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第三章
第34話 終末学園の生存者(3)『絵』
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3.
ほんの数秒の空白。
それは崩れる前の小休止だった。
翻る前の、反転する直前の折り返し地点だった。
殺希は床に寝転んだまま両手を左右に広げ、酷く疲れた様子で呟く。
口調は世間話にほど近い。
「それにしても、どんな嘘を並べて十二学区を悪者に仕立て上げたのかは知らないけど、迷惑な話だよねぇ?」
「どんな嘘って……メサイアは、十二学区は戦争を企てているんだろ?」
その返答に殺希は目を見開いた。煌々と輝く赤い目に宿るのは敵意ではなく、驚き。
そして、その驚きは瞬く間に愉快な笑いに変わる。
「ぷ、くくっ、随分ふざけた。イヤ、一周回って面白い嘘を考えたもんだ」
「な、何が面白いんだ!? 魔人たちが覇権を取り戻すための戦争を企てている、そうじゃないのか!?」
「アッハハハッ! 戦争を企てているは君たちの方じゃないかっ!」
殺希は三つ編みを激しく振り乱し、結わえたリングで床を激しく叩きながら声を大にして笑い転げた。
透哉の熱の籠もった声が、バカバカしいと言わんばかりに寝たままの殺希の笑い声にかき消される。
透哉の中に根付いた知識とその前提が覆ろうとしていた。
「十二学区の中で見たでしょ? ここは魔人と人魔が共存している」
殺希の言う通りだった。
特に諍いも争いもなく町並みに溶け込み、営みを形成していた。先に与えられていた知識とは異なり、関係は良好にさえ映った。
「確かに魔人蔑視の思想は完全にはなくならないし、争いもたまに起きる。学区によって色濃く残ってる部分もある。それでも、十二学区に生きる魔人と人魔は互いを尊重し合いって生きている。理想的な関係と言っていい」
「じゃあ、本当にメサイアは、十二学区は戦争を……?」
「全く企てていないよ」
あっけらかんとした返事に聞いた透哉の方が馬鹿を見ていた。
あの平和な街並みのどこに戦争に加担する要素があるのかと考えたこともあった。
しかし、殺希と出会い、発展しすぎた科学に知見として触れた。戦争を企てていると言う嘘にも信憑性が生まれるほどに、歪んだ技術を目の当たりにした。
同時に流耶が透哉を十二学区に向かわせた狙いの一つでもあった。
流耶の思惑通り、透哉は信じ込んでしまったのだ。
「だったら、デバイスの開発やアカリのことはどう説明するんだ!」
「抗うためだよ。拙い力しか持たない十二学区が、生き残るには戦う力を作るしかないからねぇ。アカリの出生は以前話した通り副産物だけど、これも同様に起用できるんだよ」
あっさり論破され、しんみりと考えにふける透哉に殺希は無情にも告げる。
「でもね、戦いは起きる。そして、君はこの戦いの鍵なんだよ」
「……俺が?」
「同じ事を言うよ? 君は、これから始まる戦いにおいて、敵側の道具に過ぎなかったんだ。それが明確に意思を持ち、本来の機能に反発し始めた。舞台の隅に転がされ、物語に干渉するはずがなかった、道具でしかなかった『居な』かった君がだ」
「何だよ、それ。俺は『居る』だろ!」
「違うよぉ? 君は『要る』だけの存在で、『居な』かったんだよぉ?」
殺希の言葉は透哉の胸を大きく抉った。
もはや何も残されていないと言える透哉を更に深く。
「でもね、私は君に『居て』欲しいし、『要る』んだ。君にしか出来ない頼みがあるからねぇ」
「……前後の話が繋がってない気がすんだけど?」
散々な物言いをした直後とは思えない殺希の図太さには毒気を抜かれてしまう。
しかし、殺希の口から放たれる要望は、透哉のこれまでを反転させるものだった。
「んー? そうかなぁ? 壇上に上がるための一つのステップだと思えばいいと思うよ?」
