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第二章
第8話 微睡みの日々。(2)
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2.
透哉とホタルが学長室を訪れてから約一時間半後。
二人はほぼ同時に目を覚ました。
双方、半開きの瞼のまま周囲をぐるりと見回し、置かれた状況に気付くやいなや暗示が解けたように目を見開き、勢いよく立ち上がった。
睡眠とはほど遠いが、仮眠としては十分な長さだったようで、来たときと比べると二人の顔色は格段に良くなっている。
「あら、思ったより早く起きたのね」
「「ぐっ」」
二人はここに訪れたときと同じ格好に座り直すと、改めて流耶に向き直る。
それでも脳裏に蘇る宇宮湊の笑顔。
トラウマを乗り越えたというより、胆力を鍛えたに過ぎない。
宇宮湊に再び会うときまでには克服したいと思う反面、二度と会いたくないと思うのが正直な気持ちだ。
むしろ、二度目はアナフィラキシーでショック死してしまうのではないだろうかと言う不安さえ生まれる。
「その様子だと無事に出会えたみたいね」
「あの状況を無事と言えるお前のクソ具合に今だけは感謝してやるよ」
流耶は事実確認として聞いているのだろうが、透哉的にはトラウマを掘り返されている気持ちになる。
透哉の反応に流耶はうっすらと笑みを浮かべる。
オープンテラスで盛大に嘔吐したことと、不眠に陥ったことを過去として処理するにはまだ時間がかかりそうだが、憎まれ口を叩く程度には回復した。
そこで透哉は、引っかかりを覚えた。
流耶が十二学区での出来事を、今初めて知ったみたいな言い方をしたからだ。
「ちょっと待て、十二学区にいたお前はお前じゃないのか?」
「あなたたちが十二学区で出会ったのはあくまで『宇宮湊』よ。『草川流耶』ではないわ」
「む、どう言う意味なのだ? 寝起きで難しいことを言われると困る」
透哉は自分で口にして意味不明だったが、何故か的を射ている気がした。
説明がうまく飲み込めないのは徹夜明けで頭が回らないせいかもしれないが、抽象的な部分を読解できないことは事実だ。
ホタルはホタルで早々にギブアップして頭上に「?」を浮かべて首を傾げている。やはり頭脳労働は苦手らしい。
が、現時点においては後遺症なくまともに会話が成立するだけで好評に値する。
そんな二人はさて置き、流耶は徐に机の上の茶色い紙袋に手を伸ばし、小麦色の板を一つ摘まんで口に運ぶ。
その動きを目で追っていたホタルが、ハッとしたように思い出す。それは仮眠を取る直前のことだ。
「それはそうと、さっきから何を一人で食べているのだ?」
「これ? 私も手慰みに作ってみたのよ。食べる?」
あくまで自分のペースを崩さない流耶が、紙袋を差し出す。
その紙袋に詰まっていたのは誰の目にも明らか、クッキーである。市販の袋ではなく、間に合わせの紙袋に入っているあたりからも手作り感がうかがえる。
「――流耶、お前が作ったのか?」
「そうよ。何か問題があるのかしら?」
「クッキーに見えるが……毒でも入っているのか? それとも、かじった瞬間に爆発するのか?」
透哉の疑惑をたっぷり含んだ視線が、流耶の顔と紙袋の間を往復する。
ホタルは不審がりつつも席を立ち、流耶の元まで足を運び、一つ手に取って裏返したり匂いを嗅いだりする。
そして、一口かじる。
二口目以降はハムスターみたいに口を小刻みに動かして一個を完食した。そのまま時が止まったように数秒固まった。
「うまいのだ」
活動を再開したホタルは口の端にクッキーのくずをつけたまま透哉の方を振り返り、目を丸くして感想を告げる。
うまいならいいだろ。透哉はこれと言って興味を示さず、欠伸をかみ殺しながらソファの上で足を組み直す。
しかし、ホタルからすれば絶句するほどの一大事である。
結果はすでに出ているが、恐る恐る確認する。あるいは、どこかに間違いがあるのではないか、と無意味に願いながら。
「私のクッキー一号は小麦粉以下の味で、二号に至っては家庭科室諸共消滅してしまった」
「クッキーをそんなロボットみたいに呼ぶヤツ初めてみた」
噛むとゾムゾムとした食感を発生させるクッキーを語る異物を思い出しつつ、透哉は横槍を入れておく。
あれは食用ではなく別の方面で活路を見いだすしかない一品だった。例えば害獣駆除とか。
そんな中、ホタルに異変が起こる。
突然、ガクガクと震えだしたのだ。
やばいキノコでも口にしたみたいに。
「おおおっ、おいしいのだ! こここっ、こいつが、こここっ、こんなヤツが作ったクッキーの方が私の作ったクッキーよりおいしいのが悔しいのだ!」
「いや、お前まだクッキー作ってねーだろ」
「ぐはっ!? 私は、私の、女子力が……っ」
「残念ながら私以下のようね」
透哉の的確な指摘で大ダメージを受け、紙袋をこれ見よがしに振りかざす流耶の決定的な宣告にとどめを刺され、ホタルは床に膝をついた。せっかく立ち直ったのにまた寝込んでしまいそうな勢いである。
