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ヒトシズク・レストラン
第28話 各々の役目
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~ヒトシズク・レストラン 高級ホテル「大食館」~
煌びやかな食堂のテーブルを埋め尽くす料理の数々。ファストフードから皇帝に献上する高級料理まで、ありとあらゆる食材と技術を余すことなく詰め込んだグルメの国の集大成が津波となって押し寄せている。
とっくに食事を終え優雅にワインに口をつけるハピネスは、満面の笑みで料理を食べ続けるイチルギを静かに見守っている。
「使奴はよく食べるな……本当に」
「だってこんないっぱい来たら食べないわけには――――あー!コレって“山鯨”のお刺身じゃない!?すごーい初めて見たーっ!」
子供のようにはしゃぐイチルギとは対極的に、静かに黙々と料理を食べ進めるバリア。そこへアビスが後ろから近寄って顔を寄せる。
「バリアさん。お味の方はいかがですか?」
「おいしいよ」
「ふふっ。それは良かった」
アビスは顔を上げて厨房の方へ歩き出す。
「そろそろ皆さんも此方へ来て食べましょう。早くしないとイチルギさんが全て食べてしまいますよ」
「私を何だと思ってるの!?」
予想外の冗談に堪らず声を荒げるイチルギに、アビスは悪戯っぽく笑って頭を下げる。
アビスが手招きをすると、厨房の奥から大勢の料理人が出てきた。皆顔に大きなアザがあったり、片腕――――ないし両腕がなかったり、脚がなかったりと、五体満足の者は一人としていなかった。両目を失った者、歯を残らず抜かれた者、中には両手両足全て捥がれた者――――みな、ゼルドームの拷問にかけられていた料理人たちであった。
「い、いいんですか?アビス様……命の恩人をもてなす料理なのに……」
料理人達は足を止め、互いに顔を見合わせる。その様子を見たイチルギは、急いで口の中のものを咀嚼し飲み込む。
「あーいいのいいの!ていうかここに居るの、バリア以外何にもしてないし!肝心のラルバはラデック連れてどっか行っちゃうし……」
大袈裟に手を振って否定のジェスチャーを見せるイチルギ。それでも料理人達は動かず困惑の表情を浮かべる。
「し、しかし……」
「ラルバさん達のお仲間なら、我々の恩人に変わりはありません!」
あまりに畏まった態度を崩さない料理人達に、ハピネスは咳払いを一つして意見する。
「あー、それは違う。イチルギはヒトシズク・レストランの調査を怠ってゼルドームの悪事を助長させた張本人だ」
突然矛先を向けられ、咳き込んで驚愕するイチルギ。
「ちょっ、ちょっと!調査を怠ってたわけじゃないわよ!」
「わかってる。他の国の目に余る蛮行で、一見平和に見えるヒトシズク・レストランにまで手が回らなかったというのが事実だ。”スヴァルタスフォード自治区“や”グリディアン神殿“を野放しにしていたら、それこそ今以上の惨事が世界中に蔓延していただろう」
ハピネスの言葉に押し黙るイチルギ。ハピネスはイチルギに「悪かった」と少し頭を下げてから再び言葉を続ける。
「イチルギはラルバの我儘に従い、あの快楽殺人鬼に無罪放免の人権を与え、ヒトシズク・レストランの窮地を救う手助けをしてくれている」
イチルギは不満そうな顔でワインを飲み干す。
「……別に無罪放免とは思ってないけど。馬鹿と鋏は使いようよ。重罪人として引っ捕えるよりも、毒を以て毒を制した方が有用だと思ってるだけ。それで言うなら、そもそもヒトシズク・レストランに寄ろうって言ったのはハピネスじゃない。この国をラルバに救って欲しかったんでしょ?」
「確かに、ラルバに意見をしてヒトシズク・レストランに呼んだのは他でもない私だ。でもそれは決して助けようと思ったからではない。この国の悪党にラルバがどう立ち向かうのか見てみたかっただけだ」
