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紺碧の幻想
Deep sea
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沈んでいく。夢を見ているようだ。苦しさは感じなかった。そうだ、リリーになけなしの酸素パックを背負わせてもらったからだ。ぼくを救おうとしてくれた彼女の行動を、どうせ無駄だと考えてしまう自分が嫌になる。
申し訳なさと無力感、淡い悲しみが入り混じった感情を覚えながら、ゆっくりと落ちていく。
ぼんやりとした意識が戻ってきた。ゆっくりと、周りの景色を眺める。
家だ。鍋に火がかけられている。おいしそうな匂いもする。壁にはほうきも立てかけられている。思わず笑いが漏れた。死後の世界って、こんなに生活感溢れた場所なのか。
自分の寝ていたベッドから起き上がる。死後の世界なのか、まだ夢の中なのかはわからないが、どちらにしろ探検してみたい。どんな場所なのか、誰かいるのか。
「あ、目が覚めたのか」
急に誰かが脇の扉からドタドタと入ってきた。見た感じでは少女のようだ。蒼い髪をしている。
「君は?ここはどこなの?ぼくって死んだ?」
知りたいことを全てぶつける。少女は呆れたように首を振った。
「お主、筋金入りの馬鹿じゃのう。自分が生きているということくらい、わからないのか」
生きている?そんなはずはない。ぼくは、溺死したはずだ。もしくは海洋生物に食われて死んだか。どちらでも良い。とにかく、まだ生きているということが衝撃だった。
「わらわはアンクル。お主の名は?」
「…シスリオ。君が、助けてくれたの?」
ゆっくりと、答える。まだ、生存しているという事実が信じられなかった。
「そうだ。感謝せい」
アンクルと名乗った少女が満面の笑みを浮かべて答える。もう一つ、知りたいことをたずねる。
「ここはどこなんだい?落ちたところまでは覚えているんだけど…」
「トリトン機構の研究所」
間髪を入れずにアンクルが答える。ぼくはその言葉を口の中で転がした。古代の神話の神の名前だ。確か、深海を司る神だったような気がする。しかし、それ以上は今の頭ではわからない。そんな様子を見かねたのか、アンクルはつけたした。
「つまりは海底じゃな」
「え?でも、水圧は?空気は?」
驚いて辺りを見回す。どれも、ここが深海だということを示すようには見えない。
「海底の温度差で発電する機械が表にあるぞ。その電気をあれやこれやして、酸素を産み出している。それで、泡みたいにこの施設を覆っているんじゃ」
アンクルが肩をすくめる。ぼくは驚きのあまり立ち尽くしてしまった。こんな場所があったなんて、どの書物も、ときどき訪れる〈影の商人〉たちも教えてくれなかったからだ。誰が、何のためにこんな施設を作ったのだろうか。
「疑問がいっぱいのようじゃの。とりあえず、何か食べるか?」
アンクルの言葉に、ぼくは迷わずうなずいた。空腹に突然気がついたからだ。腹が減っては戦はできぬと、どこかの本に書いてあった。まずは何か食べさせてもらおう。
アンクルに連れられて、部屋の前方にある椅子が一つだけしかないテーブルに向かう。ふと、疑問が湧いた。こんなにすごい施設をアンクル一人だけで作ったのだろうか。
「ここにいるのは、君一人だけなの?」
アンクルは少し寂しげな笑いで答えた。
「椅子を持ってくる」
そう言って、部屋を出ていってしまった。
悪いことを聞いてしまっただろうか。ぼくは自分の迂闊さが恥ずかしくなった。せめて、何か手伝って埋め合わせをしよう。ぼくはかごから食器を取り出してテーブルの上に並べた。
ふいに、動くものの気配がしてぼくは振り返った。白い猫だ。オッドアイの瞳が輝いている。しゃがんで、撫でてみた。可愛い。華奢な体つきをしているから、おそらくは雌猫だろう。
「お前、何やってんだよ」
ガラの悪い声に、ぼくは反射的に辺りを見回した。誰もいないのに、誰の声だ?
