盤上に咲くイオス

菫城 珪

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王都編72 彼女の言い分

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王都編72  彼女の言い分

 ガーランド侯爵家の馬車に乗った俺達はガーランド家へと帰ってきた。
 今現在は動き易い格好に着替えてオルテガの部屋にあるカウチの上でダラダラしているところだ。
 一応自分の屋敷に帰ろうとしたんだが、許してもらえなかった。どころかオルテガは得意げに一枚の書状を見せてきた。襲撃犯が判明し、捕えられ安全が確保されるまではガーランド侯爵家でセイアッドを守る様にというユリシーズからの同居お墨付きの文書である。
 いずれにせよ、自分の部屋が血塗れで暫くは使えないだろうから致し方ないのかもしれないが、これではなし崩しに同棲開始である。
 少々ドキドキしている俺とは対照的に片時も離れようとしない男は俺の隣で寝転がりながら幸せそうだ。そりゃそうだろう。普通なら籍を入れて婚姻するまで共に暮らし始める事はない。嫁ぎ先が遠方だったり特殊な事情があったりする場合は先んじて同居を始める場合もあるが、それも婚約を正式に済ませてからだ。
 色んな段階をすっ飛ばして同棲生活が始まってしまった訳だが、ここで問題が一つ。
 俺用の個室がないのだ。
 当然の様に「フィンの部屋にリア君用のものは用意してあるから」とエルカンナシオンからにこやかに言われた時には流石に眩暈を覚えた。オルテガが俺を守れるようにという大義名分を掲げているもののそんなの詭弁だ。
 現役騎士団長オルテガ、前騎士団長アルトゥロ、更にその先代の騎士団長セレドニオが居て、エルカンナシオンは単騎で大型の魔物を屠った伝説を残すような女傑。屋敷内は常に沢山の番猫達が見回っているし、ガーランド侯爵家に所属している騎士達は国の中でも抜きん出て屈強。誰がこんな家に襲撃を掛けるというのか。何も出来ずに木っ端微塵に粉砕される未来しか見えない。
 軍隊でも引っ張ってこないと不可能だろうに、そんなガーランド家に過保護に守られているのが現状だ。これ幸いと言わんばかりに囲いに来つつ、周囲に対する牽制も感じるのは絶対俺の気のせいではないだろう。
 思わずそっと溜め息を零すと目敏く気が付いた男は俺の顔を覗き込んで来る。
「どうした?」
「いや……なんか色んな話に置いてけぼりを食らっている気分になっただけだ」
 俺の言葉に、オルテガは申し訳無さそうに眉を下げるとそのまま俺を抱き込んでしまう。近くなる温もりについついドキリとしているうちにがっちりホールドされた。
「黙って話を決めたのはすまないと思う。でも、お前の身の安全には変えられないんだ」
「うん、それは分かっている。これ以上安全な場所なんてこの国にはないだろう」
 オルテガの胸に擦り寄りながら心の底からそう思う。此処なら何があっても大丈夫だという絶対的な安心感は他にはない。ただ、少しくらい話してくれたって良いだろうに。
「……まあ、それも言い訳でしかないな。俺がお前を手離したくないだけだ」
 そう言いながら悪戯っぽく長い髪を掬って、見せ付けるように口付ける。分かってはいたが、やはりこの男の差し金も大いにあるようだ。
「全く、どうせ陛下に何か調子の良い事を言ったんだろう」
「陛下には事実しか申し上げていない。どこよりも安全な場所を提供し、必ず守り抜いてみせる。誰にも二度と傷付けさせない、と」
 抱き締めながら宣言されてじわりと顔が熱くなる。本当に、この男ときたら…!
