40 / 46
第四話 あやかし化かし合い合戦
7 父上、お戻りでしたか
しおりを挟む
「そこまでじゃ」
寒々とした雪原に、太い声が轟いた。声の出どころは、いつの間にか忍び寄っていた牛車である。
都の大路を進むような瀟洒な造りのそれが、積雪をものともせずに進む様子は場違いであり、むしろ不気味さを醸し出している。粉雪の混じる冬の風が牛車の前簾を揺らし、内部も寒そうだ。
「何者だ」
さすがの厚隆も目を剥いて、異形の牛車に向き直る。前簾の辺りから、再び太い声がした。
「愚か者どもめ。わしは、兄弟で争えなどとは教えておらぬ。おぬしら、父の言葉を忘れたか」
ただでさえ冷えた空気が、いっそう凍る。狭瀬の三兄弟は硬直し、誰一人として動けない。その間にも、牛車は真っ直ぐに雪を裂いて接近する。
「容易く折れてしまう矢も、三本揃えばそうそう折れぬ。いかなる時も三人で支え合い、奥野国を盛り立てよと命じただろう」
「ち、父上。奥野国に戻っていらしたのですか」
最初に呟いたのは、雪に沈みかけた幸厚だった。
脇差二本分ほどの距離をおき、牛車が止まる。牛の口鼻から白い息が広がった。まるで牛が言葉を発しているかのようにも見える。
「おお、幸厚か。いつまで雪に埋もれておるつもりじゃ。これ、厚隆、弟を踏みつけるとは何事か。剛厚、刀を収めよ。兄に刃を向けるなど不忠である」
威厳のある声音に、混乱した頭はいとも簡単に翻弄された。厚隆が足をどかし、幸厚が起き上がり、剛厚が納刀する。牛車から満足げな声がした。
「そうじゃ、それでよい。厚隆、こちらへ。久しいのう。よく顔を見せてくれ」
素直に足を踏み出す厚隆。けれども不意に、何かに阻まれたかのように立ち止まり、もう一歩が続かない。ざくり、と雪を踏む余韻が空気に溶ける。厚隆は軽く首を傾けて前簾を窺った。
「父上が突然国を出て隠居なさったのは、十年程も前のことでしたね」
「うむ、そうだったか?」
「なぜ剛厚の名をご存じなのですか」
長兄の言葉に、剛厚もはっと息を呑む。厚隆は訝しみを深め、やがて目の奥を暗く光らせた。
「当時、源三郎はまだ元服しておらず、剛厚という名を得てはおりませんでした。どこかでお耳にされたのでしょうか、それともあなたは父上のふりをした」
厚隆は大股で雪を踏み分け、長く鋭利な爪の生えた鬼の手で前簾を掴んだ。そして。
「お覚悟を、義兄上様」
凛とした女人の声。
厚隆が引き裂くより前に前簾が内側から割れ、白と灰色ばかりの雪世界に、鮮やかな赤が牛車から飛び出した。紅の小袖を纏った小柄な女人が、厚隆の首に噛みつき……いいや、吸いついた。
「ゆ、雪音!?」
剛厚が裏返った声を上げる。辺りに、甘酸っぱい麝香のような濃密な香りが広がった。
長兄の太い首に腕を回してしがみついた雪音が、剛厚に軽く目線を流す。妖艶で、それでいてどこか悲しげな眼差しだった。けれども視線の交わりは、ほんの一瞬のこと。我に返った厚隆が、よろめきながらも屈強な腕を振り回し、雪音を打ったのだ。
息を呑むような悲鳴が上がり、雪音の小さな身体は呆気なく雪に叩き落とされる。
「雪音!」
剛厚が助けに走ろうとするが、雪音は軽やかな身のこなしで飛び起きて、もう一度厚隆に襲いかかった。
「しつこいぞ!」
激高した厚隆が雪音の脇を掴んで引きはがし、まるで物を投げるかのように大きく振りかぶる。
「大兄者、何を!」
「凍りつけ、妖狐!」
雷鳴のような叫びと共に、厚隆は雪音を放り投げた。曇天に紅の袖がひらひらと舞う。弧を描いて落下する先は、北藍川だ。
