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一、芋と兄妹
しおりを挟む秋という季節ほど多様性をもった季節もない。
多くの人がそれぞれの秋を楽しみ、秋について思索する。読書に精を出す人もいれば、体を動かすことに余念のない人もいる。また、数多くの海山の恵みを存分に味わい尽くす人も。
そしてここにも一人、秋を存分に楽しもうとする男がいる。
家の台所に立ち、製菓道具を並べながら満足そうにしているのは芋をこよなく愛する男だった。その男は芋好きが高じて所かまわず芋についての愛を語りだすので、周囲の人間からはイモ野郎、イモ兄貴、イモ男爵、ポテト伯爵、ポテ男その他、様々な名で呼ばれながら遠巻きにされてきた。
本人はそれらのことについて大変気に入っている。限りなく汚名に近い勇名であるが、本人が気に入っているならばそれはそれでいいのかも知れない。
個人の趣味嗜好など、まるで芋だと男は言う。芋のように不揃いで、てんでばらばらなのが世の常だと思っている。
そんな男が西日の差し込む台所で手に持っているのはサツマイモだった。
秋の盛りに旬を迎えるこの芋は、男の好む芋の中でも常に上位を占めている。
庭で石焼にされたその芋は甘い香りを放っていた。石焼用の窯は、当然ながら男の自作である。芋を二つに割ってみるとまさに黄金とでも呼ぶべき色合いで中身がぎゅうぎゅうに詰まっていて、立ち上る湯気でさえもどこかしら輝きを放っているように見えた。
他に誰もいない家の中で、男は口の端をあげてにやりと笑う。
「ああ、魅惑の鳴門金時。いい芋だよ、うん」
幼子をあやすような優しい声で男は手に持った芋を撫でながら呟いた。その顔はまさに恍惚と言った表情であり、男がいかに芋を愛しているかがよく分かるものだった。
そんな男が芋を愛でている所に聞こえてきたのは、ぱたぱたと廊下を鳴らす足音と共に台所に顔を出した彼の妹の声だった。
「お兄ちゃーん! お兄ちゃーん! うわ。またニヤけてる」
「おかえり、妹よ。今日の芋は極上品だ。だからこれは仕方がない」
「仕方ないんだ。あ、焼き芋。半分ちょーだい」
男には妹がいる。
兄と違い、社交性その他もろもろをオーバースペック気味に搭載し、通う高校の中では男子学生のみならず女子学生からの人気をも集めているが、彼氏はいない。人気はあるのだが、誰もが口をそろえて人気すぎるが故に手が出せないとこぼすのだ。
もちろん、妹もそれに気が付いている。非公認のファンクラブめいたものまであるらしい。しかし妹の本音としては親密なお付き合いの一つや二つしてみたいお年頃の18才なのだ。「受験生だって恋をする権利はある」とは、妹の口癖である。
「で、返ってくるなり台所に駆け込んできてどうした?」
「あ、うん。惚れ薬作って」
兄から渡された半分の焼き芋をかじりながら妹は言う。
「またか」
「また」
「あのなあ。女子高生たるもの、惚れ薬くらい作れんといかんぞ。いつまでも兄ちゃん頼りじゃ成長しないぞ」
「いやあ、分かってるんだけどさー」
もぐもぐと芋を食べることは決して止めずにあっけらかんと言い放つ妹に、兄はやれやれとため息をつく。手に持ったもう半分のサツマイモを妹に向けて、ゆらゆらと振ってみせた。
「ところで、さっき兄ちゃんの事を馬鹿にしなかったか?」
「え、してないしてない。それはもう爽やかな笑顔だったじゃない。やだなあもう」
「まったく。それで、誰に渡すんだ?」
「新聞部の人。一つ下なんだけどね。こないだ取材に来てくれてさ。校内新聞の。もうすっごい可愛いの。必死っていう感じで!」
兄は手のひらを下に向けて興奮を抑えるようにジェスチャーで伝える。
「分かった分かった。なら、たまには手伝え。夕食が終わったら一緒に作るぞ」
