流星マトリョーシカ

ぶたまろ

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水族館にて

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水族館に連れて行ってほしいと言い出したのはヒロトだった。タカヤの職場を一度見てみたいのだという。
 毎週月曜日の休館日を除いて基本的に毎日出勤しているタカヤだったが、せっかくのヒロトの頼みだからと、久しぶりに休みを取って出かけることにした。
 ヒロトを後ろに乗せ、山と海に挟まれたいつもの通勤路を自転車で走る。タカヤの肩につかまるヒロトの手から、あたたかな体温が伝わってきた。成人男性2人分の体重を載せているから、当然ペダルは重いし脚は疲れる。それでも、山の緑はいつもよりまぶしく見えたし、真昼の太陽の下で海はことさらに輝いて見えた。

 ヒロトを連れて水族館を訪れると、タカヤと顔見知りのスタッフたちはみな驚いたような顔をした。ふだん周囲と交流しないタカヤが誰かを連れてきたことを珍しがっているのか、それともヒロトの外見に対するリアクションなのか、きっとその両方だろう。
 
 夏休みシーズンを過ぎた平日の水族館は静かで、学生とおぼしきカップルや幼子を連れた家族が数組いるだけだった。おかげで2人は自分たちのペースで好きなだけ生き物を眺めることができた。サンゴの周りを泳ぎ回るクマノミたち。ひょこひょこと砂でかくれんぼするチンアナゴ。ヒロトが特に興味を示したのはマダコだった。水槽には、観察しやすいようにいくつか穴が開けられた素焼きのツボが沈められている。マダコはその中にすっぽりと身を収め、しきりに体を膨らませたり縮ませたりしていた。よく見ると、その奥で白い何かが揺れている。ビーズの暖簾のように連なる白くて小さな房が、びっしりとツボの中を埋め尽くしているのだ。ヒロトは興味津々でタカヤに話しかける。

「あれって、卵?」
「そう。2週間前に産卵したって聞いた」
「じゃあ卵を守ってんのかな」
「タコは産卵したら、孵化するまでそばを離れない。絶えず新鮮な水を吹きかけて世話する」
「マメだな」
「エサを食べずに卵の世話をして、我が子が孵化したら自分は死ぬんだ」
「……ガチで?」

 ヒロトは神妙な顔で黙り込んでしまった。
 タカヤはマダコのぎょろりとした目玉を見つめた。この生き物は、そう遠くないうちに死が訪れることを分かっているのだろうか。分かっているとしたら、怖くて逃げ出したくならないのだろうか。それとも子孫を残せたから満足して死ねるのだろうか。タコ類は人間の幼児並みの知能を有していると言われるが、表情のない目からは何を考えているか分からない。
 
 タカヤがもっと水槽に顔を近づけようと1歩踏み込むと、隣に立つヒロトと手の甲どうしが触れた。
 タカヤはどきりとして手を引っ込める。

「あ」
「何?」
「なんでもない、ごめん」
「?」
 
 ヒロトは手が触れたことにも気づいていないようだった。タカヤはほっと安堵して、そして少しだけ傷ついた。

 次に2人が足を止めたのは、クラゲの水槽の前だった。

「タカヤ、クラゲ好きなの?」
「うん。退勤前にいつも眺めてる」
「あー、俺もクラゲ好き。なんか分かるわ」
「でも、このクラゲたちともお別れ。ここ、来年の春に閉館するから」
「タカヤ、仕事はどーすんの?」
「適当に探す」
「やりたいことは?」
「特にない。得意なこともない」
 
 そこで会話が途切れる。
 しばしの沈黙の後、タカヤがぽつぽつと話し出した。

「ヒロトにはちゃんと夢があってうらやましい。俺は、そういうの一切ないんだ」
「夢があるからこそ、怖いけどな」
「怖い?」
「役者になれないなら、生きてる価値なんかないって本気で思っちゃうから。オーディションとかも落ちまくってんのに諦めきれなくてさ…呪いみたいなもん。いっそ夢なんて持たなかったら、もっと平穏な人生になってたかもな」

 タカヤはクラゲからヒロトに視線を移した。水槽からの青い光に照らされた横顔は相変わらず綺麗だったが、どこか苦しげにも見えた。
 
「オーディションを受け続けるだけでもすごいと思うけど。俺だったら1回落ちただけで、自分には才能がないんだなと思って心が折れる」
「タカヤ、高校のとき国語で『山月記』って習ったの覚えてる?」
「虎になる話?」
「それ。その虎になっちゃった奴がさ、『己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず』って言うんだよ。要は、自分に才能がないと分かるのが怖いから、試される場に身を置くのが怖いってこと」

 たぶんそういう意味、とヒロトは付け加えた。
 
「俺は、虎になりたくないわけ。この夢という呪いを解くためにはさ…自分を磨いて磨いて磨き続けて、全部削れて何も残らなくなるまで磨き続けるか、それとも自分が珠であることを証明してみせるか、その2つしかない」
 
 それまで真剣だったヒロトの表情が、ふっと緩む。
 
「呪いを解くために生きてる、ってちょっとカッコよくない?」
「それ、自分で言う?」

 まじめに話していてもどこかでふざけずにいられないのは、ヒロトの癖だ。自分の繊細さを取り繕う防衛本能なのかもしれないとタカヤは思っている。あははと笑い合って、2人はクラゲの水槽から離れた。

 水族館の出口近くには、土産物を扱う小さなショップがある。ヒロトはその前で立ち止まった。

「何かあった?」
「これ、いいなと思って」

 ヒロトが目を留めたのは、小さなタコのぬいぐるみがついたキーホルダーだった。

「欲しい?」
「でも俺、金ないからな…」

 口では諦めたようなことを言いつつもその場から離れられずにいるヒロトが面白くて、タカヤはそのキーホルダーをプレゼントしてやることにした。この町を訪れた記念の品みたいなものだ。モデル然とした外見のヒロトが、幼い子どもが好みそうなかわいらしいキーホルダーを手にしているのはどこかアンバランスで、でもかえって彼らしい。
 
 帰り道、ペダルを漕ぐ役目をヒロトが代わってくれた。その大きな背中を見つめながらタカヤは反省する。ヒロトは自分が想像した以上の覚悟で夢を追いかけていた。彼には目指すべきところがあり、この町で過ごす時間はその過程のひとつに過ぎないのだ。彼を引き止めたいと少しでも考えた自分が恥ずかしい。
 行きの道ではキラキラ光っていた海が、帰りは夕陽で真っ赤に染まっている。泣きたくなるほど綺麗だった。
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