64 / 102
第四章 悪意は忍び寄る
63.隠される涙
しおりを挟む
カーン カーン
鉄を打ち付けたような音がする。
それを耳に、リレイヌはそっと落ちかけていた瞼を押し上げた。
随分と、そう、随分と酷い目にあった気がする。
殴られ蹴られ、それだけでは飽き足らずにあれらは悪意を持ってリレイヌの体を傷つけた。
それはひとえに彼女の反応を楽しむためであったのだが、リレイヌは頑なに涙を流さず叫ぶこともしなかった。
ただ、そう、ただ彼女は耐えたのだ。
それはきっと、自分に関心を寄せるため。震える瞳で「やめろ」を叫ぶ友を守ろうとしたためのことだろう。
爪の剥げた手を縛られた状態で、リレイヌはとぼとぼと道を歩く。その足に靴はなく、素足のそれも傷だらけでボロボロだ。
「ほぉら、リレイヌちゃん。アナタの素敵な処刑台よ」
リレイヌの前を歩いていた兄者が、仰々しくも片手を広げそう告げた。その手の先を見れば、見えるのは暗がりの中に存在するひとつの台座。そこに突き刺さるように建てられた木製の十字架。
「……」
リレイヌは震える手をバレぬように下にさげた。
そして、己の名を呼ぶ友人を振り返り、悟られぬようにニコリと笑って前に進む。
風が吹いた。長い黒髪が揺れ動く。
台座の上へのぼり、十字架に縛られたリレイヌ。抗うことも何もしない彼女に、リオルが絶望に顔を染めてその名を叫ぶ。
「悪しき黒龍よ。最期に言い残すことはあるか?」
男が言う。静かな声で。
顔半分に火傷のあとが見受けられるその男を目前、後ろ手を縛られた彼女は、ある一方向に目を向けると口を開いた。しかし、すぐに閉ざしたそれをそのままに、へらりと悲しげに笑ってみせる。
「ごめんね」
巻き込んでごめんなさい。そう告げる彼女。男はそれを鼻で笑うと、「今更謝罪か」と、そう吐き捨て火を持った。
「さあ、この世界から消えろ、忌み子よ」
火が付けられる。十字架に縛られる彼女の足下から、すぐに炎は上がっていく。
人々が息を飲んで、炎に包まれていく彼女を見守る。
恐怖も何もかも押し殺し、ただ焼かれるのを待つ彼女。
誰もがそう、その光景に釘付けになる中、その『少年』は駆け出し、叫んだ。
「リレイヌ──ッ!!」
「!」
ハッと顔を上げた彼女が、その瞳に涙をうかべた。怖いという感情が弾けるように膨らみ、彼女の中で巨大化する。
「た……」
涙が頬を伝う。
「たすけて……」
揺らめく炎の中、少女は懇願するように叫ぶ。
「たすけて──リック!!」
瞬間、膨張するように膨れ上がった炎。
共に、それを飲み込むように渦巻いた、どこからとも無く出現した水流。
空を舐めるように蠢く炎が巨大な水流に包まれ鎮火した時、彼──リックは台座の上に駆け上り、軽く焼けてしまった彼女を魔導の力を用いて解放し、抱きしめていた。
一瞬の出来事に目を見張るウィリアムが、「なぜ……」と戸惑いの言葉を口にする。
「なぜ、なぜだ……なぜその禁忌を庇う……それは、それはやがて災いを……っ!!」
「……婚約者だからだ」
「……は?」
腕の中で戸惑い瞳を揺らすリレイヌを抱きしめたまま、リックは振り返る。ふたつの金色が、覚悟を持って狼狽えるウィリアムを見つめた。
「彼女はリピト家現当主、リック・A・リピトの婚約者だ」
「なに、を……そんな、そんな馬鹿な話があるかッ! 神族を良しとしないリピト家がよりによってなぜ禁忌とッ!!」
「──リピト家の古い伝説に、こんなものが存在する。『昔、禁忌を鎮めるため、それと定められた生き物と契りを交わし、婚姻を結び、リピト家は己を犠牲として禁忌を抑え込んだ。そうして世界を災いより救った』、と……」
「そ、そんな伝説でっち上げだッ!! 有り得るわけが無い!! リピト家は、リピト家が、そんなッ!! そそそ、そもそも、なぜそんなことで禁忌を抑え込むことができるッ!! 禁忌は罪深いモノでッ!! それでッ!!」
「──禁忌も生き物。それってつまり、そういう事じゃないかしら?」
「!」
驚くウィリアムを前、パチン、と音を立ててシアナが現れた。傍にウンディーネを連れた彼女は、ちらりと背後の娘たちを振り返ると、すぐに顔の位置を戻し穏やかに笑う。