いや、違う。声の持ち主は、この猫だ。
「アンクル、機構の人たちとは仲が良かったんだぞ。今も毎日墓参りしてるくらいだからな」
「そうなんだ。ごめんなさい」
ぼくは反省した。悲しい記憶を呼び覚ましてしまったのならば、悪かった。あとで謝ろう。
「ところで、君は?猫のように見えるけれど」
「今さらかよ。おれはデルフィ。お前と同じように落ちてきたところを、アンクルに助けてもらった」
そっけなくデルフィが答える。どこから落ちてきたのか聞きたかったけれど、さらに墓穴を掘ってしまいそうな気がして、止めた。
「椅子、持ってきたぞ。デルフィとは仲良くなったようじゃの」
教室にあるような四角い椅子をかかえながら、アンクルが戻ってきた。こちらを一瞥してから、テーブルのほうにそれを置き、台所らしき場所へ向かう。
「こんな絶滅危惧種並みの天然と仲良くしなきゃいけないのか?おれ、やだよ」
デルフィが鼻を鳴らす。天然って何だ?ぼくは頭を悩ませた。天然ブリとかは聞いたことがあるけれど、そういう意味ではなさそう。とりあえず、良い意味で使われてはいなさそうだ。
「我慢せい。お主の暇つぶし程度にはなるじゃろ?」
アンクルがデルフィに向かってさとした。そうか、ぼくは猫の暇つぶし程度の存在だったのか。急に自分の存在が矮小に思えてきた。
「さぁ、食べるぞ」
その言葉に、ぼくもデルフィもテーブルに近づいた。見ると、野菜たっぷりのスープに、魚のマリネ、薄焼きパン、白い果実のようなものがずらりと並んでいる。野菜や果物もどこかで栽培しているのだろうか。そんなことを思いながら、食卓についた。
「いただきます」
ぼくは目の前に置かれた皿に、いろいろ取った。まずマリネから、口に入れてみる。柔らかい。レモンのような味と、魚の風味があっている。しばらく何も食べていなかっただけに、それはとてもおいしかった。
空腹がある程度満たされてくると、水も欲しくなった。海の中だというのにおかしな話だ。ぼくは、テーブルの上に置かれた水差しから、コップに水を注いだ。勢いよく飲み干す。甘露という言葉の意味が実感できた瞬間だった。
空腹と喉の渇きが癒されてくると、考える余裕が生まれてきた。アンクルはトリトン機構の仲間?そもそもトリトン機構って何だ?なぜ誰もいない?
最後の問いには答えられた。さっきデルフィが「墓参り」と言っていたからだ。つまり、もうこの世にはいない。
ぼくはふと、これまでのアンクルの心境が気になった。デルフィがいるとはいえ、長い時間を海底の研究所で暮らしていくのは、どういう気持ちだったのだろうか。ぼくだったら、耐えられない。自分と他人の気持ちを同列に考えるのは、相手にとって失礼なことかもしれないけれど。
決めた。ぼくは、アンクルの黒みがかった蒼の瞳を見据えた。
「出会ったばかりですまないけれど、ここのことをもっと教えてくれないかい?それから、君のことも」
申し訳なさと無力感、淡い悲しみが入り混じった感情を覚えながら、ゆっくりと落ちていく。
ぼんやりとした意識が戻ってきた。ゆっくりと、周りの景色を眺める。
家だ。鍋に火がかけられている。おいしそうな匂いもする。壁にはほうきも立てかけられている。思わず笑いが漏れた。死後の世界って、こんなに生活感溢れた場所なのか。
自分の寝ていたベッドから起き上がる。死後の世界なのか、まだ夢の中なのかはわからないが、どちらにしろ探検してみたい。どんな場所なのか、誰かいるのか。
「あ、目が覚めたのか」
急に誰かが脇の扉からドタドタと入ってきた。見た感じでは少女のようだ。蒼い髪をしている。
「君は?ここはどこなの?ぼくって死んだ?」
知りたいことを全てぶつける。少女は呆れたように首を振った。
「お主、筋金入りの馬鹿じゃのう。自分が生きているということくらい、わからないのか」
生きている?そんなはずはない。ぼくは、溺死したはずだ。もしくは海洋生物に食われて死んだか。どちらでも良い。とにかく、まだ生きているということが衝撃だった。
「わらわはアンクル。お主の名は?」
「…シスリオ。君が、助けてくれたの?」
ゆっくりと、答える。まだ、生存しているという事実が信じられなかった。
「そうだ。感謝せい」
アンクルと名乗った少女が満面の笑みを浮かべて答える。もう一つ、知りたいことをたずねる。
「ここはどこなんだい?落ちたところまでは覚えているんだけど…」
「トリトン機構の研究所」
間髪を入れずにアンクルが答える。ぼくはその言葉を口の中で転がした。古代の神話の神の名前だ。確か、深海を司る神だったような気がする。しかし、それ以上は今の頭ではわからない。そんな様子を見かねたのか、アンクルはつけたした。
