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第二章
第25話 十二学区撤退戦(6)
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6.
ホタルの勝利で幕引きを迎えた空中戦。
しかし、地上ではホタルが止めようとした、透哉を攻撃してまで止めたかったことが、現実に起きようとしていた。
透哉は追手である魔人と静かに対峙していた。
誰もが逆らえない不条理が、透哉と魔人を巡り合わせた。
透哉としては、逃走中の望まぬ邂逅で、ホタルと合流できれば戦う必要などない。
しかし、不運なことに相手が動きを見せた。
暗がりでも判別できるほどに脚部が肥大化した。伸縮性に優れた着衣らしく筋肉にピタリと張り付き、変化した肉体をくっきりと浮かび上がらせる。
その変化に、透哉の口元が反応する。痙攣したみたいに抑えられない反射的な動き。
自分に牙を剥き、真っ直ぐな敵意を向けてくる存在。
手加減のいらない、壊してもいい相手。
直後。
魔人の男、番場が巨大化したと見紛うほどの勢いで接近してきた。
姿勢は低く、地面に顔をこすりそうなほどの前傾姿勢。
縮まる距離に透哉が覚えた感情は、恐怖ではなく高揚。
透哉の目には、自分を捕えるために暴力を行使する魔人としか移らない。
数多の考察や自己暗示を経た、勇気ある決断であるとは知りもしない。
(いいぜ、お前らの得意分野で遊んでやるよ)
「ぐおぉぉぉっ!!」
地面スレスレの低姿勢から番場が放った拳は砂を巻くほどに速く、真下からとは思えない重みがあった。
しかし、距離があったことと軌道が余りにも直線的だったことが災いした。
透哉は番場が突き出した手首を掴み、目前で拳を強引に止めた。
そして、投げるでも折るでもなく、ただ、握る。
「――っ!? 何!? 止めろぉぉぉおおお!?」
未知の存在に捕縛されたことへの驚き、加えられた力への恐れが番場の口から同時に漏れ出した。
絡みついた蛇を振り払うように、掴まれた左腕から透哉の手を引き剥がそうと右腕を伸ばしかけて、激痛に膝を突いた。
番場を襲った痛みの正体、それは魔力で強化された腕力による純粋な圧迫。
ゴキゴキと破砕音を響かせながら、瞬く間に手首の骨を粉砕する。
しかし、透哉は力を緩めない。
悲鳴など聞こえない機械のように加圧を続け、遂には指の間から血肉がはみ出し始める。
そして、透哉の指が自分の手のひらに触れる頃、番場の腕はトラックに轢かれたゴムボールのような破裂音を鳴らせて赤く赤く弾け飛ぶ。
「をををををぉぉ!?―――っ」
三秒前までは満足に動いていた腕のなれの果てに、番場は言葉にならない絶叫を残し、気絶した。
透哉は動かなくなった番場を空になった缶のように投げ捨て、赤く染まった手を真横に凪ぐと血を払う。
闘争の余韻に浸る間もなく、後続の足音が透哉の耳に届いた。
番場の悲鳴が意図せぬ救援要請として他の仲間を呼び寄せたのだ。
大型商店の角から幾人もの人影が透哉の前に並び、誰もが足を止めた。番場同様、想定外の巷に戸惑い、追跡者としての勢いを失っている。
ぞろぞろと集合した魔人たちは、怪獣フィギュアが満載したおもちゃ箱をひっくり返したみたいなあり様だ。それぐらい多様な容姿の面々が並んでいた。
そして、合流した誰もが現場に息を飲んだ。
力なく地に伏した仲間と流れ出た血の跡。暗さではっきりと目視することは叶わなかったが、片腕が明後日の方向に曲がり、奇妙に伸びている。
その向こう、朧に揺れる人影がそれらの惨状を意に介さずただ立っている。
大人と子供ほどの体格差があるにも関わらず、その力の差は火を見るよりも明らかだった。
「……相手は侵入者、多少手荒にしても問題ないだろう」
「おい、止めろ。命令違反だ」
「そうだ、俺達の受けた指示は死体の回収か負傷した侵入者の捕縛で、戦闘は含まれていないのだぞ!?」
集まった魔人たちが口々に言って、その中の一人がゴキリと関節を鳴らした。
「それなら、死体だったことにすりゃ話が丸く収まるだろ?」
「本気なのか?」
「最悪、バレたとしても番場の敵討ちだったと言えば、鮫崎さんにも言い訳がつく!」
仲間の惨状を前に怯んだ足が、集団という後ろ盾と暴力への渇望によって勢いを取り戻していた。
(へぇ、なかなか楽しそうな話してんじゃねぇか)
透哉は小声で魔人たちを称賛した。
日頃からの鬱憤を晴らしたい、抑圧された暴力を解放する機会を欲している風に聞こえたから。
『白檻』の揺らぐ衣の裏、透哉は笑みを浮かべる。
『戦犬隊』は警備隊と呼ぶには粗野な一面が露骨に出過ぎている。
騙しているとまではいかなくても、本性を隠して大人しい振りをしている、透哉の目にはそんな風に映った。
敵前とは言え、指示を無視した挙げ句、現場の捏造を平然と企てているのだから。
(だとすると、こいつらをしっかり束ねる奴がいるのか?)
