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第四章
8 リザエラとリサ、それからウィオラと彼女の真相①
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「リザエラ様は、幼少期より聖女としてお育ちになり、当然、将来は立派な皇を生み出すことを切望なさっておられました」
誰もがこくりと頷く。周知のことだ。
「ですが、ナーリス様には事情がありました。申し上げ辛いことですが」
「人型になれなかった。そうですな」
言葉を引き継いだのは、リーチ侯爵だ。ウィオラは凪の海のように穏やかな瞳でリーチ侯爵を見て、小さく頷いた。
「ええ。とにかくあの頃、混沌へ下る直前のリザエラ様はご自身を責め、愛していたはずの魔王陛下やナーリス様を避けるようになっていたのです」
「あれ、でも『あなたのことを愛せない』と、リザエラ様の遺書には」
「リザエラ様のお心の奥底までは存じ上げません。ですが私は今日までお仕えし、リザエラ様は愛情深い方だと確信しております。控えめなお人柄のため、愛を声高に叫ぶ方ではありませんでしたし、もしかするとそれが災いしてナーリス様が人型を取れなかったのかもしれせん。ですがリザエラ様は、本当はご家族を愛しておられます。強過ぎる責任感が転じ、聖女としてのお役目を果たせないことを気に病み、デュヘル様の妻でありナーリス様の母であることを素直に幸福として感じることができなくなってしまった。それだけです。リザエラ様は常々おっしゃっていました。『私が聖女でなければ。いっそのこと、私さえいなければ』と」
私が聖女でなければ。
その言葉が胸の奥の柔らかい場所に重たくのしかかる。リザエラとしての記憶は失くしてしまったけれど、自分の不甲斐なさを嫌悪し、消え去ってしまいたいと願う気持ちは、今でも心の奥底に根付いているようだった。そう、リザエラは自分のことが嫌いだったのだ。
「そしてリザエラ様は、事態を打開するために、混沌へ下ったのです。リザエラ様はあちらの世界で別の人格として生活を送り、寿命を終えて再びご家族のところへ戻って来られる計画でした」
「戻るって、その時にはもうリザエラもシワシワのお婆ちゃんでしょう?」
私の疑問に、ウィオラは首を横に振る。
「あちらとこちらでは時の流れが違うのです。実際、リザエラ様が混沌へ下り新たな人格として生まれ落ちてから三十年が経ちましたが、こちらの世界では一ヶ月も経っていませんでした」
だからこそ、リザエラの国葬が終わる前に私は戻って来ることができたのだ。
けれど。
「じゃあ、そもそも別の人生を歩んだことでどんなメリットがあったの」
「リザエラ様が一番に願ったのは、ナーリス様に対して素直に愛情を注ぎたいということです。混沌へ下った先では、皇や聖女という柵を乗り越えて、ありのままのナーリス様を……人型ではない姿も含めて愛おしく思えるように生きたいと願い、魂を混沌の中へ落とすための薬剤を求められました」
ああ、と呻きとも感嘆ともつかない声が漏れた。だからか、この狂おしいほどのモフモフ愛は。
そう、リサは物心ついた時からモフモフが好きだった。つまり元から、そうなるように生まれついていたのだ。
モフモフオタク蒲原リサがリザエラとして戻ったのなら、今の私がそうであるように、開けっ広げの愛をナーリスに向けることができる。それを見込んでリザエラはリサに転生したのだ。
けれどその見せかけの死が、ナーリスを傷つけてしまった。子供にとっては、ただそこに母がいて優しく微笑んでくれるだけで良かっただろうに。
こんな時だけれど、娘に豊かな生活を送らせるため多忙を受け入れた蒲原夫妻の心に、指先が触れた心地がした。
リザエラとナーリスの心のすれ違いはかつてリサが両親に対して抱いていた不満と重なる部分がある。
