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第四章
7 あなたは狂っている
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雨が広大な砂地を叩く音が響いている。水は砂に吸収されることはなく、地表を滑り、やがて濁流と化して、触れる全てのものを削り流していく。
渇きの砂漠に生まれた川を眺めながら、ラフィアは物思いに耽り、指先で摘んだものをくるくると回した。乾燥して茶色くなり始めた白い花。アースィムから受け取った高山花である。
先日、幼竜バラーの身体を借りて、アースィムにとある依頼をした。彼は信じてくれただろうか。そして、実行に移してくれただろうか。
水脈を辿り、様子を見に行くことは容易である。しかし、不用意に動き、精霊王に見咎められてしまえば、元も子もない。
ゆえにラフィアはあれ以降、アースィムや砂竜族に近づくことはなかった。
きっとアースィムならば、やり遂げてくれるはず……。
「うわあ、壮観だね。宵闇に輝く天竜はきらきらして目立つねえ。愛すべき使徒が砂漠を破壊する様子を見て、人間達は絶望に右往左往しているよ。見ているこっちとしては、暗くてあんまり様子がわからないのが残念だけど」
「もっと近くに行きましょう、お父様」
ラフィアは、虎の姿をとったハイラリーフを呼び、その背に跨る。姿を消して移動する精霊王を追い、急峻な砂岩地帯を獣の足で駆ける。やがて、地を緩慢に流れる濁流を見下ろす砂竜族の一団が斜め下方に見えてきた。ラフィアは滑るように、虎の背中から下りる。
「ありがとうハイラリーフ、もう良いわ。耳飾りの中に戻って」
「え、あたしもここにいるわよ」
「だめよ!」
強い語気にびくりと肩を揺らしたハイラリーフは、次第に不満を浮かべ口元を歪める。
「何よ、別に良いじゃない。あたしがいれば、もし誰かに見つかってもあんたを乗せて逃してあげられるし」
「いらない」
「今さら何の遠慮なのよ」
「遠慮ではないわ。邪魔なの」
鋭い言葉にハイラリーフは瞠目し、ラフィアを見つめる。
「言うことを聞きなさい」
なおも続く冷淡な声を耳にし、ハイラリーフは盛大に顔を顰めて吐き捨てた。
「傲慢ね。精霊王の娘だからってお高く止まっちゃって! あんたなんか大嫌いよ!」
捨て台詞と共に白い毛並みの虎の姿が揺らぐ。やがて肉体は水の粒子となり霧散して、夜気に溶けてから収斂し、ラフィアの耳飾りへと吸い込まれていった。
小さく息を吐いたラフィアの隣で水蒸気が凝縮し、無邪気な子供のような表情をした精霊王が現われる。
「あらら、喧嘩しちゃったのか。ま、面白いから何でも良いけど」
刺激に飢えた精霊王にとっては、諍いすらも娯楽の一つらしい。それならば、これから起こる事件はよりいっそう、彼の興味を引くだろう。
「お父様……いいえ、精霊王」
降りしきる雨音にも負けぬほど、自身の鼓動が大きく響いている。精神が肉体に宿っている証拠。すなわち、いかなる秘術を習得したとて、この身は人間であるのだという証だ。今のところは、まだ。
柄にもなく感傷を抱きそうになったが辛うじて堪え、ラフィアは暗がりに浮かぶ精霊王の青い瞳を見据えた。
「ずっと言いたかったことがあるの」
いかなる時も当事者ではなく観客の表情を崩さぬ精霊王。ラフィアは一歩後退り、言葉を叩き付けた。
「あなた、狂っているわ。私は、あなたを楽しませる役者を続けるつもりはないし、ましてや後継者になんてならない」
反応を待たず、身を翻して砂岩の端まで走る。真下の岩場で茫然と佇む人々に向け、叫んだ。
「アースィム!」
暗雲に覆われた夜空の下では、やや離れた場所に立つ人物を特定することは困難だ。しかし、アースィムの姿はすぐに見つかった。誰よりも早く、群衆の間から進み出たからだ。
「ラフィア、ここです」
斜面のすぐ側で、アースィムが腕を広げて上段の岩場を見上げている。ラフィアは躊躇なく、ほとんど崖と言っても過言ではない急斜面を駆け下りた。
万が一滑落すれば、かすり傷では済まぬだろう。だが、ラフィアの足元を水の層が保護しているため、足を滑らせる心配はない。水を意のままに動かす、強き精霊の力。皮肉なことに、この技を習得したのはひとえに精霊王の実演から学んだお陰である。
「アースィム」
飛沫を飛ばしつつ砂岩を滑り下りたラフィアは叫ぶように呼び、愛おしい夫の胸に飛び込んだ。
力強く優しい片腕に包まれる。焦がれていた感触に鼻の奥がつんと痛んだ。
アースィムの首に抱き付いて、冷え切った彼の頬に額を擦り付ける。
「会いたかった」
「俺もです」
強く抱き締め合い互いの体温を感じた後、どちらからともなく抱擁を解いて、間近で視線を絡ませ覚悟を確認し合う。
