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第二章
第13話 雪だるま懐柔戦線。(4)
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4.
透哉は足を止めた。
砕地の声は引き留めると言うよりも、話し相手を求めて囁くようだった。
要望を聞き入れて貰った手前、無下に扱うまいとドアノブを握ったまま振り返り、透哉は言葉を詰まらせた。
全身が見えない何かに震え上がった。
(――氷山!?)
直後、そんな幻想が目に浮かぶほどの重圧が襲う。
けれど、肌を外からビリビリと叩く気配が分からない。屋上を覆う氷の冷気で体がこわばっているのかと考えたが違う。
「貴重な昼寝の時間を削って話を聞いて力添えすると約束したんだ。僕個人としても、何か見返りを求めてもいいかな?」
世の中、持ちつ持たれつ、ギブ&テイクだ。砕地の言い分は正当な要求だ。
砕地が徐に左腕を持ち上げる。
友好の証として握手を求め、透哉が応じた義手の左腕。
「君ならこの左腕を握り返してくれると思っていた。しかし、一つも躊躇しなかった点はとても心苦しい限りだ。僕としてはね」
「何の話しをしている?」
「さて、いつの話だろうね?」
「あぁん?」
妙に噛み合わない会話に透哉は首を傾げる。透哉にとっては砕地と話すのは今日が初めてで、以前に会った記憶はない。
砕地側の意図は掴めないが、雪だるまの奥で砕地が笑っている、そんな気がした。
透哉の背筋を突然ぶるっとした震えが襲う。
改めて砕地の左腕を注視する。
一連の流れからある予感を感じ取った途端、白い冷気で霞む義肢が煙を吹き出し躍動する兵器に見えたのだ。
氷結した氷の白さが黒さを際立たせている影響か、医療用の義肢にしては重厚に映った。
黒光りする鮮麗された形状は攻撃的な側面を備えているように見える。
そして、透哉は気付く。
砕地の背後の揺らぎに。
(――っ!?)
決壊直前のダムから水が漏れ出すように、砕地の体から魔力があふれ出している。
『原石』の力も使っていないのに、肉眼で可視化できるほどの魔力が砕地の体から溢れ渦巻いていた。それはとぐろを巻いて力を貯める蛇の姿を彷彿させる。
同時、さっき見た氷山はこの逆巻く魔力の気配が見せた幻想だと知る。
砕地が特別なことをしている風に見えない点も拍車をかけていた。
「昼寝を邪魔された腹いせに喧嘩でもしようってのか?」
「近からず、遠からずといったところさ。と言っても昼寝はおまけで療養が目的だよ」
「療養?」
「僕はアウトバーン症候群と言う特殊な病気なんだ」
あえて挑発的な物言いをすることで砕地の出方を見るつもりだったが、思わぬ応酬を受ける。
アウトバーン症候群とは別名過剰魔力症と呼び変えられるエンチャンター特有の病気なのである。
魔力を生成する器官の活動が普通のエンチャンターよりも旺盛で、必要以上の魔力を生み出し、蓄積しすぎるとふとした拍子に能力暴発の恐れもあるやっかいな病気である。
暴発を防ぐ方法としては、過剰供給される魔力を蓄積の限界を越えない程度に消費すればいいだけ。
「アウトバーン、魔力異常体質か」
「話が早くて助かるよ」
周囲の異常な光景も納得がいく。
砕地は魔力の蓄積防止として無人の屋上を氷結させて発散していたのだ。
つまり、透哉は余剰魔力の放出中にお邪魔してしまったと言うわけだ。
第一声で急ぎかどうかを尋ねたのはそのためだったのだ。
そして、透哉が砕地から療養時間を奪った結果、行き場を失った魔力が幻想を見せるほどあふれ出している。