「なんだよ、そりゃ」
険の取れた言い回しに、透哉は半眼で口答える。
ここに至るまでに受けた衝撃が幾分か和らいでいた。
しかし、それはまやかしで、威力を倍増して透哉に襲いかかる。
ちょうど、殴った直後に裏拳で殴打するように。
殺希は赤い双眸で透哉を真正面から捉え、告げる。
「夜ノ島学園に潜む本物を探し出して欲しい」
「本物……俺の記憶の元になった奴ってことかよ」
「そうだよぉ?」
殺希は透哉を前にわざわざ『本物を』と強調して言う。
事実を知って間もない透哉にとっては挑発的にも思えた。
しかし、殺希は確たる位置づけとして『御波透哉』を個として認める上であえてそう言った。
「……都合のいいこと言いやがって、源のときみたいに使い捨てにする魂胆なんだろ?」
「んー、確かにそうだねぇ。でも、ホタルのときはお星様にお願いするみたいに、表裏にリスクがないくじ引きだったんだ。そして、君の場合は裏にリスクを伴うギャンブルなんだよ?」
「ふざけやがってっ!」
隠す素振りは微塵もなく、変わらない口調でただ、答えた。
幾度となく言葉を交わしてきた透哉も、普通の会話の最中に滲み出る人と〈悪夢〉との認識の差には、戦慄と憤りを覚える。
自分とホタルの間に多少の差はあれど、その扱いは実験動物となんら変わらない。
透哉は、殺希がホタルを夜ノ島学園に向かわせておきながら、無関心に放逐したことを忘れてはいない。
自分の身に降りかかる同様の扱いに、拭えぬ不信感からそう言い返したのだが、殺希はあいも変わらず飄々としている。
「でもね、君には成功を期待している」
「つまり、学園の連中を、仲間たちを疑えってのか……?」
「違うよ?」
透哉は感情を押し殺し、努めて冷静に聞き返した。
一見すると、殺希が口にしたのはスパイの強要とも言える。
透哉は気付いていなかった。
夢にも思っていなかった。
「?」
「君の仕事は仲間内の探りじゃない。敵地への単騎潜入だよ?」
「……敵、地?」
噛み締めるように声に出しながら、這い上がる悪寒に身を震わせた。
同時に、抱えていた憤りがふるい落とされた。
「わからないのかなぁ? 夜ノ島学園は君を騙して操ろうとしていた草川流耶の手の上。そして、十年前の惨状を作り上げた面々と、その他囚人たちが巣食う、魔の城だよ?」
「え、待ってくれ……何を言って?」
ミシッ、と軋む音がした。
殺希は突き付けられた事実に困惑する透哉を――待たない。
「君は知っているけど解ってないでしょ? 正しく教えられていないでしょ? 夜ノ島学園は学園の形式を取った監獄なんだよ。草川流耶監視の下、全員が何らかの罪で収容された囚人なんだよ」
「全員が……囚人? おいおい冗談は止めろよ」
軋みは大きくなり、ピシッ、と亀裂を生む。
音源は彼らに装着された仮面から。
透哉は仲間たちの変化、その豹変を先んじて察して、目を逸らした。
仮面の奥を、真実を見たくなかった。
「そして、中には『白檻』と呼ばれる魔道具で繋がれた選りすぐりの囚人たちもいる」
「それは……俺と源のことだろ」
「君は自分とホタルだけが特別な囚人だと思っているみたいだけど、本当は違うんだよぉ?」
透哉の予感、目を逸らした理由が的中しようとしていた。
「夜ノ島学園においての本当の君の立場は四面楚歌。周りには一人も仲間はいない。君は悪意と勘違いに囲まれていると言って過言ではないんだよぉ?」
「――――っ!?」
バリン。
生じた亀裂が音を立てる。
目に見えない、形を持たない何かが音を立てて砕けた。
その音源は彼らに装着された仮面。
そして、透哉の心の奥底。
痛みを伴わない衝撃は、けれど透哉を深々と傷つけた。
「嘘だ……」
透哉が今受けている衝撃は、突如として豹変した仲間たちが原因だ。
しかし、その豹変は真実ではなかった。