剛厚の全身から血の気が引いた。真冬の川に落ちれば、命が危険。さらに悪いことに今は、厚隆のあやかし軍団を足止めするため、北藍が酒に酔っている。落水の衝撃で川の水を一口でも飲めば、酒精で意識を失い沈んで行くかもしれない。
「さらばだ」
厚隆が吐き捨てて、雪を蹴り逃げ出した。
剛厚は咄嗟に動けない。雪音を救わねば。けれども厚隆を取り逃がすわけにもいかない。頭が痺れたように思考が止まり、ただ拳を握る。その時だ。
「源三郎」
強く肩を掴まれた。振り向けば、先ほどまで雪に半ば埋もれていた次兄幸厚が、唇を紫色にしながら立っていた。
「兄上のことは私に任せろ。そなたは奥方を」
「……かたじけない!」
剛厚は雪を蹴り、半ばつんのめりながら川へと向かう。体中の筋肉がめきめきと発達し、額が燃えるように熱くなる。変化を解き鬼の姿をとれば、舞い続ける粉雪など、皮膚を撫でる小雨ほどの冷たさとしか感じなくなる。
ざぶん、と飛沫を上げて、雪音が川に落ちた。一拍遅れて剛厚も、身を切るように冷たい水へと飛び込んだ。
寒々とした雪原に、太い声が轟いた。声の出どころは、いつの間にか忍び寄っていた牛車である。
都の大路を進むような瀟洒な造りのそれが、積雪をものともせずに進む様子は場違いであり、むしろ不気味さを醸し出している。粉雪の混じる冬の風が牛車の前簾を揺らし、内部も寒そうだ。
「何者だ」
さすがの厚隆も目を剥いて、異形の牛車に向き直る。前簾の辺りから、再び太い声がした。
「愚か者どもめ。わしは、兄弟で争えなどとは教えておらぬ。おぬしら、父の言葉を忘れたか」
ただでさえ冷えた空気が、いっそう凍る。狭瀬の三兄弟は硬直し、誰一人として動けない。その間にも、牛車は真っ直ぐに雪を裂いて接近する。
「容易く折れてしまう矢も、三本揃えばそうそう折れぬ。いかなる時も三人で支え合い、奥野国を盛り立てよと命じただろう」
「ち、父上。奥野国に戻っていらしたのですか」
最初に呟いたのは、雪に沈みかけた幸厚だった。
脇差二本分ほどの距離をおき、牛車が止まる。牛の口鼻から白い息が広がった。まるで牛が言葉を発しているかのようにも見える。
「おお、幸厚か。いつまで雪に埋もれておるつもりじゃ。これ、厚隆、弟を踏みつけるとは何事か。剛厚、刀を収めよ。兄に刃を向けるなど不忠である」
威厳のある声音に、混乱した頭はいとも簡単に翻弄された。厚隆が足をどかし、幸厚が起き上がり、剛厚が納刀する。牛車から満足げな声がした。
「そうじゃ、それでよい。厚隆、こちらへ。久しいのう。よく顔を見せてくれ」
素直に足を踏み出す厚隆。けれども不意に、何かに阻まれたかのように立ち止まり、もう一歩が続かない。ざくり、と雪を踏む余韻が空気に溶ける。厚隆は軽く首を傾けて前簾を窺った。
「父上が突然国を出て隠居なさったのは、十年程も前のことでしたね」
「うむ、そうだったか?」
「なぜ剛厚の名をご存じなのですか」
長兄の言葉に、剛厚もはっと息を呑む。厚隆は訝しみを深め、やがて目の奥を暗く光らせた。
「当時、源三郎はまだ元服しておらず、剛厚という名を得てはおりませんでした。どこかでお耳にされたのでしょうか、それともあなたは父上のふりをした」
厚隆は大股で雪を踏み分け、長く鋭利な爪の生えた鬼の手で前簾を掴んだ。そして。
「お覚悟を、義兄上様」
凛とした女人の声。
厚隆が引き裂くより前に前簾が内側から割れ、白と灰色ばかりの雪世界に、鮮やかな赤が牛車から飛び出した。紅の小袖を纏った小柄な女人が、厚隆の首に噛みつき……いいや、吸いついた。
