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第三章
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しおりを挟む「──ああ、ああ! ひどい、ひどい、ひどいですっ!!」
頭を抱え、癇癪を起こしたようにそう叫ぶのは、鈴木店にてジルたちと顔を合わせた女店員だ。彼女は氷漬けになった多くの人間たちに囲まれながら、震える手を天に向ける。
到底女性の顔とは思えない、絶望に歪み切った表情がひどく恐ろしい。
「わた、私の街、私の、私の世界がっ! 壊されて、壊されてぇええっ!!」
薄暗い部屋、床に描かれた巨大な魔法陣の輝きだけが唯一の光であるこの場所で、女性の声は嫌な程に響く。
比較的豪華な椅子に座らされたアランとミーリャは、そんな女性を無言で眺めていた。特に焦るでもなく、恐怖するでもなく、彼女たちは平然とした態度でそこにいる。
「……お前、どう思うのよ」
騒がしい声に紛れるような小さな声で、ミーリャは言った。
紛いなりにも獣族であるアランの耳は、きちんとその声を拾いあげる。
「どうって?」
「あの店員の言ってることについてなのね」
「あら、壊された云々の話しなら、間違いなくジル様たちが関わっていると思うわよ。にーには特に、こういうの大好きだから」
ふふっ、と楽しげに微笑んだアランの声は、悲しくも、女店員の耳に届いてしまったようだ。表情の欠けた人形のような顔で振り返った彼女は、フラフラと、覚束無い足取りでアランの傍へ。
傷つけないように、優しい手付きで彼女の頬へと手を触れる。
「……なにを、なにが、おかしいんですか? 私にはわからない。わからない。わからない」
「わからないのは勝手だけど、触らないでくれないかしら? 私に触れていいのはジル様だけなんだから」
頬に触れた冷たい女の手。それを払うように顔を背けたアランを、女店員はじっと見る。
「……ジル様? えっと、それはあなたの大切な方なのですか?」
感情の篭らない声音で問われた言葉に、アランは瞳を細める。
その動作で理解した。理解できた。
女性は歓喜に満ち溢れたように、その身体を震わせる。
ああ、理解することはやはり素晴らしい。何かを知ることはやはり最高だ。
「わかりました! わかりました! では捕らえましょう! そのジル様とやらを! そうして永遠たる死を与えてさしあげましょう! あなた方二人に! これは私からの祝福です! 受け取ってください! 受け取ってくださ──」
騒いでいた女性の声は、そこで途切れた。音もなく離れた彼女の首が、ゆっくりと暗い床の上に落ちていく。
司令塔を失い機能しなくなった体が、音を立てて床に倒れた。赤を広げるその体の上には、血濡れた鎌がひとつ。骨だけで作られた手に握られ、ひっそりと宙に浮いている。
「ありがとう。静かになったわ」
微笑んだアランの元へ、鎌は静かに移動する。そして、彼女の肌を傷つけないように、その体を捕らえる縄を切断。ついでとばかりにミーリャの解放にも手を貸してやる。
「……お前、使役してるのはドラゴンとゴーレム、黒いのだけじゃなかったの?」
怪訝そうなミーリャに、アランは口元に指を添えて微笑んだ。
通常の召喚士が使役できる種族の数は、多く見ても精々三種類。それ以上の契約は召喚士の体に負担がかかるため、危険とされている。弱った術者を契約した生物が喰ってしまう可能性があるのだ。
自分の記憶が正しければ、確か二十六年程前に、そういった事件があったと耳にしたことがある。多重契約の影響か、術者は病に倒れ、その死体は喰らわれたのだと……。
「さてと。早くジル様たちの所に戻りましょう。これ以上心配かけるのは良くないわ」
考えるミーリャの思考を妨げるように、アランは両手を叩き合わせた。スキップ混じりに部屋を出ていこうとする彼女の後を、依然宙に浮いたままの鎌が音もなく追いかける。見方によってはかなり危険なワンシーンに見えなくもない。
ミーリャはため息を吐き出す。自分──いや、ジルの周りにはどうしてこうも癖の強い者が集うのか……。
「……まるで強者ほいほいなのね」
再びため息を吐き出し、アランを追いかけようと片足を前へ。そうして歩き出そうとした彼女はふと、耳に届いた奇妙な音に不審感を抱き、その動きを停止させた。
ボコボコと、煮えたぎる湯のような、その音をさらに不気味にしたような、音。少しずつ、少しずつ大きくなるそれに、ミーリャは眉を潜めて振り返る。
「──え?」
つい漏れたのは、疑問の声……。
呪術師である少女の目の前には、女店員の体があった。頭を失ったそれは、グロテスクな切断面を晒している。そして、この奇妙な音の原因は、その切断面にあった。
未だ少量の血液が噴き出している首。真っ赤に染まり果ててしまったそこは、なぜか沸騰するように泡立っている。いや、泡立っている、というよりは、肉が盛り上がっている、といった方が正しいかもしれない。
ボコボコと音を鳴らし、徐々に盛り上がりを大きくする断面。皮膚を無くした赤い血肉が形を成すのに、そこまで時間はかからなかった。
「ミーリャちゃん!!」
アランから腕を引かれ、ミーリャは彼女の後ろへ。二人を護るように飛び出した鎌が、無遠慮に女店員の体を引き裂き、赤を散らせる。しかし、彼女の再生能力の方が上のようで、切った箇所から順に、女店員の体は再生していった。
「……うん、えっと、うん。とても、とても痛いと、思うんです」
剥き出しになった白い歯を覆うように皮膚が形成され、女店員は元の顔を取り戻す。それと共に紡がれたセリフは、ひどく淡々としており、本当に痛かったのかを疑いたくなる。
「でも、仕方のないことです。多分、そう、仕方のないこと。だって、その、私があなたの大切な人を傷つけると言ったのが原因のはず。だから、あの、仕方のないことですよね。だから、えっと、私が仕返しするのも、仕方のないこと、ですよね?」
ぐにゃりと捻じ曲がった首が、大きく『口を開ける』。先の尖った牙を覗かせたその口から、真っ赤な舌が、アラン目掛けて飛び出した。
「気色悪い!!」
吐き捨てた召喚士は、浮かんでいた鎌を奪うようにその手に掴み、片足を前へ。目前に迫った舌を回転するような、華麗な攻撃と共に切り落としていく。
「『ハンドマン』! ミーリャちゃんを外へ! 時間は稼ぐから絶対連れ出してあげて!」
アランの言葉に驚くミーリャを、『ハンドマン』と呼ばれた、鎌を持っていた骨の手が捕獲。どこにそんな力があるのか、そのまま彼女を持ち上げ飛翔する。
「ちょっ、ふざけんなこのっ!!」
暴れる少女を気にもとめず、『ハンドマン』は部屋の外へ。徐々に遠ざかっていくミーリャの声に、アランは思わず笑みをこぼした。
騒がしいのを咎めはしないが、空気くらいは読んでほしい。
付着した血液を払い落とし、鋭利な鎌を構え直す。そうして軽く息を吐きだす少女は、真剣な表情で前を見据えた。
「ジル様は弱い。けれど強い。あの子は私の憧れなんだから、傷つけることなんてさせてあげない」
向かい来る敵に怯むことなく、少女はしっかりと武器を握る。
「悪代表、アラン・バルディオンのお気に入りに、手出しするなんて言語道断よ!」
駆け出したのは、どちらが先だったのか……。
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