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75 図書館での密談
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75 図書館での密談
レインが王都へと戻ると言った翌日、彼女は朝イチで王都への帰路へと着いた。
彼女が滞在していた別荘へその見送りに行った帰り道、何故か馬車に同乗せず、愛馬であるヴィエーチルに乗って共に来ていたオルテガはこのまま別れてアルカマルへいくと言う。珍しい事もあるものだ、と思いつつも俺は喜んで彼を送り出す事にした。やっとサディアスと二人で話す時間が取れそうだからだ。
オルテガが離れる事を喜んだ事に気が付かれたんだろう。端正な顔立ちが少々不満そうにするのが可愛らしい。
「また俺を置いて二人で悪巧みの相談か?」
「人聞きの悪い事を言うな」
馬車と並ぶように馬を歩かせる馬上のオルテガと会話しながらも間も無く差し掛かるのはレヴォネ本邸とアルカマルへ続く道の分かれ道だ。彼の中で俺とサディアスの密談より優先される用事というものが気に掛かりはするが、滞在もそこそこ長引いているし、オルテガにもプライベートの知り合いくらい出来たのだろう。たまには少しばかり距離を置くのも必要だ。とはいえ、オルテガはすぐに帰ってきそうだが…。
レヴォネ本邸とアルカマルの分かれ道に差し掛かると宣言通り、オルテガはアルカマルの方へと馬首を向けた。
「半日程で戻ると思う。あまり悪さはするなよ」
「余計な心配だ。早く行け」
釘を刺された事に苦笑しながら促せば、オルテガがヴィエーチルの腹を踵で軽く締めて合図を出して一気に駆け出す。新緑の中を軽快に駆けて抜けていく白い馬影を見送りながら、俺は小さく溜息を零した。さて、サディアスとは何から話したもんか。
サディアスの協力者と「俺」との間にある知識の差が気になるところだ。目下のところ、一番の懸念事項は「俺」の知らないアイテムや展開が存在するか否か、だろう。
特にアイテムについては盤面をひっくり返されかねないから警戒しておきたいが、その辺の事をサディアスはどれくらい知っているのか。話した様子では『恋風の雫』については半信半疑ながらその存在自体は知っていたようだが…。
「一人で悩んでもしょうがないか」
思考を打ち切って窓の外へと視線をやる。蒼鱗湖は今日も青々とした水を湛え、周りを囲む森の木々は一層緑を深くしている。これからが良い季節なのに帰らなければならないのが残念だ。
王都はレヴォネより南にあるから夏は暑い。それに温泉もない。仕事もたんまり溜まっている。…ダメだ、考える程に王都に帰りたくなくなる。この話は考えるのをやめよう。
仮眠でもするか、と目を閉じながら馬車の揺れに身を任せる。「俺」が覚醒してから内心驚きの連続だったが、アスファルトに舗装されていない道を行く馬車にもすっかり乗り慣れてしまった。
電車とはまた違う揺れに睡魔を誘われながら何となく思い出すのは「俺」の通勤時代の事だ。
いつも乗る地下鉄は混む方向とは逆だったおかげで比較的空いていて。その路線の終点にも近い駅が自宅の最寄りだったからいつも決まった車両の決まった席に座って半分寝ながら通勤していたっけ。
途中から───が乗ってきて大体いつの間にか俺の隣にいて時折その肩に寄り掛かって寝ていた気がする。うとうとしながらその時の感触を思い出して何とも言えない気持ちになった。
……ああ、彼の名前は何だっただろうか。顔も声も、名前すら思い出せない。ただ、頬に触れる温もりは、起こす時にそっと俺を呼ぶ優しい声は嫌いではなかった。
「旦那様、着きましたよ」
外から掛かる声にハッと目を覚ます。どうやら短時間に深く寝入ってしまっていたらしい。頬が濡れている事に気が付いて慌てて目元も合わせて袖口で拭う。「俺」の事を思い出して寝ながら泣くなんて何の夢を見ていたんだろうか。
霧が掛かったように思い出せない事にモヤモヤしながらも馬車を降りて御者に礼を言ってから屋敷に入る。
サディアスはレヴォネ家の図書館にいるとアルバートから聞いて茶の支度を持参しながら俺もそちらに足を向けた。レヴォネ本邸の離れとして建てられている図書館は小さいながらも国内でも有数の蔵書数を誇るもので、サディアスもレヴォネに遊びにきた時にはそこに籠っている事が多かった。
実際、学生時代のサディアスは「私」と同じでどちらかといえばインドアを好む謂わば陰キャ仲間だった。人付き合いが苦手で引っ込み気味だった「私」と本の虫で暇さえあればあらゆる本を読んで研究に没頭するサディアスを引っ張り出してくれたのはいつもオルテガとリンゼヒースの二人だった。サディアスとセイアッドだけだったら二人とも図書館の住人で、それは寂しい青春時代が過ぎた事だろう。
行動力の権化であるリンゼヒースと当時悪ガキ全盛期だったオルテガに振り回される形で私とサディアスは色々な事をしたものだ。時には学園を抜け出して四人でダンジョンに挑んでみたり、街で悪さをしていたヤクザ者を懲らしめたりと随分ヤンチャをした。苦い思い出もかなり多いが、概ねは良い思い出…なんだと思う。
言い切れない辺り、苦労が多かった事を思うとなんともまあ複雑な気持ちになる。楽しかった事に間違いはないのでそのうち笑い話になるだろうか。
重い木製の開き戸を押し開けながら図書館に入れば、古い紙とインクの匂いが出迎えてくれた。これは「俺」にとっても懐かしい匂いだ。身の置き場がない時には空調が効いていて人の気配を感じられる図書館に良く逃げ込んでいたから。
サディアスは二階の窓際に置いてあるカウチで腹這いに寝そべりながら本を読んでいた。窓から柔らかな陽射しが降り注ぐ中、既に何冊か読み終わっているのか、カウチの足元には数冊の本が塔となって生え始めている。
「メイ」
そっと声を掛ければ、サディアスの金色の瞳がゆるりと動いて此方を見た。ついでに左右を見渡すと彼はふにゃと気の抜けた笑みを浮かべる。
「フィンはどっか行ったの?」
「アルカマルに用事があるそうだ。……今のうちにいくつか話をしたいんだが」
「いいよ。今のうちに話ちゃおう」
あっさり了承すると、サディアスは読み掛けの本に栞を挟んで体を起こした。思ったより簡単に了承された事に少々戸惑っていれば、サディアスはにこっと人懐こい笑みを浮かべる。
「言ったでしょ。僕は今の君を肯定するって。時間もないし、フィンが帰ってくると面倒だから早く話そう」
サディアスの言葉をありがたく思いながら持ってきた茶のセット一式を近くのテーブルに置いてそちらに座る。二人分の茶をカップに注いで渡してから懐から取り出すのは四本の小瓶だ。
「……これは?」
「これが話したステラ嬢が使用している香水、こっちがそれに反する作用を持つ物だ。この二本は対象が限定的ではあるもののステラ嬢が使用した物と同等の作用がある……と私は思っている」
手っ取り早く説明をすると、サディアスは直様興味を示し、まずはステラが使っていた『恋風の雫』の入った小瓶を手に取り、蓋を開けて匂いを嗅いでいる。俺も試しに何度か嗅いでみたが、身に付けない限りは無害な物のようだ。
「うーん、こうやって嗅ぐと甘い香りがするただの香水みたいなんだけど……」
「仮説でしかないが、身に付ける事で初めて効果が出るんだと思う。私も試してみたいんだが、ダーランに止められてな……」
「それは英断だと思うよ。これ以上人をたらし込んでどうするの。死人出したくなかったらリアは絶対使っちゃダメだからね」
また怒られた。惚れ薬なんて試してみたいに決まってるのになぁ。いやでも、オルテガが怖いからやめておこう。冗談抜きで死人が出るかもしれない。
「んん、これがその香水に反する作用があるものだ」
軽く咳払いして仕切り直してから今度は『夜離れの露』をサディアスに差し出す。ステラに渡すようにとヤロミールに託した物は『恋風の雫』と同じように淡いピンクに着色してもらったが、こちらは薄い青色をしている。元々はこういう色の物らしい。
「こっちもただの香水でしかないんだけど……。本当にこんなもので人の心が操れるの?」
「厳密に言えば人の好感度に影響する。ピンクの方は近くにいるだけでより好意が強くなり、青色の方は逆に好意が失せていく……筈だ。どちらも自分で効果を試した事がないから確証はないが、持っている知識の中ではそういう物として存在している」