街は唐突なる神の登場に沸き立った。「シアナ様だ!」「お美しい!」と聞こえる声ににっこりと笑んだシアナは、青ざめるウィリアムを尻目、仰々しくも腕を広げて街人たちに語りかける。
「街の者よ。よくお聞きなさい。この愚かなる人は我が血族に手を出した。それはつまり、ヒトが我々神族に牙を剥いたということ。それはつまり、我々への反逆行為と見なされてもおかしくないということ」
ざわり
空気が揺れる。戸惑い、恐れ、怯える者らを眼下、シアナはうっそりと微笑みこう言った。
「我らと戦うか、それとも我らと友好的な関係を築くか。──行動で示してみせよ」
わっ!、と叫んだ誰かを皮切りに、逃げようとしたウィリアムを街人が押さえ込んだ。そうして急ぎ捕えられるそれを冷たく見つめ、リックはハッとして腕の中の少女に目を向ける。
「リレイヌ! 怪我は──って、傷だらけじゃないか!」
「え」
「え、じゃない! すぐに手当をしないと! 魔法……そうだ! 回復魔法とか使える医者を今すぐ呼んで!!」
「……」
リレイヌはそっと、慌てるリックの手を掴んだ。それによりギョッとする彼の胸元にトン、と額を当てた彼女は、そのまま身動きしなくなる。
リックは戸惑いながら、そっとリレイヌの背に空いた手を回した。そうして彼女を抱きしめた時、彼は知る。その体が小さく震えていることを。
「……泣きな」
握られた手を軽く握り返し、リックは言う。
「今は、誰も見てないから……」
その声を耳に、一粒の涙を流したリレイヌ。それを皮切りに泣く彼女は、そのまま小さく、「ありがとう」を口にした。
鉄を打ち付けたような音がする。
それを耳に、リレイヌはそっと落ちかけていた瞼を押し上げた。
随分と、そう、随分と酷い目にあった気がする。
殴られ蹴られ、それだけでは飽き足らずにあれらは悪意を持ってリレイヌの体を傷つけた。
それはひとえに彼女の反応を楽しむためであったのだが、リレイヌは頑なに涙を流さず叫ぶこともしなかった。
ただ、そう、ただ彼女は耐えたのだ。
それはきっと、自分に関心を寄せるため。震える瞳で「やめろ」を叫ぶ友を守ろうとしたためのことだろう。
爪の剥げた手を縛られた状態で、リレイヌはとぼとぼと道を歩く。その足に靴はなく、素足のそれも傷だらけでボロボロだ。
「ほぉら、リレイヌちゃん。アナタの素敵な処刑台よ」
リレイヌの前を歩いていた兄者が、仰々しくも片手を広げそう告げた。その手の先を見れば、見えるのは暗がりの中に存在するひとつの台座。そこに突き刺さるように建てられた木製の十字架。
「……」
リレイヌは震える手をバレぬように下にさげた。
そして、己の名を呼ぶ友人を振り返り、悟られぬようにニコリと笑って前に進む。
風が吹いた。長い黒髪が揺れ動く。
台座の上へのぼり、十字架に縛られたリレイヌ。抗うことも何もしない彼女に、リオルが絶望に顔を染めてその名を叫ぶ。
「悪しき黒龍よ。最期に言い残すことはあるか?」
男が言う。静かな声で。
顔半分に火傷のあとが見受けられるその男を目前、後ろ手を縛られた彼女は、ある一方向に目を向けると口を開いた。しかし、すぐに閉ざしたそれをそのままに、へらりと悲しげに笑ってみせる。
「ごめんね」
巻き込んでごめんなさい。そう告げる彼女。男はそれを鼻で笑うと、「今更謝罪か」と、そう吐き捨て火を持った。
「さあ、この世界から消えろ、忌み子よ」
火が付けられる。十字架に縛られる彼女の足下から、すぐに炎は上がっていく。
人々が息を飲んで、炎に包まれていく彼女を見守る。
恐怖も何もかも押し殺し、ただ焼かれるのを待つ彼女。
誰もがそう、その光景に釘付けになる中、その『少年』は駆け出し、叫んだ。
「リレイヌ──ッ!!」
「!」
ハッと顔を上げた彼女が、その瞳に涙をうかべた。怖いという感情が弾けるように膨らみ、彼女の中で巨大化する。
「た……」
涙が頬を伝う。
「たすけて……」
揺らめく炎の中、少女は懇願するように叫ぶ。
「たすけて──リック!!」
瞬間、膨張するように膨れ上がった炎。
共に、それを飲み込むように渦巻いた、どこからとも無く出現した水流。
空を舐めるように蠢く炎が巨大な水流に包まれ鎮火した時、彼──リックは台座の上に駆け上り、軽く焼けてしまった彼女を魔導の力を用いて解放し、抱きしめていた。
