『大好き』って言えば、なんでもできるとお思いで?

朝野 凛

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『大好き』って言えば、なんでもできるとお思いで?

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オレンジ色に染まる空の下、ふたりは静かな庭園のベンチに座っていた。
 私が用意した小さなバスケットから、グラン様に手作りのサンドイッチを差し出す。

「はい、どうぞ」

「わあ、うまそう!」

 グラン様は嬉しそうにサンドイッチを頬張る。ふたりの距離は自然と近くなり、肩が触れ合う。

「ちゃんと俺の好きなレタスとハム、忘れてないね」

「はい、もちろんです」

 私が笑うと、グラン様は優しく微笑み返した。

「君のそういうところが大好きだよ」

 その言葉に、私の頬は一気に赤くなった。

「えへへ、もっと言って欲しいです!」

 グラン様はからかうように目を細め、彼女の手を包み込んだ。

「大好き」

 私とグラン様は顔を見合わせて笑い合い、時折交わす視線は温かく、まるで世界がふたりだけのもののようだった。

「あーでも、もうちょっと味付けが濃い方が好きだな」

「ほんと? じゃあ、次からそうします!」

 私はうんうんとうなずいた。

「あっ、そうだ……」

 ふと、グランが立ち上がった。

 グランは少し歩くと、近くにあったひと枝の薔薇を棘に気をつけながら摘み取った。
 そしてエリシアのものに戻ると、やさしくエリシアの後ろに回った。

「動かないで、エリシア」

「……え?」

「こっちを向かなくていい。……少しだけ、髪を下ろして」

 彼の指先がそっと彼女の髪に触れ、紅い薔薇を耳の横に挿した。
 頭皮がちくっとして、少し血が滲んだが我慢した。

「……できた。うん、やっぱり、すごくにあってるよ」

 その言葉に、エリシアの胸がふわりと熱くなる。
 薔薇の香りと、彼の声が耳に残る。

「嬉しい、ありがとう」

 グラン様が私のために行動してくれたこと、それが何よりの喜びだった。
 多少の傷なんて気にも留めない。

「じゃあ俺、そろそろ行くから。予定があるんだ」

 グラン様は立ち上がると、食べかけのサンドイッチを私に渡してどこかへいってしまった。

「ふふっ、前回よりも食べてもらえた」

 その喜びをしっかりと奥で噛み締めた。
 飛び跳ねるくらい嬉し──

「あいつ全部食えよ。もったいねえなあ」

 不意に、背後から声がした。

「おお、久しぶり。どんくらい会ってなかったっけ……って血出てんじゃん!」

 昔から住んでるところが近かった、シアンさん。
 最近は話すことが少なかった。

「……なんの用?」

「いやいや、早く止血しないと」

 シアンさんはポケットからハンカチを出して、私の傷口に当てようとした。

 私はその手を払った。

「いい」

 正直、あまり好きではない。

 だって、グラン様を悪くいうから。

 ──絶対体目当てだって!
 ──本当にそれ大丈夫?
 ──最低じゃん!

 ……なにを言ってるのかわからない。
 グラン様は常に私のことを考えてくれる、好きって言ってくれるとってもいい人なのに。

「なあ、大丈夫かよ。前よりもやつれて見えるぜ?」

「……別に、大丈夫です」

 私はそそくさと荷物をまとめて、その場を離れた。

 なんで、あんなこと言うんだろう。
 なんでわかってくれないんだろう。

 グラン様、とっても素敵な方なのに……!








