あやかし甘味堂で婚活を

一文字鈴

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四皿目 どら焼きと離婚寸前の夫婦

その15 鬼一郎の気持ち

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 菜々美は思い切って、鬼一郎に尋ねてみる。

「あの、鬼一郎さん……。朝帰りしたマリナさんを怒ったのは、まだマリナさんのことを愛しているからだと思うのですが……今も泣いているマリナさんを見て動揺しているし……お二人は、その、あ、愛し合っているのでは……?」
「――くだらないことを言うな! 俺は妻とは別れると決めている!」

 地を這うような怒声に顔を上げた菜々美は、鬼神もかくやと言わんばかりの形相の鬼一郎に、こくりと喉を鳴らした。

(怖い顔……そもそも、どうしてこんなに怒るのかしら……?)

 本当のことを言われたから、怒るのではないか。
 同じことを思ったのだろう。蘭丸がそっと菜々美を見て、小さく頷いた。
 菜々美と蘭丸は夫妻の会話を邪魔しないよう、黙って聞くことにする。
 鬼一郎がぐっと拳を握りしめた。

「……マリナはあの男と幸せになればいい。長年の片思いが成就できてうれしいはずだ。この話はもう終わりだ!」

 冷たく言い放つ鬼一郎にマリナは青ざめ、小刻みに華奢な肩が波打つ。

「あたしは……もう一度……三人で……うぅ……」

 あふれる想いが込み上げ、マリナの目からぽろりと涙がこぼれ落ちた。
 両手で顔を覆い、ほろほろと泣く妻を見て、鬼一郎の顔が大きく歪む。

「泣くなと言っているだろう! お前に泣かれると、俺は……どうしていいのかわからなくなる。お前の涙は刃のようだ」

 妻から顔を背け、うつむいた鬼一郎の顔は髪に隠れている。しかし、辛そうに引き結ばれた口元が見えた。妻の涙を見るのが、心底苦しそうだ。

「あの、鬼一郎さん、どうしてマリナさんがいるのに不倫したんですか」

 妻を愛していながら、なぜ。
 腹を割って話し合わないと、いつまでも平行線だと思い、持ってきた紙袋を取り出し、顔を伏せたまま黙っている鬼一郎と、しくしく泣いているマリナを交互に見て声をかける。

「お話中、すみません。これは咲人さんが今朝作ったばかりの『どら焼き』です」

 紙袋から取り出し、容器をソファのサイドテーブルに置いた。
 蓋を開けると香ばしい匂いが広がり、思わず鬼一郎のお腹がぐうっと大きな音で自己主張する。
 きっと、帰宅しない妻のことが心配で、昨夜から今朝にかけて何も食べていないのだろう。
 黙ってどら焼きに手を伸ばしかけた鬼一郎の前で、さっと取り上げる菜々美を、彼が睨みつける。

「何をする。子供じみた嫌がらせか?」
「正直に話してください。嘘をつくなら、このどら焼きは持って帰ります」

 空腹の鬼一郎はカッと両目を見開き、彼の双眸に怒りの炎が揺らいだ。

「俺の腹が減っていると思って、汚いぞ……!」
「ちゃんとマリナさんと向き合ってほしいんです」
「……」

 菜々美の言葉に、泣いていたマリナがハッと濡れた頬を上げた。

「あなた、ごめんなさい。もう泣きません。だから本当のことを話してください。あたしの何が気に入らなくて、別れようとしているのか……知りたいのです」

 泣き止んだマリナは、緊張で表情を強張らせながらも、覚悟を決めて鬼一郎を見つめている。
 何を言われてもすべて受け入れるという確固たる決意が、彼女の濡れた瞳の光から伝わってくる。
 鬼一郎は黙って項垂れ、小さく首を横に振ったあと、ゆっくりと顔を上げた。迷子の子供のような瞳で妻を見つめ、諦念のため息を落とし、口を開く。

「マリナ、お前が体調を崩しているのは、暑さに弱いからだ。魚の尾の部分が乾燥すると疲れが溜まる。それにこの暑さは堪える」

 鬼一郎は低い声音で囁くように続ける。

「今までも夏の間、お前は辛そうだった。今年の夏は特に暑く、うちはこのとおり、普通サイズの風呂しかない。だから、大きな水槽を買って、ゆっくり体力を回復してもらおうと考えた」
「え? あたしのために水槽を……?」

 初めて知ったのだろう。マリナは目をまたたかせ、信じられないという表情で夫を見つめている。

「お前を喜ばせようと思って、特注の水槽をオーダーした。あの濡女の女妖は布田さんといって、水槽関係の会社を経営している。水槽について、相談に乗ってもらっていた」

 鬼一郎が鞄の中から取り出したのはスケッチブックだった。
 受け取ったマリナがページをめくると、中は横に長いものや縦長のものなど、様々な水槽のイラストが手描きで描かれている。どの場所に置こうか迷ったのだろう。部屋の間取り図や入口の大きさなども細かく記載されていた。

「鬼一郎さん……」
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