「つまりは海底じゃな」
「え?でも、水圧は?空気は?」
驚いて辺りを見回す。どれも、ここが深海だということを示すようには見えない。
「海底の温度差で発電する機械が表にあるぞ。その電気をあれやこれやして、酸素を産み出している。それで、泡みたいにこの施設を覆っているんじゃ」
アンクルが肩をすくめる。ぼくは驚きのあまり立ち尽くしてしまった。こんな場所があったなんて、どの書物も、ときどき訪れる〈影の商人〉たちも教えてくれなかったからだ。誰が、何のためにこんな施設を作ったのだろうか。
「疑問がいっぱいのようじゃの。とりあえず、何か食べるか?」
アンクルの言葉に、ぼくは迷わずうなずいた。空腹に突然気がついたからだ。腹が減っては戦はできぬと、どこかの本に書いてあった。まずは何か食べさせてもらおう。
アンクルに連れられて、部屋の前方にある椅子が一つだけしかないテーブルに向かう。ふと、疑問が湧いた。こんなにすごい施設をアンクル一人だけで作ったのだろうか。
「ここにいるのは、君一人だけなの?」
アンクルは少し寂しげな笑いで答えた。
「椅子を持ってくる」
そう言って、部屋を出ていってしまった。
悪いことを聞いてしまっただろうか。ぼくは自分の迂闊さが恥ずかしくなった。せめて、何か手伝って埋め合わせをしよう。ぼくはかごから食器を取り出してテーブルの上に並べた。
ふいに、動くものの気配がしてぼくは振り返った。白い猫だ。オッドアイの瞳が輝いている。しゃがんで、撫でてみた。可愛い。華奢な体つきをしているから、おそらくは雌猫だろう。
「お前、何やってんだよ」
ガラの悪い声に、ぼくは反射的に辺りを見回した。誰もいないのに、誰の声だ?
いや、違う。声の持ち主は、この猫だ。
「アンクル、機構の人たちとは仲が良かったんだぞ。今も毎日墓参りしてるくらいだからな」
「そうなんだ。ごめんなさい」
ぼくは反省した。悲しい記憶を呼び覚ましてしまったのならば、悪かった。あとで謝ろう。
「ところで、君は?猫のように見えるけれど」
「今さらかよ。おれはデルフィ。お前と同じように落ちてきたところを、アンクルに助けてもらった」
そっけなくデルフィが答える。どこから落ちてきたのか聞きたかったけれど、さらに墓穴を掘ってしまいそうな気がして、止めた。
「椅子、持ってきたぞ。デルフィとは仲良くなったようじゃの」
教室にあるような四角い椅子をかかえながら、アンクルが戻ってきた。こちらを一瞥してから、テーブルのほうにそれを置き、台所らしき場所へ向かう。
「こんな絶滅危惧種並みの天然と仲良くしなきゃいけないのか?おれ、やだよ」
デルフィが鼻を鳴らす。天然って何だ?ぼくは頭を悩ませた。天然ブリとかは聞いたことがあるけれど、そういう意味ではなさそう。とりあえず、良い意味で使われてはいなさそうだ。
「我慢せい。お主の暇つぶし程度にはなるじゃろ?」
アンクルがデルフィに向かってさとした。そうか、ぼくは猫の暇つぶし程度の存在だったのか。急に自分の存在が矮小に思えてきた。
「さぁ、食べるぞ」
その言葉に、ぼくもデルフィもテーブルに近づいた。見ると、野菜たっぷりのスープに、魚のマリネ、薄焼きパン、白い果実のようなものがずらりと並んでいる。野菜や果物もどこかで栽培しているのだろうか。そんなことを思いながら、食卓についた。
「いただきます」
ぼくは目の前に置かれた皿に、いろいろ取った。まずマリネから、口に入れてみる。柔らかい。レモンのような味と、魚の風味があっている。しばらく何も食べていなかっただけに、それはとてもおいしかった。
空腹がある程度満たされてくると、水も欲しくなった。海の中だというのにおかしな話だ。ぼくは、テーブルの上に置かれた水差しから、コップに水を注いだ。勢いよく飲み干す。甘露という言葉の意味が実感できた瞬間だった。
空腹と喉の渇きが癒されてくると、考える余裕が生まれてきた。アンクルはトリトン機構の仲間?そもそもトリトン機構って何だ?なぜ誰もいない?
最後の問いには答えられた。さっきデルフィが「墓参り」と言っていたからだ。つまり、もうこの世にはいない。
ぼくはふと、これまでのアンクルの心境が気になった。デルフィがいるとはいえ、長い時間を海底の研究所で暮らしていくのは、どういう気持ちだったのだろうか。ぼくだったら、耐えられない。自分と他人の気持ちを同列に考えるのは、相手にとって失礼なことかもしれないけれど。
決めた。ぼくは、アンクルの黒みがかった蒼の瞳を見据えた。
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