能力が暴発した際の被害は想像ができない。屋上を氷結させても有り余る魔力と考えれば教室の一つや二つ氷漬けにすることは容易いだろう。
「そのふざけた外見も体質の影響って訳か」
「君の疑問に僕は一言で答えよう。いや、これは好みだ!」
「おわっふぅ!……おい、冗談だろ?」
氷上に派手に転倒する透哉。
「君はまだ本当の雪だるまを知らない!」
「怒っているのかふざけているのかはっきりしろ!」
荒ぶっている雪だるまを前に透哉は対応に追われ、戸惑っていた。
砕地は誰の目にも疑いようがない臨戦態勢。
けれど、今は真っ昼間の学園。屋上とは言え、人目がいつ及ぶか分からない。
溢れる魔力を見る限り、砕地からは手加減と言った気配が全く見られない。ガスが充満した密室に閉じ込められている気がするほど、砕地の力と気配が満ちている。
あくまで加減を知った上で挑んでくる豪々吾とは異なり、周囲への配慮が頭の中にあるのかも怪しい。
そして、透哉の戸惑いの最たる理由は限界点に達したアウトバーンが素手で応戦できる相手ではない点。
正直な話、こんな訳の分からないことに『雲切』を抜く真似をしたくないのだ。
必死に言葉を投げかけているのは対話でこの状況を収束させたいと思っているからだ。
「別に怒っているわけでもふざけているわけでもないさ」
「じゃあ、なんだよ?」
砕地は平和的な解決を望む透哉にきっぱりと言い切ると、あくまで穏やかな口調のままこう続ける。
「滾っているんだよ。魔力をぶつける場所を欲して。そして、見つけて」
ギラギラとした視線に貫かれた気がした。
外見と口調からは想像していなかった好戦的な言い草に、透哉の中で何かかが疼いた。
砕地は感情にまかせて暴れていると言うより、自ら自制心を外して行動している。分別を弁え、しっかりと理解した上で暴走しているのだ。
透哉が出会ったことがないタイプだった。
冷静に分析しながら、透哉は砕地から視線を外して周囲を軽く見回す。
周囲は変わらず無人。そして、この状況をどこかで監視していると思われる流耶も、口を挟んだり割り込んだりする様子もない。
(つまり、俺が自由に遊んでもいい時間ってことか)
透哉の懸念は学園内の生徒、教職員の安否だったが、それと同じくらい自分の力が人目に触れることへの恐れがあった。
しかし、考える時間は与えられなかった。
「エンチャント!『氷極』」
それは砕地の宣戦布告。
直後、漂っていた魔力がぎゅっと握り潰されるように圧縮され、反動で生じた衝撃が爆発的な反応を起こす。
緩んでいた紐を力任せに結んだみたいに、空間そのものが堅く締め上げられるような感覚に陥る。
蟠っていた魔力の渦が膨大な冷気の怒号となって透哉の方に押し寄せる。それは季節感を無視した突然の吹雪。
透哉は反射的に腕で顔を覆うと、全身を駆け抜けた突発的冷たさに声を震わせる。
「うえ!? 寒っ! 冷た! いきなり何しやがるんだよ!?」
ある程度予期していたとは言え、体感して見立ての甘さを思い知らされる。
その人為的な吹雪は太陽光で半分溶けていた氷と水を飲み込み、瞬く間に氷結させた。生ぬるかった外気温を引き絞るように一気に低下させ、梅雨の学園を凍り付かせた。
数秒前まで雪解けを思わせるほど水気を帯びていた氷が、厚みを増した氷塊へと上書きされている。
時間の逆走や季節の反転を思わせるほどの威力と範囲。
一変した景色に意識が行っていたが透哉本人も例外ではない。
髪の毛は白髪のツンツンで、盾に使った腕と直接冷気を浴びた体の前部分はうっすらと氷が張って少し動くだけでパリパリと表面が崩れ落ちる。
足下は噛みつかれたように凍り付き、床と完全に同化して身動きが取れなくなっていた。