 ーー


 私がグラン様と出会ったのは、今年の春。
 舞踏会の最中、ドレスの裾を踏んで転び、見世物のように笑われたあの夜。

 花壇の影で一人、膝を抱えて泣いていた私に、彼は声をかけた。

「ねえ、君、大丈夫?」

 突然の声に、私は思わず肩を跳ねさせた。

「だ、大丈夫です。邪魔ですよね……すぐにどきますので」

 立ち上がって、その場を去ろうとしたその時、背後から肩をそっと掴まれた。

「大丈夫なわけ、ないでしょ。……ほら、ハンカチ。せっかく綺麗な目をしてるんだから」

 その言葉に、心がぎゅっとなった。

 綺麗な目、そんなふうに私自身を見てくれた人なんて、いなかった。
 誰からも“正しく”あることだけを求められ、“私自身”を見てくれる人などいなかったから。

 ……あの日から、私のすべてはグラン様のものになった。

 彼の好きな香りを身にまとい、
 彼の言うとおりに服を選んで、
 彼の指示どおりに微笑んだ。

 彼が褒めたものだけを選び、
 彼が否定したものは、たとえどれだけ気に入っていてもすぐに捨てた。

「この曲はいい」と言えば、楽譜を探し、楽師に頼んで演奏させた。
「そのドレス、似合ってない」と言われれば、迷わず燃やした。

 私は、グラン様の理想そのものになるために生きていた。
 愛するグラン様のためなら、何でもできる。そう、何でも──

「ねぇ……こんなところで……」

「大丈夫だよ」

「ん、んむっ……」

 ……目の前で、グラン様が別の女性とキスをしていた。

 あまりの光景に、しばらくその場から動けなかった。

 え……? グラン様が……誰……?