ハピネスはナイフの切っ先を料理人達に突きつける。
「だから、決して感謝などしてくれるな?私とて“笑顔による文明保安教会“の王という権力者であり、世界中の悪事を見通す力を持ち――当然ここ、ヒトシズク・レストランが行っていた悪逆無道の数々を知ってなお動かなかった臆病者だ。君達が気遣う必要など微塵もない。まあ――――この料理は頂いておくがな。それはそれ。これはこれだ」
そう言うと、少しだけ席から腰を浮かせ手を伸ばしケーキの乗った皿を取る。
料理人達は再び顔を見合わせるが、こちらに微笑み続けているアビスを気遣って椅子に座り始める。最初こそ喪に伏すような素振りで遠慮がちに料理をつついていたが、拷問が終わったという実感が今になって沸々と湧き始め、次第に安堵と狂喜が入り乱れる大宴会になった。
翌朝、ハピネスは薄らと漂うトーストの香りに目を覚ました。二度寝を渇望する身体に鞭を打ち、のっそりと上体を起こす。
「…………朝か」
正確には正午寸前だが、夜明け手前まで酒に溺れていた事を加味すると中々の早起きだと思い、眠気を払うために大きく身体を伸ばす。リビングでは既にイチルギとバリアが朝食を摂っており、ラプーは相変わらず部屋の隅に座り置物と化している。イチルギはトーストを咥えたまま手招きをして、空席に置かれた朝食を指した。
「……おはよう。おや、珍しい料理だな」
「牛乳と卵に浸して焼いた甘いトーストです。ここでは一般的ですよ」
キッチンから説明と共にアビスが顔を覗かせる。
「おはようございますハピネスさん。今朝はよく眠れましたか?」
「ああ、お陰様で。……アビス、こんなところでのんびりしてて良いのかい?」
「その事なんですが……」
アビスはエプロンで手を拭きながら咳払いを一つ挟み、真剣な表情で4人を見つめる。
「私も皆さんの旅に連れて行ってください」
その申し出には誰も驚かず、イチルギだけが少し怪訝そうな顔をした。それを見たアビスは慌ててイチルギに詰め寄る。
「めっ、迷惑でしたか!?決して足手纏いにはなりません!」
「いや!いやぁ~違うのよアビス?」
イチルギは顔の半分を抑えながら、眉間に皺を寄せた目をアビスから背ける。
「寧ろ貴方みたいな良識ある人が付いてきてくれるなら私としては大賛成!何より私が動きやすくなるし、いざと言うときラルバを止める戦力が増えるのはとってもありがたい……んだけどぉ……その、忍びないって言うか……」
「気など遣わないで下さい!皆さんが来てくれなければ、私は今も操り人形だったのですから!」
ぐぬぬと唸るイチルギに、ハピネスが満足そうにトーストを齧りながら口を挟む。
「正直なところ、“命を救ってもらったから~”なんて理由で身を捧げるのは如何なものかとは思うが……いいんじゃないか?ついてきても。使奴が自ら力を貸すと言ってくれているんだ。こんなうまい話、乗らない手はあるまい」
アビスはパァっと顔を輝かせてハピネスを見る。
「あっありがとうございます!」
「どういたしまして……だが実際に判断するのはラルバとラデックだ。バリアとラプーは何も言わんだろうが、ラルバはともかくラデックも多少、一般とはかけ離れた考え方をすることがあるからな。説得する必要があるかも知れんぞ」
未だに顔を顰めて悩むイチルギの後ろから、扉を開けてラデックが部屋に入ってきた。
「皆ここにいたのか、随分探した。アビス、身体の調子はどうだ」
「あっ、はい。お陰様で不調は一つもありません。それで、一つお願いが……」
「最後の方だけだが聞こえてきた。いいんじゃないか?寧ろ願ってもない僥倖だろう」
「ほっ本当ですか!?」
「ああ。もうすぐラルバも来るから頼んでみるといい。断る理由は無いはずだ」
「ありがとうございます!私っ必ずお役に立ちます!」
「俺たちの旅で役に立つとなると、あまりいいことでは無いがな」
目を輝かせて喜ぶアビスの横で、イチルギがラデックの手を引いて顔を寄せる。