更に氷結は広範囲に渡り、半開きの扉から校舎に侵入した冷気が踊り場まで達し、雪山の洞窟の様相を呈していた。
比較的温暖な夜ノ島ではお目にかかることが出来ない氷の世界に思わず見入ってしまう透哉だが、状況は予想を上回っていた。
「遊びにしては度が過ぎてんじゃねーか!?」
「はははっ、やはり、思った通り君となら存分に遊べそうだ」
「この雪だるまっ! てめぇ、雪の裏でどんな顔してんだ!?」
白い息を吐いて怒鳴る透哉に反して砕地の声は快活そのものの。
砕地が一歩踏み出す。
それは小さな一歩だが、立ちこめる冷気をかき分けながら迫る砕地の姿に透哉の熱が急速に奪われていく。
寒さとは違う、恐ふ――
「へっくしょん! ずずっ」
恐れに支配されかけた精神を吹き飛ばす、緊張感に欠ける叫びが氷上に響く。
急激な温度低下を前に夏服は軽装過ぎた。
鼻水をすすり上げる透哉の正面、砕地も体を小刻みに震わせている。
「なんで、お前が寒がってんだよ!」
「こ、これは武者震いさ。やっと君に出会えたことへのね。そして、度が過ぎている、そう言ったね? でも、心配はいらない」
「手加減している、とでも言うつもりか?」
透哉の皮肉交じりの言葉に砕地は答える。
数瞬前までの楽しむような快活さを一切消した、酷く低く冷淡な声で。
「だって、君は強いだろ?」
「――っ!?」
砕地の言葉は一見、透哉を高く評価した風に見える。
しかし、それは認識の誤りだと透哉は直感する。
雪だるまの形をした不変の仮面、その裏に狂気を纏った歪んだ笑みが見えた気がしたからだ。
怪我をしないからと言っておもちゃの剣で切りつけるように、死なないからと言って防弾チョッキの上から銃を発砲するように。
対象の強度を理解した上で暴力を敢行している。
(気をつけろって、こういうことか!?)
数分前の豪々吾とのやりとりを思い返す。
砕地の攻撃は豪々吾が求める競技的な闘争とは根本が違っていた。
そして、砕地の判断材料が日常的に行われている豪々吾とのじゃれ合いだとしたら、既に限度を超えている。
なにより、恐ろしいのは砕地に暴力自体への躊躇がない点。
「それに、どうやら君に僕の能力が効かないみたいだ」
「どこがだよ!? バチクソに氷付けじゃねーか!」
「アプローチの方法を変えさせて貰おう。雪だるまなりに!」
体温で溶け始めた腕と違って、前髪は依然としてツンツンに固まったままだ。
砕地は凍った地面を軽く蹴ると、バーカウンターを滑るグラスのように直立不動のまま氷上を滑走し透哉に迫る。
砕地の正面切っての突進に透哉は拳を構える。
カウンターの気配を察したのか、単にからかっているのか、砕地は衝突寸前で空中を舞い、透哉の真上と飛び越えた。
「やっぱ、てめぇふざけてんだろ!?」
「はっはっは! 何一つふざけてはいないよ!」
「って、おい、そっちは――!」
砕地は氷上とは思えない安定した着地を決めると更に勢いを増して滑走を続け、勢い余って屋上からポーンと飛び出した。
驚愕する透哉をよそに、砕地は屋上から引き延ばすように氷の足場を作ると悠々と滑走して屋上に帰って来た。
電車がレールを敷きながら走るような無茶苦茶を力技で実現してくる。
「さて、少し本気を出すから真面目に受けないと死ぬかもしれないから気をつけなよ?」
「おいおいおい、ちょっと待てよ!」
砕地は足が氷付けで動けないただの的と化している透哉に告げる。透哉は身に迫る次なる攻勢への気配を感じ取り、声を大にして説得を試みる。
聞く耳を持っていないのか、砕地はゆっくりとした動作で構えた。
片腕で岩を振り回すみたいに、些細な動きに尋常ではない量の魔力を纏わせる。雪崩を起こす雪山のように屋上全体が揺さぶられている気さえする。