想像の域を出ないが、彼らを服従させる存在を疑うのは自然なことだった。
そんな中、透哉の思考を妨害するように、集団の輪を飛び出し『戦犬隊』小林が正面切って突撃してくる。
拳を握った動機は仲間の敵討ちと、純粋な闘争心。
敵意と殺意に満ちた拳が透哉の顔面目がけてほとんど真上から放たれる。しかし、透哉はこれを鋭い身のこなしで軽々回避。そのまま背後に軽く飛んで二メートルほどの距離が生まれる。
空を切った小林の拳が鈍い音を鳴らし、コンクリートを砕き地面にくぼみを作る。素手でコンクリートを変形させる力で殴りながら、小林が痛みを覚えた気配がしない。
『原石』を駆使した特有の立ち回りができないことが懸念材料だったが、一連の流れを見る限り杞憂だった。
魔人たちはその体躯に見合った力こそ持っていたが、透哉からすれば遅すぎた。
(復帰が早いな。身体能力は流石と言ったところか)
透哉は悠然と頭の中で感想を吐きながら足を前後に開き、迎撃態勢を取る。
対する小林は先程同様に相手を破壊するために右腕を構えた。何の捻りもない、力任せの無策の獣の拳だった。
「受けて見ろ! 我が鉄の拳を!」
(へぇ。その挑発乗ってやるよ)
透哉は冷めたように一息吐く。
顎を引き、迫る巨大な拳に自らの額で応え、迎撃する。
小林の放った全体重を乗せた一撃を透哉は魔力で強化した体で受け止めた。
透哉の額と小林の拳の境界から不気味な衝突音が生まれ、赤い血の波紋が弾ける。
「ぎゃあ!? 手がぁ!?」
殴った側が悲鳴を上げる珍事に、背後に控えた仲間たちの間で動揺が広がる。
透哉を殴った小林の右手が、コンクリートに叩き付けたトマトのように血を吹き出して変形したのだ。
いかに魔人の身体能力が優れていると言えど、今の透哉は生身の人間では到底至れない領域に達していた。
肉体を魔力で補強して戦う接近戦において透哉は無類の力を発揮する。
鈍器や刃物でも傷一つ負わせることは出来ない。まして、強いだけの獣では抗うことさえ出来ない。
(ただ、純粋な重量差だけはどうにもならねーな)
衝撃で五センチほど後方にずれた自分の靴跡を見下ろしながら、相手の次の手を待っていた。
ところが。
「なんという堅さ!? デバイスのなす技か!?」
小林は、透哉の限度を超えた肉体強化と言う現実味がない答えに辿り着けず、あろうことか未知のデバイスに原因をなすりつけた。
そして、それを捨て台詞に負傷した片腕を庇いながら後退し、巣穴に逃げ込む小動物のように味方の群れの中に身を寄せた。
それは「俺はもう戦えない、だから交代してくれ」と言う仲間へのメッセージであり、敵対する透哉に対して「ごめんなさい、もう適いません」と言う身勝手な降伏。
反撃せず、律儀に次を待っていた透哉の頭が沸騰した。
(なんだよそりゃ?――違うだろ? ああぁ!?)
