入れ替わった花嫁は元団長騎士様の溺愛に溺れまくる

九日

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第二章 戸惑う心 触れ合う身体

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「「リア!!」」

 ダイニングを飛び出して行ったカナリアを、アズベルトは見送る事しか出来なかった。
 今追いかけたとして、自分に一体何が出来ると言うのか。何を言っても、どう取り繕っても、彼女を傷付けるだけだ。
 自分の心を抉るだけだ。

 席から立ち上がる事すら出来ず、背もたれに身体を預けるアズベルトに、ナタリーは自分がカナリアの後を追うべきかを迷ってしまった。
 しかし、アズベルト同様自分に何を言えるのかと自問した挙句、彼女の向かった先へ視線をやるだけで、やはり足を向ける事が出来なかった。

「すまないが、強めの酒をくれないか」

 力なく座るアズベルトの様子に不安ばかりが募っていく。
 普段は食事をしながら酒を煽るような事をしない人だけに尚更だった。
「放っておいていいのか」と口にしかけて留まる。どの口が言っているのかと自身で分かったからだ。
 常とは明らかに違う状況に、いちメイドが口を挟める訳も無い。

「……かしこまりました」

 ナタリーはキッチンへ向かうと、酒が保管してある棚から度数の強いものを選んで手に取った。手のひらサイズのグラスを用意し、ボトルと共にトレイへ乗せる。
 ダイニングへ戻ると、アズベルトは自席で両肘をテーブルにつけ、組んだ両手の上に額を乗せて俯いている。
 近くの台へトレイを置くとグラスに茶色い液体を注ぎ、それをアズベルトの前に置いた。
 グラスを手にしたアズベルトが直様それを飲み干し、グラスを空にすると、強いアルコール臭が辺りに漂う。
 催促されるようにグラスを置かれ、ナタリーは再び酒を注いだ。

「座ってくれ」

 グラスを握り締め、俯くアズベルトを驚愕の表情で見た。
 いつもなら主人と同じ席につく事など有り得ない。
 あくまでナタリーはアズベルトの屋敷に仕える一使用人でしかないのだから。

「……カナリアの友人であるナタリー嬢に、伝えなければならない事がある」

 そう言われて、心臓が嫌な音を立てた。
 ドクドクと脈打つ鼓動が鼓膜のすぐ側で聞こえ、同時にズキズキと胸を痛めつけてくる。
 ナタリーはアズベルトの前に酒の入った瓶を置くと、痛みと息苦しさに胸を抑えながらカナリアが座るはずだった席に腰を下ろした。
 アズベルトが再び酒を煽ると、空になったグラスがカンっとテーブルにぶつかる音を立てる。その音が静かな室内にやけに響いて聞こえた。

「……カナリアは……戻らない、そうだ」

「え……?」

 アズベルトの言った事の意味がわからず、それしか言葉が出てこなかった。
 アズベルトが自分のグラスに酒を注ぐ。手が震えているのか、瓶とグラスが時折ぶつかり、カチカチという音が不規則に聞こえた。

「カナリアの身に起こったのは、遥か昔、この国で秘密裏に行われていた魔術の一種で、人の身体に別人の魂を憑依させる召喚術だそうだ」
 
「え……っと、しょう、かんじゅつ……?」

「国の有事の際、別世界から『賢者』なる人物を呼び出し、困難に打ち勝つ力を得ていたと……城に保管されていた書物に記載があった」

「……? それが、いったい……」

「ゲネシスが調べてくれて分かった事だ。……恐らく、いや……間違いない……」

 遥か昔に行われた召喚術が、現代のカナリアの身に起こったと言う。全く繋がらない話に、ナタリーはますます混乱した。

「……待って……待ってください。それが、カナリアの身に起きたと言うのですか? 何で……何が……」

「仔細は分からないが、オラシオン家はその昔、魔術師を輩出する程の優れた魔力を有する家系だったようだ」

「……そんな事は初耳です! カナリアの父君はそんな事……」

「恐らくカナリアの両親も知らなかったのだと思う」

「……どうして……」

 アズベルトは返事の代わりにグラスを煽った。強いアルコールの匂いに、自分まで酔ってしまいそうな錯覚に陥る。
 クラクラと歪む視界を遮るように頭を振り、再び目の前で俯いたままのアズベルトを見た。