一撃目とは異なる力の奔流を感じ取った透哉は観念して宣言。
「エンチャント!『雲切』!」
透哉は手の中に透明な刀を生み出すと足下の氷を切り飛ばして拘束を解く。
直後、砕地の足下からドミノ倒しを逆再生したみたいに夥しい数の氷の柱が起き上がる。
それは屋上の床を下の階から貫くように生えてきた強烈な氷の槍衾。
回避行動を誤れば串刺しになる致死性の攻撃。
透哉は魔力の流れを見切り、自身に到達する氷だけを厳選して的確に迎撃する。
それは刹那の判断。
あくまで自己防衛のために刀を振り抜き、魔力を断絶し、迫る氷の槍を斬る。
氷を切り裂く音は鼓膜を突き破りそうなほどの爆音を生んだ。
残された氷の槍衾は透哉の左右を突き抜け、背後の欄干と昇降口に殺到する。
床伝いに放たれた攻撃にもかかわらず、落石を彷彿させる破壊音が鳴り、衝撃と振動が透哉の背を打つ。
振り返ると単純な氷の質量に負けて変形した欄干と、氷の槍に貫かれて穴だらけになった昇降口が目に入った。
校舎の破壊具合は正直問題ではない。場所は異なるが、豪々吾と決闘する度に校舎や寮の中を破壊している透哉だ。この程度では驚かない。
ただ、ほぼ初対面の人間に明確な殺傷力を向けられたことに驚いているのだ。
気付くと冷や汗が額の上で凍っていた。
「なるほど、君はそういう風に能力を使うのか」
声に振り返ると、腕を組んで至って冷静な感想を吐くだけの雪だるまが佇んでいた。
改めて得体が知れない、その言葉がしっくりくる存在だった。
透哉は咄嗟に言葉が出なかった。攻撃を受けたことへの怒りよりも、攻撃をされたことへの困惑が圧倒的に上回ったからだ。
「昔と比べると大人しくなったけど、まだまだ扱いが難しくてね。不意な暴発を防ぐためには今ぐらいまとめて消費しないとダメなんだよ。ああ、参考までに言っておくと、君が臨戦態勢に移行したことを確認して攻撃をした。そうでなければ、攻撃は止めていた」
「つくづくよく喋る雪だるまだ」
やはり危機感が決定的に欠如している。
砕地の言い分を強めに噛み砕くとキャッチャーミットを構えたから投球したと言うこと。
相手の技量を見誤っていたらどうするつもりなのか。透哉と砕地の間に文字通り、温度差が生じていた。
漂う冷気に視界を大幅に削られていることとは関係なく、相変わらず砕地の表情も意図も見えてこない。
「君の力は想像以上だ」
「そうかよ、だったらもう――」
「だから、もっと。もっともっと力を見せて欲しい! まだ、遊び足りないんだ!」
砕地のその感情は興奮とはほど遠い、狂気と思える。
ゆっくりと腕組みを解くと、さっきと同等の魔力を纏い、一歩踏み出す。
今の砕地から視線を反らすべきではないが、床から生えた無数の氷に目を向け、透哉は息を呑む。
砕地の言う遊び、それを額面通りに受け入れられなかったからだ。
能力の威力や精度にはエンチャンターの精神や感情も影響してくる。
当然冷静でいなければ能力は安定しないし、暴発と言った危険もある。
しかし、眼前の氷からは遊びや余裕と言った部分が見受けられない。
砕地のエンチャンターとしての能力の高さとは別の強い感情が秘められている、そんな気がした。
当然そんな感情を向けられる覚えはない。
死への恐怖と言うより、未知への恐怖から透哉は後退りをする。
緊張から流れた汗さえも凍る極限の最中、『それ』は訪れる。
透哉は足を止めた。
砕地の声は引き留めると言うよりも、話し相手を求めて囁くようだった。
要望を聞き入れて貰った手前、無下に扱うまいとドアノブを握ったまま振り返り、透哉は言葉を詰まらせた。
全身が見えない何かに震え上がった。
(――氷山!?)
