あやかし化かし合い戦記〜煮え切らない人食い鬼と美味そうな妻〜

平本りこ

文字の大きさ
43 / 46
第四話 あやかし化かし合い合戦

10 きゅうり大乱闘

しおりを挟む
 耳を疑うような言葉に、急激に血流が上昇する。頭部に血が集まり、耳鳴りがして視界がちかちかと明滅する。

「あ、兄上、あなたは」
「だから何度も言っただろう幸厚ゆきあつ。おまえの母上を食ったのは父上ではないぞ、とな」

 柄を握る手が激しく震える。厚隆あつたかの肉厚の手が、幸厚の手のひらごと懐刀を掴んだ。

「あの後父上は一気に老け込んでしまってな、結局隠居をしてしまった。まあ無理もない。実の息子に、獲物でもあっためかけを奪われ食われてしまうなど、鬼としては恥だろう。しかし、先にわしの命を狙ったのはおまえの母親だ。わしはただ、身を守ったにすぎぬ。ここがあやかしの国であれば、鬼が治めてはならぬ道理はない。だからわしは、奥野国おくののくにをあやかしの国にする。狭瀬はざせの未来と、全あやかしの安寧のために」

 強く腕を引かれ、呆然自失とした幸厚の身体はいとも簡単に弾き飛ばされる。形勢逆転だ。丸太のような腕に首を絞めつけられて、幸厚は目尻に涙が浮かぶのを感じた。

 怒り、戸惑い、絶望。その他、種類も知れない感情の波たちが、幸厚の身体を麻痺させる。

 そもそも、生きながらえてもここで死んでも、どちらにせよ虚しい人生だ。鬼でもない、人でもない。ただ兄の言いなりになり観山みやま城下で暮らし、奥野国を守り年老いて命を終える。そんなつまらぬ未来をぼんやりと思い描いてきただけなのだから。

(もはや、ここまでか)

 呼吸ができず、見える光が次第に衰えていく。鈍色の空、雲間から降り注ぐ陽光が淡く霧散して、視界が暗く染まり始める。意識の消失を覚悟した。その時だ。

 ひゅん、と緑色の細長い固体が風を切り、厚隆の頭部を打った。気を削がれた厚隆が顔を上げた拍子に、拘束の手が弱まる。幸厚は我に返り、転がるようにして異母兄の身体の下から這い出して、緑の出どころへ目を向ける。川から、大勢の河童が這い上がり、何かをこちらに投げていた。

「行けっ! 凍りぬか漬け!」
「ぬっ!?」

 ごん、ごん、と厚隆の全身を緑の塊たちが襲う。何とあれは、きゅうりだ。

「お雪様が愛情込めて育てたきゅうりを食らえっ!」

 やー! という気の抜けるような高い叫びと共に、緑が飛ぶ。続いて、頭部に陶器の皿を乗せた奇妙な娘がこちらへ駆け寄った。

「狭瀬源次郎様ですよね、さあ、こちらへ、へ、こちら……ふひゃあ……。ああ、いけないいけない」

 川の水を飲んでしまったのだろうか。全身を赤らめた、見るからにほろ酔い状態の娘が、崩れかけた膝を拳で叩いてしゃんと立つ。河童のなりをしているが、漂う甘い血肉の香りが、彼女の正体は人間であるのだと主張している。

「さあ、後は私たち穏健派のあやかしにお任せください」

 方々から上がる口汚い罵り声と、ぼこぼこにきゅうり攻撃をくらう厚隆の姿。穏健派という言葉がちぐはぐに思えて呆気にとられる光景だ。いいや、それよりも。

「あやかし? そなたは人間だろう」
「失礼な! 私は、河童です。心があやかしですから、正真正銘の河童なんですぅっ。はひゃっ。そう言うあなただって、結局鬼なんですか? それとも人間なんですか?」
「私は、ただの中途半端な」
「あ、半鬼ってやつですね、わかりましたー! どうぞ、よろしくお願いしますー!」

 徐々に酒精が回ってくるのか、娘の呂律がどんどん怪しくなる。言葉も態度も何もかも、無礼なことこの上ない。けれども彼女の明るい声が、すとんと腹に落ちる。

 幸厚は、胸に抱えていた大きく重たいしこりが溶けて消えていくような心地がした。

(鬼でも人でもない、半鬼という存在。ただそれで、よかったのか?)

 そうか、それならば何も難しいことはなかったのだ。

 河童娘が、にへへと笑う。幸厚は戸惑いの合間に笑みを返す。ふんわりとした温かなものが二人の間に漂った。

 しかし、その直後。

 酔っ払い娘の赤ら顔に、天から影が落ちてきた。不意に空が翳ったのだ。

 緩んだ空気を、上空から降り注ぐ羽ばたきの音が引き裂いた。顔を上げれば、山地の方角から天狗の群れが飛来するところである。山伏姿の天狗らは、きゅうりを武器に戦う河童たちに次々と襲いかかる。河童娘が悲鳴を上げた。

「や、やめて」
「なつめ!」

 天狗の群れの中ではなく、逃げ惑う河童の緑の間から、黒い翼を背負った男が現れた。敵か、と身構える幸厚だが、なつめはむしろ駆け寄った。

戸喜左衛門ときざえもん様、これはいったい」
「あの不届き者らは、わしらとは派閥を異にする天狗。敵のあやかし軍団は北藍ほくらん殿のお陰で酔いつぶれたが、酒に強い天狗は足止めできなんだ。それゆえ、あやつらは主君たる観山殿を救いに来たのだろう」

 では、敵の援軍か。幸厚は表情を引き締める。

 ここまで追いつめたのだから、逃がすわけにはいかない。黒と緑が入り乱れる川辺を睨み、厚隆の姿を探す。異母兄は、配下の天狗に両脇から助け起こされて、今まさに空へと飛翔するところだった。

「待て、兄上!」

 あれは、奥野国の平穏を揺るがし、肉親すら欺き嵌めて……幸厚の母を殺めた男。

 純血の鬼と半鬼の間には、決して埋まらない膂力の差がある。だからといって、簡単に諦めはしない。

 人でもない、鬼でもない。たとえ中途半端な存在であろうと、立ち向かうのみ。胸に燃え上がる憤怒の炎は、敵を討つまで静まることはない。

「戸喜左衛門といったか。ご助力を頼む!」

 気づけば幸厚の足は雪を蹴り、厚隆の方へと駆けていた。

 幸厚の頼みに応と頷いた戸喜左衛門が翼を広げ、雪埃を巻き上げながら宙に浮く。そよぐ風よりも素速い滑空で厚隆の元へたどり着き、敵の天狗らと錫杖を打ち合わせる。

 錫杖の先に取り付けられた遊輪がけたたましい音を立てる中、幸厚も遅れて渦中に戻り、厚隆に渾身の体当たりを食らわせる。天狗らの戦いに意識を奪われていたのか、不意打ちを受けた厚隆は足をもつれさせて背面から雪に倒れた。

「しつこい奴め!」

 厚隆が吠え、邪魔者を力任せに投げ飛ばそうとする。幸厚は異母兄の屈強な腕にしがみつき、かろうじてそれを阻止する。二人は雪まみれになりながら、相手の上を取り優位に立とうともみ合った。

「無駄なことはやめろ、幸厚。わしに敵うはずなかろう」
「だとしても、私はあなたを許さない!」」
「母親を食われたことを恨んでいるのか」
「無論。しかしそれだけではない」

 幸厚は激情に奥歯を噛み締め、全体重をかけて厚隆を雪に押しつける。けれども優勢は一瞬のこと。すぐに横へ転がって、上下は逆転する。それでも幸厚は、言葉を止めない。

「国主として守るべき領民を殺め、民の営みの地である妖山を切り拓かんとし、挙句は川を涸れさせて」

「……川を?」

 不意に、知らぬ低い声が遠雷のように忍び寄る。続いて、雪の冷気とは異なる、清涼でしっとりとした香りを含んだ風が、ひゅうと吹きつけた。そして。

「なっ」

 幸厚に馬乗りになっていた厚隆が、川の方を向いて瞠目する。

 全ては一瞬のことだった。

 川の水が大きく膨れ上がり破裂した。まるで滝壺に立っているかのような轟音が鼓膜を打ち、飛沫が豪雨のように辺りに降り注ぐ。水の簾の間から、藍色の長い巨体が窺える。声はそこから発せられている。

「俺の弟川を涸れさせようとしたのは、てめえか」

 巨大な藍玉のような眼球がぎろりと動き、厚隆を映した。さすがの鬼も、己の何倍もの大きさをした龍に睨まれては咄嗟に動けない。

「り、龍……」

 言い終わるよりも前に、二人の真上に龍の巨躯が襲いかかる。体中を、礫のような水が叩いた。幸厚は思わず目を固く閉じ、降り注ぐ川水に耐える。

「許さねえ、許さねえ!」

 幸厚に覆い被さっていた屈強な身体が消え、すっと、身体が軽くなる。

 手で水飛沫を防ぎながら瞼をこじ上げれば、激しい着水音を上げて異母兄と龍が北藍川に沈むところであった。川が厚隆を呑み込んだのだ。

 激しく波打つ水面が次第に落ちついていくのを、呆然としたまま眺める。水音が去れば、周囲は途端に静まり返った。

「終わった、のか?」

 しばらくして半ば放心状態で呟いた時。突如静寂を割り、やや離れた場所から、わっと声が上がる。

 何事か。肘を突き上体を起こして目を向けると、下流側の川辺で、茶色い塊がぴょんぴょんと雪原を跳ねているのが見えた。何やら切羽詰まった声を上げている。

「お雪、それに妖山様! ど、どうしよう。二人とも冷たくなって。誰か! 誰か助けて!」

 目を凝らせば、雪の床の上に横たわる二つの人影が見えた。川に投げられた雪音と、彼女を救うために飛び込んだ剛厚だろう。極寒の季節、いかにあやかしとはいえ、あのままでは命が危険だ。

 幸厚は我に返り雪の中から飛び起きて、異母弟の元へと走った。

「ああっ、狭瀬様!」

 近づくと、茶色くふわふわとした妖狸ようりが飛び跳ねながら出迎える。先日、妖山城で顔を合わせた娘だ。確か、つゆといったか。

「弟の状況は」

 寒さに震えながら視線を落とし、二人の様子を見て、幸厚は大きく安堵の息を吐く。

 はらはらと降りしきる粉雪の中。向かい合って横たわり、しかと手をつなぎながら眠る剛厚と雪音の胸は、穏やかに上下している。その全身は、上質な獣皮に包まれていた。遥か北方に住まう異民族との交易品である、防寒に優れた品だ。

「何だ、ちゃんと防寒具が……うわっ⁉」

 突然、獣皮の表面、顔でも何でもない場所に二つの亀裂が入り、つぶらな瞳が現れた。くわっ、と瞼が開かれる様を目にし、危うくひっくり返りそうになった幸厚に、獣皮が邪悪な引き笑いをする。

「驚いたかのう。愉快も愉快。してやったりじゃ、ひひひ」
「妖狸が防寒具に」

 このような時にも人を化かそうとする妖狸に半ば呆れつつ、幸厚は張りつめていた気がゆっくりと解けていくのを感じた。


第四話 終
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

黄泉津役所

浅井 ことは
キャラ文芸
高校入学を機にアルバイトを始めようと面接に行った井筒丈史。 だが行った先は普通の役所のようで普通ではない役所。 一度はアルバイトを断るものの、結局働くことに。 ただの役所でそうではなさそうなお役所バイト。 一体何をさせられるのか……

【完結】結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚 ~平凡な男子高校生、今日から結界を繕います~

御崎菟翔
キャラ文芸
​【平凡な高校生 × 妖従者たちが紡ぐ、絆と成長の主従現代和風ファンタジー!】 ★第9回キャラ文芸大賞エントリー中! 「選ぶのはお前だ」 ――そう言われても、もう引き返せない。 ​ごく普通の高校生・奏太(そうた)は、夏休みのある日、本家から奇妙な呼び出しを受ける。 そこで待っていたのは、人の言葉を話す蝶・汐(うしお)と、大鷲・亘(わたり)。 彼らに告げられたのは、人界と異界を隔てる結界を修復する「守り手」という、一族に伝わる秘密の役目だった。 ​「嫌なら断ってもいい」と言われたものの、放置すれば友人が、家族が、町が危険に晒される。 なし崩し的に役目を引き受けた奏太は、夜な夜な大鷲の背に乗り、廃校や心霊スポットへ「出勤」することに! ​小生意気な妖たちに絡まれ、毒を吐く蛙と戦い、ついには異世界「妖界」での政変にまで巻き込まれていく奏太。 その過程で彼は、一族が隠し続けてきた「残酷な真実」と、従姉・結(ゆい)の悲しい運命を知ることになる―― ​これは、後に「秩序の神」と呼ばれる青年が、まだ「ただの人間」だった頃の、始まりの物語。 ​★新作『蜻蛉商会のヒトガミ様』 この物語から300年後……神様になった奏太の物語も公開中! https://www.alphapolis.co.jp/novel/174241108/158016858

