終末学園の生存者

おゆP

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第二章

第24話 幕引き(2)

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2.
 警戒音が降る中、二人は血の園を行く。
 長い逃亡劇は既に始まっていた。
 二人を追い立てるように鳴り響いていたブザーが、不気味なほどピタリと止む。

「もたもたするな! 急げ、御波!」
「どう言うことだ、源!?」
「もうじきここは水没する!」
「すい、水!?」

 慌てる透哉の声を無視し、危機を正しく理解するホタルは握る手を一切緩めず、ひた走る。
 透哉がまず感じたのは、上空からの振動だった。
 見上げると、訓練場の遙か上部、天井付近に開いた横穴の奥から轟音が鳴り響いていた。
 間もなく、ホタルの言う通り大量の水が注がれ始める。
 人工的な大瀑布は地面との衝突で大量の水煙を上げながら、場内に残されたあらゆる物を飲み込み、洗い流していく。
 ダムの放水を思わせる暴力的な水量は、たちどころに地下訓練場を水で満たし、見る見るうちに水位を上昇させていく。
 トプトプと音を鳴らしながら水を赤く染め、大量の残骸が一斉に移動を始める。さながら、増水した河川で揉まれる流木だった。
 透哉はホタルの手を振り払うと、不意に立ち止まり、その光景に釘付けになる。荒れ狂う水が自分の罪も過ちも飲み込んで、有耶無耶にしてしまいそうな気がしたのだ。
 避難を忘れ、ただ、水流を眺めていた。

「御波、早くしろ!」
「……分かった」

 ホタルの檄を受けて透哉は離脱し、閉まる寸前のゲートを潜ると、耐水圧製の分厚い扉が地鳴りのような音を響かせて閉まる。
 押し寄せた水流が扉を叩く音に追われるように階段を駆け上がり、五回ほど折り返すと開けたフロアに出た。
 安全な上階へ避難した二人は、荒い息を吐きながら廊下のベンチに腰を据える。
 廊下は訓練場に沿うように真っ直ぐ伸びていて、等間隔に配置されたベンチが病院の待合を彷彿させる。
 はめ殺しの窓からは、訓練場の惨状が一望できた。

「こ、ここまで上がれば大丈夫だ」
「ああ、悪い、助かった」

 透哉から帰ってきた返事にホタルは息を飲む。非常事態への対応に体が自然と動いただけで、ホタルの胸中は泣き崩れた後のままだ。
 危機からの脱却により、一番の問題が再浮上した。

「……御波っ」
「何だよ、源?」

 改まった呼びかけに透哉は首を傾げ、ホタルは沈痛な面持ちを浮かべる。
 やはり、普通に返事をする、出来てしまう透哉。
 断じて透哉に自らの行為を悔いて、泣き崩れて欲しいはずがないのに、素直に喜べなかった。
 ホタルの心境は複雑さを極めた。
 今は透哉の無事を喜び、助け出せた己の成果を誇ることに意識を向ければいい。
 それでもホタルは透哉を問い質さなければならなかった。勿論、透哉を傷つけぬよう、細心の注意を払いながら。
 余りにも違った、改悪を極めた訓練場の在り方を。言葉を吟味するホタルに、
逆に透哉から話が飛んできた。

「源、ここが前に言っていたメサイアの施設ってところなのか?」
「……あぁ、そうだ。そして、ここは『プール』と呼ばれる、魔道人形との模擬戦を行う訓練場だ」
「魔道人形?」

 些細な答え合わせを終えると、ホタルの口からこの場所の詳細が語られた。
 ホタルの言葉がアカリのことを指すことは想像できた。呼称が殺希と若干異なるだけで同種を指すことは明白だったが、人形と言う言い回しに抵抗を覚えた。

「魔道核と呼ばれるコアを動力として動く人造の人魔だ。『プール』はコアの回収と残骸の処理と清掃を効率化するために、施設自体が貯水槽になっていて、各所に魔道核の回収用のレールとポケットがある」

 堰を切ったようなホタル説明には、説得力を超えた先駆者の生々しい嘆きが含まれていた。
 本音を言うと、ホタルは透哉にこんな説明したくなかった。自分の過去をさらすこともそうだが、ホタル自身が思い出したくなかった。
 しかし、透哉はこの施設の一端に触れるどころか、身を持って味わった直後だ。
 もはや、隠す必要はないと判断したのだ。吐き出すように粗方を話し、ホタルは聞く。

「そんなことより御波っ! 何故お前はあんなものと戦っていたのだ?」
「あんなもの、なんて言うなよ。作り物でも、あれは春日アカリだ」

 透哉は立ち上がると、改めて訓練場に視線を転じる。赤々と波打つ水面から時折半融解状態の物体が、浮いては沈むを繰り返している。
 徐々に下がっていく水位を無言で眺めながら、透哉は奥歯を噛み締めた。
 今になってアカリの悲痛な訴えが脳裏に蘇ってきたのだ。体の自由はきかないながらも、透哉の五感は確実にアカリを殺し、その感触を記憶に留めていた。
 懊悩苦悩が渦巻き、自分自身さえ正しく詳細を理解できず、ホタルにも伝えられずにいた。
 言葉を選ぶどころか、選ぶ言葉も見つけられずにいた。

「違うんだ御波、そうじゃないっ! 本来訓練場で戦う魔導人形は、戦闘プログラムだけを組みこまれた、自我も顔もない人形なんだ!」
「え?」

 悪質化している演習内容に、ホタルは酷い嫌悪感を覚えずにはいられなかった。
 ホタルは透哉の肩を掴み、揺さぶる。
 透哉のことを案じる一方で、ホタル自身も納得できる理由と救いを欲していた。

「特定の個人を模して作られた物など、私は知らない!」

 しかし、そこまで言ってホタルは次の言葉を踏み止まった。
 驚きこそあれど、透哉の顔に全く心労に苦しむ様子が見えなかったからだ。
 精神を八つ裂きにされるほどの痛みを受けているはずなのに、当の透哉は不快感こそ顔に滲ませていたが、大したダメージを受けているとは思えなかった。

「……だから、わたしも驚いているのだ。まさか実在の人物を模した物と戦うとは、あれは、春日アカリとは何者なのだ?」

 ホタルは口に出して、悪寒に襲われる。自らが口にした名前への無自覚な恐れだった。
 ホタルが悪寒の正体に気付くより早く、それは来る。

「アカリは私が作った、私の娘だよ?」

 赤い濁流に洗い流される訓練場を見下ろす二人は、弾かれたように振り返るが、そこに声の主はいない。

「ミナミトウヤ、そう悲観することはないよ? 魚を捌いた後の残骸を排水溝に流したりするでしょ? それと同じなんだよぉ?」

 声は視線の遙か下。
 管理監督よりも怠惰適当が遙かに似合う、ずぼらでいい加減な第六学区の魔女、春日殺希が廊下に横たわっていた。
 憔悴した二人の前、理不尽な教鞭を振るう異形が、脱力した姿勢のまま空間を圧迫している。

「心配しなくても君が今日ここで斬り殺したアカリたちのほとんどは、量産品の魔導人形だよ。まぁ、最後の数体は要望があったのでスペックアップして本物にかなり寄せた作りになっていたと思うけどねぇ。ちなみにオリジナルのアカリは無事だよ。後は更新を終えれば・・・・・・・自動的に目覚めるね。今晩君が行った蛮行の数々の一切を知らずにね」

 どこまでも飄々とした殺希の態度。
 意見しようと試みた透哉だが、口を半分開いたところで言葉が出なくなった。
 加害者としての重責がのしかかり、口を噤ませたのだ。良心の呵責に苛まれ、示唆した殺希を責めることができなかった。
 今の透哉は、十年前と同じで被害者と加害者の両側面を持っている。
 戦場に駆り出された兵士のように、一概にどちらの立場とも言えないのだ。
 そんな逡巡する透哉に殺希はうっすらと笑みを浮かべて眺めた後、視線を切り替える。
 ゆっくりと立ち上がると肩を落とし、背を丸め、長い三つ編みと髪飾りを床に引きずりながら歩く。
 しかし、三歩ほど歩きベンチにたどり着くと、今度はベンチの上に寝転んだ。

「殺希さん」
「久しぶりだね、ホタル。定期連絡をサボって独断専行に走ったときは謀反を疑ったけど、元気そうで何より」

 ホタルの呼びかけに殺希が欠伸ながらに返事をする。
 けだるさとは裏腹に離反への言及が含まれていたが、深刻さは窺えない。世間話や思い出話をするような気軽さだ。

「それにしても悪魔の訓練とは人聞きが悪いなぁ。君は一万人切りを達成したでしょ~?」
「確かにそうだが、その話しは……」

 どうやって傍受していたのか、訓練場で放った一言は殺希の耳に届いていた。そして、あっさりと暴露された自らの忌まわしい過去に、思わず透哉の方を振り替えるホタル。
 未だに透哉がこの場を訪れた経緯は分からないが、ホタルとしては一刻も早く透哉を殺希から引き離したかった。
 過去の柵にまで透哉を巻き込みたくないと同時、目の前で昔のアルバムを開かれているようで気分が悪いからだ。
 それでもホタルは飄々とする殺希に恐る恐る尋ねた。

「それよりも。殺希さんは、私を咎めないのか?」
「ん? 咎める?」
「私は夜ノ島学園で標的だった御波を発見したのに、そのことを黙っていたのだ。全てお見通しなのだろ?」
「ああ、そのこと。別に構わないよ?」

 ホタルは相当の叱責を覚悟して告白したつもりだったが、淡泊な反応を返す殺希。
 腑に落ちないと同時、不気味だった。掴み所はなく、ボーっとしているようで引き締めるときには厳格さを覗かせる殺希の薄い反応が。
 来る者拒まず、去る者殺す。
 己の都合、不都合で命を生成廃棄する、この施設内での殺希を知るホタルは心中穏やかではいられなかった。
 この戒律は秘密の漏洩を防ぐ理由が強いが、本質は殺希の執拗性にある。なのに、任務に背き、下手すれば裏切りと解釈されかねない行動が、厳罰の対象になっていない。
 危険は承知で、自分が野放しにされた本当の理由を知りたかった。

「だが、私は任務で潜入したのに、決まりを破って……」
「任務? ああ、君にはそんな風に言ったね。でも、あれはそういう目的じゃないから」
「……え?」

 まるでよその国の天気予報を聞かされたみたいな、無関心さ。厳罰の対象にないことは素直に安堵した。
 しかし、入れ替わりに納得がいかない気持ちが浮上する。
 ホタルは殺希の気分屋な性格を知っているが、それを差し引いても反応が淡泊に映った。
 とても自分のエンチャンターとしての根幹を築くために尽力してくれた者の対応とは思えなかったのだ。
 ポカンとするホタルを置き去りにして、大した説明もなく殺希の興味は移る。
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