盤上に咲くイオス

菫城 珪

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王都編96 祝夏の宴

王都編96話 祝夏の宴

 広間に続く大きな扉が開けられるのと同時にそれぞれの名前と役職とを係の者が高らかに告げる。ざわりと人々が騒めき、色とりどりの瞳が一斉に此方へと向いた。
 値踏みするような、はたまた好奇に満ちたその視線に僅かばかりに臆していると、触れるか触れないかの強さでオルテガが俺の背を押してくれる。同じく怯えたように立ち竦むステラにはリンゼヒースが手を差し伸べた。どうやら王家の者がエスコートする事でステラの立場を大々的に知らしめたいらしい。
 リンゼヒースと彼にエスコートされたステラ、二人にサディアスが続いた後でいよいよ俺達だ。
「リア、手を」
 差し出された大きな手を取って流れるように腕を組んで歩き出す。向けられる視線が多いが、触れる体の熱さが全部吹き飛ばしてくれるようだった。
 我ながら現金というか単純なものだ。結局、最後には彼しか目に入らないのだから。
 ゆっくりと進んでいく大広間はスレシンジャー家の広間より更に立派だった。高い天井からは大きな魔石製のシャンデリアがきらきらと光を降り注ぎ、調度品も皆豪華だ。この場に集まる者達も各々華やかに着飾ってまるで夢ような光景が広がっている。
 ほんの数ヶ月前、俺はこの広間で目を醒ました。あの時は悪夢に出て来そうな惨めな有り様だったが、様々な人の手を借りてこうして凱旋を果たしたのだ。そう思うと、この光景も感慨深い。
 隣を歩くオルテガにちらりと視線を向けると黄昏色の瞳と視線がぶつかった。どうやら彼はずっと此方を見ていたらしい。気恥ずかしさから慌てて目を逸らせば、組んだ腕をそっと撫でられる。
 このやりとりも余す事なく観衆に全部見られていたとはつゆ知らず、俺達は玉座の下までやって来た。左右に分かれて控えれば、侍従がユリシーズの入場を告げる。
 入場して来たユリシーズは王冠を戴いた勇壮な姿だった。不穏分子をぶった斬った事ですっかり勢いを増したユリシーズは評判も上々の名君として人々の噂にのぼっているようだ。もっとも、本人としては全部の責任を背負ってとっとと引退したいようなのでこの評価はあんまり嬉しくないようだが。
 修羅場を潜って貫禄がついたのか、悠然と玉座に掛けるユリシーズからは以前よりも余裕が感じられる。俺としてはこのまま国王として続投してもらっても全然構わないのだが、本人は退位する気満々なので難しそうだ。
 ちらりと会場に視線をやれば、手前にはうちの高位貴族と他国のお偉いさんが雁首を揃えている。どうやら例年通りに来賓も来ているようで内心安堵した。
 他所の国からしてみれば、ローライツ王国で起きたゴタゴタとその終幕は悲喜交々といったものだったに違いない。表面上は友好的だが虎視眈々と隙を狙う者達は落胆しただろうし、ローライツ王国の属国として組している小国達は肝を冷やした事だろう。彼等にとって宗主国が倒れたとあっては国も存続の危機に陥るのだから。
 何とか無事に祝夏の宴を迎えられた事に俺は安心していた。とりあえず、目に見える外患という国難は避けられたのだ。
 とはいえ、気を抜いてばかりもいられない。国境付近では小競り合いがあったという報告もあるし、大粛正で混乱して足場が不安定なうちにちょっかいを掛けてくる国もあるだろう。早急な足場固めが必要な理由はここだ。煌魔族という外敵がいるのに人間同士で争っている場合ではないのだ。
 まれびとという現象が発生している以上、何かしらの異変が起きるのだろうが、それだけでは他国を説くには説得力が低い。むしろ、ローライツ王国で災厄が起きるであろうと露見すれば好機とばかりに襲って来かねない。
 だから、ステラを聖女として開花させ、同時に情報を叩き付ける事で彼等に協力を求めるしかないのだ。言葉にすれば簡単なんだが、恐らく一筋縄ではいかないだろう。
 先の事を思うと気が重いなぁ…。ちゃんとやれるんだろうか。
 思わず零れそうになった溜め息を慌てて飲み込んで姿勢を正す。気が付けばユリシーズのお言葉が始まっていたからだ。どうにも考え事をしていると周囲の事が疎かになるのは俺の悪癖だな。
「……今年もまた無事に夏の訪れを皆と祝う事が出来るのを嬉しく思う。各国の使節の者達も是非我が国の夏を楽しんで欲しい」
 やばいやばい、うっかり耽っていたが結構話が進んでいたようだ。ユリシーズの言葉に各国の代表が短いながらも挨拶を返していくのを聞きつつ、反対側に立つステラに視線を向ける。このやり取りが終わった所でステラの話題が上がるのだ。
 大仕事を前にしたステラは真っ白といった様子だ。気持ちは痛いほどわかるぞ。俺も段階踏まなずにいきなりこの人数の前で話せとか言われても無理だったに違いない。
