白夜のからくりハウス

夕凪

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幻惑の花園

Unknown

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「兄ちゃん、大丈夫。うち、元気だから」
 いや、大丈夫なんかじゃない。さっき、熱を測るプログラムに手を当てさせてみたときには、四十度以上の数値が出ていた。いまだかつて出したことのない高熱だ。病院に連れて行く?そんなことができたのならとっくに連れて行っている。でも、こんな容態を残照街の薬師に任せることはできない。どうすれば…。
 わかっている。あるのに見ようとしなかった選択肢が存在すると。一か八かの運試しで、成功すれば妹は完治するかもしれない。でも、失敗したらと考えると、実行に移せはしなかった。
 しかし、このまま放っておけば、妹は必ず死ぬ。
「ソーニャ、選んでくれ。必ず死ぬか、少しでも生きられる確率のあるほうにかけるか。一か八かの可能性だから、上手く行かなかったらやばいけどな。どっちがいい?」
 ソーニャは弱々しく微笑んだ。
「そりゃもちろん、生きたいよ。兄ちゃん、なんとかしてくれるの?」
「まぁな。任せときなよ」
 嘘は得意だ。偽りの表情も、嘘で固めた言葉も。でも、この瞬間だけは、自分の全てを真実のもとにさらしたい。
 残っている気力を振り絞って、笑う。そして、仮想キーボードを呼び出した。

「起きなよ。君、寝覚め悪いね」
 呆れたような少女の顔と目があった。ソーニャは目をこすりながら上体を起こした。ずいぶん昔の夢を見ていた気がする。故郷で過ごした昔の夢を。まだ寝ぼけた頭で考える。
「ここ、どこだ?あんた、誰だっけ?」
「寝ぼけてるの?君が誘拐してきたんじゃないか」
 やっと記憶が戻る。そうか、とうとう〈ハウス〉に辿り着いて、少し過ごしたあとに、〈管理人〉の少女を誘拐してきて、ここに来たのだ。思い出してすっきりとした気分を覚えながら、ソーニャは辺りを見回した。
 昨日、ネズミだらけの水路を抜け、やっとのことで到着した〈地下第二階層〉。確か、アスターがそんな名前をつけていた。
 水路だらけの前の階層とは打って変わって、白い花たちが咲き乱れている。〈幻香草〉という名前なのだとアスターが教えてくれたっけ。唯一花が咲いていないのは、はしごの真下のここだけだ。
「思い出したら何か食べ物をくれよ。急に夜分にさらわれたもんでね、食べ物やら水やらはなんにも持ってないんだよ」
「まだ根に持ってるのか」
 ソーニャは皮肉っぽいアスターの口調に辟易しながら、仮想ポケットを呼び出した。途端に、アスターの態度が豹変する。
「すごい!これ、何でも入れられるの?どこかの猫型ロボットみたいじゃないか」
「オレをどこかの猫型ロボットと同列に語らないでくれ」
 仮想ポケットの中から水と食べ物を取り出す。あと少しというところか。底が見えてきた食料事情を憂いながら、ソーニャは仮想ポケットを閉じて、水の入った革袋と携帯食料をアスターに投げた。
「どうぞ、お姫様。水と携帯食料ですよ」
「うむ、ごくろう」
 アスターが満足げに頷いた。そして、もさもさと携帯食料を頬張り始めた。それにしても、おいしそうに食べる。ソーニャは少し呆れた。〈影の商人〉たちと旅をしていたとき、隊商のリーダーが食べたそうにしていたので勧めてみたことがあるが、決しておいしいという表情はしていなかった。
「おかわりはないのかい?」
「残念ながら」
 食事を終えて、ソーニャはアスターと歩き出した。迷路のような前の階層とは違い、見晴らしの良いこの階層では迷わない。ただひたすら、〈ハウス〉の真ん中に向かって歩き続ければ良い話だ。
「そういえば、今〈祝祭〉の準備してるのかな…」
 アスターが懐かしげに上を見た。そういえば、この花〈幻香草〉は、〈祝祭〉という祭りに使われると言っていた。ソーニャはアスターの案内で〈ハウス〉を回ったときのことを想起した。
 不思議だった。まず疑問に思ったことは、貧民層がいないことだった。路上に物乞いがいないのにも違和感を覚えた。人々が皆豊かに暮らしているのが当たり前ということ自体が、すごいと思えた。
 だからこそ、そんな暮らしから出ていきたいというアスターの気持ちがわからなかった。それは、生半可なものではなく、覚悟を伴ったもののようで、さらにわからなくなった。
 人を観察する目には自信がある。しかし、未だに自分の前を歩いている少女の心はわからない。そのことに思わずため息をつきそうになったのを、慌ててこらえた。
「〈祝祭〉までに帰れるように頑張ろ」
 アスターがつぶやいた。呑気なものだ。
 そんなことを思った瞬間、急に妙な気配を感じて、ソーニャは周りを素早く見回した。ナイフを懐から取り出す。
「急にどうしたの?」
 アスターが不思議そうにたずねてきた。鬱陶しい。ソーニャは気配を探った。いつも通り、何かに見張られているという、微かな違和感しか感じない。いや、違う。大気の匂いが微妙に変化している。
「息を吸うな!」
 アスターに呼びかけた刹那、異変は起きた。意識が朦朧として、視界に霧がかかってくる。息を吸うのを止めても、もう遅かったようだ。
 抗わなければ。しかし、強く暴れても、眠りの海に沈んでいくのを止めることはできなかった。
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