私は胸の奥をぎゅっと掴まれたかのような痛みを覚えたが、今は感傷に浸る場面ではない。改めて、目の前で繰り広げられている議論へと意識を引き戻す。
私的利用を禁止された混沌術。それを、個人の感情のために利用したリザエラ。
その上で私を庇おうとしてくれるウィオラに対し、大きな感動を覚えたけれど、一つ気になることがある。私はちょこんと右手を上げた。
「じゃあウィオラは今も微弱な混沌術を使い続けることで、あちら側の私を助けてくれているのね。でもなぜ、向こうの……リサの身体を維持しようとするの? 逆ならわかるけれど」
リサこそがリザエラだったのならば、もはやリサの身体は不要ではないか。いや、もちろん未だに全部受け止め切れていない私の心情的なお話をするのなら、身体はしっかり綺麗に保存しておいて欲しい。
けれどウィオラからすれば、すでにモフモフオタクと化したリザエラにもう一度日本に行ってもらう必要はないのだ。
どうも動機が不明瞭だ。ウィオラは長い睫毛を伏せ、憂いを漂わせてから、ぽつりと言葉を落とした。
「……ナーリス様のため。それと、贖罪」
私は首を傾ける。ウィオラは顔を上げ、真っ直ぐな眼差しで私を貫いた。
「贖罪よ。私はあなたを殺そうとしたの。――リサちん」
私は目を見開く。リサちん。私をそう呼ぶ者は、一人しか知らない。
脳細胞がとてつもない速さで活性化して、耳に飛び込んだ言葉が示すものを処理する。全身を駆け抜ける電流のような衝撃が微かな痺れとなり霧散していくまで、たっぷり数秒息を止める。
やがてごくりと唾を飲み込んで、同期であり親友でもある女性の名を呼んだ。
「スミレ?」
そう、リサが唯一心の底から信頼し、モフオタ話を素直に曝露できた友人。そしてあの日、トラックに撥ねられる直前、私がオタクであることを同僚に吹聴した同期。
驚愕に慄く私に向けて、ウィオラは少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「リサちんごめんね。軽率だった。あんな風に死にかけてしまうだなんて思わなかったの」
誰もがこくりと頷く。周知のことだ。
「ですが、ナーリス様には事情がありました。申し上げ辛いことですが」
「人型になれなかった。そうですな」
言葉を引き継いだのは、リーチ侯爵だ。ウィオラは凪の海のように穏やかな瞳でリーチ侯爵を見て、小さく頷いた。
「ええ。とにかくあの頃、混沌へ下る直前のリザエラ様はご自身を責め、愛していたはずの魔王陛下やナーリス様を避けるようになっていたのです」
「あれ、でも『あなたのことを愛せない』と、リザエラ様の遺書には」
「リザエラ様のお心の奥底までは存じ上げません。ですが私は今日までお仕えし、リザエラ様は愛情深い方だと確信しております。控えめなお人柄のため、愛を声高に叫ぶ方ではありませんでしたし、もしかするとそれが災いしてナーリス様が人型を取れなかったのかもしれせん。ですがリザエラ様は、本当はご家族を愛しておられます。強過ぎる責任感が転じ、聖女としてのお役目を果たせないことを気に病み、デュヘル様の妻でありナーリス様の母であることを素直に幸福として感じることができなくなってしまった。それだけです。リザエラ様は常々おっしゃっていました。『私が聖女でなければ。いっそのこと、私さえいなければ』と」
私が聖女でなければ。
その言葉が胸の奥の柔らかい場所に重たくのしかかる。リザエラとしての記憶は失くしてしまったけれど、自分の不甲斐なさを嫌悪し、消え去ってしまいたいと願う気持ちは、今でも心の奥底に根付いているようだった。そう、リザエラは自分のことが嫌いだったのだ。
「そしてリザエラ様は、事態を打開するために、混沌へ下ったのです。リザエラ様はあちらの世界で別の人格として生活を送り、寿命を終えて再びご家族のところへ戻って来られる計画でした」