 此処まで外堀を埋められたら大人しくしているしかないだろう。それに、俺だってオルテガと一緒にいたいのだ。
「本当に良いんだろうか。私に得しかないんだが」
「陛下がいいと言ったんだからお前は気にせず此処で寛げばいいんだ。誰にも文句は言わせない」
 それでも心配で呟けば、そんなもの気にするなとオルテガに嗜められた。同時に首筋に鼻先を擦り寄せてくるからつい体がびくりと跳ねてしまう。俺の反応に気を良くしたのか黄昏色の瞳が細められ、大きな掌が俺の体をなぞり始める。
「こら、まだ夕食前だぞ」
 このままでは流されると思った俺はオルテガを嗜めるが、そんなものどこ吹く風と言わんばかりに無視された。
 首筋に唇が這い、時折悪戯するように薄い皮膚を啄まれる。太い指が確かめるように体をなぞり上げ、逃げられないように脚が絡み付いてきた。
 触れる熱に、近くに感じる匂いに、抱かれ慣れた体はバカ正直に反応してしまう。は、と短く吐き出した吐息も甘く震えていた。この流されやすさをどうにかしたいものの、俺も堪え性がないからなかなか難しい。
 与えられる熱も快楽も心地良くて、その先も欲しくなる。
「あ……」
 胸元を這う指がわざと良い所を掠めていく。慌てて口を手で塞ぐが、小さく零れた嬌声で俺の心情なんてお見通しなのだろう。視界の端で意地悪く黄昏が細められる。その瞳に背筋にゾワゾワしたものが這い上がってきた。
 このまま身を委ねて喰われたい。骨の髄まで貪り合って、全身に彼の証を刻まれたい。この男を独り占めにして溶け合うまで抱き合いたい。
 一度火がつけば、どこまでも浅ましい欲が次々に湧いてくる。
 しかし、現実は無情だ。オルテガの背に腕を回そうとした所でドアがノックされたのだ。その音に我に返って慌てて身を縮めれば、オルテガは隠しもせずに舌打ちをする。
 外からはマカリオが夕食の支度が整ったと声を掛けてきた。オルテガが直ぐに行くとだけ返せば、マカリオは心得たように離れて行ったようだ。
「残念だな。……続きはまた後でしよう」
 耳元で色気たっぷりに低く甘く呟いてさっさと身を起こすオルテガと、対照的に囁かれた耳を押さえながら真っ赤になる俺。お預けもだが、あんな声で囁くのは卑怯だ。
 どこまでもオルテガに弄ばれながら俺はのそのそと支度をする。知らぬ間にシャツのボタンまで外されていたからそれを留めながら溜め息を一つ。
 果たして俺はこの同棲生活、ひいてはいつかくるであろう新婚生活に耐えられるのだろうか。
 そんな不安を覚えながら身支度を整えるのだった。


 身支度を整えて向かったのはガーランド邸の食堂だ。
 オルテガのエスコートで向かい、ドアを開けてもらえばふんわり良い匂いがしてくる。ガーランド家のご飯も美味しいんだよなぁ。
 思わず涎が湧いてくるのを飲み下しながらオルテガに促されて彼の隣の席に着く。今夜はアルトゥロ一家も一緒のようでいつも以上に賑やかだ。
 体を動かす事が多いからか、ガーランド一家は良く食べる。見ていて気持ち良いくらいの食べっぷりに触発されてつい俺も食べ過ぎてしまうくらいだ。
 今夜はガーランド領で獲れた野豚がメインだった。脂が乗っていてそれでいて身質も良いその野豚はこの世界では珍しく半分牧畜半分野生の状態で育ったものだ。魔物が多いこの世界で食肉となるのは主に野生に住む魔物や動物だが、この野豚はわざわざ食肉用に囲った森で育てているらしい。勿論、普通の魔物や動物より手間暇が掛かっている分、高級食材だ。美味しくない訳がない。
 そんな訳で今夜の食事も非常に美味しかったと余韻に浸りながら食後の紅茶を楽しんでいると不意にセレドニオがマカリオに視線を向けた。その視線を受けたマカリオが部屋を出ると途端に室内にはピリ付いた空気が満ちる。
 その変化に驚いていれば、隣にいたオルテガが俺の肩をそっと抱き寄せてくれた。耳元で大丈夫だと囁いてくれる声に少し安堵していれば俄かに部屋の外が騒がしくなる。
 僅かに聞こえてくる若い女性の金切り声には聞き覚えがあった。
 マカリオがドアを開け、女性騎士二人に脇を固められながら入ってきたのはガーランド家のメイド、キャスリーンだ。
 美しかった髪を振り乱し、囚人用と思しき古ぼけたワンピースに身を包んだ彼女は口汚くマカリオや自分を拘束している女性騎士達を罵っている。顔や手足も汚れているし、所々に擦り傷もあるところを見ると散々暴れた上で捕縛されて勾留されていた感じなんだろうか。
 何故彼女がこのような姿で此処に、と疑問を抱く俺に答えるようにセレドニオが厳かに口を開く。
「セイアッド・リア・レヴォネ殿、此度の襲撃は我が家の使用人が貴殿に対して危害を加えようとした事で発生した。ガーランド侯爵家一堂、貴殿に謝罪を申し入れたい。……本当に申し訳なかった」
 そう言って深々と全員が頭を下げるので俺の方がぎょっとしてしまう。結果的にオルテガに守られたし、いろんな話が進んだから俺的には別に良いんだが…。それにしても初耳の話だ。嫌がらせはともかくとして襲撃の首謀者は彼女だったのか。てっきりミナルチーク派の手だと思っていた。
「セレドニオ様、ガーランド家の皆様、謝罪は不要です。こうしてピンピンしておりますし、お陰で私は無二のものを手に入れる事が出来ました」
 隣にいるオルテガの肩に触れながら慌てて言葉を紡ぐ。多分、形式的なものなんだろうけど、心臓に悪いから早く頭を上げて欲しい。心臓が嫌な具合に跳ねてるんだよ。
 俺の言葉にガーランド家の面々が顔を上げてくれてホッと息を吐く。いきなりこういう事をされると心臓に悪すぎる。そんな俺の状況を察したのか、隣のオルテガが椅子を寄せ、俺を抱き寄せてきた。
「ちょっと! 何でアンタがそこに居るのよ!! そこは私の席なのよ!!」
 触れる温もりにホッとしたのも束の間、今度はキャスリーンが金切り声をあげる。びっくりして声のした方を見れば、今にも飛び掛かって来そうな形相をしたキャスリーンが俺を睨み付けていた。
 そんなキャスリーンの様子にセレドニオは眉を顰め、オルテガからは表情が消える。ヤバい、こういう顔してる時は危ない時だ。
 斬り捨てかねないと慌ててオルテガの腕に抱き着いて見せれば、気に食わないキャスリーンが更に奇声のような叫び声をあげて俺を罵る。あまりに酷い侮辱は聞くに耐えないものだが、それより何よりオルテガがヤバい。
 普段は穏やかそうに見えるが、敵に対して容赦はない男だ。その片鱗が見えているからどうにかして抑えたいんだが…。
「フィン様、騙されないでください! 全部ソイツが悪いんです!!」
「……下位とはいえ貴様が貴族令嬢ということもあり陛下の温情で申し開きと謝罪の機会を設けよとの仰せだったが……謝罪については無駄なようだな」
 隣からは感情を削ぎ落とした冷たい声が落ちる。ゾッとするほど冷たいその声に満ちているのは深い怒りだ。
 ハラハラしている俺の危惧を他所にキャスリーンは未だに縋るようにオルテガを見ている。マジか、この空気を読めないのは逆に凄いな。
「キャスリーン・ミア・テナンス。貴様はガーランド家に仕える者でありながら私欲で主家の物を盗み、ガーランド家の大切な者に手を出した」
 淡々と罪を数えるオルテガの声はどこまでも平坦で底知れぬ程冷たい。隣に居て聞いているだけでも背筋が冷える様な声は断罪を告げるものだ。
「ましてお前が害そうとしたのは国の宝だ。貴様に下す沙汰は陛下よりガーランド侯爵家に一任された。貴様にも言い分があるなら最後に聞いてやる。申し開きがあるなら言うがいい」
 斬り捨てるようなオルテガの言葉に、やっと自分の立場を理解したのか、薄紅色の瞳が大きく見開かれる。
「なんで私が! 私はフィン様に愛されているのに!」
 騒ぐキャスリーンの様子に小さく溜め息を零すと、オルテガが俺の顎に指を掛けた。流れる様に視線を上に向けられる。
「俺にとって愛しい者はずっと……ずっとずっとただ一人。彼だけだ」
 愛おしそうにこちらを見つめる黄昏色の瞳と切なそうな声に一気に顔が熱くなる。名前を言わなかったのはわざとだろう。本当に、不意打ちでこういう事をしてくるから油断が出来ない。
 真っ赤になった俺を見て満足そうに笑むと、オルテガは再びキャスリーンへと視線を向ける。俺をしっかり抱き締めながら、だ。
 抱き締めてくれる腕が小憎らしくて抓ってやるが、大したダメージになっていない気がする。
「なんで……! いつも私に優しくしてくれたのに! 真名だって許してくださったのに!!」
「何度も忠告した筈だ。それに聞く耳を持たず、都合良く曲解したのは貴様だろう」
 半ば呆れた様にオルテガが告げる。キャスリーンは思い込みの激しいタイプだったのだろうか。
 使用人を大切にするのはガーランド家では普通の事だ。名前も家の中でなら主家の人間を真名で呼ぶ事をガーランド家の使用人なら誰にでも許されていた。オルテガが言う様にそれらの事実を都合良く認識していたのだろうか。普段のオルテガなら誰にでも紳士的に接していたから勘違いさせたのかもしれない。
「私がそこにいるべきなのに!」
 激昂し、叫び散らかすキャスリーンは血走った目で俺を見る。彼女の目にはどんな世界が見えていたのだろうか。
「ガーランドのお屋敷も! 王国一のお庭も! フィン様も! 全部私のものなのに!!」
 キャスリーンの言い方に少しばかりイラッとする。結局、彼女にとってオルテガはただのステータスなのか。
 そこそこ力があると言っても所詮は地方貴族。そんな彼女からしてみれば、王都に屋敷を構えている事も国で一番と呼ばれる庭も魅力的なのかもしれない。しかし、そんな物とオルテガを同列にするのは許せない。
 文句を言ってやろうと立ちあがろうとしたが、オルテガに軽く肩を抑えられて制される。不満に思って彼を見上げるが、関わるなと言わんばかりに緩く首を横に振るばかりだ。ここで俺がしゃしゃりでても火に油を注ぐだけなのだろう。だがしかし、納得はいかない。
 彼女にとってこのガーランド家は憧れの象徴のような物なんだろう。だが、それに目が眩んで本質を見ないなんて愚かな事だ。
 隣を見上げれば愛おしそうに細くなる瞳。この男が身のうちに秘める本当の強さを、美しさを、彼女は見ようとすらしていないのだから。
「……言いたい事があるなら聞いてやろう。好きなだけ喚くと良い」
 最後くらい彼女の言い分を聞いてやろうと思う。何を思ってこんな事をしたのか。心からオルテガを想っての事なのか、はたまた虚栄心ゆえの凶行か。
 俺の言葉に、キャスリーンは薄紅色の瞳を怒りに燃やしながら喚き散らした。
 ガーランドの屋敷も庭も、財も全部自分の物。贈られた髪飾りも服も宝石も全て自分の物。オルテガの寵愛も、騎士団長の妻という名誉も何もかもが自分の物。
 大半が罵詈雑言で半ば支離滅裂になりつつあるキャスリーンの主張をまとめるならそんな感じだった。聞いているうちに怒りを通り越して呆れの方が優ってしまう。
 確かにオルテガは今現在の騎士団長ではあるが、いずれはその座をマーティンに譲る事になっている。ガーランド侯爵家だって長子であるアルトゥロが継ぐ事が決まっているし、ガーランドの邸宅も庭もオルテガに所有権はない。そんな事も分からないというのか。
 特に庭に対する執着が強いのか、ガーランド家が俺の為に建てた浴場のせいで庭が破壊された事は彼女にとって心底許し難い事だったようでその辺りの話で念入りに罵倒された。
「あのお庭は国の宝だったのに……! それをアンタが壊したのよ!!」
