上 下
34 / 260

ダイニングでの死闘

しおりを挟む
絵と絵の間からゆっくりと三次元の人間が現れる。まるで絵の森の中で迷子になった妖精のようだ。二次元の中に存在する三次元の物体はやけに目立って見える。ゲームのバグでも見ているような感覚だった。

その人物は、絵の壁から体を露出した。銀の甲冑に身を包み、凛々しい金髪が風にそよぐ。鏡のような甲殻は、絵電気の光を反射している。プリズムのように光を散らしながら、絵の中にその存在感を解き放つ。

そいつは、ハイデルキア王国の騎士だった。

「あら。あなた王国軍の騎士よね?」
アリシアは手に紙の皿を持ち、歩き喰いしながら騎士にズカズカ近寄る。行儀が悪い。しかも馴れ馴れしい。久しぶりに会った友達かなんかか?

「いかにも」
「騎士殺しに捕まっていた騎士ってあなた?」
「左様。拙者でござる」
ござる口調の騎士は言った。時代錯誤のミスマッチ感がなんとも言えない雰囲気を演出する。

「なら自力で逃げ出したのね? 私たちはあなたたちを助けに来たのよ。よかったら悪者をやっつけるのを手伝って」
「悪者をやっつけるのだな。よかろう」

そして、俺たちが助けに来た騎士は、手に持っていた武器でアリシアに斬りかかってきた。


「危ないっ!」
アリシアは間一髪のところを、手に持っていた紙皿で防いだ。騎士が持っている銀剣は、鋭い音とともに紙とぶつかった。剣と紙の接触の瞬間、わずかに鈍色の火花が見えた。剣の攻撃を紙で防ぐなんてイかれているとしか思えない。

「ちょっと! 何するのよ! 私たちはあなたのことを助けにきたって言っているでしょ! なんで助けに来た相手に攻撃されないといけないのよっ!」
その瞬間、ダイニングに隣接する部屋から人の気配が沸き立った。きっとずっと隠れていたのだろう。
「ケンちゃん」
萌が不安そうな声を上げる。俺の袖を小さな手で掴む。それが俺の心をより一層強張らせた。

そして、ダイニングに“俺たちが救いに来た騎士たち”がなだれ込んできた。
「クッソ! 一体何がどうなっているんだっ!」


わけがわからないまま、味方との戦闘が始まった。


[ミノタウルスの間]
大広間で巨大な影がその身をよじらせる。影の発生源は身の丈三メートルはある化け物だった。ミノタウルスは悶絶する苦痛に必死で耐える。

「ぐおおおおおおおおお」
口腔から溢れるケダモノの雄叫びは、部屋を揺るがす。絵でできた可愛らしい城の中で、彼の姿はよく映えている。まるで、おとぎ話がいくつか組み合わさって溶けているようだ。

ドロドロに溶けたおとぎ話は、溶け合い、混ざり合う。子供向けの絵本と少年向けのファンタジー、さらにそこに大人向けのダークファンタジーが加わる。

残酷な物語に軽快な物語が飲み込まれる。壮大なスケールに縁取られた子供向けの絵本は、どこか禍々しい。
「騎士が憎い。憎い。憎い」
ミノタウルスは空に向かって大きく吠える。くぐもった声はまるで泣いているようだ。

轟音のソロコンサートに誰かが水をさす。
「ミノタウルス様。私です。ゼロですである」

ミノタウルスは振り返り、先ほどケンたちを襲った黒マントを見る。
「侵入者を殺せ。作戦通りやれ!」
「は!」
ゼロと言われた黒マントは部屋をそそくさと去った。


ミノタウルスはゼロがいなくなった後も、叫び続けた。脳内にこびりついた悪しき思い出はいつまでも色あせることがない。

永遠に脳を侵し続ける。黒ずんだ記憶が、楽しい記憶の色までも変えていく。楽しい記憶もたくさんあるはずなのに、思い出すのはいつも嫌な記憶ばかりだった。

悲しみや苦しみはウィルスのように脳にはびこる。脳裏に蔓延して、全ての記憶を真っ黒に変えていく。
「騎士が憎い! 憎いっ! 殺してやる! 殺してやるっ!」

ミノタウルスは叫ぶ。まるで泣いているみたいに。
ミノタウルスは怒る。そうすることしかできない。
ミノタウルスは喚く。そうしなければ体がバラバラになってしまいそうなのだ。
叫んで、叫んで、叫び続けた。

だがどれだけ泣いても過去は変わらない。過去を思い返すたびに、その影は色を濃くする。思い返すたびに脳裏の中で花を咲かせる。
辛い記憶を脳に浮かべると、その記憶はさらに激しく記憶に残る。
なぜ人は、思い出したくないはずの過去を、思い出さずにはいられないのだろうか?


[ダイニングにて]
騎士の一人が巨大な斧を掲げて、俺の脳天めがけて振り下ろす。俺はアリシアと反対方向に避けてかわした。斧の鈍重な一撃は吸い込まれるように絵テーブルに当たった。

バキバキっ! 木製の何かが壊れるような音がした。絵テーブルは特に何事のなかったかのように存在しているが、絵の内容が一瞬で変わった。さっきまで皿がたくさん載っているテーブルだったのに、“壊れたテーブルの絵”に変わった。

きっとこの料理は騎士たちのものだったのだろう。
「さっきの水差しの水を操ればこの状況を打開できる!」
俺は大声で作戦を口に出した。
「にょにょ? ケンちゃん。作戦を口に出したらだめだにゅ!」

俺は萌を無視して、
「水よ! 絵から溢れろ!」
その瞬間、ビリビリっと紙が破けるような音がして、先ほどの水差しの絵が散り散りになった。桜の花びらのように宙を舞う。それら小さな紙にはクレヨンで水泡が描かれている。パワーワードによって水差しの絵が、水の絵になったということだろう。