眉間に深い皺を作り、沸点を超えた怒りが足先に集まる。
野良犬の捕獲に戸惑っているとでも言いたそうな、危機感のない相手の言動。手傷は負ったが追い詰めているのは自分たちと言わんばかりの振る舞いが、透哉を苛つかせた。
負傷を理由に仲間を盾にして戦線離脱を目論む姿を一点に見つめ、透哉は脚力を増大させて地面を蹴る。
肉体の強度限界を遙かに超えた脚力は、地面を踏み砕くと言うパフォーマンスを実現した。コンクリート片を無数に背後に排出し、人間が出す音とは思えない衝突音を足の裏から発して追撃する。
それは魔力による強化の反動や肉体の損壊による継戦能力の低下と言った、生身が抱えるありとあらゆる問題を無効化している透哉だから出来る無理無謀だ。
逃げる物を追いかける、どこまでも追い詰める。
淡い輪郭を揺らしながら直線的な軌跡を描いて猛進する。さながら実体を持つ幽霊のように。
間もなく、魔人たちの耳を打ったのは連続した謎の発破音。
一様に首を傾げながら、数名の仲間がごっそり消えるように吹き飛ばされていた。体格差を無視した圧倒的な攻撃力に驚愕し、謎の発破音がただの足音だと気付き、震え上がる。
俊足からくり出される透哉の拳が、魔人たちの目には堅牢な城壁を破壊する攻城兵器に映った。
「うわぁああああ!?」
仲間諸共吹き飛ばされて冷静さを失った小林は、無事な方の腕を使って手近な物を投げつけるだけのヤケクソな戦法で迎え撃つ。
選ばれたのは設置された金属製のゴミ箱。地面を跳ねながら歪に転がって透哉の行く手を阻む。
しかし、コンと甲高い音を残しゴミ箱は二つに分断され、撥ねのけられ、路地に棺桶のように転がる。奥から這い出てくるのは、指をかぎ爪状に構えた朧な人影。
ゴミ箱の残骸には、五指がはっきりわかるほど、くっきりと打ち抜かれた跡が刻まれている。
「――ひぃいい、頼む! 助けて!」
悲鳴を上げ、許しを請い、助けを求めつつも小林はヤケクソな投擲を止めない。混乱と恐怖が言動の矛盾に気付かない。
抵抗の甲斐なく、小林は追い詰められた。咄嗟に盾にした腕を透哉の指が容易く切り裂いた。
透哉は勢いそのままに、今度は小林の脇腹を掴むと、獲物に食いついた鰐のように千切れるまで振り回した。
小林は壁に叩き付けられ、路上に転げ落ちると口と脇腹から血を噴いて動かなくなる。
「手間かけさせんな。こっちは隠密行動を務めてんだよ」
透哉は『白檻』の能力で正体を隠したまま、唾棄するように肉声を放つ。
「隠密行動だと!? 貴様――っ!」
初めて口を開いたと思った矢先、とんでもないことを口走った透哉に、残りの『戦犬隊』のメンバーたちが怒りの声を上げた。
「そう、隠密行動だ」
「ふざけるな! こんなことをしてあとでどうなるか――」
「その前に自分たちの身を案じろ」
「ぐっ!?」
脅迫ではない宣告に、残された『戦犬隊』全員が萎縮する。
仲間をやられたことによる激昂が、身に降りかかる恐怖によって急速に冷めていく。その感情は瞬く間に集団全員に伝播し、誰一人口を開かず、微動だにしなくなる。
木偶とかした魔人の群れに、透哉は血まみれの人差し指を向けて言葉で追撃する。
「この場の全員が戦闘不能になれば、隠密行動になるだろ?」
一方的な暴力は逃げる者と向かってくる者が居なくなるまで続き、全てが片付く頃には一帯が血の海と化していた。
腰を抜かして動くことが出来ない者を数名残して、この場に居合わせた『戦犬隊』のほとんどが活動できないほどの深手を負った。