思わぬ形で格付けされた流耶とホタルの女子力。
地を這うホタルの女子力。
透哉とホタルが学長室を訪れてから約一時間半後。
二人はほぼ同時に目を覚ました。
双方、半開きの瞼のまま周囲をぐるりと見回し、置かれた状況に気付くやいなや暗示が解けたように目を見開き、勢いよく立ち上がった。
睡眠とはほど遠いが、仮眠としては十分な長さだったようで、来たときと比べると二人の顔色は格段に良くなっている。
「あら、思ったより早く起きたのね」
「「ぐっ」」
二人はここに訪れたときと同じ格好に座り直すと、改めて流耶に向き直る。
それでも脳裏に蘇る宇宮湊の笑顔。
トラウマを乗り越えたというより、胆力を鍛えたに過ぎない。
宇宮湊に再び会うときまでには克服したいと思う反面、二度と会いたくないと思うのが正直な気持ちだ。
むしろ、二度目はアナフィラキシーでショック死してしまうのではないだろうかと言う不安さえ生まれる。
「その様子だと無事に出会えたみたいね」
「あの状況を無事と言えるお前のクソ具合に今だけは感謝してやるよ」
流耶は事実確認として聞いているのだろうが、透哉的にはトラウマを掘り返されている気持ちになる。
透哉の反応に流耶はうっすらと笑みを浮かべる。
オープンテラスで盛大に嘔吐したことと、不眠に陥ったことを過去として処理するにはまだ時間がかかりそうだが、憎まれ口を叩く程度には回復した。
そこで透哉は、引っかかりを覚えた。
流耶が十二学区での出来事を、今初めて知ったみたいな言い方をしたからだ。
「ちょっと待て、十二学区にいたお前はお前じゃないのか?」
「あなたたちが十二学区で出会ったのはあくまで『宇宮湊』よ。『草川流耶』ではないわ」
「む、どう言う意味なのだ? 寝起きで難しいことを言われると困る」
透哉は自分で口にして意味不明だったが、何故か的を射ている気がした。
説明がうまく飲み込めないのは徹夜明けで頭が回らないせいかもしれないが、抽象的な部分を読解できないことは事実だ。
ホタルはホタルで早々にギブアップして頭上に「?」を浮かべて首を傾げている。やはり頭脳労働は苦手らしい。
が、現時点においては後遺症なくまともに会話が成立するだけで好評に値する。
そんな二人はさて置き、流耶は徐に机の上の茶色い紙袋に手を伸ばし、小麦色の板を一つ摘まんで口に運ぶ。
その動きを目で追っていたホタルが、ハッとしたように思い出す。それは仮眠を取る直前のことだ。
「それはそうと、さっきから何を一人で食べているのだ?」
「これ? 私も手慰みに作ってみたのよ。食べる?」
あくまで自分のペースを崩さない流耶が、紙袋を差し出す。
その紙袋に詰まっていたのは誰の目にも明らか、クッキーである。市販の袋ではなく、間に合わせの紙袋に入っているあたりからも手作り感がうかがえる。
「――流耶、お前が作ったのか?」
「そうよ。何か問題があるのかしら?」
「クッキーに見えるが……毒でも入っているのか? それとも、かじった瞬間に爆発するのか?」
透哉の疑惑をたっぷり含んだ視線が、流耶の顔と紙袋の間を往復する。
ホタルは不審がりつつも席を立ち、流耶の元まで足を運び、一つ手に取って裏返したり匂いを嗅いだりする。
そして、一口かじる。
二口目以降はハムスターみたいに口を小刻みに動かして一個を完食した。そのまま時が止まったように数秒固まった。
「うまいのだ」
活動を再開したホタルは口の端にクッキーのくずをつけたまま透哉の方を振り返り、目を丸くして感想を告げる。
うまいならいいだろ。透哉はこれと言って興味を示さず、欠伸をかみ殺しながらソファの上で足を組み直す。
しかし、ホタルからすれば絶句するほどの一大事である。
結果はすでに出ているが、恐る恐る確認する。あるいは、どこかに間違いがあるのではないか、と無意味に願いながら。
「私のクッキー一号は小麦粉以下の味で、二号に至っては家庭科室諸共消滅してしまった」
「クッキーをそんなロボットみたいに呼ぶヤツ初めてみた」
噛むとゾムゾムとした食感を発生させるクッキーを語る異物を思い出しつつ、透哉は横槍を入れておく。
あれは食用ではなく別の方面で活路を見いだすしかない一品だった。例えば害獣駆除とか。
そんな中、ホタルに異変が起こる。
突然、ガクガクと震えだしたのだ。
やばいキノコでも口にしたみたいに。
「おおおっ、おいしいのだ! こここっ、こいつが、こここっ、こんなヤツが作ったクッキーの方が私の作ったクッキーよりおいしいのが悔しいのだ!」
「いや、お前まだクッキー作ってねーだろ」
「ぐはっ!? 私は、私の、女子力が……っ」
「残念ながら私以下のようね」
透哉の的確な指摘で大ダメージを受け、紙袋をこれ見よがしに振りかざす流耶の決定的な宣告にとどめを刺され、ホタルは床に膝をついた。せっかく立ち直ったのにまた寝込んでしまいそうな勢いである。
思わぬ形で格付けされた流耶とホタルの女子力。
地を這うホタルの女子力。
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