「ゆ、雪音!?」
剛厚が裏返った声を上げる。辺りに、甘酸っぱい麝香のような濃密な香りが広がった。
長兄の太い首に腕を回してしがみついた雪音が、剛厚に軽く目線を流す。妖艶で、それでいてどこか悲しげな眼差しだった。けれども視線の交わりは、ほんの一瞬のこと。我に返った厚隆が、よろめきながらも屈強な腕を振り回し、雪音を打ったのだ。
息を呑むような悲鳴が上がり、雪音の小さな身体は呆気なく雪に叩き落とされる。
「雪音!」
剛厚が助けに走ろうとするが、雪音は軽やかな身のこなしで飛び起きて、もう一度厚隆に襲いかかった。
「しつこいぞ!」
激高した厚隆が雪音の脇を掴んで引きはがし、まるで物を投げるかのように大きく振りかぶる。
「大兄者、何を!」
「凍りつけ、妖狐!」
雷鳴のような叫びと共に、厚隆は雪音を放り投げた。曇天に紅の袖がひらひらと舞う。弧を描いて落下する先は、北藍川だ。
剛厚の全身から血の気が引いた。真冬の川に落ちれば、命が危険。さらに悪いことに今は、厚隆のあやかし軍団を足止めするため、北藍が酒に酔っている。落水の衝撃で川の水を一口でも飲めば、酒精で意識を失い沈んで行くかもしれない。
「さらばだ」
厚隆が吐き捨てて、雪を蹴り逃げ出した。
剛厚は咄嗟に動けない。雪音を救わねば。けれども厚隆を取り逃がすわけにもいかない。頭が痺れたように思考が止まり、ただ拳を握る。その時だ。
「源三郎」
強く肩を掴まれた。振り向けば、先ほどまで雪に半ば埋もれていた次兄幸厚が、唇を紫色にしながら立っていた。
「兄上のことは私に任せろ。そなたは奥方を」
「……かたじけない!」
剛厚は雪を蹴り、半ばつんのめりながら川へと向かう。体中の筋肉がめきめきと発達し、額が燃えるように熱くなる。変化を解き鬼の姿をとれば、舞い続ける粉雪など、皮膚を撫でる小雨ほどの冷たさとしか感じなくなる。
ざぶん、と飛沫を上げて、雪音が川に落ちた。一拍遅れて剛厚も、身を切るように冷たい水へと飛び込んだ。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚 ~平凡な男子高校生、今日から結界を繕います~
御崎菟翔
キャラ文芸
【平凡な高校生 × 妖従者たちが紡ぐ、絆と成長の主従現代和風ファンタジー!】
★第9回キャラ文芸大賞エントリー中!
「選ぶのはお前だ」
――そう言われても、もう引き返せない。
ごく普通の高校生・奏太(そうた)は、夏休みのある日、本家から奇妙な呼び出しを受ける。
そこで待っていたのは、人の言葉を話す蝶・汐(うしお)と、大鷲・亘(わたり)。
彼らに告げられたのは、人界と異界を隔てる結界を修復する「守り手」という、一族に伝わる秘密の役目だった。
「嫌なら断ってもいい」と言われたものの、放置すれば友人が、家族が、町が危険に晒される。
なし崩し的に役目を引き受けた奏太は、夜な夜な大鷲の背に乗り、廃校や心霊スポットへ「出勤」することに!
小生意気な妖たちに絡まれ、毒を吐く蛙と戦い、ついには異世界「妖界」での政変にまで巻き込まれていく奏太。
その過程で彼は、一族が隠し続けてきた「残酷な真実」と、従姉・結(ゆい)の悲しい運命を知ることになる――
これは、後に「秩序の神」と呼ばれる青年が、まだ「ただの人間」だった頃の、始まりの物語。
★新作『蜻蛉商会のヒトガミ様』
この物語から300年後……神様になった奏太の物語も公開中!