かつて俺の目の前でパワーワードの合作を見たことがある。

「な、なんだこれは? 炎でできた水か? こんな能力があったのか?」
「これは、私とケンのパワーワード能力の合作よ!」
「使った俺たちですら知らない能力だ! こんなことができるなんて驚きだ!」
(第一巻でアリシアとケンが水と炎の力を融合させたシーンです)

今、ここで行われたのは水と絵の融合。俺は右手をまっすぐに前に突き出す。そして、絵水が騎士たちを襲う。荒れ狂う紙吹雪が騎士の体を包む。
「なんだこれは? 紙から水が溢れているぞ!」
「く、苦しい!」
紙吹雪は騎士の首から上を中心に、まとわりつく。紙切れが顔に張り付いているだけなのに騎士たちは今にも溺れてしまいそうだ。何もない空気の中で、たかが紙切れによって溺死寸前まで追い込まれる。

紙吹雪は荒れ狂う。舞い、踊り、その身を竜巻のようにくねらせる。ダイニングの中に発生した人工的な竜巻は、騎士たちをもみくちゃにしていく。
水と紙の力の融合は、力強く熾烈なものだった。騎士たちは何の抵抗もできずに、ただただされるがままだ。紙の中で溺れている。

「もういいだろう」
俺は合図とともに、右手を下ろした。荒れ狂う紙の嵐は収まり、気絶した騎士だけがその場に残された。騎士の体には水なんて一滴もついていないのに、溺死寸前だ。カラカラに乾いた何もない場所で溺れるなんて異様な光景だ。

「萌。悪いけど騎士たちを縛っておいてくれるか?」
「にょ!」
俺は戦闘を終えて、アリシアの方を確認した。
「そっちも終わったか?」
どうやらアリシアにけがはないようだ。ござる口調の騎士は完全に気を失っている。
「アリシア? 大丈夫か?」
アリシアから返事がない。
「おい!」
アリシアの元へ行くと、アリシアは呆然と立ち尽くしている。アリシアの肩を掴んで、
「おい! どうした? 何があった?」

[アリシア視点 戦闘開始時点から]
騎士の一人が巨大な斧を掲げて、ケンの脳天めがけて振り下ろす。私はケンと反対方向に避けてかわした。
背後でテーブルが砕ける音が聞こえる。ケンたちと別れて戦うしかないみたいね。

私は、一番最初にこちらを覗き見していた“ござる口調の騎士”をみる。こいつが私の敵だ!
「拙者のことを助けにきてくれたでござるな?」
「だからそう言っているじゃない! 武器を下ろして!」
「かたじけない! カタっ! カタカタっ! カタじけない。助太刀感謝するるるるる」
騎士は突然、頭を押さえながら意味不明なことを言い始めた。
「今度は何っ? あなた大丈夫?」

「助けてくれてありがとうでござる。助けてくれてありがとうでござる。助けてくれてありがとうでござる」
そして、騎士は朦朧とした表情のまま、私に切りかかってきた。


騎士の銀剣が私の喉に食らいつく。私はそれを交わす。パワーワード使いの弱点は喉か即死可能な急所。それらを狙えば、パワーワードで逆転されることがない。だから無論常に警戒を怠らない。

二発、三発、攻撃が私の喉笛を舐める。薄小さい切れ込みが私の首筋に赤い線となって浮かび上がる。それはまるで絵の具のような赤い血だった。
「あなた言っていることが支離滅裂よ!」

「ござるるっるっるるるるっるー!」
騎士はやたら滅多に剣を振り回す。剣は周囲の絵を破りながら、私の躯体を追い詰める。徐々に後方に詰められていく。尻込みしながら後退する。

「炎よ! 濡れろっ!」
私は炎を使って進撃を拒もうとする。だが、炎と紙の相性が良すぎる。こんな狭い場所で使ったら私ごと燃え尽きて死んでしまう。

「ござござござござ!」
騎士の振り回す銀色の狂気は、嵐の塊のようにのたうつ。近くにあるものを潰しながら私の体に迫る。

そして、黒い影のようなものが現れて、騎士を背後から攻撃した。
「ござっ!」
騎士は脊髄を痛めて床に沈んだ。

カレーライス戦で私のことを助けた黒い影のことを思い出した。その影は、今私のことを救った影と同じものだ。

その影の正体は、先ほど絵の城の目の前で、ケンを瀕死に追い込んだ黒マントだった。
「どういうこと?」
私が唖然としていると、黒マントはさっさと何処かへ行ってしまった。


[現在]
「おい! アリシア! 大丈夫か? しっかりしろ!」
俺は激しくアリシアの肩を揺さぶる。ガクガク揺れながらアリシアがやっと俺の瞳を覗き返す。
「アリシア?」
俺の瞳とアリシアの瞳が交差して、互いの顔に突き刺さる。

「いえ。なんでもないの。ごめんなさい。ちょっと動揺して」
「騎士は無力化したし、こいつらを連れてもう帰ろう。騎士殺しはおそらく強力なパワーワード使いだ。騎士たちを洗脳して操っているに違いない。だけど情報が少なすぎる。今回の依頼はここで終わりだ」

「ござる口調の騎士の様子が異様だったのはきっとそのせいね。もう人質は解放したし、すぐに帰りましょう!」
「よし! 今すぐ帰」

ドゴッ!

その瞬間、背後から何者かに殴打された。強烈な打撃が脳天を打つ。頭の中に痛覚が針のように流れ込む。痛覚は、箱の中に投げ込んだピンポン球のように、何度も脳内を打ち付ける。激しく左右にぶつかりながら、脳は思考を停止した。
しおりを挟む

処理中です...