匂いを確かめて訝しげにしているサディアスに対して肩を竦めながら答える。実証実験した方が確実なんだが、『恋風の雫』の使用は止められているし、『夜離れの露』で周囲の好感度を下げるのは俺にとって悪手だ。かと言って身内の人間にこんな物を使わせる訳にはいかない。
ただ、王都からの手紙を見る限り、『恋風の雫』が作用しているのは事実のようだ。『夜離れの露』はヤロミールが上手くステラに渡してくれれば効果の程が観察出来るかもしれないが、いかんせん距離が遠くてつぶさに観察出来ないのが現状だ。
「うーん、多分リアの言ってる仮説は正しいんだろうね。こっちのピンクの方は僕の協力者も探していた物だと思う。『恋風の雫』って言うんだっけ? リアがわざわざ製作者まで探し出して抑えてるって事はどうしてもステラ嬢に渡したくなくて止めたかった物なんでしょ?」
「ああ」
やはりサディアスの協力者とやらもリクオルを探すのには苦労していたようだ。名前も顔も碌にない完全なモブだったから俺もダーランに頼んでやっと見つけられたのだ。
そう考えるとステラ側の持っている人脈や情報網もバカに出来ないかもしれない。
「つけた人間が側にいるだけで周囲の人間に対して本人の意思に関係なく作用するようだ。効果の程は分からないが、王都からの報告を見る限りではお前の甥ダグラスもこの香水の影響を受けたと見て間違いないだろう」
「ふーん、そっかぁ」
素っ気ない返事のように見せ掛けて、ピンクの小瓶を弄ぶサディアスの顔は笑みが消えて殺気立っていて怖い。彼が甥っ子としてダグラスを非常に可愛がっていた事を知っている身としては正直複雑だ。セイアッドが無実の罪で追い遣られた事が撤回されれば、関わった者達は罰せられるだろう。そうなると、ダグラスもその対象に入ってくる。
「……薬物の関与が認められれば、ダグラスやマーティンに課せられる罪は軽くなるかもしれない。そこでお前にはこの二本の解析を頼みたいんだ。材料や製造方法は製作者から押収している」
「分かった。話が終わったらすぐに取り掛かるよ。で、こっちの方は? さっきの言い方だと、より相手を絞ったものみたいだけど」
サディアスが残り二本を持ち上げて陽光に透かす。ラベルの貼ってある小さな小瓶の中身は片方が俺に散々影響を及ぼした物で、もう片方はオルテガが一番好んだという物だ。便宜的にそれぞれレインがつけた『黄昏』と『月映』と呼ぶ事にしようか。
俺にとって、この話し合いのメインはこちらの方だ。場合によっては早急に手を打たないと大変な事になる。
「この二本はオルディーヌ嬢がうちの調香師と作った物だ。しかし、こちらの香水をフィンが身に付けている時、明らかに私の精神に作用していた。単体で嗅いだり、自分が身に付けても効果はなかったが、フィンがつけている時に近くに居るとどうにも落ち着かなくなってな……」
「ねえ、もしかして惚気られてる?」
「茶化すな。その程度が異常だったんだ」
溜息混じりにサディアスの手から一本取って俺も陽の光に透かして見る。ラベルを見れば『月映』の方だ。陽光の中でゆらゆら揺れる透明な水はこうして見れば、何の変哲もないただの液体にしか見えなかった。
「お前が持っている香水の対象は私だ。そして、こちらは恐らくフィンが対象になる。その香水をフィン以外がつけた所で私にどう作用するか分からないが、恐らくつけた人間に対する好意が上がると思う」
「ええ……」
どうにも胡散臭そうな声がサディアスから漏れた。実際、言ってる事が滅茶苦茶な自覚はあるんだが、そういう物なのだとしか言い様がない。
「なんか都合良く出来すぎてない? 個人に対して作用する惚れ薬なんて……。そもそもなんで好意に影響する物が多いのさ」
サディアスが協力者からこの世界が「俺」達にとってどういう世界であるのか、その認識の説明を受けているのか分からないが、説明してしまった方が早いだろうか。悩ましい限りだが、協力してもらう以上ある程度の認識は教えておいた方が良いような気もする。
「……これから話す事を信じてくれるか?」
「もう何を言われても驚かないよ」
やけっぱちといった様子で座り直したサディアスは近くに置いてあった紙と転がっていた鉛筆を手に取る。
「さあ、話してくれる? 君の知ってる事を洗いざらい全部ね!」
吹っ切れたのか、急かすサディアスの様子に苦笑しながら俺はどう話したもんかと思案を始めた。
レインが王都へと戻ると言った翌日、彼女は朝イチで王都への帰路へと着いた。
彼女が滞在していた別荘へその見送りに行った帰り道、何故か馬車に同乗せず、愛馬であるヴィエーチルに乗って共に来ていたオルテガはこのまま別れてアルカマルへいくと言う。珍しい事もあるものだ、と思いつつも俺は喜んで彼を送り出す事にした。やっとサディアスと二人で話す時間が取れそうだからだ。
オルテガが離れる事を喜んだ事に気が付かれたんだろう。端正な顔立ちが少々不満そうにするのが可愛らしい。
「また俺を置いて二人で悪巧みの相談か?」
「人聞きの悪い事を言うな」
馬車と並ぶように馬を歩かせる馬上のオルテガと会話しながらも間も無く差し掛かるのはレヴォネ本邸とアルカマルへ続く道の分かれ道だ。彼の中で俺とサディアスの密談より優先される用事というものが気に掛かりはするが、滞在もそこそこ長引いているし、オルテガにもプライベートの知り合いくらい出来たのだろう。たまには少しばかり距離を置くのも必要だ。とはいえ、オルテガはすぐに帰ってきそうだが…。
レヴォネ本邸とアルカマルの分かれ道に差し掛かると宣言通り、オルテガはアルカマルの方へと馬首を向けた。
「半日程で戻ると思う。あまり悪さはするなよ」
「余計な心配だ。早く行け」
釘を刺された事に苦笑しながら促せば、オルテガがヴィエーチルの腹を踵で軽く締めて合図を出して一気に駆け出す。新緑の中を軽快に駆けて抜けていく白い馬影を見送りながら、俺は小さく溜息を零した。さて、サディアスとは何から話したもんか。
サディアスの協力者と「俺」との間にある知識の差が気になるところだ。目下のところ、一番の懸念事項は「俺」の知らないアイテムや展開が存在するか否か、だろう。
特にアイテムについては盤面をひっくり返されかねないから警戒しておきたいが、その辺の事をサディアスはどれくらい知っているのか。話した様子では『恋風の雫』については半信半疑ながらその存在自体は知っていたようだが…。
「一人で悩んでもしょうがないか」
思考を打ち切って窓の外へと視線をやる。蒼鱗湖は今日も青々とした水を湛え、周りを囲む森の木々は一層緑を深くしている。これからが良い季節なのに帰らなければならないのが残念だ。
王都はレヴォネより南にあるから夏は暑い。それに温泉もない。仕事もたんまり溜まっている。…ダメだ、考える程に王都に帰りたくなくなる。この話は考えるのをやめよう。
仮眠でもするか、と目を閉じながら馬車の揺れに身を任せる。「俺」が覚醒してから内心驚きの連続だったが、アスファルトに舗装されていない道を行く馬車にもすっかり乗り慣れてしまった。
電車とはまた違う揺れに睡魔を誘われながら何となく思い出すのは「俺」の通勤時代の事だ。
いつも乗る地下鉄は混む方向とは逆だったおかげで比較的空いていて。その路線の終点にも近い駅が自宅の最寄りだったからいつも決まった車両の決まった席に座って半分寝ながら通勤していたっけ。
途中から───が乗ってきて大体いつの間にか俺の隣にいて時折その肩に寄り掛かって寝ていた気がする。うとうとしながらその時の感触を思い出して何とも言えない気持ちになった。
……ああ、彼の名前は何だっただろうか。顔も声も、名前すら思い出せない。ただ、頬に触れる温もりは、起こす時にそっと俺を呼ぶ優しい声は嫌いではなかった。
「旦那様、着きましたよ」
外から掛かる声にハッと目を覚ます。どうやら短時間に深く寝入ってしまっていたらしい。頬が濡れている事に気が付いて慌てて目元も合わせて袖口で拭う。「俺」の事を思い出して寝ながら泣くなんて何の夢を見ていたんだろうか。
霧が掛かったように思い出せない事にモヤモヤしながらも馬車を降りて御者に礼を言ってから屋敷に入る。
サディアスはレヴォネ家の図書館にいるとアルバートから聞いて茶の支度を持参しながら俺もそちらに足を向けた。レヴォネ本邸の離れとして建てられている図書館は小さいながらも国内でも有数の蔵書数を誇るもので、サディアスもレヴォネに遊びにきた時にはそこに籠っている事が多かった。
実際、学生時代のサディアスは「私」と同じでどちらかといえばインドアを好む謂わば陰キャ仲間だった。人付き合いが苦手で引っ込み気味だった「私」と本の虫で暇さえあればあらゆる本を読んで研究に没頭するサディアスを引っ張り出してくれたのはいつもオルテガとリンゼヒースの二人だった。サディアスとセイアッドだけだったら二人とも図書館の住人で、それは寂しい青春時代が過ぎた事だろう。
行動力の権化であるリンゼヒースと当時悪ガキ全盛期だったオルテガに振り回される形で私とサディアスは色々な事をしたものだ。時には学園を抜け出して四人でダンジョンに挑んでみたり、街で悪さをしていたヤクザ者を懲らしめたりと随分ヤンチャをした。苦い思い出もかなり多いが、概ねは良い思い出…なんだと思う。
言い切れない辺り、苦労が多かった事を思うとなんともまあ複雑な気持ちになる。楽しかった事に間違いはないのでそのうち笑い話になるだろうか。
重い木製の開き戸を押し開けながら図書館に入れば、古い紙とインクの匂いが出迎えてくれた。これは「俺」にとっても懐かしい匂いだ。身の置き場がない時には空調が効いていて人の気配を感じられる図書館に良く逃げ込んでいたから。
サディアスは二階の窓際に置いてあるカウチで腹這いに寝そべりながら本を読んでいた。窓から柔らかな陽射しが降り注ぐ中、既に何冊か読み終わっているのか、カウチの足元には数冊の本が塔となって生え始めている。
「メイ」
そっと声を掛ければ、サディアスの金色の瞳がゆるりと動いて此方を見た。ついでに左右を見渡すと彼はふにゃと気の抜けた笑みを浮かべる。
「フィンはどっか行ったの?」
「アルカマルに用事があるそうだ。……今のうちにいくつか話をしたいんだが」
「いいよ。今のうちに話ちゃおう」
あっさり了承すると、サディアスは読み掛けの本に栞を挟んで体を起こした。思ったより簡単に了承された事に少々戸惑っていれば、サディアスはにこっと人懐こい笑みを浮かべる。
「言ったでしょ。僕は今の君を肯定するって。時間もないし、フィンが帰ってくると面倒だから早く話そう」
サディアスの言葉をありがたく思いながら持ってきた茶のセット一式を近くのテーブルに置いてそちらに座る。二人分の茶をカップに注いで渡してから懐から取り出すのは四本の小瓶だ。
「……これは?」
「これが話したステラ嬢が使用している香水、こっちがそれに反する作用を持つ物だ。この二本は対象が限定的ではあるもののステラ嬢が使用した物と同等の作用がある……と私は思っている」
手っ取り早く説明をすると、サディアスは直様興味を示し、まずはステラが使っていた『恋風の雫』の入った小瓶を手に取り、蓋を開けて匂いを嗅いでいる。俺も試しに何度か嗅いでみたが、身に付けない限りは無害な物のようだ。
「うーん、こうやって嗅ぐと甘い香りがするただの香水みたいなんだけど……」
「仮説でしかないが、身に付ける事で初めて効果が出るんだと思う。私も試してみたいんだが、ダーランに止められてな……」
「それは英断だと思うよ。これ以上人をたらし込んでどうするの。死人出したくなかったらリアは絶対使っちゃダメだからね」
また怒られた。惚れ薬なんて試してみたいに決まってるのになぁ。いやでも、オルテガが怖いからやめておこう。冗談抜きで死人が出るかもしれない。
「んん、これがその香水に反する作用があるものだ」
軽く咳払いして仕切り直してから今度は『夜離れの露』をサディアスに差し出す。ステラに渡すようにとヤロミールに託した物は『恋風の雫』と同じように淡いピンクに着色してもらったが、こちらは薄い青色をしている。元々はこういう色の物らしい。
「こっちもただの香水でしかないんだけど……。本当にこんなもので人の心が操れるの?」
「厳密に言えば人の好感度に影響する。ピンクの方は近くにいるだけでより好意が強くなり、青色の方は逆に好意が失せていく……筈だ。どちらも自分で効果を試した事がないから確証はないが、持っている知識の中ではそういう物として存在している」
匂いを確かめて訝しげにしているサディアスに対して肩を竦めながら答える。実証実験した方が確実なんだが、『恋風の雫』の使用は止められているし、『夜離れの露』で周囲の好感度を下げるのは俺にとって悪手だ。かと言って身内の人間にこんな物を使わせる訳にはいかない。
