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「じゃ、じゃあ、とりあえずビールで…」

「あいよっ!」

タヌキ女将は威勢よく返事をし、また上機嫌になった。

「ささっ、おひとつ!」

タヌキ女将にビールをついでもらい、一気に飲み干した。

   うまいっ!

キンキンに冷えたビールは、渇いた喉に染入るようだった。

「まっ! お嬢さん、イケる口ね!」

タヌキ女将はニコニコしながらお代わりをついでくれた。

二杯目のビールを飲んでいる時、私はカスミの事を思い出した。ここまで追いかけて来るのではないか? そう思うと恐怖で体が震えだし止まらなくなった。

「あら、少し寒かったかしら? 暖房入れましょうか?」

タヌキ女将は心配そうに私を見た。私は震えが止まるように両手で体を押さえつけたが、それでも止まらないどころか、動悸が激しくなってきた。

   どうしよう…。こうしているうちにも、カスミがここへやってくるかもしれない…

   沢井君、あれからどうなったんだろう?

 心配で堪らない! 

涙も溢れ出てきた。

「お嬢さん! どうしたの? どこか痛いの?」

タヌキ女将は慌てふためいた。

「あ! そうだ! 私、こんな時の為にいいもの用意していたのよ! すぐ持ってくるからちょっと待ってて!」

タヌキ女将は裏へ行ってしまった。

タヌキ女将の優しさが身に染みてきた。こんなさっき出会ったばかりの女にこれほどよくしてくれるなんて!
 


「これ使って!」

タヌキ女将は私に何かを差し出した。


 “「日めくりパンダ」 かわいい仕草に毎日ウットリ! ”


全身の震えが止まらない私にタヌキ女将が差し出したのは、パンダの日めくりカレンダーだった。


 …これを…どうやって使えと言うのだ…

   震えて苦しそうな人間に、普通は体を温める毛布とか、暖かいココアとか差し出すんじゃないのっ???


「これ、来年のカレンダーで、この私ですら、まだ見てないって言うのに…。でも病人はいたわってあげないとねっ!」

タヌキ女将は自分より先に見られるのがよっぽど惜しかったのか、苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、しぶしぶ私に差し出している。

「どおぉ~、キャワイイでしょぉ~! キャワたんでしょぉ~!」

 近いっ!

真横に巨大なタヌキのウットリ顔が迫った!

「そ、そうですね…。」

私はそっとタヌキ女将から距離を取った。

「お嬢さん!」

タヌキ女将は急にキリっと眉をあげて私を見た。

「怖い事とか嫌な事とかあったら、その時は、自分の好きな事を思い浮かべるといいわ!」

「そ、そうですか。」

「そうよ! 幸せな気分に浸っている人間に邪気は寄ってこないわ!」
「はぁ…」
タヌキ女将はまたカウンターの向こうへ回り込み、何やらよそいはじめた。

「栗ぜんざいどうぞ!」

 …何で?

「私、栗ぜんざい注文しましたっけ?」

「まあ、細かい事は考えないで食べてみて!」

タヌキ女将はウフッウフッと笑顔で、私が食べるのを楽しみにしているようだ。

「いただきます。」

栗ぜんざいは、私の想像を遥かに超えて美味しかった。

中に入っている栗の甘露煮は上品に甘く、その味を殺さないように小豆はあえて甘味を押えてある。

白玉だんごは柔らかいし、おまけに香ばしく焼いたお餅まで入っていた。


「私ね~、余所で食べるときいつも思うんだぁ~。ぜんざい頼むと、白玉だんごかお餅かどちらか一方だけしか入ってないの。絶対両方入れた方が美味しくなぁ~い! だからね、うちは必ず両方入れるようにしているのよ! お餅は香ばしさを味わってもらうために、焼きたてを入れるようにしているの。んでねっ、んでねっ、栗の甘露煮も入れた方が美味しいでしょぉぉぉ~!!! この全部のせ、もうぜんざいに大漁旗揚げたいくらいよっ!」

タヌキ女将は持論に自信満々で鼻息交りだ…。

「そ、そおっすか…。」

「どう? ほっこりした? 心も体もあったまった?」

タヌキ女将は私に満面の笑みを投げかけた。

女将につられて、私もつい笑顔になった。美味しい栗ぜんざいのおかげで、いつの間にか体の震えも止まっていた。



   なんだろ、この感覚…。

   さっきまでの恐怖心が…無くなってる。カスミの事を思い出すとまだ怖いけど、私の心の中で、分厚い壁のような…大きな川のような…、とにかく私とカスミはあちらとこちら、別の世界にお互い別れたような感覚が、確かに生まれた!



「…女将…おかげさまで心身ともに温まりました!」

「よかったわ。」

私は栗ぜんざいを全てきれいに食べ終えて、橋を箸置きにそっと置いた。

箸置きは女将の趣味なのであろう、これもことごとくパンダだった。

   何故パンダなんだろ?

 女将はタヌキのくせに。

   まぁそういう細かい事は気にしないでおこう。

   私の心は今、凪状態の穏やかな海のようなのだから。



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