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第四章
9 死闘②
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身体中が耐え難い熱に炙られる。空気を吸い込んだ拍子に高温の煙に喉が焼かれ、声すら上げられない。水蒸気から生成した肉体を纏った精霊王の肌も焼け落ちていくが、所詮は紛い物。ほんの僅かたりとも苦しむ様子はない。
「哀れな子だね。君の肉体が朽ちれば、融合した僕の手も返ってくる……」
『そうはさせないっ』
耳元で声が響いた直後、気づけば、ラフィアの全身は水の膜に包まれていた。
「下僕」
精霊王が忌々し気に吐き捨てた言葉で、ラフィアは状況を理解する。
ハイラリーフが水の膜に変化して、ラフィアの身体を炎の舌から守っているのだ。苦痛の棘が遠のいて、ラフィアは掠れる声を上げる。
「ハイラリーフ、だめ! 耳飾りの中にいて。だって辺りには水蒸気が」
水の膜を通して鼓膜に直接声が返ってくる。
『何言ってんのよ。あたしはあんたの精霊でしょ。さっき、邪魔だから耳飾りの中にいろ、だなんて言ったことを後悔させてやるんだから!』
「危険よ!」
叫ぶがしかし、ハイラリーフの助力はありがたい。
もう少し。精霊王が自我を見失い、世界を巡る水の粒子の一つへと戻るまで、ラフィアは砂と水に還る訳にはいかぬのだ。
予想外の事態に精霊王が怒気を露わに暴れ出す。ラフィアとの融合部分を振り払おうとしているようだ。
「忌々しい」
そこでふと思い至ったらしく、精霊王は口の端を持ち上げた。
「ああ、そうか。斬ってしまえば……」
空中に、炎に焼かれても溶けぬ氷柱が生み出された。冷酷に煌めく鋭利な先端が、ラフィアの腕に向かう。僅かな躊躇いもなく襲い来る重苦しい衝撃が、骨肉を斬り裂いた。
あまりの激痛に、喉の奥から絞り出すような叫びが漏れた。
対して、自由になった精霊王は不敵な笑みを浮かべ、ラフィアの身体を踏みつけて跳躍する。鷹の姿になり、天へと向かった。
『ああっ! 逃げた』
ハイラリーフの声が、苦痛に捻じ曲げられた意識を辛うじて正常に保つ。
瞼が重い。途切れそうになる意識を鼓舞して細く目を開ける。鷹が、火の海を抜け煙の緞帳の中へと滑るように飛翔するのが見える。
ああ、全ては無駄だった。絶望に全てを奪い取られそうになったラフィアだが、次に目に映った光景に、辛うじて自我を繋ぎ止めた。
精霊王の様子がおかしい。悠々と上昇していた鷹が突然、空中でよろめいた。懸命に羽ばたきを繰り返しているものの、ゆらゆらと上下左右に揺れ、高度が上がらない。
異様な光景に、誰もが咄嗟に動けない。
その刹那、固唾を呑んで見守る群衆の中から一筋の銀色の閃光が放たれて、鷹の身体の真ん中を貫いた。誰かが弓で精霊王を仕留めたのだ。
常の精霊王ならば、すぐさま本来の姿に戻り、別の鳥になって何事もなかったかのように飛び去るだろう。しかし今や、水蒸気に囲まれ弱り切った精霊王は、次なる変化を試みることができぬらしい。
羽根を撒き散らしながら、鷹が炎へと落下する。その姿は揺らぎ、水蒸気へと戻り始めている。
『なぜ。こんな戯曲は、ちっとも楽しくない……』
やがて、放射線状に空中へと霧散した水の粒子は炎に炙られ空気の一部となる。しばらく待てども、再度収斂することはなかった。
『きゃあ、すごいじゃない! 誰よあの弓射ったの! とにかくこれで、あんたも無事に』
明るく言ったハイラリーフの声が、突然勢いを失う。続いて吐き出された張り詰めた呼気に、ラフィアは己の命が尽きようとしているのを察した。
「ハイラリーフ、早く耳飾りに戻って」
『何言ってんのよ。そんなことしたらあんたが』
「どうせもうだめよ。痛くて苦しくて、もう一歩も歩けないの」
『それなら、あたしが連れて』
しかし彼女の声は途中で、雨と炎が揺らす空気の中へと溶けていく。共に逃げるなど不可能だと気づいたのだ。
ハイラリーフは今、自らの姿を変え、ラフィアを守る水の鎧となっている。一介の精霊である彼女には、水を操り変化させる力がないからだ。ハイラリーフがラフィアを炎の外に担ぎ出そうとして動物に化ければ、途端にラフィアは焼け焦げる。この場所から無事に逃げ出す方法はない。
『ご主人様……』
「私はあなたのご主人様じゃないのでしょう?」
『あんなの撤回よ! 精霊王みたいな非道な奴、仕える価値もなかったわ。ねえ、あたし水蒸気に戻っても良い。だがら最期まであんたを』
「いいえ、ハイラリーフ。あなたには他に、お願いがあるの」
ラフィアは、とうとう視力が消え色を失った虚空に向けて願いを述べた。
全てを聞き終えて、ハイラリーフは沈黙した。それを肯定の意と信じ、ラフィアは最期の言葉を告げた。