 私は、反射的に声をかけた。

「グラン様!」

 驚いたように、二人が振り返る。

 私は目を見開いたまま、言葉を探した。

「……あの、そちらの方は……?」

 私と目が合ったグラン様は、眉をひそめ、不機嫌そうに舌打ちした。

「チッ……めんどくせぇな……」

「ねえ、あちらの方って……?」

 女性が尋ねると、グラン様の顔がぱっと明るくなり、いつもの甘い声で言った。

「ああ、ただの友達だよ。ちょっと話があるから、少しだけ外してくれる?」

「はいっ!」

 女性は素直に返事をし、その場を離れた。

 そして私たち二人きりになると、グラン様は一転、面倒くさそうにため息をついた。

「……で、何?」

「えっと……さっきの方は……?」

「言っただろ、ただの友達だって」

「で、でも……キスしてたのを……」

「それが何?」

 グラン様は首を傾げ、当たり前だろうとでもいいたげだった。

 私は言葉を失った。

 それが何って……

「私、グラン様の……」

 グラン様は深くため息をついた。

「あのさ、君ってほんとに重いよね」

「え……」

「そうやって束縛してさ、なんなの?」

 え……束縛……

「私は、あなたに好かれたかっただけで……」

「そういうの、重いって。もっと普通でいてよ」

 私は……そんなつもりじゃ……

 ああ……わたしのせいだ……

 私が、グラン様の理想になれなかったせいだ……

 私のせいで……わたしが……

「ねえ、エリシア」

 名前を呼ばれて、つい肩が跳ねた。

「はっはい」

「今回は許してあげる」

 グラン様は私の目の前まで歩み寄った。

「だから──」

 グラン様は私の髪を撫でながら、耳元で囁いた。

「これからは俺の“大好きな“エリシアでいられる?」

 ──大好きな。

 鼓動が跳ねた。喉の奥が熱くなる。

「はい! もちろんです!」

「大好きだよ、エリシア」

 その言葉が、胸に染み込んでいく。
 甘くて、あたたかくて、世界でたったひとつの、救いの言葉のように思えた。

 グラン様の“好き”に包まれていれば、他に何もいらない。
 何も、考えなくていい。

 そうだ、私は……
 私はグラン様の“大好きな”エリシアでいれば、それでいいんだ。







 ーー


「いやいや、おかしいでしょ、それ」

 背後から投げられたその声に、私は眉をひそめた。

 振り返らずとも分かる。シアンさんだ。

「またあなたですか……いい加減、やめてください」

「やだね」

 シアンはどこか飄々とした雰囲気で答えた。

「そういうの、もうやめてほしいんです。グラン様のこと、何も知らないくせに」

 きっと、あの人は今忙しいんだ。それで私にちょっと当たっちゃっただけで……あの人は私に大好きって言ってくれる。

「いや、他の女とキスしてるのはいいのかよ」

「別に……大したことじゃないです」

「大したことあるだろ──」

「うるさいっ!!」

 堪えきれず、声を張り上げた。

 目の奥が熱くなった。手が震えていた。

「どうしてそんなふうに言うの? どうして……私の大事な人を…….」

「だって、見てられねぇよ」

 静かな、けれどどうしようもなく刺さる声。

「エリシア、お前、前よりもずっと痩せた。笑い方も、前と違う。無理してるの、わかるんだよ」

「違う、違うもん……!」

 足元の地面が揺らぐようだった。自分の声すら、自信がなかった。

「私は……私は好きでやってるの。誰に言われたって関係ない。私は、私が選んだ道を歩いてるだけ……!」

 自分に言い聞かせるように、繰り返す。

「なあ、エリシア」

 シアンの声は、穏やかだった。

「……別に、人に尽くすってことは、悪いことじゃないと思う」

 シアンは私の肩に手を置いた。

「でもな、エリシアにはもっと自分を大切にして欲しいんだよ」

 目を合わせられない。シアンが何を言ってるのか、分からないふりをするしかなかった。

「……もうどっかいってください」

 それだけ絞り出すと、私は視線を落とした。

「エリシア──」

「帰って!」

 今度こそ、声が割れた。

 草の上を踏む音が一歩、そしてもう一歩、遠ざかる。

「……わかったよ」

 シアンの声は、とても静かだった。

 私が顔を上げたとき、彼女はもう背中を向けていた。









 ーー


 それから数か月。
 私は相変わらずグラン様の理想として生きてきた。

 新作の香水、より大胆なドレス、夜更けの呼び出し……ちょっとだけ、怖いなって思うものもあったけど、そういうのも全部受け入れた。

 グラン様の大好きなエリシアになるために──

 今日は私の屋敷に来ていた。
 何をするのかと、楽しみにしていたのだが、急にグラン様は私の腰に手を回した。

「ねえ、だめかな?」

 あ……これって……

 私も子供じゃない。グラン様が何を要求しているのかははっきりとわかった。

 柔らかな声音に、張り詰めたものが混ざる。
 私は胸の前で両手を重ね、かぶりを振った。

「今はまだ……心の準備が……」

「大丈夫、してるうちに準備なんてできてるものだよ」

 笑いながら立ち上がり、私の背に腕を回してくる。温かい。けれど怖い。

「……すみません」

 小さく首を振る。

「ねえ、俺の“大好きなエリシア”なんだろ? 証明、してよ」

 言葉は甘く、目だけが冷い。
 私はまた、短く「ごめんなさい」と呟く。

「あの……まだ早いかなって……もう少しして、心の準備ができたら──」

 そう言った瞬間、グラン様は静かにため息を落とした。

「ちっ……もういい」

 グラン様は立ち上がって、屋敷を出る準備をし始めた。

 ──え。

「え……なんで……」

「君が俺のしたいことさせてくれないからだ」

 準備を終えたグラン様はすぐに立ち上がって、部屋を出ようとした。

 私は思わず裾を掴んだ。

「……待ってください」

「邪魔」

 振り払われた指が、じんと疼く。

 グラン様が、私の部屋を去った。
 冷たい余韻だけが残る空気の中、私は足が勝手に動くのを止められなかった。

 階段を駆け下り、夜気の漂う回廊を抜ける。
 私は急いで外に出た。

 グラン様は屋敷の門に手をかけているところだった。

「待って……!」

 声を張ると同時に、私は石畳に膝をついた。
 ドレスの裾が泥を吸い、冷たさが肌を刺す。それでもかまわなかった。

「私を捨てないでください。どうか、そばにいさせて……!」

 額が石に当たるほど深く頭を下げる。
 視界は床に落ちる涙で滲み、彼の靴先しか映らない。

 また、誰からも見てもらえなくなる?
 あの時みたいに、何をしても無駄で、誰も私を振り向いてくれなくなる……?