「いやいやラデック……本当に連れて行く気?」
「何か問題があるのか?」
「いやそういうんじゃないけど……言わば私達ってラルバのお遊びに付き合わされてるわけじゃない?そこに彼女の人生を巻き込むのはちょっと……」
「それを判断するのはラルバだ。アビスがラルバのお遊びに付き合うと言っている以上、俺達に判断を下す権限はない」
「いやそれはそうなんだけど……なんか申し訳ないじゃない?」
「俺はラルバに脅されて同行しているからな。その理屈はよく分からない」
「あー……そういえばそうだったわね……」
ラデックとイチルギが話をしていると、粗暴な足音と共にラルバが部屋の扉を開いた。
「たっだいまー皆の衆!あれ?アビス?」
上機嫌なラルバに、アビスが駆け足で近寄り手を握る。
「ラ、ラルバさん!ご迷惑を承知でお願いしますが、私も旅に同行させていただけませんか!?」
「え?やだ」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
当然のように拒否したラルバに、バリアとラプー以外の全員が目を丸くした。まさかこんなにもあっさりと却下されると思っていなかったアビスは、動揺を隠すそぶりもなくラルバに問いかける。
「な、何故……かっ必ず役に立ちますから……!」
「んー役に立つって言ってもなぁ……権力はイチルギがいるし戦力はバリアとラデックがいるし、知識はラプーとハピネスがいるしなぁ。そもそも足手纏いだから要らんと言っているんじゃあない」
「では何故……」
「いやあ、アビス。お前はいわゆる……“善人”だろう?ラデックから聞いたぞ。世界中の空腹で苦しむ人々を救う夢があるとか」
「それは、はい……」
「対する私は世界中の悪党を虐めたい――だ。世界平和じゃない。悪党を懲らしめに行けば苦しんでいる人々も沢山目にするだろうが、基本私はノータッチだ。そこでお前の我儘に付き合う気はないし、どっかで歯向かわれても困る」
「そんなっ命の恩人に歯向かうなど……!」
「いーや歯向かうねぇ!命の恩人だろうが恋人だろうが、悪と分かればそれを野放しにはして置けない説得したがる勧善したがる懲悪したがる目を覚ませだのなんだの言って自分の正義に染めたがる!それが善人だ――――!自分と違うってだけで思想を押し付けられちゃあ堪らないんだよこっちは」
「そんな……私は……」
「それにアビス。この国はどうする?イチルギが言ってたぞー“綱渡りしながら雨粒避け続けるような経営”だと。お前以外に担える奴がどこにいる?」
「もとよりこの国の運営から私は降りるつもりで……」
「見捨てるのか?この国を?未だどっかで明日の飯も買えず土壁煮て食う貧乏人は大勢いるだろう!自分の夢を叶えるならまずはこの国を救ってからじゃあないのか?」
余りにアビスに対して攻撃的な姿勢を見せるラルバに、イチルギが文句を言おうと立ち上がるがラデックが引き止める。
「期待させるような事を言った俺が悪かった。アビス。実際俺たちの旅は決して善行じゃないし、アビスの望むような旅路には決してならないだろう。しかし言い過ぎだラルバ。何をそんな邪険にしている」
ラルバが椅子にふんぞり返って座り、傾けユラユラとバランスを取る。
「邪険にもするさ。私は元より善人が好きじゃあない。期待とか尊敬とかの眼差しを向けられるのが嫌なんだよ」
「ラルバ」
「わーかってるよぉ!だから手も出してないし無視もしてないだろうがぁ!最低限の礼儀は取ってる!会話もしてるし追い出しもしない!ただついてくるなって言ってるだけだ!」
アビスは不機嫌なラルバから離れ、気まずそうに手を胸の前で組み合わせる。
「す、すみません……私」
「あー気にしないでアビス!ラルバは全体的に思想が子供だから!」
イチルギが慌ててフォローに入り、アビスを慰める。ラルバはムスッとしたまま、イチルギの冷ややかな目線を気にもせず帰りがけに買ってきたブロック肉を生のまま齧り出した。