「……だから、お願い。耳飾りに戻って、そして」
生きて。
願いは、炎に焼かれて天へと戻る水に乗り、水神マージの御許へと昇っていく。
「哀れな子だね。君の肉体が朽ちれば、融合した僕の手も返ってくる……」
『そうはさせないっ』
耳元で声が響いた直後、気づけば、ラフィアの全身は水の膜に包まれていた。
「下僕」
精霊王が忌々し気に吐き捨てた言葉で、ラフィアは状況を理解する。
ハイラリーフが水の膜に変化して、ラフィアの身体を炎の舌から守っているのだ。苦痛の棘が遠のいて、ラフィアは掠れる声を上げる。
「ハイラリーフ、だめ! 耳飾りの中にいて。だって辺りには水蒸気が」
水の膜を通して鼓膜に直接声が返ってくる。
『何言ってんのよ。あたしはあんたの精霊でしょ。さっき、邪魔だから耳飾りの中にいろ、だなんて言ったことを後悔させてやるんだから!』
「危険よ!」
叫ぶがしかし、ハイラリーフの助力はありがたい。
もう少し。精霊王が自我を見失い、世界を巡る水の粒子の一つへと戻るまで、ラフィアは砂と水に還る訳にはいかぬのだ。
予想外の事態に精霊王が怒気を露わに暴れ出す。ラフィアとの融合部分を振り払おうとしているようだ。
「忌々しい」
そこでふと思い至ったらしく、精霊王は口の端を持ち上げた。
「ああ、そうか。斬ってしまえば……」
空中に、炎に焼かれても溶けぬ氷柱が生み出された。冷酷に煌めく鋭利な先端が、ラフィアの腕に向かう。僅かな躊躇いもなく襲い来る重苦しい衝撃が、骨肉を斬り裂いた。
あまりの激痛に、喉の奥から絞り出すような叫びが漏れた。
対して、自由になった精霊王は不敵な笑みを浮かべ、ラフィアの身体を踏みつけて跳躍する。鷹の姿になり、天へと向かった。
『ああっ! 逃げた』
ハイラリーフの声が、苦痛に捻じ曲げられた意識を辛うじて正常に保つ。
瞼が重い。途切れそうになる意識を鼓舞して細く目を開ける。鷹が、火の海を抜け煙の緞帳の中へと滑るように飛翔するのが見える。
ああ、全ては無駄だった。絶望に全てを奪い取られそうになったラフィアだが、次に目に映った光景に、辛うじて自我を繋ぎ止めた。
精霊王の様子がおかしい。悠々と上昇していた鷹が突然、空中でよろめいた。懸命に羽ばたきを繰り返しているものの、ゆらゆらと上下左右に揺れ、高度が上がらない。
異様な光景に、誰もが咄嗟に動けない。
その刹那、固唾を呑んで見守る群衆の中から一筋の銀色の閃光が放たれて、鷹の身体の真ん中を貫いた。誰かが弓で精霊王を仕留めたのだ。
常の精霊王ならば、すぐさま本来の姿に戻り、別の鳥になって何事もなかったかのように飛び去るだろう。しかし今や、水蒸気に囲まれ弱り切った精霊王は、次なる変化を試みることができぬらしい。
羽根を撒き散らしながら、鷹が炎へと落下する。その姿は揺らぎ、水蒸気へと戻り始めている。
『なぜ。こんな戯曲は、ちっとも楽しくない……』
やがて、放射線状に空中へと霧散した水の粒子は炎に炙られ空気の一部となる。しばらく待てども、再度収斂することはなかった。
『きゃあ、すごいじゃない! 誰よあの弓射ったの! とにかくこれで、あんたも無事に』
明るく言ったハイラリーフの声が、突然勢いを失う。続いて吐き出された張り詰めた呼気に、ラフィアは己の命が尽きようとしているのを察した。
「ハイラリーフ、早く耳飾りに戻って」
『何言ってんのよ。そんなことしたらあんたが』
「どうせもうだめよ。痛くて苦しくて、もう一歩も歩けないの」
『それなら、あたしが連れて』
しかし彼女の声は途中で、雨と炎が揺らす空気の中へと溶けていく。共に逃げるなど不可能だと気づいたのだ。
ハイラリーフは今、自らの姿を変え、ラフィアを守る水の鎧となっている。一介の精霊である彼女には、水を操り変化させる力がないからだ。ハイラリーフがラフィアを炎の外に担ぎ出そうとして動物に化ければ、途端にラフィアは焼け焦げる。この場所から無事に逃げ出す方法はない。
『ご主人様……』
「私はあなたのご主人様じゃないのでしょう?」
『あんなの撤回よ! 精霊王みたいな非道な奴、仕える価値もなかったわ。ねえ、あたし水蒸気に戻っても良い。だがら最期まであんたを』
「いいえ、ハイラリーフ。あなたには他に、お願いがあるの」
ラフィアは、とうとう視力が消え色を失った虚空に向けて願いを述べた。
全てを聞き終えて、ハイラリーフは沈黙した。それを肯定の意と信じ、ラフィアは最期の言葉を告げた。
「……だから、お願い。耳飾りに戻って、そして」
生きて。
願いは、炎に焼かれて天へと戻る水に乗り、水神マージの御許へと昇っていく。
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