 そんなの──嫌。

 そんな私を見て、グラン様は小さく笑った。

「ねえ、エリシアは俺の“大好きな“エリシアでいてくれるよね?」

 グラン様が私の肩に手を置く。

 ──大好きな。

 ああ、やっぱり。

 私をみてくれるのは、グラン様しかいない──

「はい」

 そう答えかけた、その瞬間。

「何してんだよ……エリシア」

 振り向けば、シアンさんが月明かりの下に立っていた。

 グラン様は慌てた様子で言った。

「なんでもないですよ、シアン嬢」

 グラン様が肩をすくめ、嘲るように笑う。

「さあ、エリシア。早く行こう?」

 けれどシアンさんは無表情でグランを見据えた。

「なんでもないわけないでしょ。友達が地面に頭擦りつけてるんだけど」

 シアンさんが一歩前へ出る。

「エリシア。どうした? 何があった?」

「えっと……その……」

 私がモゴモゴと何も言えないでいると──

 グラン様が私の耳元で「大好きだよ」と囁く。その瞬間、視界が熱でぼやけた。

(わたしは……“大好き”と言ってもらえれば、それでいい)

 心の軋みを、聞こえないふりで塗り潰す。

「行きましょう……グラン様」

 私が悪い、グラン様に合わせられなかった私が全部悪いんだ……

「うん、じゃあ部屋に戻ろうか」

 そう言って、グラン様が私の肩に手を回そうとした瞬間。

 ──バシッ。

 乾いた音が闇に弾け、グラン様の手が払われた。

「黙れ」

 目の前に躍り出たのはシアンさんだった。
 獣のような光を宿した瞳が、グラン様を射抜く。

「……っ」

 威圧に気圧されたのか、グラン様が一歩、後ずさる。

「なあ、何が起きてんのかは知らねえけどさ」

 シアンさんはすぐ私へ向き直った。

「エリシアはそれでいいのか……?」

 シアンさんの問いかけに、私の心が揺れる。

「うん……グラン様がいいのなら──」

「そいつのことなんて今聞いてない」

 そして一歩、また一歩と詰め寄る。

「エリシアは……本当のお前は、どうしたいんだよ」

 ほ、本当の私?

 私……私は……

 ……あれ? 私?

 どういうこと……あ、あれ?

「本当の私って……なんだっけ……」

 震える声が漏れた。
 ずっと彼に合わせてきた。
 彼の好きな服、彼の好きな舞楽、彼の好きな料理。

 息が荒くなる。背筋に冷たい汗が伝う。
 わからない。怖い──

 シアンさんが私の手を包んだ。

 私はハッとして、意識が現実に引き戻された。
 掌は熱く、脈が速い。

「そんなに難しく考えることはない」

 彼女のまぶたが震え、今にも泣きそうになっていた。

「お前が笑ってるとき、それが“本当”だろ!」

 頭の奥に響く、ひどく真っ直ぐな声。
 こめかみが脈打ち、胸の奥がきしむ。

「お前は今、心の底から笑えてるのか……?」

 その言葉が、じんわりと胸の中に広がる。

 あ……ああ……
 そんな簡単なことで、よかったんだ。
 私は……心の底から……!