直後、そんな幻想が目に浮かぶほどの重圧が襲う。
けれど、肌を外からビリビリと叩く気配が分からない。屋上を覆う氷の冷気で体がこわばっているのかと考えたが違う。
「貴重な昼寝の時間を削って話を聞いて力添えすると約束したんだ。僕個人としても、何か見返りを求めてもいいかな?」
世の中、持ちつ持たれつ、ギブ&テイクだ。砕地の言い分は正当な要求だ。
砕地が徐に左腕を持ち上げる。
友好の証として握手を求め、透哉が応じた義手の左腕。
「君ならこの左腕を握り返してくれると思っていた。しかし、一つも躊躇しなかった点はとても心苦しい限りだ。僕としてはね」
「何の話しをしている?」
「さて、いつの話だろうね?」
「あぁん?」
妙に噛み合わない会話に透哉は首を傾げる。透哉にとっては砕地と話すのは今日が初めてで、以前に会った記憶はない。
砕地側の意図は掴めないが、雪だるまの奥で砕地が笑っている、そんな気がした。
透哉の背筋を突然ぶるっとした震えが襲う。
改めて砕地の左腕を注視する。
一連の流れからある予感を感じ取った途端、白い冷気で霞む義肢が煙を吹き出し躍動する兵器に見えたのだ。
氷結した氷の白さが黒さを際立たせている影響か、医療用の義肢にしては重厚に映った。
黒光りする鮮麗された形状は攻撃的な側面を備えているように見える。
そして、透哉は気付く。
砕地の背後の揺らぎに。
(――っ!?)
決壊直前のダムから水が漏れ出すように、砕地の体から魔力があふれ出している。
『原石』の力も使っていないのに、肉眼で可視化できるほどの魔力が砕地の体から溢れ渦巻いていた。それはとぐろを巻いて力を貯める蛇の姿を彷彿させる。
同時、さっき見た氷山はこの逆巻く魔力の気配が見せた幻想だと知る。
砕地が特別なことをしている風に見えない点も拍車をかけていた。
「昼寝を邪魔された腹いせに喧嘩でもしようってのか?」
「近からず、遠からずといったところさ。と言っても昼寝はおまけで療養が目的だよ」
「療養?」
「僕はアウトバーン症候群と言う特殊な病気なんだ」
あえて挑発的な物言いをすることで砕地の出方を見るつもりだったが、思わぬ応酬を受ける。
アウトバーン症候群とは別名過剰魔力症と呼び変えられるエンチャンター特有の病気なのである。
魔力を生成する器官の活動が普通のエンチャンターよりも旺盛で、必要以上の魔力を生み出し、蓄積しすぎるとふとした拍子に能力暴発の恐れもあるやっかいな病気である。
暴発を防ぐ方法としては、過剰供給される魔力を蓄積の限界を越えない程度に消費すればいいだけ。
「アウトバーン、魔力異常体質か」
「話が早くて助かるよ」
周囲の異常な光景も納得がいく。
砕地は魔力の蓄積防止として無人の屋上を氷結させて発散していたのだ。
つまり、透哉は余剰魔力の放出中にお邪魔してしまったと言うわけだ。
第一声で急ぎかどうかを尋ねたのはそのためだったのだ。
そして、透哉が砕地から療養時間を奪った結果、行き場を失った魔力が幻想を見せるほどあふれ出している。
能力が暴発した際の被害は想像ができない。屋上を氷結させても有り余る魔力と考えれば教室の一つや二つ氷漬けにすることは容易いだろう。
「そのふざけた外見も体質の影響って訳か」
「君の疑問に僕は一言で答えよう。いや、これは好みだ!」
「おわっふぅ!……おい、冗談だろ?」
氷上に派手に転倒する透哉。
「君はまだ本当の雪だるまを知らない!」
「怒っているのかふざけているのかはっきりしろ!」