「……子供って言うより猿ね」
「うーへーうーへー」
「ていうか善人がダメなら私も置いてってよ!自分で言うのもなんだけど私超善人でしょ!?」
「イチルギのことは喋るマスターキーだと思ってるから思想は気にしてない。存分に善人を気取るといい」
「コイツ……!!!」
ラデックは笑顔のまま拳に爪を食い込ませるイチルギの手を抑え、コーヒーに口をつけてから若干眉間に皺を寄せて目を瞑る。
「すまないが意見を変えさせて欲しい。アビス、貴方は俺達に着いてくるべきじゃない」
アビスは何も言わずに暫く立ち尽くしてから、申し訳なさそうに深々と頭を下げた。それに合わせてイチルギも同じく頭を下げる。
「ごめんなさいアビス……ホラ!アンタも謝るの!」
イチルギが肉を齧り続けるラルバの頭を押さえて、無理やり頭を下げさせる。
「なんでぇ!」
「なんでかは分かるでしょうがぁ!!」
「私悪くないもん!」
「うっさい!!」
大声で怒鳴り合う2人を見て、これから先の旅路を憂いて溜息を漏らすラデック。ふと隣を見ると、アビスが微笑みながら2人のやりとりを眺めていた。
「今でもアレについて行こうと思うか?」
「……ええ。なんというか、レインさんの話覚えてますか?」
「ああ。ゼルドームの祖先でヒトシズク・レストランの創始者」
「はい。レインさんもそうだったんですが、ラルバさんは少し似ているんだと思います」
「……それは――――主に、元気な所とかか?」
「ふふっ、まあ言ってしまえばそうなんですが…………2人とも、放って置けないんですよね」
「確かにラルバは放って置けない。尋常じゃない数の死人が出る」
「ふふっ、また近々会いに行きますよ。今がその時じゃないだけなんでしょうね。きっと」
不思議なアビスの物言いに、ラデックは首を傾げてからラルバを見る。イチルギと取っ組み合って罵声を飛ばす姿は、イチルギの言った通り子供そのものであった。
「離れてても力になれることはきっとある筈です。私はここから皆さんのお手伝いをさせて頂きます」
「……ああ。よろしく頼む」
煌びやかな食堂のテーブルを埋め尽くす料理の数々。ファストフードから皇帝に献上する高級料理まで、ありとあらゆる食材と技術を余すことなく詰め込んだグルメの国の集大成が津波となって押し寄せている。
とっくに食事を終え優雅にワインに口をつけるハピネスは、満面の笑みで料理を食べ続けるイチルギを静かに見守っている。
「使奴はよく食べるな……本当に」
「だってこんないっぱい来たら食べないわけには――――あー!コレって“山鯨”のお刺身じゃない!?すごーい初めて見たーっ!」
子供のようにはしゃぐイチルギとは対極的に、静かに黙々と料理を食べ進めるバリア。そこへアビスが後ろから近寄って顔を寄せる。
「バリアさん。お味の方はいかがですか?」
「おいしいよ」
「ふふっ。それは良かった」
アビスは顔を上げて厨房の方へ歩き出す。
「そろそろ皆さんも此方へ来て食べましょう。早くしないとイチルギさんが全て食べてしまいますよ」
「私を何だと思ってるの!?」
予想外の冗談に堪らず声を荒げるイチルギに、アビスは悪戯っぽく笑って頭を下げる。
アビスが手招きをすると、厨房の奥から大勢の料理人が出てきた。皆顔に大きなアザがあったり、片腕――――ないし両腕がなかったり、脚がなかったりと、五体満足の者は一人としていなかった。両目を失った者、歯を残らず抜かれた者、中には両手両足全て捥がれた者――――みな、ゼルドームの拷問にかけられていた料理人たちであった。
「い、いいんですか?アビス様……命の恩人をもてなす料理なのに……」
料理人達は足を止め、互いに顔を見合わせる。その様子を見たイチルギは、急いで口の中のものを咀嚼し飲み込む。
「あーいいのいいの!ていうかここに居るの、バリア以外何にもしてないし!肝心のラルバはラデック連れてどっか行っちゃうし……」
