あやかし化かし合い戦記〜煮え切らない人食い鬼と美味そうな妻〜

平本りこ

文字の大きさ
14 / 46
第二話 龍の住まう川

7 きゅうりが……ある!

しおりを挟む
「仲間の河童が見たんです。お雪様と戸喜左衛門ときざえもん様が、氾濫直前の北藍川ほくらんがわの側を歩いているお姿を」

 剛厚つよあつと河童娘のなつめは二人きり、北藍川沿いに山道を進み、事件の現場である司川つかさがわの分流点へと向かっていた。先導するなつめは、後ろを歩く剛厚の顔色をちらちらと窺いつつ、ことの次第を説明する。

 雪音ゆきねたちが川に流されたと聞いた剛厚は、近習に氾濫地域の調査を鋭く命じるや否や、委細も聞かず城を飛び出した。そのため、歩きながらの状況把握である。

「流されたところを目撃されたわけではありません。でも、あの鉄砲水ですから……」
「なぜ二人は川にいた」
「た、多分、川辺の住民のためです。ほら、最近雨がすごいじゃないですか」
「雨か。うむ、毎日の頭痛の種だ」
妖山あやかしやまのお殿様はご存じのことと思いますが、司川は途中、南北に分岐するんです。それぞれの川には龍が宿っていて、北の北藍側が兄、南の南蒼川なんそうがわが弟です。その南蒼川が最近、隣山に差し掛かった辺りで干上がってしまったようなんです。近頃の長雨は、北藍川の龍が、司川の水量を増やして南蒼川を復活させようとしていることが原因です。でもそのせいで、北藍川の水量が増えて、近頃ずっと危険な水位が続いていたんです。それでお雪様たちは、川が氾濫して人里や河童の家が流されてしまわないように、調査に行ったんだと思います」
「長雨の原因は兄弟愛か。わからぬでもないが、そもそもなぜ南蒼川は涸れたのだ」
「それが不明で……ひやっ」

 肩越しに振り返り剛厚の顔を見たなつめが、飛び跳ねんばかりに全身を痙攣させて立ち止まる。

 思い悩む剛厚の表情が、さぞ恐ろしかったのだろう。剛厚は顔面を手で擦り、強張った頬を緩めようとした。たとえ笑っても、獲物を前に舌なめずりする猛獣のように狂気を帯びて見えると指摘されたことがあるのだが、苛立った顔よりはましだろう。

「いやすまぬ。なつめには感謝しているのだ。ただ、雪音たちのことが心配で」
「え、ええそうですよね。申し訳ありません。私が、お雪様に川の氾濫の話なんてしてしまったから、こんな、ことに……ふ、ふえっ」
「よい! よいから泣かないでくれ!」
「はひ。すみません」

 なつめは唾を呑んで嗚咽を堪えると、足を動かし始めた。時折、ずびずびとはなをすする音がする。調子を狂わされた剛厚は気弱な溜め息をつき、頭を掻いた。

 氾濫地域には白澤しらさわの家臣を向かわせた。領民の保護は取り急ぎ、彼らに任せておけば問題なかろう。ならば、いても立ってもいられない剛厚らは、雪音と戸喜左衛門の捜索に注力するべきだ。

 特になつめは、小心なりに気張っている。河童は頭の皿が乾くと命の危機に陥ってしまうし、皮膚も常に湿らせておかねば荒れてしまう。けれどもなつめは、心は河童ながら身は人間。川辺から離れた山中に分け入っても問題ない。

 捨て子であった己を慈しみ育ててくれた河童の皆に恩返しをしたいと健気に語る様を見て、剛厚は涙を拭いたばかりである。

 さて、山に入り半刻ほど。太陽は山の向こう側に隠れてしまい、空は紺色に呑まれ始めている。辺りは、木々の落とす影で仄暗い闇に沈みかけ、そろそろ眠りにつこうかという鳥たちが、梢で騒がしく鳴き交わしている。

 人間ならば、忍び寄る宵闇に足元が覚束なくなる時刻である。けれども剛厚はあやかしだ。自然の暗さなど、気にするに及ばない。そう、あやかしならば。

「妖山様、あの、足元は大丈夫ですか。人間の目にはそろそろ辛い暗さになってきましたよね。あ! 明かりを持ってくればよかったです。わ、私ったら気が利かず、役立たずで、何をやっても不器用で、それで」
「いやいやいや、問題ない。しかし人間というならば、なつめも同じだろう?」
「私は心配に及びません。物心ついた時から、あやかしと共に山で暮らしていたので、目が鍛えられたみたいで夜でも物が見えるんです。でも妖山様は」
「じ、実のところそれがしはな、生まれつき夜目が利くたちなのだ。つまり夜の山中も危なげなく歩けるゆえ、心配は無用」