明治かんなぎ少女の冥契 五百年の時を超えて、あなたに愛を

花籠しずく
キャラ文芸
 ――ですが、わたくしは生まれました。あなたに会うために。  月のものが来るようになってから、琥珀は不思議な夢を見る。誰かに探されている夢。きっと大切な人だったことは分かるのに、目が覚めると朧気で何も思い出せない。婚約者である志貴の言いなりの人形になる生活をし、生家とは会うと脅され、心が疲弊していたある日、家からひとり抜け出すと、妖魔のようなものに出会う。呪術師である志貴に、一時祓ってもらいはしたが、不思議と心が痛む。夢に美しい男が現れ、声に導かれるようにして、ある山のふもとの、廃れた神社の中に入ると、そこには苦しそうに蹲るあの妖魔がいた。琥珀はそれが夢に現れた、蘿月という男だと直感する。全身が黒い靄で包まれた彼の、靄を払う方法を、どうしてか琥珀は知っていた。口づけをし、息を吹き込むように、生きて、と願った。  帰ってすぐに志貴に殴られ、月のものがはじまっていたことが志貴にばれる。琥珀を穢そうとする志貴の様子に恐ろしさを覚えて、助けてと叫んだその瞬間、闇を裂くようにして、蘿月が現れた。 「琥珀は、俺が五百年待ち望んだ花嫁だ」  これは、時を超えて紡がれる愛の物語。そして虐げられた少女が、愛を知り、愛のために生きる自由を選ぶ物語。 ※R-15っぽいゆるい性描写があります。

火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。 五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。 都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。 見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――! 久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――? 謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。 ※カクヨムにも先行で投稿しています

【完結】あやかし団地 管理人見習い日誌

双月ねむる
キャラ文芸
就活全滅で「自分には社会性がない」と思い込む凛は、遠縁の親戚に紹介され、昭和レトロな巨大団地・さくらヶ丘第一団地の『管理人見習い』として住み込みで働くことに。しかしその団地には、中庭の「靴鳴らし」、エレベーター表示盤に棲む狐など、団地限定あやかし達が当たり前のように暮らしていた。 最初は逃げ腰の凛だったが、すねた空き部屋や、ベランダの風鈴が告げるSOSなど、人とあやかしのトラブルに巻き込まれながら、少しずつ『共同体』に関わる勇気を取り戻していく。

あやかし警察おとり捜査課

紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。  しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。  反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。  

幽縁ノ季楼守

儚方ノ堂
キャラ文芸
「季楼庵当主の代理を務めてもらう」 幼少期、神隠しにあった過去を待つ青年ユメビシ。 迷い込んだ先で、事件に巻き込まれ両手を失い、生死を彷徨うことに。 ただ「死にたくない」と望んだ願いは、ある故人の手を移植することで実現した。 これを境に不死の体質へと変貌したユメビシは、約70年の時を経て、因縁の土地『瞑之島(みんのとう)』へ帰還する。 しかし、どうして今自分がここにいるのか、その理由となる記憶がすっぽり抜け落ちた状態で……。 奇妙な忘却に焦りを抱えながら、手がかりを求め探索するさなか、島の中枢を担う組織『季楼庵(きろうあん)』の面々と関わりを持ち、次々と巻き起こる騒動に身を投じていくのだった。 現代において、人と人ならざる者が共存する瞑之島を舞台に、半ば強制的に当主代理に据えられたユメビシの非日常。 異色の現代ファンタジー✖️和風奇譚✖️ミステリー 様々な思惑が交錯する中、彼の帰還を以て、物語は一つの結末へ動き出す。 その約束は、何十年何百年経ち、たとえ本人達が覚えていなくとも。 幽かな縁で繋がり続け、決して解けない糸となる。 それを人は、因縁――またの名を『呪い』と呼ぶのだった。

処理中です...