 彼女のこの嘆きについては俺も同意見だ。まさか俺一人の為に王都でも一、二を争う庭をあっさりぶっ壊すなど思いもしなかった。というか、そんな簡単に壊さないで欲しい。
 ちらりとエルカンナシオンを見遣れば、にっこりと笑みを返された。うーん、嫌な予感。
「先程から言い分を聞いていたけれど、わたくしが作った庭をどうしようがわたくしの勝手でしょう」
 キャスリーンの言い分をズバッと斬り捨てると、エルカンナシオンが俺の手を取る。そして、俺の手をぎゅっと握ると、再びにっこりと圧のある笑顔を浮かべた。
「庭の一つや二つでリア君がうちのフィンを貰ってくれるなら安いものよ」
 にこやかだが握られた手の力が尋常じゃない辺り、逃す気はないからなと念を押されているようだ。何でセイアッドの身の回りの人はこうもアクが強い人物ばかりなのか。
 ガーランド家によって順調に埋められていく外堀を実感して渇いた笑いしか出て来ない。これで外的要因でオルテガと結婚出来ないなんて事になったら本格的にガーランド家が暴れ出しそうな気がしてまたしても胃がほんのり痛くなってくる。
「シーラ様、庭の件に関しては彼女の言う通りやり過ぎかと……」
「あら、何を言ってるの。元々あの庭は貴方と貴方の母であるライラの為に作ったんだから貴方の為に壊したっていいじゃない」
 ここにきて初耳の爆弾発言である。どういう事なのかと混乱していれば、黙って成り行きを見ていたセレドニオが苦笑混じりに教えてくれた。
「君の母であるライラとシーラは親友同士だったのは知っているだろう。カミレが忙しくて家にいることが少ない時期に、少しでもライラを慰めようとして彼女の好きな花を植え始めたのがシーラの庭作りの始まりだ」
 ライラとはセイアッドの亡き母、リュンヌ・ライラ・レヴォネの事だ。オルテガの母とセイアッドの母が親友同士だったのは知っていたが、ここの庭が母のためだったというのは初めて知った。
「ライラとは二人が小さい頃からずっと話していたのよ。フィンとリア君、ゆくゆくは二人を一緒にさせたいわねって。幸いな事に貴方達もお互いに好いていたようだし」
 相手の母親から指摘されると恥ずかしいものだ。思わず顔が熱くなるのを感じていれば、オルテガの腕がするりと腰に回る。
「こういう訳だ。お前は気兼ねせずにガーランド邸を自分のものとして使ってくれれば良い」
 そのまま左手を取ってオルテガがちゅっちゅとキスを落としてくる。何だろう、当事者な筈なのにこの置いてけぼり感は…!!
 オルテガの甘やかしを見たキャスリーンの視線が非常に痛い。許されるなら今すぐ部屋に篭りたい気分だ。
「だ、だからと言ってあんな大掛かりな物を作るなんて……」
「前々から王都には碌な風呂がないと嘆いていただろう。もしかして、気に入らなかったのか?」
 王都の風呂事情に不満があるのは事実だが、言いたい事はそうじゃない。気に入らなかったんだろうかとあからさまにしょんぼりし始めるオルテガの様子に慌てて首を横に振る。
「そうじゃなくて! あそこまで立派な物を作らなくても良かったんだ。普通に浸かれる浴槽があれば良い」
 いくら掛けたんだ、とは今更恐ろしくて聞けない。値段を聞いたら卒倒する自信があるからな。
 領地にいた時の貢物といい、ガーランド邸の改修改造といい、オルテガとガーランド家はセイアッドの為にいくら注ぎ込んだのか。下手したらちょっとした国家予算レベルなのでは…。ひい、ダメだ考える程恐ろしくなる。考えるのをやめた。今は全力で目を背けよう。
「どうせ作るならお前が気に入って入り浸るような物の方がいいだろう」
 それに、と低い声が耳を擽るから思わず体が震えてしまう。
「お前を囲えるだけの力と金があるんだと見せ付けられる」
