あやかし甘味堂で婚活を

一文字鈴

文字の大きさ
58 / 78
四皿目 どら焼きと離婚寸前の夫婦

その16 本音で向き合う夫婦

しおりを挟む
 マリナの目に涙が浮かぶ。
 このスケッチブックから、鬼一郎のマリナへの想いが、愛しているという言葉の何倍も伝わってきた。
 
「……水槽の形も決まった矢先、マリナが体調を崩してしまった。倒れた時にうわ言で『咲人くん』と繰り返し呼んでいるのを聞いて……妻の心の中には、別の男がいたと初めて知った」

 鬼一郎は嫉妬に喘ぐように、震える手で顔を覆った。

「あなた、それは違うの」
「何が違うんだ! お前は鬼之丞をその男に預け、伏せってしまった。何が三人で家族をやり直そうだ。本当はあの咲人という男を好きなくせに。そいつの家の風呂はすごく大きいそうじゃないか。お前のためを思って、俺から離婚を切り出したんだぞ!」

 嗚咽のような鬼一郎の震える声と、吐露された彼の心情に、菜々美と蘭丸は胸を詰まらせた。
 ある意味、最低は大好きという裏返しで、彼の言葉からは妻への愛がだだ漏れだった。

「あなた、あたしの話を聞いて……。あたしが悩んでいたのは、あなたが布田さんという女性と隠れて会っていることに気づいたからなの。不倫していると思って……」
「水槽のことで会っていただけだ。お前の心の中に別の男がいると気づいてからは、カプセルホテルに泊まりながら、愛人がいるように見せていた。離婚してほしいと言うだけでは、遠慮がちなお前は本当に好きな男のところに行かないだろうから……」
「あなた……」

 鬼一郎はマリナの幸せのために、自ら汚れ役を演じていた。

「あの咲人という美形の男の前で、俺をひどい男だと印象づけるため、店まで行って俺の愛人役を演じてくれるように、布田さんに金を払って依頼した」

 それで、あの女性から殺気とか憎しみとかが感じられなかったのか、と菜々美は納得した。
 マリナは話を聞きながら、小刻みに震えていた。先ほどとは違う涙で、彼女の目が潤んでいる。

「あたし……問いただせばよかったのに、勇気が出なくて……どんどん追い詰められて、梅雨の時期の湿気もあって、体調不良になってしまって……あなたと、もうダメなのかと……」

 マリナの目から再び涙があふれ、体当たりをするように鬼一郎に抱きついた。

「お、おい……っ」
「あなたは本当にバカです」
「な、なんだと」

 かすれた情けない声しか出せなくなった鬼一郎の背中に手を回し、妻は涙に濡れた頬を彼の胸に押し当てる。

「昨夜は一晩中、水風呂の中で寝てました。ここにいる菜々美さんも蘭丸さんも一緒に泊まってくれましたし、何より、咲人くんは頼りになる友人です。あたしが愛しているのはひとりだけ……」
「マリナ……」

 鬼一郎は不倫している振りをしてまで、妻と離婚しようとした。そしてマリナも、夫の幸せを考え、悩んでいた。互いに、相手に他に愛する人がいると思い、苦しんでいた。
 気持ちを通わせた二人は、ただただお互いを強く抱きしめている。
 そんな夫婦を、菜々美と蘭丸は涙ぐみながら見つめていた。

「よかったですね」

 小さくつぶやいて、夫婦の邪魔をしないために、菜々美と蘭丸はどら焼きを置いたまま、そっと玄関から外へ出た。

しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?

来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。 そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった! 亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。 「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」 「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」 おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。 現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。 お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、 美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】 ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る―― ※他サイトでも投稿中

処理中です...