正体を隠す衣を纏った少年は、うっすらと笑みを浮かべる。
勝利に酔ったからではない。
返り血を浴びて無様に怯える非力な魔人の純粋な弱さを笑った。
この程度が限界だろうと、
(所詮は魔人……か)
その思考に至ったとき、唐突に自分が分からなくなった。
自分が何故ここにいるのか。何が動機で、何を成就するためにいるのか。
魔人である松風の力になりたい。
その思いから七夕祭での催しを考え、その成功のために知見を求めて十二学区に訪れた。
にもかかわらず、魔人への優越感を覚えた。
更に言うと、差別によって起きた戦争を繰り返させないために十二学区の殲滅にも加担しようとしている。
なのに、戦争の引き金になった思想を肯定する感情に触れた気がした。
個人に向ける本音は庇護で、
大衆に向ける本音は嗜虐だった。
正しくも相反する思考と行動に透哉の中の精神基板が狂いつつあった。
小さな箱に詰められていた大切な想いは外部からの影響を受け、破壊された。
大事にしていたおもちゃが泥に汚れてしまうように、子どもの純粋な願いが大人の悪意にさられて汚れてしまうように。
些末な矛盾に真剣に、無意味に向き合おうとしていた。
魔人である松風の力になりたい一心で訪れた自分が、敵意を向けられたとは言え魔人を傷つけ蔑視した。
自分の本心はどちらなのか、自問自答の末に答えることが出来なかった。
突然方角を失ったみたいにどこに向かって進めば良いか分からなくなったのだ。
『まぁ、いいか。最終的に学園を再興できれば』
脳裏に響いたのは誰かの声。
学園の再興、それは透哉が掲げる全ての理念。
学園を再興するために戦争を止めると、
学園を再興するために十二学区の殲滅を決意した。
矛盾も戸惑いも貫く、透哉を支える根幹の信念。
倫理観も常識も疑問も、果ては仲間さえも壊してしまいそうな、始点と終点だけを強引に結ぶロジック。
湧き上がった考えはまとまるはずがなかった。
どのみちこの場で熟考するのは得策ではない。
魔人の軍勢は武力で沈静化させたが、いつ次の戦力が投入されるとも分からない。
透哉は、未だ敵地の真ん中にあった。
ホタルの勝利で幕引きを迎えた空中戦。
しかし、地上ではホタルが止めようとした、透哉を攻撃してまで止めたかったことが、現実に起きようとしていた。
透哉は追手である魔人と静かに対峙していた。
誰もが逆らえない不条理が、透哉と魔人を巡り合わせた。
透哉としては、逃走中の望まぬ邂逅で、ホタルと合流できれば戦う必要などない。
しかし、不運なことに相手が動きを見せた。
暗がりでも判別できるほどに脚部が肥大化した。伸縮性に優れた着衣らしく筋肉にピタリと張り付き、変化した肉体をくっきりと浮かび上がらせる。
その変化に、透哉の口元が反応する。痙攣したみたいに抑えられない反射的な動き。
自分に牙を剥き、真っ直ぐな敵意を向けてくる存在。
手加減のいらない、壊してもいい相手。
直後。
魔人の男、番場が巨大化したと見紛うほどの勢いで接近してきた。
姿勢は低く、地面に顔をこすりそうなほどの前傾姿勢。
縮まる距離に透哉が覚えた感情は、恐怖ではなく高揚。
透哉の目には、自分を捕えるために暴力を行使する魔人としか移らない。
数多の考察や自己暗示を経た、勇気ある決断であるとは知りもしない。
(いいぜ、お前らの得意分野で遊んでやるよ)