ただ、王都からの手紙を見る限り、『恋風の雫』が作用しているのは事実のようだ。『夜離れの露』はヤロミールが上手くステラに渡してくれれば効果の程が観察出来るかもしれないが、いかんせん距離が遠くてつぶさに観察出来ないのが現状だ。
「うーん、多分リアの言ってる仮説は正しいんだろうね。こっちのピンクの方は僕の協力者も探していた物だと思う。『恋風の雫』って言うんだっけ? リアがわざわざ製作者まで探し出して抑えてるって事はどうしてもステラ嬢に渡したくなくて止めたかった物なんでしょ?」
「ああ」
やはりサディアスの協力者とやらもリクオルを探すのには苦労していたようだ。名前も顔も碌にない完全なモブだったから俺もダーランに頼んでやっと見つけられたのだ。
そう考えるとステラ側の持っている人脈や情報網もバカに出来ないかもしれない。
「つけた人間が側にいるだけで周囲の人間に対して本人の意思に関係なく作用するようだ。効果の程は分からないが、王都からの報告を見る限りではお前の甥ダグラスもこの香水の影響を受けたと見て間違いないだろう」
「ふーん、そっかぁ」
素っ気ない返事のように見せ掛けて、ピンクの小瓶を弄ぶサディアスの顔は笑みが消えて殺気立っていて怖い。彼が甥っ子としてダグラスを非常に可愛がっていた事を知っている身としては正直複雑だ。セイアッドが無実の罪で追い遣られた事が撤回されれば、関わった者達は罰せられるだろう。そうなると、ダグラスもその対象に入ってくる。
「……薬物の関与が認められれば、ダグラスやマーティンに課せられる罪は軽くなるかもしれない。そこでお前にはこの二本の解析を頼みたいんだ。材料や製造方法は製作者から押収している」
「分かった。話が終わったらすぐに取り掛かるよ。で、こっちの方は? さっきの言い方だと、より相手を絞ったものみたいだけど」
サディアスが残り二本を持ち上げて陽光に透かす。ラベルの貼ってある小さな小瓶の中身は片方が俺に散々影響を及ぼした物で、もう片方はオルテガが一番好んだという物だ。便宜的にそれぞれレインがつけた『黄昏』と『月映』と呼ぶ事にしようか。
俺にとって、この話し合いのメインはこちらの方だ。場合によっては早急に手を打たないと大変な事になる。
「この二本はオルディーヌ嬢がうちの調香師と作った物だ。しかし、こちらの香水をフィンが身に付けている時、明らかに私の精神に作用していた。単体で嗅いだり、自分が身に付けても効果はなかったが、フィンがつけている時に近くに居るとどうにも落ち着かなくなってな……」
「ねえ、もしかして惚気られてる?」
「茶化すな。その程度が異常だったんだ」
溜息混じりにサディアスの手から一本取って俺も陽の光に透かして見る。ラベルを見れば『月映』の方だ。陽光の中でゆらゆら揺れる透明な水はこうして見れば、何の変哲もないただの液体にしか見えなかった。
「お前が持っている香水の対象は私だ。そして、こちらは恐らくフィンが対象になる。その香水をフィン以外がつけた所で私にどう作用するか分からないが、恐らくつけた人間に対する好意が上がると思う」
「ええ……」
どうにも胡散臭そうな声がサディアスから漏れた。実際、言ってる事が滅茶苦茶な自覚はあるんだが、そういう物なのだとしか言い様がない。
「なんか都合良く出来すぎてない? 個人に対して作用する惚れ薬なんて……。そもそもなんで好意に影響する物が多いのさ」
サディアスが協力者からこの世界が「俺」達にとってどういう世界であるのか、その認識の説明を受けているのか分からないが、説明してしまった方が早いだろうか。悩ましい限りだが、協力してもらう以上ある程度の認識は教えておいた方が良いような気もする。
「……これから話す事を信じてくれるか?」
「もう何を言われても驚かないよ」
やけっぱちといった様子で座り直したサディアスは近くに置いてあった紙と転がっていた鉛筆を手に取る。
「さあ、話してくれる? 君の知ってる事を洗いざらい全部ね!」
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