荒ぶっている雪だるまを前に透哉は対応に追われ、戸惑っていた。
砕地は誰の目にも疑いようがない臨戦態勢。
けれど、今は真っ昼間の学園。屋上とは言え、人目がいつ及ぶか分からない。
溢れる魔力を見る限り、砕地からは手加減と言った気配が全く見られない。ガスが充満した密室に閉じ込められている気がするほど、砕地の力と気配が満ちている。
あくまで加減を知った上で挑んでくる豪々吾とは異なり、周囲への配慮が頭の中にあるのかも怪しい。
そして、透哉の戸惑いの最たる理由は限界点に達したアウトバーンが素手で応戦できる相手ではない点。
正直な話、こんな訳の分からないことに『雲切』を抜く真似をしたくないのだ。
必死に言葉を投げかけているのは対話でこの状況を収束させたいと思っているからだ。
「別に怒っているわけでもふざけているわけでもないさ」
「じゃあ、なんだよ?」
砕地は平和的な解決を望む透哉にきっぱりと言い切ると、あくまで穏やかな口調のままこう続ける。
「滾っているんだよ。魔力をぶつける場所を欲して。そして、見つけて」
ギラギラとした視線に貫かれた気がした。
外見と口調からは想像していなかった好戦的な言い草に、透哉の中で何かかが疼いた。
砕地は感情にまかせて暴れていると言うより、自ら自制心を外して行動している。分別を弁え、しっかりと理解した上で暴走しているのだ。
透哉が出会ったことがないタイプだった。
冷静に分析しながら、透哉は砕地から視線を外して周囲を軽く見回す。
周囲は変わらず無人。そして、この状況をどこかで監視していると思われる流耶も、口を挟んだり割り込んだりする様子もない。
(つまり、俺が自由に遊んでもいい時間ってことか)
透哉の懸念は学園内の生徒、教職員の安否だったが、それと同じくらい自分の力が人目に触れることへの恐れがあった。
しかし、考える時間は与えられなかった。
「エンチャント!『氷極』」
それは砕地の宣戦布告。
直後、漂っていた魔力がぎゅっと握り潰されるように圧縮され、反動で生じた衝撃が爆発的な反応を起こす。
緩んでいた紐を力任せに結んだみたいに、空間そのものが堅く締め上げられるような感覚に陥る。
蟠っていた魔力の渦が膨大な冷気の怒号となって透哉の方に押し寄せる。それは季節感を無視した突然の吹雪。
透哉は反射的に腕で顔を覆うと、全身を駆け抜けた突発的冷たさに声を震わせる。
「うえ!? 寒っ! 冷た! いきなり何しやがるんだよ!?」
ある程度予期していたとは言え、体感して見立ての甘さを思い知らされる。
その人為的な吹雪は太陽光で半分溶けていた氷と水を飲み込み、瞬く間に氷結させた。生ぬるかった外気温を引き絞るように一気に低下させ、梅雨の学園を凍り付かせた。
数秒前まで雪解けを思わせるほど水気を帯びていた氷が、厚みを増した氷塊へと上書きされている。
時間の逆走や季節の反転を思わせるほどの威力と範囲。
一変した景色に意識が行っていたが透哉本人も例外ではない。
髪の毛は白髪のツンツンで、盾に使った腕と直接冷気を浴びた体の前部分はうっすらと氷が張って少し動くだけでパリパリと表面が崩れ落ちる。
足下は噛みつかれたように凍り付き、床と完全に同化して身動きが取れなくなっていた。
更に氷結は広範囲に渡り、半開きの扉から校舎に侵入した冷気が踊り場まで達し、雪山の洞窟の様相を呈していた。
比較的温暖な夜ノ島ではお目にかかることが出来ない氷の世界に思わず見入ってしまう透哉だが、状況は予想を上回っていた。