「嘘じゃないよぉ? 現実も真実も最初から学園の中にあったんだよ。君自身がフィルターの役目を果たして彼らを庇い、ありもしない仮面を着けさせていたんだよ?」
「違う、あいつらは……っ!」
学園の面々を思い浮かべながら、否定材料を探した。あの気の良い仲間たちが、その誰もが囚人だと思えなかったのだ。
だから、探した。
必死に、探した。
でも、見つからない。
歯を噛み締め、脂汗を額に滲ませようとも、誰のことも庇えなかった。
分からなかった。
逸らせた目が、真実を直視しようとしていた。
「例に挙げるとホタルだ」
「……源が?」
「彼女は十年前の生き残りとして、同じ罪を背負う者としての君を頼り、欲している」
「あ……」
最も強い関わりを持ち、硬い絆で繋がっていると思っていた、ホタル。
しかし、その絆である透哉の記憶と罪は偽りだった。
当然、ホタルは記憶の改竄や植付けなど行われていない。
同罪と言う安心感が、今の今までホタルの凶悪性を包み隠していた。
「源ホタル、本名『皆本蛍』は十年前の戦火で生まれた正真正銘の大量虐殺の犯人だ。そんなホタルを同じ罪を背負う仲間だと本当に言い続けられるのかな? 同類扱いされて、君は納得できるのかな?」
「……っ」
「分かったでしょ? 君はもう昨日までの学園生活には戻れない」
過去を知った透哉の胸には、真実が突き刺さっていた。
『そんなことはない』と、殺希を否定する言葉も、ホタルを護る言葉も封じられていた。
『そうやって普通の生徒の真似をして皆を欺いているというわけか』
『……なんだよ人聞きが悪い』
『妙なことを言うね、透哉君? だってそうだろ? 君は常日頃から自分が〈悪夢〉であることを黙り偽り、友人たちと過ごしているのだろ? 欺くことで今の定位置を獲得しているのだろ?』
かつて、園田に言われたことが蘇った。
透哉は、自分こそが『黒』だと刷り込まれ、善良な生徒たちを学園の歯車として管理している、そう思い込まされていた。
――実際は逆だった。
何も知らず利用されている透哉が、囚人の中に一人放り込まれ揉まれている、それだけだった。
『白』に囲まれた『黒』は、いつの間にか『黒』に囲まれた『白』に変わっていた。
意味が反対になっても、透哉が一人という点には変わりがなかった。
ゆっくりと崩れ始める。
短い期間で手に入れた物が、
手に入れたと思っていた物が、
ボロボロと朽ちて零れ落ちていく。
小さな子供が大事に握っているお菓子やおもちゃを無理矢理に奪い取り、地面に叩き付けるように。
真実は透哉の手から奪い取った。
脳裏に過るのは、学園の皆の顔。
楽しいそうな、仲間たちの笑顔。
しかし、笑顔が剥がれ落ちた裏側には、醜悪な囚人としての本性が隠されていた。
素性を詮索しない学園内の風習が、本性を表そうとしていた。
誰も彼もが明かせない過去を持ち、誰も彼もがそれを探らない。
だからこそ、隣にいる誰かがどんな化け物でも、分からない。どんな罪を背負っていても、分からない。
学園の暗部を知っていると思っていた透哉が、学園の正体に触れた瞬間だった。
それでも――信じたくなかった。
「……俺に裏切って言うのかよっ」
「有り体な言葉を使うならそうなるねぇ。でも、本質は目を覚ませ。だよぉ?」
「ふざけるなっ!」
「ちっとも、ふざけてないよぉ? それに、私は決断を迫っているんだ。道具のまま終わるのか、壇上に上がり、これからの戦いに加わるのかを、ね?」
殺希が髪飾りを引き摺りながら、金属音を交えて身を起こす。
そして、発破したような暴風と共に、爆発的に魔力が溢れ出した。
三つ編みで立ち上がった殺希は、黒い巨大な影となって透哉を呑み込み、その視界を覆い尽くした。
「――心して答えるんだよ? 今は君の存命の瀬戸際なんだ。誤れば、壇上からの景色を見るまでもなく私に破壊される。この場で」
殺希の口調は淡々としたものだった。