「カナリアは魔術なんて……そもそもカナリアには魔力も無かった筈です!!」

「そうだ……カナリアは生まれつき魔力が無かった……その筈だったんだ」

 人間には生まれつき魔力が宿っている。
 生まれ持つ魔力にはそれぞれ特性があり、火、水、風、土のどれかに分類され四大元素、もしくは四元素と呼ばれている。
 ある程度の年齢になると魔力を測定され、自分の分類や魔術の素質があるかを確かめられる。
 それによって将来の進む先が決まってくる為に、ほとんどの者が鑑定を受けるのだ。
 しかし、カナリアの鑑定結果は、四元素のどれにも反応が無く『魔力無し』だった。
 珍しい結果ではあるが全くない訳ではなかった。身体も弱く、年々ベッドから起き上がれなくなっていった彼女には、魔術どころか学問に触れる機会すらろくになかった筈だ。

「カナリアは闇の魔力を有していた。そしてそれはその昔、この国で召喚術を行っていた高位魔術師と同じだった」

「……っ!!」

「人の身体に別人の魂を憑依させる為には、器となる身体が空でなければならないそうだ」

 から……? からって……

 空の意味がわからなかった。鼓膜が脈動する音が直接頭に響いてくる。
 膝の上でギュッとスカートを握り締めた。
 そうでなければ耳を塞いでしまいそうだった。

「カナリアは……既に……天に召されているそうだ……」

 激しく頭を殴られたかのような衝撃を受け、ナタリーの目の前が真っ暗になった。
 
 ……カナリアが……死んでしまった……?
 あの……カナリアが……?
 そんなの、うそ……うそだ……

「……っ!  ……っうぅ……っ……あああぁぁぁ!!」

 身体が急激に重くなって堰を切ったかのように涙が溢れた。
 椅子にすら座っていられなくなったナタリーが、床へと力なく崩れ落ちる。そのまま床に伏せって額を押し付けるように踞ってしまった。

「カナの魂がカナリアの中へ憑依した時点で、カナの命も絶たれてしまったそうだ。例え身体が残っていたとしても、もう元には戻らない」

 アズベルトは空のグラスを握り締めていた。手が震えるせいで、グラスの底とテーブルがぶつかり、カタカタと小さな音を立てている。
 アズベルトの口から、カナリアの病気の事も語られた。
 病名は『魔力浸潤症』。
 自身の魔力に身体が蝕まれてしまう恐ろしい病だった。
 最後の発症者の記録は五十年前。城には残されていたが、カナリアとは全く違う症状だった為に見過ごされてしまったのだ。
 魔力がないと思われたカナリアは、闇の魔力を有しており、四元素を鑑定するための魔道具では測定が出来なかった。
 四元素のどれとも相性の悪い闇の魔力が、外部から施されるすべての魔術を跳ね返した。ゲネシスの治癒魔法が効かなかった原因はそこにあったのだ。
 カナリアは自身の魔力が鑑定されなかった事で、病気の原因がわからず適切な治療が施せなかった。
 しかし、その事がこの召喚魔術に辿り着く鍵となり、今回の事態を招く結果となってしまったのだった。

 ナタリーの心を覆っていた膜が、無数の傷跡から裂けバラバラと崩れ落ちていく。
 今まで必死に堪えていたものが、とうとう崩壊してしまった。
 どこかに違和感を感じながらも、まだ何か方法があるかもしれないと、僅かに抱いていた希望が無惨にも打ち砕かれてしまった。
 カナリアの天使のような笑顔が浮かんでは消えていく。
 ナタリーは自分の感情をどうする事も出来ずに、その場に踞って声を上げて泣いていた。
 これからどうしたらいいのか、何を支えに生きていけばいいのか、何も分からなくなってしまったのだ。

 ナタリーのそんな姿に、アズベルトは限界を感じていた。
 こんな風に泣き崩れる彼女に、酷な命令をしてきたのだと、現実を突きつけられる思いがした。
 アズベルトは席を立つとナタリーの前に膝を着き彼女の肩に手を置いた。
 踞っていたナタリーがゆっくりと顔を上げる。

「今まで無理をさせて、本当にすまなかった。暇を出すから家に帰りなさい」

 しゃくりあげながら、涙でぐちゃぐちゃの顔が不安げに歪んでいる。

「解雇じゃない。……ただ、君にも休息が必要だ。だからゆっくり休んで、その後どうするか……ナタリーが決めていい。私は、君の意思を尊重する」

 目元が赤く染まったアズベルトの顔を見た。カナリアを失って一番辛いのはアズベルトの筈だ。アズベルトがどれだけカナリアを大切にしてきたか、カナリアがどれ程アズベルトを愛していたのか、一番近くで二人を見てきたのだから。
 それなのに、こんな時でさえカナリアの友人としてナタリーの気持ちを鑑みてくれる優しい主人に、ナタリーの涙はいつまでも止まらなかった。
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