大袈裟に手を振って否定のジェスチャーを見せるイチルギ。それでも料理人達は動かず困惑の表情を浮かべる。
「し、しかし……」
「ラルバさん達のお仲間なら、我々の恩人に変わりはありません!」
あまりに畏まった態度を崩さない料理人達に、ハピネスは咳払いを一つして意見する。
「あー、それは違う。イチルギはヒトシズク・レストランの調査を怠ってゼルドームの悪事を助長させた張本人だ」
突然矛先を向けられ、咳き込んで驚愕するイチルギ。
「ちょっ、ちょっと!調査を怠ってたわけじゃないわよ!」
「わかってる。他の国の目に余る蛮行で、一見平和に見えるヒトシズク・レストランにまで手が回らなかったというのが事実だ。”スヴァルタスフォード自治区“や”グリディアン神殿“を野放しにしていたら、それこそ今以上の惨事が世界中に蔓延していただろう」
ハピネスの言葉に押し黙るイチルギ。ハピネスはイチルギに「悪かった」と少し頭を下げてから再び言葉を続ける。
「イチルギはラルバの我儘に従い、あの快楽殺人鬼に無罪放免の人権を与え、ヒトシズク・レストランの窮地を救う手助けをしてくれている」
イチルギは不満そうな顔でワインを飲み干す。
「……別に無罪放免とは思ってないけど。馬鹿と鋏は使いようよ。重罪人として引っ捕えるよりも、毒を以て毒を制した方が有用だと思ってるだけ。それで言うなら、そもそもヒトシズク・レストランに寄ろうって言ったのはハピネスじゃない。この国をラルバに救って欲しかったんでしょ?」
「確かに、ラルバに意見をしてヒトシズク・レストランに呼んだのは他でもない私だ。でもそれは決して助けようと思ったからではない。この国の悪党にラルバがどう立ち向かうのか見てみたかっただけだ」
ハピネスはナイフの切っ先を料理人達に突きつける。
「だから、決して感謝などしてくれるな?私とて“笑顔による文明保安教会“の王という権力者であり、世界中の悪事を見通す力を持ち――当然ここ、ヒトシズク・レストランが行っていた悪逆無道の数々を知ってなお動かなかった臆病者だ。君達が気遣う必要など微塵もない。まあ――――この料理は頂いておくがな。それはそれ。これはこれだ」
そう言うと、少しだけ席から腰を浮かせ手を伸ばしケーキの乗った皿を取る。
料理人達は再び顔を見合わせるが、こちらに微笑み続けているアビスを気遣って椅子に座り始める。最初こそ喪に伏すような素振りで遠慮がちに料理をつついていたが、拷問が終わったという実感が今になって沸々と湧き始め、次第に安堵と狂喜が入り乱れる大宴会になった。
翌朝、ハピネスは薄らと漂うトーストの香りに目を覚ました。二度寝を渇望する身体に鞭を打ち、のっそりと上体を起こす。
「…………朝か」
正確には正午寸前だが、夜明け手前まで酒に溺れていた事を加味すると中々の早起きだと思い、眠気を払うために大きく身体を伸ばす。リビングでは既にイチルギとバリアが朝食を摂っており、ラプーは相変わらず部屋の隅に座り置物と化している。イチルギはトーストを咥えたまま手招きをして、空席に置かれた朝食を指した。
「……おはよう。おや、珍しい料理だな」
「牛乳と卵に浸して焼いた甘いトーストです。ここでは一般的ですよ」
キッチンから説明と共にアビスが顔を覗かせる。
「おはようございますハピネスさん。今朝はよく眠れましたか?」
「ああ、お陰様で。……アビス、こんなところでのんびりしてて良いのかい?」
「その事なんですが……」
アビスはエプロンで手を拭きながら咳払いを一つ挟み、真剣な表情で4人を見つめる。
「私も皆さんの旅に連れて行ってください」
その申し出には誰も驚かず、イチルギだけが少し怪訝そうな顔をした。それを見たアビスは慌ててイチルギに詰め寄る。
「めっ、迷惑でしたか!?決して足手纏いにはなりません!」
「いや!いやぁ~違うのよアビス?」
イチルギは顔の半分を抑えながら、眉間に皺を寄せた目をアビスから背ける。
