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第一話 少年は青年となる
しおりを挟む──ゴインッ。
妙な音が周囲に響いた。うっすらと青みがかった部屋の中、よく見れば壁際に設置されたベッドの下に、落ちている人影が確認できる。恐らく、ベッド上から落下してしまったのだろう。
痛そうに打った後頭部を抑える彼は、嫌みなくらいに眩しい朝日を一瞥。不機嫌そうに目を細めた。癖のついた赤茶の髪をガシガシと掻く姿は、胸の内に膨らむ苛立ちを、存分に表してくれている。
「……いやな寝覚めだ」
ぼそりと吐き捨て、立ち上がる。
そうして衣装ダンスへと近づき、彼はその扉をゆっくりと引いた。
──赤茶の髪に、黄色く染まる、猫のような目が特徴的な青年だった。
身長は165センチ程で、日本男子の平均身長よりは少し低め。顔立ちもどこか幼さの残る、言ってしまえば童顔である。
だが、纏う雰囲気は恐ろしい程に張り詰めており、ここだけは幼いとは言い難い。到底、この見目麗しい、といっても過言ではない青年が纏っているとは、思えないものだ。
睡眠用の、ゆったりとした寝衣から、仕事用の衣服に着替えた青年。
漏れそうになる欠伸を口内で噛み殺すと、彼はそのまま室内に設置された洗面所へ。眠気を覚まそうと蛇口を捻り、ひんやりとした水で顔を洗う。
「クスクス」
「クスクス」
どこからともなく聞こえる声は、契約済みの精霊が契約者を驚かせようと企み行った、可愛らしいイタズラによるものだろう。
一見不気味とも言える他者の声に、特に反応を示すこともなく、彼は濡れた顔をタオルで拭った。ついでに軽く身だしなみを整え、黒いヘアバンドを装着すれば、身仕度は完了だ。皮の手袋を両手にはめながら、さっさと出入口へ向かう。
──キィッ、バタンッ。
無言のまま、己の部屋を後にする彼に、残された声は「今日も失敗!」と残念そうに騒いでいた。
※※※※※※※※※
彼の一日は、朝食の毒味をするところから始まる。
白と青のコントラストが美しい屋敷の中を進み、調理場と書かれた部屋の中へと足を踏み入れる。そうして入り込んだそこには、コック帽を被った、子供程度の大きさの黄色いネズミがおり、ネズミはせかせかと調理台に向かって手を動かしていた。青年はネズミの傍に寄り、「おはようございます」と一言。声をかける。
「あ、イーズ様! おはようございます!」
ネズミが青の瞳を輝かせ、糸のような尾を揺らした。そして手にしたフライパンの中身を、青年に見えるように持ち上げて見せる。
「今日は主様のお好きな和食にしてみました! 見てくださいこの美味しそうな鮭を! これはレヴェイユ料理長のオルウェル様からいただいたもので──」
「いつもの味見をしたいのですが構いませんか?」
ネズミの嬉々とする声を妨げ、一言。問うた青年に、ネズミは「もちろんです!」とにっこり笑って背後の台の上でスクワット大会を繰り広げている皿たちを捕まえる。そして、その皿に少しだけ作りかけの料理を盛り、どうぞと青年に笑いかけた。
「……失礼します」
小さく頭を下げ、青年は食事を掬う。そして、優麗たる動きで匙を口内へと持っていった。
「……」
「……」
「……」
「……どうでしょう?」
小さな両の手を擦り合わせ、ネズミは告げた。それに対する青年の答えは、「はい」という短い一言だ。
「……イーズ様。前から言っていますが『はい』では感想が分かりかね──」
「美味しいですよ。いつものように。さすがはコック。腕は確かですね」
無表情で褒め言葉を連ね、青年はそのまま調理場を後にした。後ろから「うふふ~!」と声が聞こえるのでネズミの機嫌はとれたと思われる。これで毒を盛るような真似はしないだろう。恐らくだが。
天井から垂れ下がるシャンデリアを一瞥し、磨き抜かれた大理石の床を踏みしめ歩く。そうして最愛たる主人の部屋へと赴けば、そこには既に使用人の姿が確認できた。
紺色のメイド服を纏うそれは、女性だ。垂れないよう編み込み括られた、長い緑色の髪と、髪と同じ色の瞳が特徴的なその女性は、青年を見てゆるりと頭を下げる。
「おはようございます、イーズ様」
淡々としたそれからは、感情というものを感じない。
機械的な挨拶。当たり前の行動。
されどそれを気にしていないのか、女性は下げた頭を上げ、パチリと一度目を瞬いた。
「主様のご様子を伺いにいらしたのですか?」
「それと朝の挨拶に」
「そうですか。毎日毎日ご苦労様です」
女性はそう言うと、手にした衣服(恐らく主様の寝衣だろう)を手に歩き去っていった。相変わらず掴めない奴だと思いつつ、青年は目の前にある扉をノック。返事が聞こえたことに安堵を覚えながら、ノブを回す。
「失礼します」
短く告げ、顔を上げる。そうして、広い部屋にどんと置かれた天蓋付きのベッド──その上を見て、自然と頬をほころばせる。
ベッドの上には、黒く艶やかな髪をもつ少女が存在していた。ガラス玉のように透き通った瞳を軽く伏せ、白い手に分厚い書物を持つ彼女こそ、この屋敷の主人──主様ことリレイヌ・セラフィーユだ。
彼女は龍神という、世界を創造する神として産まれ、育ち、今はこうして広い屋敷に閉じ籠り生活している。そのため、彼女の従者である青年は度々、彼女がきちんと部屋にいるかを確認するためにこうして部屋を訪れていた。これはもはや日課である。彼女という存在に魅了された一人の人間として、彼女の存在を日々目に焼き付けたいのだ。
「おはようございます、主様。お加減はいかほどに?」
「いつもと大差ないよ。強いて言うならそろそろ腹が減ったかな。朝食はまだかい?」
「まもなく出来上がるかと」
「そうか。楽しみだ」
その美しい見た目と相反して、大人のような喋り方をする少女は、手にした本を膝上へ。本から目を離さぬまま、ちょいちょいと青年を手招いた。
「? どうされたのですか?」
不思議に思いながら近づいた青年に、少女は顔を上げて手を伸ばす。そして、青年の纏う衣服を引っ張り、半強制的に屈ませた。
「っ!?」
「夢見が悪かったのかい? 顔色が少し悪いぞ」
驚く青年を意にかえさず。少女は青年の獣のような瞳を覗き込むと、それだけ告げて手を離した。青年は中途半端な体制のまま、ベッドに手をつき、目を白黒させる。
「え、あの……」
「働きすぎの影響かもしれんな。薬をやろう。今晩はそれを飲んで寝るといい」
「……」
青年は顔を押さえる。
なぜこの人にはこうも見透かされるのか。
理由はわかっていながら、なにも言えなかった。
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