「遊びにしては度が過ぎてんじゃねーか!?」
「はははっ、やはり、思った通り君となら存分に遊べそうだ」
「この雪だるまっ! てめぇ、雪の裏でどんな顔してんだ!?」
白い息を吐いて怒鳴る透哉に反して砕地の声は快活そのものの。
砕地が一歩踏み出す。
それは小さな一歩だが、立ちこめる冷気をかき分けながら迫る砕地の姿に透哉の熱が急速に奪われていく。
寒さとは違う、恐ふ――
「へっくしょん! ずずっ」
恐れに支配されかけた精神を吹き飛ばす、緊張感に欠ける叫びが氷上に響く。
急激な温度低下を前に夏服は軽装過ぎた。
鼻水をすすり上げる透哉の正面、砕地も体を小刻みに震わせている。
「なんで、お前が寒がってんだよ!」
「こ、これは武者震いさ。やっと君に出会えたことへのね。そして、度が過ぎている、そう言ったね? でも、心配はいらない」
「手加減している、とでも言うつもりか?」
透哉の皮肉交じりの言葉に砕地は答える。
数瞬前までの楽しむような快活さを一切消した、酷く低く冷淡な声で。
「だって、君は強いだろ?」
「――っ!?」
砕地の言葉は一見、透哉を高く評価した風に見える。
しかし、それは認識の誤りだと透哉は直感する。
雪だるまの形をした不変の仮面、その裏に狂気を纏った歪んだ笑みが見えた気がしたからだ。
怪我をしないからと言っておもちゃの剣で切りつけるように、死なないからと言って防弾チョッキの上から銃を発砲するように。
対象の強度を理解した上で暴力を敢行している。
(気をつけろって、こういうことか!?)
数分前の豪々吾とのやりとりを思い返す。
砕地の攻撃は豪々吾が求める競技的な闘争とは根本が違っていた。
そして、砕地の判断材料が日常的に行われている豪々吾とのじゃれ合いだとしたら、既に限度を超えている。
なにより、恐ろしいのは砕地に暴力自体への躊躇がない点。
「それに、どうやら君に僕の能力が効かないみたいだ」
「どこがだよ!? バチクソに氷付けじゃねーか!」
「アプローチの方法を変えさせて貰おう。雪だるまなりに!」
体温で溶け始めた腕と違って、前髪は依然としてツンツンに固まったままだ。
砕地は凍った地面を軽く蹴ると、バーカウンターを滑るグラスのように直立不動のまま氷上を滑走し透哉に迫る。
砕地の正面切っての突進に透哉は拳を構える。
カウンターの気配を察したのか、単にからかっているのか、砕地は衝突寸前で空中を舞い、透哉の真上と飛び越えた。
「やっぱ、てめぇふざけてんだろ!?」
「はっはっは! 何一つふざけてはいないよ!」
「って、おい、そっちは――!」
砕地は氷上とは思えない安定した着地を決めると更に勢いを増して滑走を続け、勢い余って屋上からポーンと飛び出した。
驚愕する透哉をよそに、砕地は屋上から引き延ばすように氷の足場を作ると悠々と滑走して屋上に帰って来た。
電車がレールを敷きながら走るような無茶苦茶を力技で実現してくる。
「さて、少し本気を出すから真面目に受けないと死ぬかもしれないから気をつけなよ?」
「おいおいおい、ちょっと待てよ!」
砕地は足が氷付けで動けないただの的と化している透哉に告げる。透哉は身に迫る次なる攻勢への気配を感じ取り、声を大にして説得を試みる。
聞く耳を持っていないのか、砕地はゆっくりとした動作で構えた。
片腕で岩を振り回すみたいに、些細な動きに尋常ではない量の魔力を纏わせる。雪崩を起こす雪山のように屋上全体が揺さぶられている気さえする。