それこそ、独り言のように、人ではない物を相手にしたように。
「君が壇上に上がる代償は、学園の仲間を全て敵に回すこと。そして、対価は『誰』でも『何』でもなかった君が『御波透哉』になると言うことだよ」
咄嗟に身構えようとしたが、恐れが透哉の身体から自由を奪う。内部から弾けそうな不安と、外部から押し寄せる恐怖に板挟みされ、立っているのがやっとな状態だった。
打ちのめされ、この上なく小さくなった透哉を前に、カーキコートの〈悪夢〉は微塵の慈悲もなく力を誇示する。
羽虫を殺すために銃器を取り出すように、惜しげもなく暴力を顕現させる。
肥大化していく殺希の気配に倣って、三つ編みが意思を持って蠢き始める。そして、その過半数が末端の金属製のリングを吐き出し、瞬く間に赤い瞳の黒い大蛇に変貌し、その全てが例外なく透哉を睨めつけ、敵意と共に牙をちらつかせる。
殺希が振り撒く圧倒的な殺意に、透哉の視界が酔ったみたいに歪む。蠢く大蛇たちは酸素を全て食い尽くすように、透哉から呼吸さえも奪った。
「君は今、揺れている。『十年分の柵』と『新たな価値観』の間でねぇ……壇上に上がって未来を生きるのか、壇上に上がることなく過去と共に消えるか――」
〈悪夢〉は揺らす。
「――――君が、選ぶんだ」
全てが日曜日の出来事。
白昼の極短い時間で透哉に突きつけられ、襲いかかった事実、真実。
月が笑う学生寮の屋上。
蹲った少年は独りになった。
屋上に蹲ったまま、気絶するように眠り、夜を過ごした。
朝日が瞼を焼き、目を覚ますと透哉は部屋に戻る。
新しい朝が始まる。
変わらぬ学園の中を、
変わってしまった学園の景色を、
変わらぬ目で、
変わってしまった目で、
――進む。
黒しか存在しない学園において、少年は透明だった。
何も持たない、染まらない、空っぽな透明だった。
朗々と続いた夜ノ島学園での生活は終局を迎えようとしていた。
ほんの数秒の空白。
それは崩れる前の小休止だった。
翻る前の、反転する直前の折り返し地点だった。
殺希は床に寝転んだまま両手を左右に広げ、酷く疲れた様子で呟く。
口調は世間話にほど近い。
「それにしても、どんな嘘を並べて十二学区を悪者に仕立て上げたのかは知らないけど、迷惑な話だよねぇ?」
「どんな嘘って……メサイアは、十二学区は戦争を企てているんだろ?」
その返答に殺希は目を見開いた。煌々と輝く赤い目に宿るのは敵意ではなく、驚き。
そして、その驚きは瞬く間に愉快な笑いに変わる。
「ぷ、くくっ、随分ふざけた。イヤ、一周回って面白い嘘を考えたもんだ」
「な、何が面白いんだ!? 魔人たちが覇権を取り戻すための戦争を企てている、そうじゃないのか!?」
「アッハハハッ! 戦争を企てているは君たちの方じゃないかっ!」
殺希は三つ編みを激しく振り乱し、結わえたリングで床を激しく叩きながら声を大にして笑い転げた。
透哉の熱の籠もった声が、バカバカしいと言わんばかりに寝たままの殺希の笑い声にかき消される。
透哉の中に根付いた知識とその前提が覆ろうとしていた。
「十二学区の中で見たでしょ? ここは魔人と人魔が共存している」
殺希の言う通りだった。
特に諍いも争いもなく町並みに溶け込み、営みを形成していた。先に与えられていた知識とは異なり、関係は良好にさえ映った。
「確かに魔人蔑視の思想は完全にはなくならないし、争いもたまに起きる。学区によって色濃く残ってる部分もある。それでも、十二学区に生きる魔人と人魔は互いを尊重し合いって生きている。理想的な関係と言っていい」
「じゃあ、本当にメサイアは、十二学区は戦争を……?」
「全く企てていないよ」
あっけらかんとした返事に聞いた透哉の方が馬鹿を見ていた。
あの平和な街並みのどこに戦争に加担する要素があるのかと考えたこともあった。