一瞬の出来事に目を見張るウィリアムが、「なぜ……」と戸惑いの言葉を口にする。
「なぜ、なぜだ……なぜその禁忌を庇う……それは、それはやがて災いを……っ!!」
「……婚約者だからだ」
「……は?」
腕の中で戸惑い瞳を揺らすリレイヌを抱きしめたまま、リックは振り返る。ふたつの金色が、覚悟を持って狼狽えるウィリアムを見つめた。
「彼女はリピト家現当主、リック・A・リピトの婚約者だ」
「なに、を……そんな、そんな馬鹿な話があるかッ! 神族を良しとしないリピト家がよりによってなぜ禁忌とッ!!」
「──リピト家の古い伝説に、こんなものが存在する。『昔、禁忌を鎮めるため、それと定められた生き物と契りを交わし、婚姻を結び、リピト家は己を犠牲として禁忌を抑え込んだ。そうして世界を災いより救った』、と……」
「そ、そんな伝説でっち上げだッ!! 有り得るわけが無い!! リピト家は、リピト家が、そんなッ!! そそそ、そもそも、なぜそんなことで禁忌を抑え込むことができるッ!! 禁忌は罪深いモノでッ!! それでッ!!」
「──禁忌も生き物。それってつまり、そういう事じゃないかしら?」
「!」
驚くウィリアムを前、パチン、と音を立ててシアナが現れた。傍にウンディーネを連れた彼女は、ちらりと背後の娘たちを振り返ると、すぐに顔の位置を戻し穏やかに笑う。
街は唐突なる神の登場に沸き立った。「シアナ様だ!」「お美しい!」と聞こえる声ににっこりと笑んだシアナは、青ざめるウィリアムを尻目、仰々しくも腕を広げて街人たちに語りかける。
「街の者よ。よくお聞きなさい。この愚かなる人は我が血族に手を出した。それはつまり、ヒトが我々神族に牙を剥いたということ。それはつまり、我々への反逆行為と見なされてもおかしくないということ」
ざわり
空気が揺れる。戸惑い、恐れ、怯える者らを眼下、シアナはうっそりと微笑みこう言った。
「我らと戦うか、それとも我らと友好的な関係を築くか。──行動で示してみせよ」
わっ!、と叫んだ誰かを皮切りに、逃げようとしたウィリアムを街人が押さえ込んだ。そうして急ぎ捕えられるそれを冷たく見つめ、リックはハッとして腕の中の少女に目を向ける。
「リレイヌ! 怪我は──って、傷だらけじゃないか!」
「え」
「え、じゃない! すぐに手当をしないと! 魔法……そうだ! 回復魔法とか使える医者を今すぐ呼んで!!」
「……」
リレイヌはそっと、慌てるリックの手を掴んだ。それによりギョッとする彼の胸元にトン、と額を当てた彼女は、そのまま身動きしなくなる。
リックは戸惑いながら、そっとリレイヌの背に空いた手を回した。そうして彼女を抱きしめた時、彼は知る。その体が小さく震えていることを。
「……泣きな」
握られた手を軽く握り返し、リックは言う。
「今は、誰も見てないから……」
その声を耳に、一粒の涙を流したリレイヌ。それを皮切りに泣く彼女は、そのまま小さく、「ありがとう」を口にした。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
幼なじみと再会したあなたは、私を忘れてしまった。
クロユキ
恋愛
街の学校に通うルナは同じ同級生のルシアンと交際をしていた。同じクラスでもあり席も隣だったのもあってルシアンから交際を申し込まれた。
そんなある日クラスに転校生が入って来た。
幼い頃一緒に遊んだルシアンを知っている女子だった…その日からルナとルシアンの距離が離れ始めた。
誤字脱字がありますが、読んでもらえたら嬉しいです。
更新不定期です。
よろしくお願いします。
俺の伯爵家大掃除
satomi
ファンタジー
伯爵夫人が亡くなり、後妻が連れ子を連れて伯爵家に来た。俺、コーは連れ子も可愛い弟として受け入れていた。しかし、伯爵が亡くなると後妻が大きい顔をするようになった。さらに俺も虐げられるようになったし、可愛がっていた連れ子すら大きな顔をするようになった。
弟は本当に俺と血がつながっているのだろうか?など、学園で同学年にいらっしゃる殿下に相談してみると…
というお話です。
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる