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1章 貴族の養子
9.ラーシュ
しおりを挟むユーハンに「午後からはラーシュと過ごすように」と言われた。神殿では、大人の女性ばかりに囲まれていたエヴァは、年の近いラーシュと関わることを楽しみにしていた。
ラーシュには、あまり好かれていないようだったが、そもそもエヴァは人に親し気に接してもらった経験がないので、気にならなかった。
コンコンと自室の隣である、ラーシュの部屋をノックする。
返事はない。
エヴァは、いないのかなー、と思いながら部屋のドアを開けた。エヴァの部屋と同じようなつくりだが、こちらは白とグレーを基調とした部屋のようだ。
「あ、いた」
急に部屋のドアが開いたことに驚くラーシュと目が合う。彼は飲みかけの紅茶のカップを持ったまま固まっていた。
「な、お前!返事してないだろ!勝手に開けるなよ!」
「えへへー、ごめん」
「おい、入ってくるな!」
「え、でも、ユーハンに午後からはラーシュと過ごすように言われたよ?ねぇ、午後から何をする?」
エヴァはラーシュの動揺など気にせず、ニコニコ笑いながら部屋に入る。そして、ラーシュの座っているソファの向かいに腰を下ろした。
「あれ?ラーシュ、手に付けている腕輪、一つ壊れかけているよ?」
「誰のせいだと……!」
ラーシュは、ムッとした顔をして、腕輪を抑えると、そのまま黙って部屋から出て行ってしまった。
エヴァは、ラーシュを見送り、ポリポリと頬を掻いた。
ラーシュは厩に来ていた。動物は、自分のことを拒絶しないから好きだった。
出産のときから面倒を見ている、仔馬の毛をブラッシングしながらため息を吐く。
明日からもこうして逃げまくらないといけないのかと考えると、本当に面倒くさい。
しかし、他人と同じ時間を共有するのもまた、同じかそれ以上に面倒くさい。
「…ほっといてくれ」
「えー。わ…僕はラーシュと仲良くなりたいんだけどなぁ」
聞こえた声に、ギクリ、と身をすくませラーシュは振り向いた。
案の定ニコニコしたエヴァが立っていた。
「…なんで、ここに」
「すごいねぇ、ここ。馬がこんなにたくさん!君、馬が好きなの?」
問いかけてきたエヴァの声には答えず、ちっと舌打ちをして、ラーシュは立ち去った。
◆
その日から、毎日ラーシュとエヴァの追いかけっこが始まった。
ある時は庭園の四阿。ある時は図書室。ある時は厨房。ある時は客室。
屋敷は広い。
いくらでも隠れるところがあるし、エヴァはこの屋敷のことは知らない。早めに部屋を出れば、見つけられっこないとラーシュは考えていた。
…それなのに。
――――なんであいつは、毎日俺のこと見つけられるんだ!
ラーシュがどこに隠れても、エヴァはのほほんとした顔でやってきた。その事に、ラーシュは少し恐怖を感じていた。
使用人が教えているのかと思い、口留めしたとしてもダメだった。
ラーシュは1週間で音を上げた。
ある日、エヴァが来るのを部屋で待ち構えた。
コンコン
軽いノックの後、返事をする前に今日もドアは開けられた。
「…返事する前に開けるな」
「あはは。やぁ、ラーシュ。今日は部屋にいるんだね」
「…お前、どうして俺がいるところが分かる?」
珍しくラーシュから話しかけられたことに、エヴァは目を丸くする。
そして、きれいに笑うと自分のポケットを軽くたたいた。
「ラタ、出ておいで」
チチチ、と言いながら小リスが1匹出てきて、エヴァの肩に上る。
その額には真っ赤に輝く魔石が嵌っている。
「な!魔獣!?…使役の魔術具もつけずに王都に魔獣を持ち込んだのか!?」
焦るラーシュに、エヴァは何でもないことのように答える。
「んー?ラタは魔獣といっても小リスだよ?こんなちっちゃいのに、そんなに怖がることないでしょ?」
ラタはエヴァの言葉に抗議するようにキーキーと鳴く。
「いくら小動物でも、魔獣だぞ!?素手で触れたら指を食いちぎるくらいの攻撃力はあるはずだ!」
ラーシュの言葉にラタはえっへんと胸を張る。
エヴァは苦笑しながらラタの顎をくすぐる。
「大丈夫だよ。ラタは自分が害されでもしない限り、むやみに人を攻撃したりしない」
言いながら、実はフェンリルも呼べるのだが、これを言ったら卒倒しそうだなぁと考えていた。
他の人にも秘密にした方が良さそうだ。
「なんでわか……そうか、お前魔獣の言葉が分かるのか…」
「うん」
「そいつに、俺の居場所をつけさせてたのか…」
「ふふ、だって君、置いてっちゃうから」
のんきなエヴァの言葉にラーシュは脱力する。
――――こいつは、何でこんな壊滅的に空気が読めない。いや、あえて読んでないのか?加えて常識もない…!
失礼な奴だと思っていたが、それ以上に常識の通じない規格外の存在に、ラーシュは逃げることを諦めた。そして、このまま相手を野放しにしておくのも危険な気がした。
――――俺といることが安全かは置いておいて…
なぜ自分が、とは思うが、こいつが変なことを仕出かさないように見張っておいた方がいいだろう。
ラーシュは大きなため息を吐いた。
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