「さあ、行きましょう」
アースィムの言葉に頷いて、二人は手を取り駆け出した。
雨が広大な砂地を叩く音が響いている。水は砂に吸収されることはなく、地表を滑り、やがて濁流と化して、触れる全てのものを削り流していく。
渇きの砂漠に生まれた川を眺めながら、ラフィアは物思いに耽り、指先で摘んだものをくるくると回した。乾燥して茶色くなり始めた白い花。アースィムから受け取った高山花である。
先日、幼竜バラーの身体を借りて、アースィムにとある依頼をした。彼は信じてくれただろうか。そして、実行に移してくれただろうか。
水脈を辿り、様子を見に行くことは容易である。しかし、不用意に動き、精霊王に見咎められてしまえば、元も子もない。
ゆえにラフィアはあれ以降、アースィムや砂竜族に近づくことはなかった。
きっとアースィムならば、やり遂げてくれるはず……。
「うわあ、壮観だね。宵闇に輝く天竜はきらきらして目立つねえ。愛すべき使徒が砂漠を破壊する様子を見て、人間達は絶望に右往左往しているよ。見ているこっちとしては、暗くてあんまり様子がわからないのが残念だけど」
「もっと近くに行きましょう、お父様」
ラフィアは、虎の姿をとったハイラリーフを呼び、その背に跨る。姿を消して移動する精霊王を追い、急峻な砂岩地帯を獣の足で駆ける。やがて、地を緩慢に流れる濁流を見下ろす砂竜族の一団が斜め下方に見えてきた。ラフィアは滑るように、虎の背中から下りる。
「ありがとうハイラリーフ、もう良いわ。耳飾りの中に戻って」
「え、あたしもここにいるわよ」
「だめよ!」
強い語気にびくりと肩を揺らしたハイラリーフは、次第に不満を浮かべ口元を歪める。
「何よ、別に良いじゃない。あたしがいれば、もし誰かに見つかってもあんたを乗せて逃してあげられるし」
「いらない」
「今さら何の遠慮なのよ」
「遠慮ではないわ。邪魔なの」
鋭い言葉にハイラリーフは瞠目し、ラフィアを見つめる。
「言うことを聞きなさい」
なおも続く冷淡な声を耳にし、ハイラリーフは盛大に顔を顰めて吐き捨てた。
「傲慢ね。精霊王の娘だからってお高く止まっちゃって! あんたなんか大嫌いよ!」
捨て台詞と共に白い毛並みの虎の姿が揺らぐ。やがて肉体は水の粒子となり霧散して、夜気に溶けてから収斂し、ラフィアの耳飾りへと吸い込まれていった。
小さく息を吐いたラフィアの隣で水蒸気が凝縮し、無邪気な子供のような表情をした精霊王が現われる。
「あらら、喧嘩しちゃったのか。ま、面白いから何でも良いけど」
刺激に飢えた精霊王にとっては、諍いすらも娯楽の一つらしい。それならば、これから起こる事件はよりいっそう、彼の興味を引くだろう。
「お父様……いいえ、精霊王」
降りしきる雨音にも負けぬほど、自身の鼓動が大きく響いている。精神が肉体に宿っている証拠。すなわち、いかなる秘術を習得したとて、この身は人間であるのだという証だ。今のところは、まだ。
柄にもなく感傷を抱きそうになったが辛うじて堪え、ラフィアは暗がりに浮かぶ精霊王の青い瞳を見据えた。
「ずっと言いたかったことがあるの」
いかなる時も当事者ではなく観客の表情を崩さぬ精霊王。ラフィアは一歩後退り、言葉を叩き付けた。
「あなた、狂っているわ。私は、あなたを楽しませる役者を続けるつもりはないし、ましてや後継者になんてならない」
反応を待たず、身を翻して砂岩の端まで走る。真下の岩場で茫然と佇む人々に向け、叫んだ。
「アースィム!」
暗雲に覆われた夜空の下では、やや離れた場所に立つ人物を特定することは困難だ。しかし、アースィムの姿はすぐに見つかった。誰よりも早く、群衆の間から進み出たからだ。
「ラフィア、ここです」
斜面のすぐ側で、アースィムが腕を広げて上段の岩場を見上げている。ラフィアは躊躇なく、ほとんど崖と言っても過言ではない急斜面を駆け下りた。
万が一滑落すれば、かすり傷では済まぬだろう。だが、ラフィアの足元を水の層が保護しているため、足を滑らせる心配はない。水を意のままに動かす、強き精霊の力。皮肉なことに、この技を習得したのはひとえに精霊王の実演から学んだお陰である。
「アースィム」
飛沫を飛ばしつつ砂岩を滑り下りたラフィアは叫ぶように呼び、愛おしい夫の胸に飛び込んだ。
力強く優しい片腕に包まれる。焦がれていた感触に鼻の奥がつんと痛んだ。
アースィムの首に抱き付いて、冷え切った彼の頬に額を擦り付ける。
「会いたかった」
「俺もです」
強く抱き締め合い互いの体温を感じた後、どちらからともなく抱擁を解いて、間近で視線を絡ませ覚悟を確認し合う。
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