一撃目とは異なる力の奔流を感じ取った透哉は観念して宣言。
「エンチャント!『雲切』!」
透哉は手の中に透明な刀を生み出すと足下の氷を切り飛ばして拘束を解く。
直後、砕地の足下からドミノ倒しを逆再生したみたいに夥しい数の氷の柱が起き上がる。
それは屋上の床を下の階から貫くように生えてきた強烈な氷の槍衾。
回避行動を誤れば串刺しになる致死性の攻撃。
透哉は魔力の流れを見切り、自身に到達する氷だけを厳選して的確に迎撃する。
それは刹那の判断。
あくまで自己防衛のために刀を振り抜き、魔力を断絶し、迫る氷の槍を斬る。
氷を切り裂く音は鼓膜を突き破りそうなほどの爆音を生んだ。
残された氷の槍衾は透哉の左右を突き抜け、背後の欄干と昇降口に殺到する。
床伝いに放たれた攻撃にもかかわらず、落石を彷彿させる破壊音が鳴り、衝撃と振動が透哉の背を打つ。
振り返ると単純な氷の質量に負けて変形した欄干と、氷の槍に貫かれて穴だらけになった昇降口が目に入った。
校舎の破壊具合は正直問題ではない。場所は異なるが、豪々吾と決闘する度に校舎や寮の中を破壊している透哉だ。この程度では驚かない。
ただ、ほぼ初対面の人間に明確な殺傷力を向けられたことに驚いているのだ。
気付くと冷や汗が額の上で凍っていた。
「なるほど、君はそういう風に能力を使うのか」
声に振り返ると、腕を組んで至って冷静な感想を吐くだけの雪だるまが佇んでいた。
改めて得体が知れない、その言葉がしっくりくる存在だった。
透哉は咄嗟に言葉が出なかった。攻撃を受けたことへの怒りよりも、攻撃をされたことへの困惑が圧倒的に上回ったからだ。
「昔と比べると大人しくなったけど、まだまだ扱いが難しくてね。不意な暴発を防ぐためには今ぐらいまとめて消費しないとダメなんだよ。ああ、参考までに言っておくと、君が臨戦態勢に移行したことを確認して攻撃をした。そうでなければ、攻撃は止めていた」
「つくづくよく喋る雪だるまだ」
やはり危機感が決定的に欠如している。
砕地の言い分を強めに噛み砕くとキャッチャーミットを構えたから投球したと言うこと。
相手の技量を見誤っていたらどうするつもりなのか。透哉と砕地の間に文字通り、温度差が生じていた。
漂う冷気に視界を大幅に削られていることとは関係なく、相変わらず砕地の表情も意図も見えてこない。
「君の力は想像以上だ」
「そうかよ、だったらもう――」
「だから、もっと。もっともっと力を見せて欲しい! まだ、遊び足りないんだ!」
砕地のその感情は興奮とはほど遠い、狂気と思える。
ゆっくりと腕組みを解くと、さっきと同等の魔力を纏い、一歩踏み出す。
今の砕地から視線を反らすべきではないが、床から生えた無数の氷に目を向け、透哉は息を呑む。
砕地の言う遊び、それを額面通りに受け入れられなかったからだ。
能力の威力や精度にはエンチャンターの精神や感情も影響してくる。
当然冷静でいなければ能力は安定しないし、暴発と言った危険もある。
しかし、眼前の氷からは遊びや余裕と言った部分が見受けられない。
砕地のエンチャンターとしての能力の高さとは別の強い感情が秘められている、そんな気がした。
当然そんな感情を向けられる覚えはない。
死への恐怖と言うより、未知への恐怖から透哉は後退りをする。
緊張から流れた汗さえも凍る極限の最中、『それ』は訪れる。
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