https://www.alphapolis.co.jp/novel/174241108/158016858
黄泉津役所
浅井 ことは
キャラ文芸
高校入学を機にアルバイトを始めようと面接に行った井筒丈史。
だが行った先は普通の役所のようで普通ではない役所。
一度はアルバイトを断るものの、結局働くことに。
ただの役所でそうではなさそうなお役所バイト。
一体何をさせられるのか……
【完結】あやかし団地 管理人見習い日誌
双月ねむる
キャラ文芸
就活全滅で「自分には社会性がない」と思い込む凛は、遠縁の親戚に紹介され、昭和レトロな巨大団地・さくらヶ丘第一団地の『管理人見習い』として住み込みで働くことに。しかしその団地には、中庭の「靴鳴らし」、エレベーター表示盤に棲む狐など、団地限定あやかし達が当たり前のように暮らしていた。
最初は逃げ腰の凛だったが、すねた空き部屋や、ベランダの風鈴が告げるSOSなど、人とあやかしのトラブルに巻き込まれながら、少しずつ『共同体』に関わる勇気を取り戻していく。
幽縁ノ季楼守
儚方ノ堂
キャラ文芸
「季楼庵当主の代理を務めてもらう」
幼少期、神隠しにあった過去を待つ青年ユメビシ。
迷い込んだ先で、事件に巻き込まれ両手を失い、生死を彷徨うことに。
ただ「死にたくない」と望んだ願いは、ある故人の手を移植することで実現した。
これを境に不死の体質へと変貌したユメビシは、約70年の時を経て、因縁の土地『瞑之島(みんのとう)』へ帰還する。
しかし、どうして今自分がここにいるのか、その理由となる記憶がすっぽり抜け落ちた状態で……。
奇妙な忘却に焦りを抱えながら、手がかりを求め探索するさなか、島の中枢を担う組織『季楼庵(きろうあん)』の面々と関わりを持ち、次々と巻き起こる騒動に身を投じていくのだった。
現代において、人と人ならざる者が共存する瞑之島を舞台に、半ば強制的に当主代理に据えられたユメビシの非日常。
異色の現代ファンタジー✖️和風奇譚✖️ミステリー
様々な思惑が交錯する中、彼の帰還を以て、物語は一つの結末へ動き出す。
その約束は、何十年何百年経ち、たとえ本人達が覚えていなくとも。
幽かな縁で繋がり続け、決して解けない糸となる。
それを人は、因縁――またの名を『呪い』と呼ぶのだった。
古書館に眠る手記
猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。
十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。
そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。
寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。
“読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。
火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~
秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。
五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。
都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。
見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――!
久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――?
謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。
※カクヨムにも先行で投稿しています
明治かんなぎ少女の冥契 五百年の時を超えて、あなたに愛を
花籠しずく
キャラ文芸
――ですが、わたくしは生まれました。あなたに会うために。
月のものが来るようになってから、琥珀は不思議な夢を見る。誰かに探されている夢。きっと大切な人だったことは分かるのに、目が覚めると朧気で何も思い出せない。婚約者である志貴の言いなりの人形になる生活をし、生家とは会うと脅され、心が疲弊していたある日、家からひとり抜け出すと、妖魔のようなものに出会う。呪術師である志貴に、一時祓ってもらいはしたが、不思議と心が痛む。夢に美しい男が現れ、声に導かれるようにして、ある山のふもとの、廃れた神社の中に入ると、そこには苦しそうに蹲るあの妖魔がいた。琥珀はそれが夢に現れた、蘿月という男だと直感する。全身が黒い靄で包まれた彼の、靄を払う方法を、どうしてか琥珀は知っていた。口づけをし、息を吹き込むように、生きて、と願った。
帰ってすぐに志貴に殴られ、月のものがはじまっていたことが志貴にばれる。琥珀を穢そうとする志貴の様子に恐ろしさを覚えて、助けてと叫んだその瞬間、闇を裂くようにして、蘿月が現れた。
「琥珀は、俺が五百年待ち望んだ花嫁だ」
これは、時を超えて紡がれる愛の物語。そして虐げられた少女が、愛を知り、愛のために生きる自由を選ぶ物語。
※R-15っぽいゆるい性描写があります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる