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第一章
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しおりを挟むそこは緑生い茂る、自然豊かな小さな箱庭。レンガをはめ込み作られた、ゆるやかに流れる小川のように滑らかに曲がりくねった道をスキップ混じりに進みながら、少女は隣を歩く男性を見上げ、無邪気に笑う。
男性の顔は見えない。モヤがかかったように彼の顔は隠れている。いつものことだ。少女の世界にはいつもこうやって、見たいものを見せないように邪魔をする何かがいる。付きまとっている。
「あのね、私ね、おっきくなったらすっごく強くなるんだ! そしたらね、このお病気ともお別れするの!」
少女のこれはどうやら病気らしい。親に連れられ向かった病院にて、彼女はそう診断を受けたのだ。
実に特殊で奇異なる病気。世はこれを、奇病と呼んでいる。
「うん、そうだね」
「お医者さまがね、言ってたの! 私が強くなれば自然と体も強くなる! そしたらお病気吹っ飛ぶんだって! 珍しいお病気でも関係ないんだって!」
「うん、そうだね」
無邪気に語る少女に返事を返しながら、男は歩く。歩き続ける。ただひたすらに。
そんな彼の隣を、少女は置いていかれまいと必死について行く。短い足を懸命に動かして。
「あのね、お病気が消えたらね、私、まずパパたちのお顔見るんだ! パパたちにかかるこのモヤが取れたらね、絶対見るの! それでね、お礼を言うんだ!」
「……お礼?」
「そう! あのね──」
少女が何かを言いかけたと同時、世界は変わる。
変化したそこは既に美しい箱庭ではなかった。自然もなく、レンガの道もない、薄暗く、どこか物悲しい部屋。電球は取り外されているのか、部屋の天井にある電気は一切の明かりも灯さない。
そんな電気のかわりに、この部屋を照らしているのは薄型テレビから漏れる明かりであった。漫才番組が放送されているらしく、画面内ではスーツを着た狼頭の獣族が二人並んでコントを繰り広げている。
面白いのかちょっとよくわからないコントを視界、成長し、大人の風貌になりつつある少女が、ソファーに座って膝を抱えていた。視線は真っ直ぐにテレビ画面を見てはいるが、しかしその瞳は酷く暗く、感情が見えない。
「……見えるの、私」
ぽつりと零されたのは、己の病が消え去ったという事実を教えてくれる言葉。
「お医者さまがね、褒めてくれたの。よくがんばったねって。初めて見たあの人の顔は優しかった。けど、その周りに浮かんだ言葉は優しくなかった」
なんのことを言っているのか、それは恐らく少女にしかわからぬ事柄だろう。
少女はたてた膝に顔を埋める。そのまま眠るように瞳を閉じた。
「見えるのよ、私。見えるの……」
そんな少女を見下ろすように、明るい光を放つテレビの隣で、首をつった二つの死体が揺れていた。
◇◇◇
「──死亡フラグぅうううう!!」
ハッと覚醒した直後、ジルは頭を抱えてそう叫んだ。かと思えば全力疾走で『なんでも売買店』の中へ。置いてけぼりを食らった二ルディーが「は?」と口にしたことにすら気づいていない。
今し方見た光景は恐らく、少女の容姿から察するにベナンに関係していることは間違いない。彼女の幼い頃の話、といったところか。
エレベーターのボタンを連打し、全然降りてくる気配のないそれに舌を打ってから階段の方へ。持ち前の素早さを生かし、長いそれを駆け上がるジル。
「過去話とかまじ死亡フラグだから! 勘弁してくれよほんと!!」
さすがに優しくしてくれた女性を見殺しにするわけにはいかない。いやまだ死ぬと決まったわけではないが。
宿泊していた部屋が存在する階までやって来たジルは、そのまま速度を保ち与えられた部屋へ。飛び込んだそこで、音に驚き跳ね起きたミーリャから渾身の一撃(物理)を食らう。
しかしめげないジル。彼は若干フラフラになりながらも、ちょっと引き気味のミーリャへと詰め寄った。
「き、聞いてくれ、ミーリャっ! 敵が襲ってきてベナンがぶっ飛ばしてぶっ飛ばされたそいつをベナンが笑顔で追いかけて死亡フラグたてて死にそうであと二ルディーの策略により俺の鼻の奥が超スッキリしてて大変なんだ!!」
「……わけがわからないのね」
「とりあえず大変なんだって!!」
慌てていたため余計なことまで口走ってしまったのでとりあえず簡易的に説明しなおす。
ミーリャは納得しているのかしていないのかよくわからぬ表情で頷いた。
「早く助けに行かないと死亡フラグ回収してベナンさん死んじゃうから! まだそうだと決まったわけじゃないけどでも多分高確率でやばいから! 語彙力の欠如によりうまく伝えらんないけどとにかく力貸してくれお願いしますミーリャ様!」
「……ミーリャは別に構わないのね。でも、そういうことだったらミーリャより適任の奴がいると思うのよ」
「オルラッドぉおおおお!!」
床を蹴り跳躍。そのまま未だ夢の中のオルラッドの上へと着地した彼は、聞こえた呻き声など気にすることなく彼の胸ぐらを掴み激しく揺する。
「頼むオルラッドお前の力が必要だ手を貸してくれお願いしますっ!!」