しかし、殺希と出会い、発展しすぎた科学に知見として触れた。戦争を企てていると言う嘘にも信憑性が生まれるほどに、歪んだ技術を目の当たりにした。
同時に流耶が透哉を十二学区に向かわせた狙いの一つでもあった。
流耶の思惑通り、透哉は信じ込んでしまったのだ。
「だったら、デバイスの開発やアカリのことはどう説明するんだ!」
「抗うためだよ。拙い力しか持たない十二学区が、生き残るには戦う力を作るしかないからねぇ。アカリの出生は以前話した通り副産物だけど、これも同様に起用できるんだよ」
あっさり論破され、しんみりと考えにふける透哉に殺希は無情にも告げる。
「でもね、戦いは起きる。そして、君はこの戦いの鍵なんだよ」
「……俺が?」
「同じ事を言うよ? 君は、これから始まる戦いにおいて、敵側の道具に過ぎなかったんだ。それが明確に意思を持ち、本来の機能に反発し始めた。舞台の隅に転がされ、物語に干渉するはずがなかった、道具でしかなかった『居な』かった君がだ」
「何だよ、それ。俺は『居る』だろ!」
「違うよぉ? 君は『要る』だけの存在で、『居な』かったんだよぉ?」
殺希の言葉は透哉の胸を大きく抉った。
もはや何も残されていないと言える透哉を更に深く。
「でもね、私は君に『居て』欲しいし、『要る』んだ。君にしか出来ない頼みがあるからねぇ」
「……前後の話が繋がってない気がすんだけど?」
散々な物言いをした直後とは思えない殺希の図太さには毒気を抜かれてしまう。
しかし、殺希の口から放たれる要望は、透哉のこれまでを反転させるものだった。
「んー? そうかなぁ? 壇上に上がるための一つのステップだと思えばいいと思うよ?」
「なんだよ、そりゃ」
険の取れた言い回しに、透哉は半眼で口答える。
ここに至るまでに受けた衝撃が幾分か和らいでいた。
しかし、それはまやかしで、威力を倍増して透哉に襲いかかる。
ちょうど、殴った直後に裏拳で殴打するように。
殺希は赤い双眸で透哉を真正面から捉え、告げる。
「夜ノ島学園に潜む本物を探し出して欲しい」
「本物……俺の記憶の元になった奴ってことかよ」
「そうだよぉ?」
殺希は透哉を前にわざわざ『本物を』と強調して言う。
事実を知って間もない透哉にとっては挑発的にも思えた。
しかし、殺希は確たる位置づけとして『御波透哉』を個として認める上であえてそう言った。
「……都合のいいこと言いやがって、源のときみたいに使い捨てにする魂胆なんだろ?」
「んー、確かにそうだねぇ。でも、ホタルのときはお星様にお願いするみたいに、表裏にリスクがないくじ引きだったんだ。そして、君の場合は裏にリスクを伴うギャンブルなんだよ?」
「ふざけやがってっ!」
隠す素振りは微塵もなく、変わらない口調でただ、答えた。
幾度となく言葉を交わしてきた透哉も、普通の会話の最中に滲み出る人と〈悪夢〉との認識の差には、戦慄と憤りを覚える。
自分とホタルの間に多少の差はあれど、その扱いは実験動物となんら変わらない。
透哉は、殺希がホタルを夜ノ島学園に向かわせておきながら、無関心に放逐したことを忘れてはいない。
自分の身に降りかかる同様の扱いに、拭えぬ不信感からそう言い返したのだが、殺希はあいも変わらず飄々としている。
「でもね、君には成功を期待している」
「つまり、学園の連中を、仲間たちを疑えってのか……?」
「違うよ?」
透哉は感情を押し殺し、努めて冷静に聞き返した。
一見すると、殺希が口にしたのはスパイの強要とも言える。
透哉は気付いていなかった。
夢にも思っていなかった。
「?」
「君の仕事は仲間内の探りじゃない。敵地への単騎潜入だよ?」
「……敵、地?」
噛み締めるように声に出しながら、這い上がる悪寒に身を震わせた。
同時に、抱えていた憤りがふるい落とされた。
「わからないのかなぁ? 夜ノ島学園は君を騙して操ろうとしていた草川流耶の手の上。そして、十年前の惨状を作り上げた面々と、その他囚人たちが巣食う、魔の城だよ?」