「寧ろ貴方みたいな良識ある人が付いてきてくれるなら私としては大賛成!何より私が動きやすくなるし、いざと言うときラルバを止める戦力が増えるのはとってもありがたい……んだけどぉ……その、忍びないって言うか……」
「気など遣わないで下さい!皆さんが来てくれなければ、私は今も操り人形だったのですから!」
ぐぬぬと唸るイチルギに、ハピネスが満足そうにトーストを齧りながら口を挟む。
「正直なところ、“命を救ってもらったから~”なんて理由で身を捧げるのは如何なものかとは思うが……いいんじゃないか?ついてきても。使奴が自ら力を貸すと言ってくれているんだ。こんなうまい話、乗らない手はあるまい」
アビスはパァっと顔を輝かせてハピネスを見る。
「あっありがとうございます!」
「どういたしまして……だが実際に判断するのはラルバとラデックだ。バリアとラプーは何も言わんだろうが、ラルバはともかくラデックも多少、一般とはかけ離れた考え方をすることがあるからな。説得する必要があるかも知れんぞ」
未だに顔を顰めて悩むイチルギの後ろから、扉を開けてラデックが部屋に入ってきた。
「皆ここにいたのか、随分探した。アビス、身体の調子はどうだ」
「あっ、はい。お陰様で不調は一つもありません。それで、一つお願いが……」
「最後の方だけだが聞こえてきた。いいんじゃないか?寧ろ願ってもない僥倖だろう」
「ほっ本当ですか!?」
「ああ。もうすぐラルバも来るから頼んでみるといい。断る理由は無いはずだ」
「ありがとうございます!私っ必ずお役に立ちます!」
「俺たちの旅で役に立つとなると、あまりいいことでは無いがな」
目を輝かせて喜ぶアビスの横で、イチルギがラデックの手を引いて顔を寄せる。
「いやいやラデック……本当に連れて行く気?」
「何か問題があるのか?」
「いやそういうんじゃないけど……言わば私達ってラルバのお遊びに付き合わされてるわけじゃない?そこに彼女の人生を巻き込むのはちょっと……」
「それを判断するのはラルバだ。アビスがラルバのお遊びに付き合うと言っている以上、俺達に判断を下す権限はない」
「いやそれはそうなんだけど……なんか申し訳ないじゃない?」
「俺はラルバに脅されて同行しているからな。その理屈はよく分からない」
「あー……そういえばそうだったわね……」
ラデックとイチルギが話をしていると、粗暴な足音と共にラルバが部屋の扉を開いた。
「たっだいまー皆の衆!あれ?アビス?」
上機嫌なラルバに、アビスが駆け足で近寄り手を握る。
「ラ、ラルバさん!ご迷惑を承知でお願いしますが、私も旅に同行させていただけませんか!?」
「え?やだ」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
当然のように拒否したラルバに、バリアとラプー以外の全員が目を丸くした。まさかこんなにもあっさりと却下されると思っていなかったアビスは、動揺を隠すそぶりもなくラルバに問いかける。
「な、何故……かっ必ず役に立ちますから……!」
「んー役に立つって言ってもなぁ……権力はイチルギがいるし戦力はバリアとラデックがいるし、知識はラプーとハピネスがいるしなぁ。そもそも足手纏いだから要らんと言っているんじゃあない」
「では何故……」
「いやあ、アビス。お前はいわゆる……“善人”だろう?ラデックから聞いたぞ。世界中の空腹で苦しむ人々を救う夢があるとか」
「それは、はい……」
「対する私は世界中の悪党を虐めたい――だ。世界平和じゃない。悪党を懲らしめに行けば苦しんでいる人々も沢山目にするだろうが、基本私はノータッチだ。そこでお前の我儘に付き合う気はないし、どっかで歯向かわれても困る」
「そんなっ命の恩人に歯向かうなど……!」
「いーや歯向かうねぇ!命の恩人だろうが恋人だろうが、悪と分かればそれを野放しにはして置けない説得したがる勧善したがる懲悪したがる目を覚ませだのなんだの言って自分の正義に染めたがる!それが善人だ――――!自分と違うってだけで思想を押し付けられちゃあ堪らないんだよこっちは」