「ううん、全然笑えない……!」

 言い終えるより早く、涙がこぼれた。

「それが答えだよ」

 シアンさんは笑った。

「なあ、何二人で盛り上がってんの」

 背後から投げられた声に振り返ると、グラン様が苛立ちをあらわにしていた。

「なんかずっと見てたけど、何なの? お前ら」

 青白い月光に照らされた顔は、さっきまでたしかに魅力的だったはずなのに──
 今は、恐ろしく歪んで見える。

 体が、とても大きく感じる。
 まるで人ではなく、何か……巨大な影のよう。

 グラン様は私に手を伸ばしてきた。
 肩がびくりと跳ね、喉がひゅっと狭まる。

 シアンさんはその手を払った。

「やめろ」

 シアンさんがそういうと、グラン様は怒りに満ちた表情になった。

「おい、俺が誰の息子かわかってんのかよ」

 威圧的な言葉が闇に落ちた。

「てめえら、俺に恥かかせやがって。父上に言いつけて──」

 と、そのとき。石畳の奥から重い鎧の足音が聞こえてきた。
 月光を受け、紋章入りのマントが揺れる。三名の王国親衛隊──王都直属の騎士たちだ。

 先頭の騎士は私の前で片膝をつき、紋章入りの書簡を広げた。

「エリシア・フォン・グランツ令嬢。ご無礼をお詫びします。こちらは王国裁定院の召喚状。対象は…… 伯爵家次男グラン・ド・レーヴェン」

 グラン様が硬直する。

「なんの、真似だ……!」

 騎士は淡々と告げる。

「王都にて数件の訴えが提出されています。『複数の令嬢に対する強要・詐欺的契約・名誉毀損』──本日正式に審理入りとなりました」

「虚偽だッ! 父上が黙っていないぞ!」

 そこへ、老執事レイハルトが静かに歩み寄る。
 彼は封蝋の切られた別の書簡を掲げた。

「“家名を守るため、次男グランとのすべての血縁的権利を破棄する”──公証済みの断絶状です。ご覧になりますか?」

 紙片に記された鮮やかな赤い紋章。
 グラン様の顔から血の気が引いた。

「う、嘘だ……! 父上が、私を見捨てるはずが……!」

「家名と領地ごと飛ぶよりは、クズ一人を切り捨てる方が安いのでしょうね」

 シアンさんはくすくすと笑った。

「貴様……!」

 親衛隊長が手枷を取り出し、無慈悲に宣言する。

「グラン・ド・レーヴェン殿。身柄をお預かりし、王都へ護送します。抵抗した場合、公衆の面前で鎖を掛ける手順となりますが──よろしいですね?」

 騎士たちの視線が鋼のように刺さる。
 グラン様は口をぱくぱくさせ、やがて力なく外套を脱ぎ捨てた。

「……覚えて、いろ……っ」

 か細い呟き。
 だが誰も答えない。鎧の鎖が鳴り、彼は両手を縛られた。

 その瞬間、私は胸奥の何かが崩れ去る音を聞いた。
 恐れ、執着、そして憧憬──全部が粉々になり、夜風へ散っていく。

 騎士たちがグラン様を連れ去り、石畳の先で馬車の扉が閉まる。
 車輪がきしむ音だけが、遠ざかる。

 気づくと私は、膝を抱えていた。
 涙は出ない。ただ、空気が澄んでいる。

 シアンさんが隣で息を吐き、私の頭をぽん、と軽く叩いた。

「今日はゆっくり休みな」

 シアンさんはそう言って去ろうとした。

「待って!」

 シアンさんが振り向く。

「どうして、あたしのために、あんなに酷いこと言ったのに助けてくれたの……?」

 シアンさんはしばらく私を見つめて、言った。

「それは──」








 ーー


 ……俺は、昔から「おかしい」って言われ続けてきた。

 女に生まれて、でも「俺」って言って。
 男の子とばっかり遊んで、スカートが死ぬほど嫌いで。
 それがどれだけ“変”だったか、子どもの世界は、容赦なく教えてくれた。

「気持ち悪い」「女のくせに」「どうして普通にできないの?」
 何度言われたか、覚えてない。
 でも、たぶん毎日だった。
 一人になって、誰にも見られない場所で、声を殺して泣いた。

 その時、手を差し伸べてくれたのが──エリシアだった。

 庭の蔵の裏でうずくまってた俺に、
 まるでそこが玉座のように堂々と立って、こう言った。

 『あなたはあなたのままでいいよ』

 あの言葉だけが、どれだけ支えだったか。

 “お前は間違ってない”って誰も言ってくれなかった 世界で、初めてエリシアが、そう言ってくれた。

 守りたい、って思った。
 こんなふうに真っ直ぐな人を、ちゃんと守れる人間になりたいって。







 ーー


「……いや、ただなんとなくだよ」

 そう言って、シアンさんは去ってしまった。
 その姿を私は呆然とみていた。

 しばらくして、私は「ふふっ」と笑みが溢れた。

「なんとなくって……なんですか……!」

 自分でもわからないが、その一言に大笑いしてしまった。

 久しぶりに、こんなに笑った。

 不思議と、明日はもっと笑える気がした。
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