「戻るって、その時にはもうリザエラもシワシワのお婆ちゃんでしょう?」
私の疑問に、ウィオラは首を横に振る。
「あちらとこちらでは時の流れが違うのです。実際、リザエラ様が混沌へ下り新たな人格として生まれ落ちてから三十年が経ちましたが、こちらの世界では一ヶ月も経っていませんでした」
だからこそ、リザエラの国葬が終わる前に私は戻って来ることができたのだ。
けれど。
「じゃあ、そもそも別の人生を歩んだことでどんなメリットがあったの」
「リザエラ様が一番に願ったのは、ナーリス様に対して素直に愛情を注ぎたいということです。混沌へ下った先では、皇や聖女という柵を乗り越えて、ありのままのナーリス様を……人型ではない姿も含めて愛おしく思えるように生きたいと願い、魂を混沌の中へ落とすための薬剤を求められました」
ああ、と呻きとも感嘆ともつかない声が漏れた。だからか、この狂おしいほどのモフモフ愛は。
そう、リサは物心ついた時からモフモフが好きだった。つまり元から、そうなるように生まれついていたのだ。
モフモフオタク蒲原リサがリザエラとして戻ったのなら、今の私がそうであるように、開けっ広げの愛をナーリスに向けることができる。それを見込んでリザエラはリサに転生したのだ。
けれどその見せかけの死が、ナーリスを傷つけてしまった。子供にとっては、ただそこに母がいて優しく微笑んでくれるだけで良かっただろうに。
こんな時だけれど、娘に豊かな生活を送らせるため多忙を受け入れた蒲原夫妻の心に、指先が触れた心地がした。
リザエラとナーリスの心のすれ違いはかつてリサが両親に対して抱いていた不満と重なる部分がある。
私は胸の奥をぎゅっと掴まれたかのような痛みを覚えたが、今は感傷に浸る場面ではない。改めて、目の前で繰り広げられている議論へと意識を引き戻す。
私的利用を禁止された混沌術。それを、個人の感情のために利用したリザエラ。
その上で私を庇おうとしてくれるウィオラに対し、大きな感動を覚えたけれど、一つ気になることがある。私はちょこんと右手を上げた。
「じゃあウィオラは今も微弱な混沌術を使い続けることで、あちら側の私を助けてくれているのね。でもなぜ、向こうの……リサの身体を維持しようとするの? 逆ならわかるけれど」
リサこそがリザエラだったのならば、もはやリサの身体は不要ではないか。いや、もちろん未だに全部受け止め切れていない私の心情的なお話をするのなら、身体はしっかり綺麗に保存しておいて欲しい。
けれどウィオラからすれば、すでにモフモフオタクと化したリザエラにもう一度日本に行ってもらう必要はないのだ。
どうも動機が不明瞭だ。ウィオラは長い睫毛を伏せ、憂いを漂わせてから、ぽつりと言葉を落とした。
「……ナーリス様のため。それと、贖罪」
私は首を傾ける。ウィオラは顔を上げ、真っ直ぐな眼差しで私を貫いた。
「贖罪よ。私はあなたを殺そうとしたの。――リサちん」
私は目を見開く。リサちん。私をそう呼ぶ者は、一人しか知らない。
脳細胞がとてつもない速さで活性化して、耳に飛び込んだ言葉が示すものを処理する。全身を駆け抜ける電流のような衝撃が微かな痺れとなり霧散していくまで、たっぷり数秒息を止める。
やがてごくりと唾を飲み込んで、同期であり親友でもある女性の名を呼んだ。
「スミレ?」
そう、リサが唯一心の底から信頼し、モフオタ話を素直に曝露できた友人。そしてあの日、トラックに撥ねられる直前、私がオタクであることを同僚に吹聴した同期。
驚愕に慄く私に向けて、ウィオラは少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「リサちんごめんね。軽率だった。あんな風に死にかけてしまうだなんて思わなかったの」
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