「ぐおぉぉぉっ!!」
地面スレスレの低姿勢から番場が放った拳は砂を巻くほどに速く、真下からとは思えない重みがあった。
しかし、距離があったことと軌道が余りにも直線的だったことが災いした。
透哉は番場が突き出した手首を掴み、目前で拳を強引に止めた。
そして、投げるでも折るでもなく、ただ、握る。
「――っ!? 何!? 止めろぉぉぉおおお!?」
未知の存在に捕縛されたことへの驚き、加えられた力への恐れが番場の口から同時に漏れ出した。
絡みついた蛇を振り払うように、掴まれた左腕から透哉の手を引き剥がそうと右腕を伸ばしかけて、激痛に膝を突いた。
番場を襲った痛みの正体、それは魔力で強化された腕力による純粋な圧迫。
ゴキゴキと破砕音を響かせながら、瞬く間に手首の骨を粉砕する。
しかし、透哉は力を緩めない。
悲鳴など聞こえない機械のように加圧を続け、遂には指の間から血肉がはみ出し始める。
そして、透哉の指が自分の手のひらに触れる頃、番場の腕はトラックに轢かれたゴムボールのような破裂音を鳴らせて赤く赤く弾け飛ぶ。
「をををををぉぉ!?―――っ」
三秒前までは満足に動いていた腕のなれの果てに、番場は言葉にならない絶叫を残し、気絶した。
透哉は動かなくなった番場を空になった缶のように投げ捨て、赤く染まった手を真横に凪ぐと血を払う。
闘争の余韻に浸る間もなく、後続の足音が透哉の耳に届いた。
番場の悲鳴が意図せぬ救援要請として他の仲間を呼び寄せたのだ。
大型商店の角から幾人もの人影が透哉の前に並び、誰もが足を止めた。番場同様、想定外の巷に戸惑い、追跡者としての勢いを失っている。
ぞろぞろと集合した魔人たちは、怪獣フィギュアが満載したおもちゃ箱をひっくり返したみたいなあり様だ。それぐらい多様な容姿の面々が並んでいた。
そして、合流した誰もが現場に息を飲んだ。
力なく地に伏した仲間と流れ出た血の跡。暗さではっきりと目視することは叶わなかったが、片腕が明後日の方向に曲がり、奇妙に伸びている。
その向こう、朧に揺れる人影がそれらの惨状を意に介さずただ立っている。
大人と子供ほどの体格差があるにも関わらず、その力の差は火を見るよりも明らかだった。
「……相手は侵入者、多少手荒にしても問題ないだろう」
「おい、止めろ。命令違反だ」
「そうだ、俺達の受けた指示は死体の回収か負傷した侵入者の捕縛で、戦闘は含まれていないのだぞ!?」
集まった魔人たちが口々に言って、その中の一人がゴキリと関節を鳴らした。
「それなら、死体だったことにすりゃ話が丸く収まるだろ?」
「本気なのか?」
「最悪、バレたとしても番場の敵討ちだったと言えば、鮫崎さんにも言い訳がつく!」
仲間の惨状を前に怯んだ足が、集団という後ろ盾と暴力への渇望によって勢いを取り戻していた。
(へぇ、なかなか楽しそうな話してんじゃねぇか)
透哉は小声で魔人たちを称賛した。
日頃からの鬱憤を晴らしたい、抑圧された暴力を解放する機会を欲している風に聞こえたから。
『白檻』の揺らぐ衣の裏、透哉は笑みを浮かべる。
『戦犬隊』は警備隊と呼ぶには粗野な一面が露骨に出過ぎている。
騙しているとまではいかなくても、本性を隠して大人しい振りをしている、透哉の目にはそんな風に映った。
敵前とは言え、指示を無視した挙げ句、現場の捏造を平然と企てているのだから。
(だとすると、こいつらをしっかり束ねる奴がいるのか?)
想像の域を出ないが、彼らを服従させる存在を疑うのは自然なことだった。
そんな中、透哉の思考を妨害するように、集団の輪を飛び出し『戦犬隊』小林が正面切って突撃してくる。
拳を握った動機は仲間の敵討ちと、純粋な闘争心。
敵意と殺意に満ちた拳が透哉の顔面目がけてほとんど真上から放たれる。しかし、透哉はこれを鋭い身のこなしで軽々回避。そのまま背後に軽く飛んで二メートルほどの距離が生まれる。
空を切った小林の拳が鈍い音を鳴らし、コンクリートを砕き地面にくぼみを作る。素手でコンクリートを変形させる力で殴りながら、小林が痛みを覚えた気配がしない。
『原石』を駆使した特有の立ち回りができないことが懸念材料だったが、一連の流れを見る限り杞憂だった。
魔人たちはその体躯に見合った力こそ持っていたが、透哉からすれば遅すぎた。
(復帰が早いな。身体能力は流石と言ったところか)
透哉は悠然と頭の中で感想を吐きながら足を前後に開き、迎撃態勢を取る。
対する小林は先程同様に相手を破壊するために右腕を構えた。何の捻りもない、力任せの無策の獣の拳だった。
「受けて見ろ! 我が鉄の拳を!」
(へぇ。その挑発乗ってやるよ)
透哉は冷めたように一息吐く。
顎を引き、迫る巨大な拳に自らの額で応え、迎撃する。
小林の放った全体重を乗せた一撃を透哉は魔力で強化した体で受け止めた。
透哉の額と小林の拳の境界から不気味な衝突音が生まれ、赤い血の波紋が弾ける。
「ぎゃあ!? 手がぁ!?」
殴った側が悲鳴を上げる珍事に、背後に控えた仲間たちの間で動揺が広がる。
透哉を殴った小林の右手が、コンクリートに叩き付けたトマトのように血を吹き出して変形したのだ。
いかに魔人の身体能力が優れていると言えど、今の透哉は生身の人間では到底至れない領域に達していた。
肉体を魔力で補強して戦う接近戦において透哉は無類の力を発揮する。
鈍器や刃物でも傷一つ負わせることは出来ない。まして、強いだけの獣では抗うことさえ出来ない。
(ただ、純粋な重量差だけはどうにもならねーな)
衝撃で五センチほど後方にずれた自分の靴跡を見下ろしながら、相手の次の手を待っていた。
ところが。
「なんという堅さ!? デバイスのなす技か!?」
小林は、透哉の限度を超えた肉体強化と言う現実味がない答えに辿り着けず、あろうことか未知のデバイスに原因をなすりつけた。
そして、それを捨て台詞に負傷した片腕を庇いながら後退し、巣穴に逃げ込む小動物のように味方の群れの中に身を寄せた。
それは「俺はもう戦えない、だから交代してくれ」と言う仲間へのメッセージであり、敵対する透哉に対して「ごめんなさい、もう適いません」と言う身勝手な降伏。
反撃せず、律儀に次を待っていた透哉の頭が沸騰した。
(なんだよそりゃ?――違うだろ? ああぁ!?)
眉間に深い皺を作り、沸点を超えた怒りが足先に集まる。
野良犬の捕獲に戸惑っているとでも言いたそうな、危機感のない相手の言動。手傷は負ったが追い詰めているのは自分たちと言わんばかりの振る舞いが、透哉を苛つかせた。
負傷を理由に仲間を盾にして戦線離脱を目論む姿を一点に見つめ、透哉は脚力を増大させて地面を蹴る。
肉体の強度限界を遙かに超えた脚力は、地面を踏み砕くと言うパフォーマンスを実現した。コンクリート片を無数に背後に排出し、人間が出す音とは思えない衝突音を足の裏から発して追撃する。
それは魔力による強化の反動や肉体の損壊による継戦能力の低下と言った、生身が抱えるありとあらゆる問題を無効化している透哉だから出来る無理無謀だ。
逃げる物を追いかける、どこまでも追い詰める。
淡い輪郭を揺らしながら直線的な軌跡を描いて猛進する。さながら実体を持つ幽霊のように。
間もなく、魔人たちの耳を打ったのは連続した謎の発破音。
一様に首を傾げながら、数名の仲間がごっそり消えるように吹き飛ばされていた。体格差を無視した圧倒的な攻撃力に驚愕し、謎の発破音がただの足音だと気付き、震え上がる。
俊足からくり出される透哉の拳が、魔人たちの目には堅牢な城壁を破壊する攻城兵器に映った。
「うわぁああああ!?」
仲間諸共吹き飛ばされて冷静さを失った小林は、無事な方の腕を使って手近な物を投げつけるだけのヤケクソな戦法で迎え撃つ。
