あやかし化かし合い戦記〜煮え切らない人食い鬼と美味そうな妻〜

平本りこ

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第二話 龍の住まう川

5 一方、その頃

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 時はやや戻る。

 北藍川ほくらんがわ氾濫前の、昼過ぎの妖山中あやかしさんちゅう、空には薄雲がかかっているものの、青天と表現して差し支えない陽気である。雪音ゆきね戸喜左衛門ときざえもんは慣れた足取りで山道を進んでいた。

 戸喜左衛門が手にする錫杖が、歩みに合わせてしゃんしゃんと鳴る。その鋭い音のおかげか、熊や猪といった猛獣と出くわすことはない。

 広大な山林を進むこと半刻(一時間)ほど。誰に妨げられることもなく、二人は目的の川辺にたどり着いた。

「それ、ここより下流では、司川つかさがわが二手に分かれる。北を行くのは北藍川ほくらんがわ、南は南蒼川なんそうがわでござる」

 戸喜左衛門の説明通り、川床の苔むした岩を打ちながら流れていた渓流が、地形の関係で二つに分岐している。上流の司川は妖山領の水資源の源流であり、領民らにとって、なくてはならない存在だ。

「特に異常はなさそうですけれど」

 雪音は難しい顔をして、爽やかな清流を眺めた。

 水深はさほどないものの、小石や岩、倒木により落差が生まれ、ところどころで急流となる。白い飛沫を上げながら弾ける清水が、燦々と降り注ぐ陽光に照らされて煌めいている。岸や川に佇む岩は長い年月をかけて生長した濃い緑の苔に覆われており、この辺りでは水が氾濫しないことを示していた。

 川の様子は平和そのものだ。酷暑の日、涼を求めて散歩をすれば、さぞ心地よかろう。けれどももちろん、雪音と戸喜左衛門が司川の分流点を訪れたのは、避暑が理由ではない。なつめをはじめとする河童らから、気になる情報を耳にしたからだ。

 近頃、突発的な豪雨が増えている。剛厚つよあつから聞いたところによると、異常な雨雲は妖山近辺にのみ発生しているらしい。

 当然、雨を受け入れた川は水嵩が増す。現に、川に暮らす河童の話によれば最近は、北藍川の水量が氾濫間際まで激増することがあるという。一方で、司川の南の分流である南蒼川は、干上がりかけているらしい。

 北藍川の周囲には、人間の里があり、農業が盛んな土地である。対して南蒼川は隣山、獣ばかりが暮らす森に注ぐ流れであり、途中で水量が減少しても、気に留める者はほとんどいない。

 河童らが南蒼川の異変に気づいたのも最近になってからであり、いつから水が減っていたのか定かではない。

 とにかく、豪雨は平地だけでなく、妖山にも降り注いでいる。それならば、上流にあたる司川の水量が増えれば、分流点を経た南北それぞれの川も等しく増水するのが自然だ。

 けれども妙なことに、北藍川ばかりが氾濫の危機に見舞われて、南蒼川が干上がっている。何らかの人為、ないしあやかしの悪戯でも働いているのではなかろうか。

 万が一北藍川が氾濫すれば、白澤領の人里は混乱に陥るだろう。同時に、なつめら河童の住処も破壊される。それは何としてでも阻止せねばならない。

 白澤の娘である雪音となつめの婚約者である戸喜左衛門には共に、川の平穏を取り戻すために奮闘する理由があるのだ。

「雪音殿、いかがする」

 戸喜左衛門の問いかけに、雪音は迷わず答えた。

「南蒼川の様子を見に行きましょう」
「しかし、あちら側は白澤家の手が及ばぬ孤高の天狗たちの縄張りでござる。何が起こるかわからぬぞ」
「でも河童のお家を守らないと。それに、民にとって治水は重大な関心ごとですわ。我が殿のため、一刻も早く解決しなければなりません」
「妖山殿のため。美しき夫婦愛……というわけでもなさそうだ。雪音殿にとって、あのお方は色々と条件がよいのだろうな。妖山殿には、心労の種に蝕まれることなく、心身共に壮健であってもらわねばならぬということか」
「まあ。人聞きの悪い。もちろん夫婦愛ですわ」

 雪音は目を細め、虚空に剛厚の上腕筋を思い浮かべてその起伏を指でなぞった。

「うふふ。逞しい姿にうっとりしちゃう」
「いささか不純な愛でござるな」
「とにかく、ここでうろうろしていても仕方ありませんわ」

 肉体美の幻覚から瞬時に覚めて、雪音は手を下ろす。立ち止まったまま呆れ声を漏らす戸喜左衛門を追い越し、南蒼川沿いに南の隣山方面へと足を進めた。

「隣山が不穏だというのなら、あまり長居せず戻りましょう。ひとまず、川が消える辺りまで行ってみませんこと?」
「ふむ。では、念には念を入れ、仲間が助けに来てくれた時にわかるよう、目印を設置しよう」

 戸喜左衛門は、背中に生えた黒い翼から一枚羽根を抜く。続いて白衣の袖を細く裂き、紐のようにして羽根に結びつけた。

「まあ、名案だわ。では私が一緒にいるという証も残しましょう」

 雪音は懐から巨大なきゅうりを取り出して、羽根の下に括りつける。戸喜左衛門がぎょっとしたように眉を上げた。

「なぜそのようなところから野菜が」
「何が起こるかわかりませんもの。非常食の用意はかかせませんわ。ああ、もう一本あるのよ。戸喜左衛門の分」
「いいや、結構」

 ちくちくとして新鮮なきゅうりを差し出せば、戸喜左衛門は生真面目に遠慮を見せた。それから翼を広げ土を蹴り、杉の太枝に乗る。体重で軋む枝から身を乗り出して、頑丈そうな枝先を選び、羽根ときゅうりがぶら下がった衣の切れ端を結びつけた。

「きゅうりを矢印のようにして南に向けましょう。私たちが進んだ方向がわかるように」
「承知」

 二人は、ゆらゆらと揺れる個性的な道しるべに見送られ、下草を踏み分けながら川沿いの獣道を南下した。
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