「ジル、落ち着きなさい。オルラッドが死ぬのよ」
「へ? あ、ちょっ、オルラッドぉおおおお!!?」
胸ぐらを掴まれたまま目を回す彼を前にし、焦るジルの背後。ミーリャは先が思いやられると言いたげに額に手を当て、ゆるく首を振っていた。
◇◇◇
オルラッドの回復までには五分程の時間を有した。どうやら彼は朝──というよりは寝起きが非常に弱いらしい。未だ完全に目覚めていない状態でジルの話を聞いている。
一番頼りになる奴が一番助けて欲しい時に一番頼りない。
本当に大丈夫だろうかと内心彼を疑い、そして彼の意外な弱点にシメシメと思いつつ、ジルはニヤニヤとしながら彼の長い髪を結い上げているミーリャに視線を向けた。
「ミーリャ、それ絶対怒られる」
艶のある赤毛を両サイド──所謂ツインテール状態にしようとしたミーリャに一応の忠告をしておく。ミーリャは「ちぇっ」と不満そうにするも、すぐに気持ちを切り替えたらしい。彼の髪をサイドテールにしようと奮闘し出す。
まあそれならいっか。
ジルはオルラッドを見捨てた。
「──とにかく、そんなわけだから急いでついて来てほしいんだ。二ルディーに聞けば多分場所わかるだろうし、わからなければ俺がどうにかこうにかそこを特定してだな……って、聞いてる?」
「うん、あー……うん」
「ダメだこりゃ……」
少年はガックリと肩を落とした。
眠りの波に乗り船を漕ぐオルラッド。その腕をジルとミーリャで片方ずつ掴んで引っ張れば、彼は逆らうことなく足を動かす。現時点での最強人物大丈夫かおい。歩く度に揺れ動くサイドテールを見詰めながら、ジルは不安を増させていく。
エレベーターを使用して降りた一階。そこには外から建物の中へと戻ったらしい二ルディーがおり、彼女は欠伸をこぼしつつ受付に立っている。相変わらずのやる気のなさに笑うことしか出来ない。が、今はそんな状況ではない。
ジルはオルラッドを待たせ、受付の方へ。カウンター越しに二ルディーを見上げる。
「二ルディーさん! ベナンさんが大変なんだ! 確証はないけど! 急いできてくれ!」
「ベナンが? まさか……」
「死亡フラグがビンビンなんだって語彙力ちょっと!」
「死亡フラグ……」
二ルディーは考え込む。軽く下げられた眉尻は明らかなる不安を表していた。彼女もベナンが心配なのだろう。答えはすぐに弾き出される。
「……わかりました。理由はどうであれ、例え確証がなくともベナンのことは心配です。雑魚について行ってさしあげましょう」
「すっごい上から目線だけどまあいいや! ベナンさんの行先わかります!?」
「もちろんです。年がら年中休むことなく彼女の後を追いかけてきた二ルディーに死角はありません」
実は二ルディーを連れて行くのが一番危険だったりして……。
悩むジルなどガン無視対象。二ルディーは気にした風もなく店内の電源を操作し出入口を開かないように設定。一応の防犯だけをして従業員専用出入口まで三人を案内する。
「本来ならば従業員──つまり私とベナンくらいしかここを使えないのですが致し方ありません。ああ、お許しを、ベナン……」
「待って。ここの従業員二人だけ?」
なんてブラックな場所なんだ。個人経営にしてももう少しくらい人を雇ってはどうだろう。さすがに二人だけではこのどでかいビルをどうこうするのは厳しいだろう。
「なんで雇わないんです?」
「ベナンと私の二人きりの時間をクソッタレな第三者に邪魔されるわけにはいかないので」
「早くベナンさんの所に向かおうか!」
聞いてはいけない事柄だったと少年は理解した。
建物を後にし向かったのは高層ビルの建ち並ぶ街中だ。まだ朝早いためか、車通りの少ない道路を過ぎったり、路地の壁を這い上がったりして時間削減したお陰か十分足らずで目的地に到着。
そこは窓ガラスなどが取り外された、今にも壊れそうな程におんぼろの廃ビルだ。耳をすませば中から微かに金属音が聞こえてくる。どうやらここで間違いないらしい。
危険を察知しオルラッドの背後に隠れる二ルディーとジルを冷めた目で見つつ、ミーリャが先頭を歩く。
特に難もなく入り込んだ屋内は、ひどくカビ臭く、獣族の血が流れるジルにとってはかなり辛い場所であった。思わず鼻を抑える彼を尻目、まだどこかボンヤリとしているオルラッドが静かな動作で上を向く。
「……五階かなぁ」
やはりこ奴はすごい。
彼の寝ぼけた呟きに従い、四人は薄汚れた階段を駆け上がる。
階を増していく度に、耳に届く音は大きくなっていった。そして例の五階までたどり着いた瞬間
「はぁあああっ!!」
大きく手にした武器を振るったベナンの姿が、彼らの視界に写り込んだ。その先では手を合わせて佇む女の姿がある。
「っ!? ベナン!! 避けて!!」
何かに気づいたようだ。オルラッドの背後から飛び出した二ルディーがそう叫ぶ。しかし、その声がベナンに届くより、女が行動に出る方が早かった。
「──死に腐れクソビッチ」
歪に弧を描いた口元。白い歯を覗かせながら、女はその呪文を紡ぎだす。
「ベル・ベルダ」
直後、耳を覆いたくなるような甲高い音と共に、辺りは眩い光に包まれた。
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