選ばれたのは設置された金属製のゴミ箱。地面を跳ねながら歪に転がって透哉の行く手を阻む。
しかし、コンと甲高い音を残しゴミ箱は二つに分断され、撥ねのけられ、路地に棺桶のように転がる。奥から這い出てくるのは、指をかぎ爪状に構えた朧な人影。
ゴミ箱の残骸には、五指がはっきりわかるほど、くっきりと打ち抜かれた跡が刻まれている。
「――ひぃいい、頼む! 助けて!」
悲鳴を上げ、許しを請い、助けを求めつつも小林はヤケクソな投擲を止めない。混乱と恐怖が言動の矛盾に気付かない。
抵抗の甲斐なく、小林は追い詰められた。咄嗟に盾にした腕を透哉の指が容易く切り裂いた。
透哉は勢いそのままに、今度は小林の脇腹を掴むと、獲物に食いついた鰐のように千切れるまで振り回した。
小林は壁に叩き付けられ、路上に転げ落ちると口と脇腹から血を噴いて動かなくなる。
「手間かけさせんな。こっちは隠密行動を務めてんだよ」
透哉は『白檻』の能力で正体を隠したまま、唾棄するように肉声を放つ。
「隠密行動だと!? 貴様――っ!」
初めて口を開いたと思った矢先、とんでもないことを口走った透哉に、残りの『戦犬隊』のメンバーたちが怒りの声を上げた。
「そう、隠密行動だ」
「ふざけるな! こんなことをしてあとでどうなるか――」
「その前に自分たちの身を案じろ」
「ぐっ!?」
脅迫ではない宣告に、残された『戦犬隊』全員が萎縮する。
仲間をやられたことによる激昂が、身に降りかかる恐怖によって急速に冷めていく。その感情は瞬く間に集団全員に伝播し、誰一人口を開かず、微動だにしなくなる。
木偶とかした魔人の群れに、透哉は血まみれの人差し指を向けて言葉で追撃する。
「この場の全員が戦闘不能になれば、隠密行動になるだろ?」
一方的な暴力は逃げる者と向かってくる者が居なくなるまで続き、全てが片付く頃には一帯が血の海と化していた。
腰を抜かして動くことが出来ない者を数名残して、この場に居合わせた『戦犬隊』のほとんどが活動できないほどの深手を負った。
正体を隠す衣を纏った少年は、うっすらと笑みを浮かべる。
勝利に酔ったからではない。
返り血を浴びて無様に怯える非力な魔人の純粋な弱さを笑った。
この程度が限界だろうと、
(所詮は魔人……か)
その思考に至ったとき、唐突に自分が分からなくなった。
自分が何故ここにいるのか。何が動機で、何を成就するためにいるのか。
魔人である松風の力になりたい。
その思いから七夕祭での催しを考え、その成功のために知見を求めて十二学区に訪れた。
にもかかわらず、魔人への優越感を覚えた。
更に言うと、差別によって起きた戦争を繰り返させないために十二学区の殲滅にも加担しようとしている。
なのに、戦争の引き金になった思想を肯定する感情に触れた気がした。
個人に向ける本音は庇護で、
大衆に向ける本音は嗜虐だった。
正しくも相反する思考と行動に透哉の中の精神基板が狂いつつあった。
小さな箱に詰められていた大切な想いは外部からの影響を受け、破壊された。
大事にしていたおもちゃが泥に汚れてしまうように、子どもの純粋な願いが大人の悪意にさられて汚れてしまうように。
些末な矛盾に真剣に、無意味に向き合おうとしていた。
魔人である松風の力になりたい一心で訪れた自分が、敵意を向けられたとは言え魔人を傷つけ蔑視した。
自分の本心はどちらなのか、自問自答の末に答えることが出来なかった。
突然方角を失ったみたいにどこに向かって進めば良いか分からなくなったのだ。
『まぁ、いいか。最終的に学園を再興できれば』
脳裏に響いたのは誰かの声。
学園の再興、それは透哉が掲げる全ての理念。
学園を再興するために戦争を止めると、
学園を再興するために十二学区の殲滅を決意した。
矛盾も戸惑いも貫く、透哉を支える根幹の信念。
倫理観も常識も疑問も、果ては仲間さえも壊してしまいそうな、始点と終点だけを強引に結ぶロジック。
湧き上がった考えはまとまるはずがなかった。
どのみちこの場で熟考するのは得策ではない。
魔人の軍勢は武力で沈静化させたが、いつ次の戦力が投入されるとも分からない。
透哉は、未だ敵地の真ん中にあった。
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