 まあ、決意表明といったって小難しい事を話す訳ではないと聞いているのでさくっと終わらせて欲しいものだ。彼女の内包する前世の事を思うとかなり不安なんだが、乗り越える為にもここは頑張ってもらうしかない。
「此度の騒動で多くの者達が失脚した。されど、膿を出した事で風通しは良くなっただろう。より良い国を築く為に、残った者達にはこれからも国と民の為に尽くして欲しい。また、王家の者や一部貴族達が国を騒がせた事を詫びよう。同時に、新たな聖女候補の献身と功績に感謝を。彼女の行動がなければ我が愚息の失態によって奸臣共に国が奪われていたかもしれぬ」
 淡々と事実と虚偽とを織り交ぜながらユリシーズが事の顛末をまとめていく。この場で彼がステラの潔白を告げればどれ程不満があったとしてもステラは「白」になる。強大な王威は王政の便利な所であるんだが、使い所を謝れば自分達の身を滅ぼす諸刃の刃だな。
 ユリシーズの話を聞きながら視線だけ巡らせて諸外国の使節達の状況を探れば、大半の使節は穏やかな表情で話を聞いている。が、中には忌々しそうな顔をしている奴も混じっていた。あの辺は確か小競り合いがあった国の連中だな。分かりやすい反応は有り難い。というか、仮想敵国でそんな分かりやすい態度を取るなんて馬鹿なんだろうか。
 逆に怖いのは表面を取り繕ってる連中の方だ。何考えてんのかわからない者とやり合うのは疲れるからな。そう思うと早い段階でグラシアール達と腹を割って話せる関係を築けたのは大きい。本当にグラシアール様々だ。後で拝んでおこう。
「ステラ嬢、こちらへ」
「は、はいっ!」
 名を呼ばれたステラはぴくりと小さく肩を揺らした。しかし、直ぐに決意を固めたようでぎこちないながらも礼儀作法に則った仕草で御前へと進み出る。
 転びでもしたらどうしようかとちょっとハラハラしたものの、なんとか上手くカーテシーをして見せた。
「ユリシーズ陛下、この度は寛大なる御恩情痛み入ります」
 深々と頭を下げて話し始めるステラの姿は数ヶ月前とは真逆だった。シンプルな飾りの少ない淡い水色のドレスはヘドヴィカプロデュースのもので、楚々として聖女候補に相応しい上品なものだ。
 ヒロインフィーバーから目覚めた彼女は生来真面目な気質だった様で、自分のしでかした事を振り返って盛大に悶絶していたと聞いている。ステラにとってはトラウマになりそうだが、早いうちに目が覚めて良かったとも思う。こういうのは早い方が傷が浅いからな…。
「されど、家族を人質にされていたとはいえ、奸計に加担した私の罪は消えません。陛下の御温情に報いる為に、またご迷惑をお掛けした方々の為にこの身を賭して贖罪していく所存です」
 深く頭を下げたまま、ステラが前もって練習していた口上を述べた。これまた茶番でしかないんだが、場に緊張している所為なのか気の毒なほどステラは萎縮している。まるで肉食獣を前にした子兎だ。これは俺達も予想外だったんだが、この萎縮具合ならわざと横柄に振る舞っていたという話も信憑性が増す。このまま上手く利用させてもらおう。
「……そうだな。如何なる事情があったとしても世を乱したそなたの罪は消えぬ。しかし、生きていればその罪を償う事は出来るだろう」
 ユリシーズの方もステラの様子に気の毒になったようだ。本当はもうちょっと応酬してもらう手筈だったんだが、今のステラには無理そうだと判断したらしい。最初打ち合わせしていた内容とは違う切り返しをした。ステラもそれに気が付いて慌てた様に新緑色の瞳が泳ぐ。
「国賊としてミナルチーク家を廃した故に、君を新たにノーシェルト公爵家の養女とし、改めて聖女候補として認定しよう。今後はステラ・リュミエ・ノーシェルトと名乗るが良い。この国を照らす聖女となれるよう邁進して欲しい」
「……謹んで拝命致します」
 ユリシーズの言葉に、再びステラが深く頭を下げる。当初の予定からは少々ズレたものの、これでステラは改めて正式に国が認めた聖女候補だ。汚名の挽回はこれから是非頑張って欲しい。
 逃げる様にリンゼヒースやサディアスのところに戻ったステラを、サディアスが軽く肩を叩いて宥めてくれている。良く頑張った。次は俺達だな。
 ちらりとユリシーズが視線を寄越してくるので微かに頷いて見せる。俺はいい加減に腹を括らなければ。
「さて、湿っぽい話はここで終いにしよう。今日はめでたい日だ」
 ユリシーズが話を切り替えた事で場の緊張感も緩む。同時に俺達に視線が向くのを感じて怖気付きそうになる。
「夏の訪れを祝う宴の始まりは、それに相応しい者達に頼むとしよう。セイアッド・リア・レヴォネ侯爵、オルテガ・フィン・ガーランド卿。両名は前へ」
 名を呼ばれた俺達は二人揃って玉座の前へと進み出る。あー、マジで心臓がヤバい。耳元でどくどく音が鳴っているようなくらい激しく脈打っていた。隣にいる男は緊張感なんて微塵も感じさせない。その余裕が羨ましいな。俺もいつか慣れるんだろうか。
 御前に揃った所で最敬礼をすれば、微かに背後が騒めくのが聞こえた。なんだ、何かやらかしたのか!?
 内心動揺しつつも顔を上げて笑みを作る。引き攣っていないかどうか不安だが、ここまで来たらもうやるしかないのだ。頑張れ俺。終わったら存分に好きな事をしよう。
「まずは二人の婚約が成った事に言祝ぎを。これからは二人で寄り添い支え合いながら国の為に尽くして欲しい」
「ユリシーズ陛下直々の言祝ぎ、有り難き幸せです。我々は国の為、民の為に身命を賭して役目を果たす事を此処に誓います」
 堅苦しいやり取りだが、俺とオルテガの婚約が成立した事を大々的に広めるには効果的だろう。これで毎日の様に届く婚約の打診とそれに嫉妬するオルテガを宥める事からやっと解放される。地味にストレスだったんだ。闇討ちの被害者も出さずに済みそうだし。
「そして、友としてもこの場で祝わせてくれ。婚約おめでとう、リア」
 日々の苦悩の一つが解消されると少々気を抜いていたところでユリシーズがぶっ込んできて咄嗟の反応が遅れた。びっくりしている俺を見てユリシーズはパチンとウィンクを飛ばしてくるので確信犯だろう。
「……もう。貴方には敵いませんよ、アシェル」
 意地の悪い、と苦笑して見せれば悪戯が成功したユリシーズは楽しそうに破顔する。その様子にまた場内からは騒めきが起きた。
 これまでユリシーズもセイアッドもあまりこういったやり取りをして来なかった。それに、お互いに気を張っていたから公の場で大きく表情を動かす事もなかったので衝撃が走ったようだ。
「さあ、幕開けに華を添えてくれ。君達の門出と夏の訪れを盛大に祝おう!」
 高らかなその声と同時に、わっと歓声が満ちる。厳粛な事を好むこの国にしては珍しく賑やかな様子に戸惑いも覚えたが、それも一瞬だった。
「行こう、リア」
 ユリシーズの悪戯とこの雰囲気に緊張すら吹っ飛んでいた俺に、オルテガが優雅に手を差し出す。楽しそうに綻ぶ表情に、俺も肩の力が抜けた。
 差し出された手を重ねて彼にエスコートされて歩き始めれば、ダンスする為のスペースまで人垣が割れる。向けられる視線は好奇も多いが、殆どが好意的なものだった。時折祝福の声を掛けてくれる者もいる。
「もう大丈夫そうだな」
 ぽつりとオルテガが話しかけてきた事に苦笑する。どうやらよっぽど酷かったらしい。
「ああ。もう平気だ。でも、ステップは吹っ飛んだままだから足を踏んでも許してくれ」
「お前と踊っていて踏まれたとあればご褒美だな」
 軽口の応酬をしているうちにどんどん心が軽くなる。あんなに緊張していたのが嘘みたいだ。相変わらずステップは吹っ飛んだままで、上手く踊れる気はしない。けれど、そんな事が瑣末に思える程に心が高揚している。
 嗚呼、これは「私」も喜んでいるんだ。まだ出て来てはくれないけれど、「私」は確かに此処にいる。
 やがて、ダンスホールの中心に辿り着く。重ねていた手を離し、少し離れてからお互いに向かい合ってボウアンドスクレープというお辞儀をする。右足を後ろに引いて背筋を伸ばしたままお辞儀をするものだ。
 本来であれば、舞踏会の開始はカドリールと呼ばれる四人組で踊るダンスやワルツでスタートする事が多い。しかし、祝夏の宴は一味違うファーストダンスとなっている。
 姿勢を戻した俺達はお互いに近寄り、手を重ねて腰に腕を回す。タイミングを読んだ様に流れ始めるのはワルツよりもずっとアップテンポの曲だ。
 舞踏会で踊られるダンスにはいくつか種類があるが、今回俺達が踊るのはクイックステップと呼ばれるものらしい。
 ワルツが二人きりでゆっくり楽しんで踊るダンスならクイックステップは二人の相性と技量と体力を試されるダンスだと俺は思う。
 オルテガと呼吸を合わせて同時に一歩目のステップを踏み出す。予備歩と呼ばれるステップを四回踏んでタイミングを合わせたらそこからはもう怒涛だ。
