手元のカードには白い花が咲いていた

小春佳代

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2.広がる薄い影と限定された濃い光

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手のひらで赤くなった頬を冷やそうとした。
でも頬を冷やすのに、期待以上の効果はないようだ。
その手のひらが、太陽の熱を残した初夏の夕暮れの気温に馴染み過ぎている。
誰もいないマンションのエントランスをふらつき、エレベーターの上矢印のボタンを押す手はおぼつかない。
「はぁ……」
開く箱に乗り込み、湧き上がる感情に自分をどうすることもできない。
世界は私の想像を超えていた。
箱から降り、鍵を握りしめながら303号室のあたりまで歩む。
すると急に目の前に世界の広がりを感じた。
いつもなら絶対いないであろう場所に、ほぼしないであろう間違いをおかしていた。
立っていた場所は403号室の前だった。
ドアが並ぶ廊下から見える外の景色に、いつもより地上から離れていることを気づかされた。
夕暮れは頬の色をごまかしてくれるほどに、夕焼け色を世界に拡散させている。
私はしばらく『403』というプレートの数字に魅せられるという不思議な現象の中にいた。
「white ginger……」
無意識にそう呟くと、優しく優しくドアの“音”を扱うかのように扉が開く。

丸い瞳に映ったのはとても丈の長い白いワンピースに包まれた女性だった。
華奢なシルエットにボブヘアーの黒髪。
この方が私の文通相手の方なのかもしれない……。

自然に作り出されている落ち着きが、姉よりも年上であるような印象を受けた。

文通と言うのも、あれから何度か私たちはポストカードでの手紙の交換をしていたのだった。
内容は文通の意味を問われるほどのものかもしれない。
ただ、それでも返事がくると嬉しかった。
403号室さんの手紙は終わりにいつも「403号室」と書かれており、名前を知ることはなかった。

「あの……ちょっと階を間違えてしまいまして」
質問される前に、恥ずかしくなって言い訳をした。
「高橋です……。303号室の」
女性はただ静かに事を見守り、私が何者かが分かると花の蕾がほころぶように微笑んだ。
「こんにちは」
「こんにちは……」
「足音がして、なんだかここで止まったように思えて。覗いて見たら、女の子がいたから。」
ドアスコープから見られていたのか……。
違う意味で頬の赤みが増す。
「いつもお手紙ありがとう」
女性はまるで生まれてきてから一度も急いだことのないような話し方をした。
「良かったらあがっていって」
名前から何もかも知らない人。
知っているのはか細い字とwhite gingerという花。
ただ何かが。
一目見た瞬間から、彼女には何かが欠けている気がして。
確かめないと……。
まるで吸いこまれるかのように403号室の扉は閉められた。

303号室と同じ間取りであることを感じながら、リビングに続く廊下を歩く。
その部屋に一歩踏み入れるとそこには、まだ16年間という生涯しか送っていない私が今まで知ることがなかった空間があった。
広がる薄い影と限定された濃い光が共存していたのだ。
「電気…つけないんですか?」
薄暗い部屋、ベランダにつながる窓からレースのカーテン越しに差し込むきらきらした光。
「そうね…、好きなの。この光が」
壁に広がる窓に寄り沿うように、真っ白な2人用の食卓用テーブルが存在する。
彼女は私にそのテーブルの椅子へ、綺麗に指先をそろえた手でうながした。
「紅茶しかないんだけど」
リビングのすぐそばにあるキッチンに向かいながら、彼女はつぶやいた。
「あっ、はい!」
今まで人の家に招かれたことは何度もあるけど、その招かれた部屋でこの薄暗さに身を置き、こんなに降り注ぐ光を浴びたことはないな……。
白い食卓用テーブルの上には白い花が透明な小瓶にいけられていた。
「高校一年生……なのよね?」
白いティーポットと白いティーカップ2つ、そして綺麗な指先が、花の小瓶の向こう側に現れた。
「そうです!あっ、ありがとうございます!」
白いティーカップにそそがれる紅茶の色は、とても鮮やかな赤だ。
「こちらこそ、遊びにきてくれてありがとう」
目線を紅茶から上げて彼女を見ると、とてもやわらかく温かい笑顔があった。
「あ、いえ!あの、でも急でしたよね!?ほんとは、もし、こうして遊びに来させてもらえるなら、手紙で一言お伺いするべきだったとは思うんですが!」
「ふふふ、階を間違えたんだものね」
「そうなんです…、こんなこと初めてなんですが」
「何か……あったの?階を間違えてしまうぐらいに動揺してしまう…、特別なことが」
そう言って口の前で組んだ手に細い指輪が光った。
「あ……、そうですね、あったちゃあ、あったんですけど……」
そう、この日の私には私の想像を超えることが起こっていたのだ。
でもそれをいきなりこの初対面のお姉さんに言っていいのだろうか……。
「良かったら……聞かせて?」
彼女は私の迷いを察するかのように穏やかに頬杖をついた。
「ずっと……」
鮮やかな赤い紅茶からは鮮やかな薔薇の香りがして、湯気が光の中を通り、影の中へと消えていく。
「好きだった人と、付き合うことに、なったんです」
染まった頬は光の中で再び咲いた。
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