「そんな……私は……」
「それにアビス。この国はどうする?イチルギが言ってたぞー“綱渡りしながら雨粒避け続けるような経営”だと。お前以外に担える奴がどこにいる?」
「もとよりこの国の運営から私は降りるつもりで……」
「見捨てるのか?この国を?未だどっかで明日の飯も買えず土壁煮て食う貧乏人は大勢いるだろう!自分の夢を叶えるならまずはこの国を救ってからじゃあないのか?」
余りにアビスに対して攻撃的な姿勢を見せるラルバに、イチルギが文句を言おうと立ち上がるがラデックが引き止める。
「期待させるような事を言った俺が悪かった。アビス。実際俺たちの旅は決して善行じゃないし、アビスの望むような旅路には決してならないだろう。しかし言い過ぎだラルバ。何をそんな邪険にしている」
ラルバが椅子にふんぞり返って座り、傾けユラユラとバランスを取る。
「邪険にもするさ。私は元より善人が好きじゃあない。期待とか尊敬とかの眼差しを向けられるのが嫌なんだよ」
「ラルバ」
「わーかってるよぉ!だから手も出してないし無視もしてないだろうがぁ!最低限の礼儀は取ってる!会話もしてるし追い出しもしない!ただついてくるなって言ってるだけだ!」
アビスは不機嫌なラルバから離れ、気まずそうに手を胸の前で組み合わせる。
「す、すみません……私」
「あー気にしないでアビス!ラルバは全体的に思想が子供だから!」
イチルギが慌ててフォローに入り、アビスを慰める。ラルバはムスッとしたまま、イチルギの冷ややかな目線を気にもせず帰りがけに買ってきたブロック肉を生のまま齧り出した。
「……子供って言うより猿ね」
「うーへーうーへー」
「ていうか善人がダメなら私も置いてってよ!自分で言うのもなんだけど私超善人でしょ!?」
「イチルギのことは喋るマスターキーだと思ってるから思想は気にしてない。存分に善人を気取るといい」
「コイツ……!!!」
ラデックは笑顔のまま拳に爪を食い込ませるイチルギの手を抑え、コーヒーに口をつけてから若干眉間に皺を寄せて目を瞑る。
「すまないが意見を変えさせて欲しい。アビス、貴方は俺達に着いてくるべきじゃない」
アビスは何も言わずに暫く立ち尽くしてから、申し訳なさそうに深々と頭を下げた。それに合わせてイチルギも同じく頭を下げる。
「ごめんなさいアビス……ホラ!アンタも謝るの!」
イチルギが肉を齧り続けるラルバの頭を押さえて、無理やり頭を下げさせる。
「なんでぇ!」
「なんでかは分かるでしょうがぁ!!」
「私悪くないもん!」
「うっさい!!」
大声で怒鳴り合う2人を見て、これから先の旅路を憂いて溜息を漏らすラデック。ふと隣を見ると、アビスが微笑みながら2人のやりとりを眺めていた。
「今でもアレについて行こうと思うか?」
「……ええ。なんというか、レインさんの話覚えてますか?」
「ああ。ゼルドームの祖先でヒトシズク・レストランの創始者」
「はい。レインさんもそうだったんですが、ラルバさんは少し似ているんだと思います」
「……それは――――主に、元気な所とかか?」
「ふふっ、まあ言ってしまえばそうなんですが…………2人とも、放って置けないんですよね」
「確かにラルバは放って置けない。尋常じゃない数の死人が出る」
「ふふっ、また近々会いに行きますよ。今がその時じゃないだけなんでしょうね。きっと」
不思議なアビスの物言いに、ラデックは首を傾げてからラルバを見る。イチルギと取っ組み合って罵声を飛ばす姿は、イチルギの言った通り子供そのものであった。
「離れてても力になれることはきっとある筈です。私はここから皆さんのお手伝いをさせて頂きます」
「……ああ。よろしく頼む」
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