 今日も絶好調に愛が重い男である。他の奴を牽制する為だけにここまでするとは恐れ入るな。
 怒るのも驚くのも馬鹿馬鹿しくなってきて小さく溜息をつけば、俺が諦めたと見たオルテガが御機嫌な様子で頭や頬にキスをし始める。もう好きにしてくれ。俺は疲れた。
「母上、俺はリアを連れて部屋に戻ります」
「後始末はしておくわ。使用人の不始末は女主人の責任だもの」
 そう言ってキャスリーンに投げ掛けられたエルカンナシオンの視線は酷く冷たいものだ。彼女はきっとこの屋敷に居られなくなる。どころか、今後は貴族令嬢として暮らしていく事も出来ないかもしれない。しかし、宰相襲撃を画策したという犯罪を犯してしまった以上、かばい立ても出来ない。
「リアが気にする事じゃない」
 大きな手が俺を促す。これ以上俺がこの場にいるべきではないのだろう。
「フィン様!」
 椅子から立ち、重い足取りでのろのろと歩いて部屋を出れば、背後から縋るような声がする。しかし、拒絶を示す様にオルテガが直ぐにドアを閉めてしまった。形はどうであれ、オルテガに恋焦がれていたキャスリーンには大ダメージだろう。
「……」
 誰かに恋焦がれる気持ちは分かるから、彼女にほんの少しだけ同情してしまう。増して好いた相手からこんな対応をされるなんて…。
「リア」
 名を呼ばれて顔を上げれば、オルテガが俺を見ている。
「気にしなくて良い。ずっと好意に対して拒否を示してきたが、それを自身の都合の良いように曲解したのは彼女だ」
 抱き締められて髪を撫でられる。分かってはいるけれど、どうしても「俺」の気持ちと重なってしまう部分があって地味にダメージを受けている。
 そして、そんな「俺」の心情を察しているであろうオルテガは困ったように微笑むと俺を優しく抱き締めた。
「……気にするなと言われても無理だ」
 あれは「俺」だったのかもしれないのだから。
 オルテガが涼介と「俺」を受け入れてくれたからこそ、こうして傍に居られる。もし、受け入れてもらえなかったら口を閉ざし、ただその姿を見ながら思い焦がれるしか出来なかっただろう。
「真咲」
 低くて甘い声が「俺」を呼んでくれる。それだけでどうしようもないくらい幸せなのだ。
 広い背中に腕を回して抱き付けば、応えるように軽々と抱き上げられる。
 根っこに絡み付く呪縛は易々と「俺」を解放してくれそうにない。むしろ、ますます大きくなっているのかもしれない。
 初めて心から誰かを求めて止まないからこそ、彼らから「要らない」と言われるのが恐ろしくて堪らないのだ。
 愛おしそうに俺を見つめる黄昏色の瞳が、いつも優しい大きな手が俺を拒絶したら……そう考えるだけで心の芯が冷えていく。
 結局、何処まで行っても「俺」は臆病なままだ。こんな気持ちになるのは一心に想ってくれるオルテガや涼介に対して失礼だろう。それでも、そう簡単に考え方は変えられなくてどうしても後ろ向きな事を想像してしまうのだ。
「ごめん……」
 オルテガの頭を抱き締めながら呟けば、彼は軽く首を横に振り、俺を抱き上げたままゆっくりと歩き出す。
「良い。もっと沢山甘えてくれ。不安があるなら隠さず話して欲しい。俺は絶対にお前を離さないから」
 的確に欲しい言葉をくれるから参ってしまう。「俺」が何にヘコんでいるかなんて彼にはお見通しなのだろう。
「……はあああ、つくづく自分が面倒くさい奴だと思うよ。こんな俺を嫌わないで欲しい」
「ふふ、俺はそんなお前が愛おしいんだ。弱い所も柔らかい所ももっと見せてくれ。全部受け止めてみせる」
 深い溜め息と共に自虐を零せば、それすら受け止められた。くそう、恋人が良い男すぎる。
 優しく背を撫でてくれる掌を嬉しく思いながら俺はオルテガに身を任せるのだった。
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