「え、待ってくれ……何を言って?」
ミシッ、と軋む音がした。
殺希は突き付けられた事実に困惑する透哉を――待たない。
「君は知っているけど解ってないでしょ? 正しく教えられていないでしょ? 夜ノ島学園は学園の形式を取った監獄なんだよ。草川流耶監視の下、全員が何らかの罪で収容された囚人なんだよ」
「全員が……囚人? おいおい冗談は止めろよ」
軋みは大きくなり、ピシッ、と亀裂を生む。
音源は彼らに装着された仮面から。
透哉は仲間たちの変化、その豹変を先んじて察して、目を逸らした。
仮面の奥を、真実を見たくなかった。
「そして、中には『白檻』と呼ばれる魔道具で繋がれた選りすぐりの囚人たちもいる」
「それは……俺と源のことだろ」
「君は自分とホタルだけが特別な囚人だと思っているみたいだけど、本当は違うんだよぉ?」
透哉の予感、目を逸らした理由が的中しようとしていた。
「夜ノ島学園においての本当の君の立場は四面楚歌。周りには一人も仲間はいない。君は悪意と勘違いに囲まれていると言って過言ではないんだよぉ?」
「――――っ!?」
バリン。
生じた亀裂が音を立てる。
目に見えない、形を持たない何かが音を立てて砕けた。
その音源は彼らに装着された仮面。
そして、透哉の心の奥底。
痛みを伴わない衝撃は、けれど透哉を深々と傷つけた。
「嘘だ……」
透哉が今受けている衝撃は、突如として豹変した仲間たちが原因だ。
しかし、その豹変は真実ではなかった。
「嘘じゃないよぉ? 現実も真実も最初から学園の中にあったんだよ。君自身がフィルターの役目を果たして彼らを庇い、ありもしない仮面を着けさせていたんだよ?」
「違う、あいつらは……っ!」
学園の面々を思い浮かべながら、否定材料を探した。あの気の良い仲間たちが、その誰もが囚人だと思えなかったのだ。
だから、探した。
必死に、探した。
でも、見つからない。
歯を噛み締め、脂汗を額に滲ませようとも、誰のことも庇えなかった。
分からなかった。
逸らせた目が、真実を直視しようとしていた。
「例に挙げるとホタルだ」
「……源が?」
「彼女は十年前の生き残りとして、同じ罪を背負う者としての君を頼り、欲している」
「あ……」
最も強い関わりを持ち、硬い絆で繋がっていると思っていた、ホタル。
しかし、その絆である透哉の記憶と罪は偽りだった。
当然、ホタルは記憶の改竄や植付けなど行われていない。
同罪と言う安心感が、今の今までホタルの凶悪性を包み隠していた。
「源ホタル、本名『皆本蛍』は十年前の戦火で生まれた正真正銘の大量虐殺の犯人だ。そんなホタルを同じ罪を背負う仲間だと本当に言い続けられるのかな? 同類扱いされて、君は納得できるのかな?」
「……っ」
「分かったでしょ? 君はもう昨日までの学園生活には戻れない」
過去を知った透哉の胸には、真実が突き刺さっていた。
『そんなことはない』と、殺希を否定する言葉も、ホタルを護る言葉も封じられていた。
『そうやって普通の生徒の真似をして皆を欺いているというわけか』
『……なんだよ人聞きが悪い』
『妙なことを言うね、透哉君? だってそうだろ? 君は常日頃から自分が〈悪夢〉であることを黙り偽り、友人たちと過ごしているのだろ? 欺くことで今の定位置を獲得しているのだろ?』
かつて、園田に言われたことが蘇った。
透哉は、自分こそが『黒』だと刷り込まれ、善良な生徒たちを学園の歯車として管理している、そう思い込まされていた。
――実際は逆だった。
何も知らず利用されている透哉が、囚人の中に一人放り込まれ揉まれている、それだけだった。
『白』に囲まれた『黒』は、いつの間にか『黒』に囲まれた『白』に変わっていた。
意味が反対になっても、透哉が一人という点には変わりがなかった。
ゆっくりと崩れ始める。
短い期間で手に入れた物が、
手に入れたと思っていた物が、
ボロボロと朽ちて零れ落ちていく。
小さな子供が大事に握っているお菓子やおもちゃを無理矢理に奪い取り、地面に叩き付けるように。
真実は透哉の手から奪い取った。
脳裏に過るのは、学園の皆の顔。
楽しいそうな、仲間たちの笑顔。
しかし、笑顔が剥がれ落ちた裏側には、醜悪な囚人としての本性が隠されていた。
素性を詮索しない学園内の風習が、本性を表そうとしていた。
誰も彼もが明かせない過去を持ち、誰も彼もがそれを探らない。
だからこそ、隣にいる誰かがどんな化け物でも、分からない。どんな罪を背負っていても、分からない。
学園の暗部を知っていると思っていた透哉が、学園の正体に触れた瞬間だった。
それでも――信じたくなかった。
「……俺に裏切って言うのかよっ」
「有り体な言葉を使うならそうなるねぇ。でも、本質は目を覚ませ。だよぉ?」
「ふざけるなっ!」
「ちっとも、ふざけてないよぉ? それに、私は決断を迫っているんだ。道具のまま終わるのか、壇上に上がり、これからの戦いに加わるのかを、ね?」
殺希が髪飾りを引き摺りながら、金属音を交えて身を起こす。
そして、発破したような暴風と共に、爆発的に魔力が溢れ出した。
三つ編みで立ち上がった殺希は、黒い巨大な影となって透哉を呑み込み、その視界を覆い尽くした。
「――心して答えるんだよ? 今は君の存命の瀬戸際なんだ。誤れば、壇上からの景色を見るまでもなく私に破壊される。この場で」
殺希の口調は淡々としたものだった。
それこそ、独り言のように、人ではない物を相手にしたように。
「君が壇上に上がる代償は、学園の仲間を全て敵に回すこと。そして、対価は『誰』でも『何』でもなかった君が『御波透哉』になると言うことだよ」
咄嗟に身構えようとしたが、恐れが透哉の身体から自由を奪う。内部から弾けそうな不安と、外部から押し寄せる恐怖に板挟みされ、立っているのがやっとな状態だった。
打ちのめされ、この上なく小さくなった透哉を前に、カーキコートの〈悪夢〉は微塵の慈悲もなく力を誇示する。
羽虫を殺すために銃器を取り出すように、惜しげもなく暴力を顕現させる。
肥大化していく殺希の気配に倣って、三つ編みが意思を持って蠢き始める。そして、その過半数が末端の金属製のリングを吐き出し、瞬く間に赤い瞳の黒い大蛇に変貌し、その全てが例外なく透哉を睨めつけ、敵意と共に牙をちらつかせる。
殺希が振り撒く圧倒的な殺意に、透哉の視界が酔ったみたいに歪む。蠢く大蛇たちは酸素を全て食い尽くすように、透哉から呼吸さえも奪った。
「君は今、揺れている。『十年分の柵』と『新たな価値観』の間でねぇ……壇上に上がって未来を生きるのか、壇上に上がることなく過去と共に消えるか――」
〈悪夢〉は揺らす。
「――――君が、選ぶんだ」
全てが日曜日の出来事。
白昼の極短い時間で透哉に突きつけられ、襲いかかった事実、真実。
月が笑う学生寮の屋上。
蹲った少年は独りになった。
屋上に蹲ったまま、気絶するように眠り、夜を過ごした。
朝日が瞼を焼き、目を覚ますと透哉は部屋に戻る。
新しい朝が始まる。
変わらぬ学園の中を、
変わってしまった学園の景色を、
変わらぬ目で、
変わってしまった目で、
――進む。
黒しか存在しない学園において、少年は透明だった。
何も持たない、染まらない、空っぽな透明だった。
朗々と続いた夜ノ島学園での生活は終局を迎えようとしていた。
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『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
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