 クイックステップとは読んで字の如く素早いステップで踊るダンスの事だ。色々種類があるらしいが、不勉強ゆえにイマイチ良くわかってない。
 兎にも角にもクイックステップはフロアを縦横無尽に飛び跳ね、走り回る様な軽快なダンスで見ている者も踊る者も楽しいダンス、らしい。ただ、踊ってみるととにかく早くて忙しなくステップを踏まねばならず、間違えると一気に崩れてしまう。指南役のセレドニオとアルトゥロの足を踏んだ回数なんて数えきれないくらいで非常に申し訳ない。
 踊り始めるまでは非常に不安だった。しかし、結論からいえば、それは杞憂でしかなかった。
 スレシンジャー家で踊った時と同様にオルテガの完璧なリードとフォローに助けられたからだ。
 体勢を崩し掛ければさりげなく腰を支えて立て直してくれるし、ステップを間違えても直ぐに合わせてくれる。最初はステップを追う事に必死になっていたんだが、どんなに失敗しそうになってもオルテガがフォローしてくれる安心感は大きかった。途中からは踊るのが楽しい方が強くなり、失敗もしなくなる。やっぱり考え過ぎるのが俺の悪癖らしい。
 人垣の中に出来たダンスホールを軽快な音楽に合わせて縦横無尽に走り、飛び跳ねる。喜びはしゃぐ様なこの踊りこそ、ローライツ王国における夏の訪れを祝うダンスだ。
 普段はお堅い貴族達もこの日ばかりは厳粛な慣習を捨てて踊り明かす。その幕開けに踊られるダンスを、こうしてオルテガと二人で踊る事が出来て嬉しい。
 やがて、アップテンポだった曲が終わる。大きく激しく動き回ったから呼吸が弾んでいた。大きく深呼吸を繰り返しながらオルテガの手を離して、初めのようにボウアンドスクレープをすればワッと歓声が上がる。
 そこでやっと周りを見渡せば、皆顔が輝いていた。どうやら大きくトチらず上手く踊れた様で安堵する。呼吸もしんどいし、大仕事を終えた俺は大いに油断していた。
 ファーストダンスが終われば、後はダンスパーティーの始まりだ。それぞれパートナーの手を取ってダンス用のスペースにやってきた。男女のペアもいれば、同性同士のペアもいる。煌びやかな衣装は見ているだけで心が弾む。
 そんな中で俺は疲れたしやっと大仕事が終わったしと気を抜きながらこの場から下がろうとした。しかし、横から伸びて来た腕にそれは阻止される。
 驚いて腕の主を見れば、笑みを浮かべたオルテガ。あ、嫌な予感がすると思った瞬間には既に抱き寄せられて気が付けば彼の腕の中だった。
「折角の夜なんだ。もう少し付き合ってくれ」
 幸せそうな表情、甘い声が強請ってくる。こういう表情と声に弱い事は露見しているのでわざとなんだろう。
 夜会のダンスにはそれなりにルールがある。
 相手の誘い方だとか、踊る演目だとか色々あるが、最も重要なルールは誰と何回踊るか、だ。
 舞踏会は社交が主だが、未婚の者が相手を探す出逢いの場でもある。そういった者達は相手を変えながら大抵一回、気に入った者ならば二回三回と複数回を踊る。
 しかし、同じ相手と四回以上踊るのを許されるのは特別な関係の者だけだ。既婚者だったり婚約者同士がそれにあたる。
 要するにあと三回一緒に踊れと言っているのだ、この男は。
 思わず胡乱な目で見遣っているうちに二曲目が始まってしまう。今度はもっとスローなワルツだ。あれよあれよという間に腰を抱かれて手を掬い上げられて気が付けばダンスの体勢になっている。
 文句を言おうと思ったが、こちらを見ている男の顔があんまり幸せそうだったから飲み込んでしまった。
 結局、俺は彼に心底メロメロで甘いのだ。
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