
「泊めるのは全然構わないけど、いいの?こんな辺鄙なとこに1か月もいて」
「だいじょーぶ。俺はこの町、結構好きだから。静かで綺麗で、いいとこだし、あと…」
「何?」
「タカヤの料理、おいしいし」
「え」
 
 ちょっと照れくさそうに笑って話すヒロトを見ると、タカヤは胸の奥がキュッとした。その笑顔はずるい。

「俺は目玉焼きしか作れないけど、タカヤはいろいろ作ってくれるじゃん。親子丼とか、ミートボールスパゲティとか」
「たいしたもんじゃない。昔、飲食店でバイトして教わったやつ」
「それだけであそこまでおいしく作れるなら、絶対に料理のセンスあるって。シェフになれそう」
「…ありがと」
 
 ヒロトは自分の気持ちを人に伝えるのがうまい。誰かと話すとき、いろいろ考えすぎてうまく言葉が出てこないタカヤとは正反対だった。親以外の人間から面と向かって褒められた経験があまりないタカヤは、ヒロトの真っ直ぐな言葉がこそばゆい。照れているのを悟られるのが恥ずかしくて、そそくさと立ち上がり皿を台所のシンクに片づけた。ちょうど水族館に出勤する時間が近づいている。

「じゃ、いってきます」
「おー。気をつけて」

 いつものリュックを掴んで玄関をあとにする。アパートの外階段を降りながら、例の1か月のアルバイトを終えたらヒロトはここを去るのだろうかとタカヤは考えた。彼はもともと旅人だからいなくなって当然なのだが、その日が来ることを考えると、どうにも寂しくて仕方がなかった。
 ついさっき「料理がおいしい」と言ってくれたヒロトの笑顔を思い出す。とびきりおいしいものを作ってやれば、もしかしたら彼を引き止められるんじゃないか、なんてバカげた考えが浮かんできた。いや、別に引き止められなくてもいい。少しでもヒロトの笑顔を見たいから、とにかく腕によりをかけて夕食を作ろう。そう心に決めて、タカヤは自転車の鍵をガチャンと回した。
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