 なつめは眠たげな印象の垂れ目を少し見開き剛厚を見上げてから、感心したように頷いた。

「すごい、さすがはご領主様です。あやかしの住まう山をお治めになるためにお生まれになったのですね」
「うむ。それほどでも。……おや、そろそろ川幅が狭くなってきたな」

 狭瀬はざせの三兄弟が鬼の血を引くことは、おおやけにしていない。墓穴を掘る前に、と半ば強引に話を逸らす。なつめは少し顎を上げて森の音に耳を傾けてから、不意に駆け出した。

「あ、なつめ?」

 慌てて後を追う。苔むした岩々の連なりを一山越えると、目的の分流点が現れた。なつめは川の飛沫に湿った草の上に蹲り、地面を凝視している。

「何かあったのか……うっ⁉」

 おもむろに剛厚を見上げたなつめの顔が、涙と鼻水でびしょびしょに濡れている。彼女の手元を見ると、厳つい錫杖が握り締められていた。

「戸喜左衛門様の錫杖です。こ、こんな場所に転がっているなんて。やっぱり二人は流されてしまったんだわ」

 剛厚は、全身の血がすっと冷えるのを感じた。雪音たちが川に呑まれたかもしれないと聞いてからも、心のどこかでは、二人は無事であり、ひょいとどこかから姿を現すのではないかと希望を抱いていた。

 けれども、そんな淡い願いは打ち砕かれたも等しい。天狗が常に手にしているはずの錫杖が無造作に転がっていたということは、戸喜左衛門の身を何らかの事件が襲ったと考える他ないだろう。

 度重なる心理的衝撃に、なつめの涙腺はとうとう決壊したらしい。緑がかった両手で顔を覆い、頭の皿から水が零れるのも構わずに髪を振り乱した。

「ふ、ふえええええええん。戸喜左衛門様、お雪様」
「だ、だだだだだ大丈夫だ。大丈夫だぞ!」

 剛厚とて泣き出したい気分だが、なつめの号泣を目にして涙は引っ込んだ。

「戸喜左衛門は天狗だろう。もしや、雪音を抱えて飛び、濁流から逃れたかもしれぬ。ほら、それゆえ邪魔になった錫杖を放り投げたのだ。うむ。そうに違いない。そなたの思い人は、空を飛べるにもかかわらず、ただ水に呑まれるだけの軟弱な男ではなかろう。仮に下流に流されたのだとしても、おそらく何らかの考えがあってのこと」

 なつめはぴたりと動きを止めて、指の間から疑わしげな目を覗かせる。

「まあそこに座れ。一休みしよう。某もくたくただ」

 隆起した杉の根を示せば、なつめは錫杖を抱いて大人しく腰掛ける。剛厚も隣に座り、腿に肘を突き両手で額を抱えた。目まぐるしい一日の疲れがどっと出た。家臣らと不作に備えて策を論じていた日中が、何日も前のことのように感じられる。

「そろそろ日が暮れる。一度戻るが得策か」

 剛厚が零した声に、なつめは黙ったまま錫杖を撫でた。

「いかに夜目が利くとはいえ、夜間の捜索は危険だ。熊や狼に出くわす可能性もある。我々までもが山で行方不明になるわけにはいかぬぞ」
「でも」
「なつめに何かあったら、戸喜左衛門が悲しむだろう。ほら、城に帰り、採れたてのきゅうりでも食うといい。河童の大好物のはず」

 なつめはじっと錫杖を見つめていたが、やがて洟をすすって顔を上げた。

「ぐすん。そう、ですね。ああ、泣いたらお腹が空きました……あれ?」

 不意に言葉を止めて、なつめは怪訝そうに首を巡らせる。鼻をひくひくとさせて、夏の夕方の涼やかな風を嗅いだ。

「そういえばさっきから、きゅうりの匂いが」

 張りつめていた気持ちが緩むと腹が減る、というのは大いに頷ける。けれども好物の幻嗅など、さすがの剛厚ですら体験したことはない。普段からところ構わず湧き上がる己の食欲を棚に上げ、剛厚は微笑ましさと呆れが入り混じった声音で言う。

「何を申すか。まさかこんな山中にきゅうりが……ある!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

【完結】結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚 ~平凡な男子高校生、今日から結界を繕います~

御崎菟翔
キャラ文芸
​【平凡な高校生 × 妖従者たちが紡ぐ、絆と成長の主従現代和風ファンタジー!】 ★第9回キャラ文芸大賞エントリー中! 「選ぶのはお前だ」 ――そう言われても、もう引き返せない。 ​ごく普通の高校生・奏太(そうた)は、夏休みのある日、本家から奇妙な呼び出しを受ける。 そこで待っていたのは、人の言葉を話す蝶・汐(うしお)と、大鷲・亘(わたり)。 彼らに告げられたのは、人界と異界を隔てる結界を修復する「守り手」という、一族に伝わる秘密の役目だった。 ​「嫌なら断ってもいい」と言われたものの、放置すれば友人が、家族が、町が危険に晒される。 なし崩し的に役目を引き受けた奏太は、夜な夜な大鷲の背に乗り、廃校や心霊スポットへ「出勤」することに! ​小生意気な妖たちに絡まれ、毒を吐く蛙と戦い、ついには異世界「妖界」での政変にまで巻き込まれていく奏太。 その過程で彼は、一族が隠し続けてきた「残酷な真実」と、従姉・結(ゆい)の悲しい運命を知ることになる―― ​これは、後に「秩序の神」と呼ばれる青年が、まだ「ただの人間」だった頃の、始まりの物語。 ​★新作『蜻蛉商会のヒトガミ様』 この物語から300年後……神様になった奏太の物語も公開中! https://www.alphapolis.co.jp/novel/174241108/158016858

【完結】あやかし団地 管理人見習い日誌

双月ねむる
キャラ文芸
就活全滅で「自分には社会性がない」と思い込む凛は、遠縁の親戚に紹介され、昭和レトロな巨大団地・さくらヶ丘第一団地の『管理人見習い』として住み込みで働くことに。しかしその団地には、中庭の「靴鳴らし」、エレベーター表示盤に棲む狐など、団地限定あやかし達が当たり前のように暮らしていた。 最初は逃げ腰の凛だったが、すねた空き部屋や、ベランダの風鈴が告げるSOSなど、人とあやかしのトラブルに巻き込まれながら、少しずつ『共同体』に関わる勇気を取り戻していく。

幽縁ノ季楼守

儚方ノ堂
キャラ文芸
「季楼庵当主の代理を務めてもらう」 幼少期、神隠しにあった過去を待つ青年ユメビシ。 迷い込んだ先で、事件に巻き込まれ両手を失い、生死を彷徨うことに。 ただ「死にたくない」と望んだ願いは、ある故人の手を移植することで実現した。 これを境に不死の体質へと変貌したユメビシは、約70年の時を経て、因縁の土地『瞑之島(みんのとう)』へ帰還する。 しかし、どうして今自分がここにいるのか、その理由となる記憶がすっぽり抜け落ちた状態で……。 奇妙な忘却に焦りを抱えながら、手がかりを求め探索するさなか、島の中枢を担う組織『季楼庵(きろうあん)』の面々と関わりを持ち、次々と巻き起こる騒動に身を投じていくのだった。 現代において、人と人ならざる者が共存する瞑之島を舞台に、半ば強制的に当主代理に据えられたユメビシの非日常。 異色の現代ファンタジー✖️和風奇譚✖️ミステリー 様々な思惑が交錯する中、彼の帰還を以て、物語は一つの結末へ動き出す。 その約束は、何十年何百年経ち、たとえ本人達が覚えていなくとも。 幽かな縁で繋がり続け、決して解けない糸となる。 それを人は、因縁――またの名を『呪い』と呼ぶのだった。

火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。 五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。 都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。 見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――! 久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――? 謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。 ※カクヨムにも先行で投稿しています

黄泉津役所

浅井 ことは
キャラ文芸
高校入学を機にアルバイトを始めようと面接に行った井筒丈史。 だが行った先は普通の役所のようで普通ではない役所。 一度はアルバイトを断るものの、結局働くことに。 ただの役所でそうではなさそうなお役所バイト。 一体何をさせられるのか……

あやかしたちのとまりぎの日常

彩世幻夜
キャラ文芸
吉祥寺は井の頭公園界隈の一画で、ひっそりと営業するダイニング・バー【ペルシュ】に訪れるお客の大半はひとではないもの、いわゆるあやかしたち。 勿論店の店主や店員もまた人ではない。 そんな店でバイトをするとある専門学校生とあやかしたちが織りなす〝日常(?)〟物語

あやかし警察おとり捜査課

紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。  しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。  反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。  

処理中です...