「お兄ちゃんだけで作ったほうが効果高くない?」
「将来のためだ。手伝わんと作ってやらんぞ」
「ちぇー。しゃあない。ところで今日の晩御飯は?」
妹が食べ終わった焼き芋の皮を自然と兄に渡す。
「何か食べたいものはあるか?」
「芋料理以外」
「レパートリーの九分九厘が削られた。なんてこった。とんだ縛りゲーだ」
受け取った皮を流しの三角コーナーに投げ入れ、兄はわざとらしく落胆の仕草をしてみせた。
「にひひひ。じゃあ私、課題があるから! よろしくねー!」
言いたいことだけ言って、妹は2階の自室へと上がっていった。兄は手に持った半分の焼き芋にかじりつきながら、「芋を使えないとなると、普通の料理か。つまらん」とよく分からない呟きをこぼすのだった。
○ ○ ○
その日の夕食は筑前煮と焼き魚だった。いつも通り、二人だけで何の変哲もない普通の夕食を食べ、兄と妹は再び台所へと立っている。
「では兄上! よろしくおねがいするであります!」
「よかろう!まずは手を洗うのだ、妹三等兵!」
「サー!」
妙な小芝居をしながら二人は惚れ薬を作るための材料を揃え、それに必要な器材を並べていく。
はかり、ふるい、ボウル。そして夕刻に焼いていた芋、生クリームにバター。これだけ見れば、ただのお菓子作りに見えるが、これはれっきとした惚れ薬の材料である。
「バターの湯煎と芋の裏漉しを同時進行で行う! 準備は良いかッ!」
「サー!バターの湯煎の後、砂糖および生クリームを量り取るであります!」
「良い手筈だ! 裏漉しはこの兄に任せておけ! 完膚なきまでに滑らかにしてみせる!」
「頼れる兄は素敵であります!」
「褒めても何も出んぞ! せめてつまみ食いを許可するくらいである!」
「やったであります! やったであります!」
珍妙なやりとりではあるが、やっていることはまったくもって普通のお菓子作りである。これがどうして惚れ薬になるのか。
実は、この兄と妹は少しばかり特殊な技能を持ち合わせている。
いや、特殊と呼ぶには少し物足りない力かも知れない。
作ったものに魂が宿る。そんな表現がある。人形であったり、美術品、工芸品であったり、古い物にも念が籠るとよく言われている。もちろん、科学的根拠はないし、実際にそれらの力が物理学的に証明されている訳でもない。
しかし、あるのだ。理論的ではない言い方ではあるが、あるからあると言ってしまわなければ説明がつかない。
この兄妹は、意図的に作ったものに念を込めることが出来る。ただし、決して万能な力などではなく、出来ることはたった一つだけ。好意の感情を増幅させる念を込めることだけが、兄妹に出来ることである。
あくまでも増幅するだけなので、元がゼロであれば効果は無いうえに、念を込めることが出来るのは芋を使った料理だけ。しかも手渡した相手が目の前でそれを食べないと意味がなく、家族には元々効果がないなど、条件は決して優しくない。
しかし条件さえ満たせば、第三者が用いても効果はあるのだ。兄は以前、それに着目して一稼ぎしようとした事があるが、惚れ薬と銘打ったそれが非現実的過ぎたためか近隣住民に通報され、危うく警察の世話になるところであった。
「よし。タネは出来た」
「サー! 後はオーブンでありますね! 上官殿!」
「あ、悪い、妹よ。そのノリもう疲れた」
「うわ、ひっど。合わせてあげてたのに」
「楽しんでたのはそっちだろう。ほれ、焼くぞ」
兄はいそいそとオーブンを操作しはじめた。二人でせっせとタネを成形し、艶出し用の卵黄をハケで塗っていく。
レシピも至って普通。出来上がるのは、見た目も味も立派にスイートポテトであり、それ以外の何でもない。
焼きあがったそれらを手早くラッピングしていく。
「ここが一番の肝だぞ、妹よ。ラッピングを一秒短縮できれば、一割増しで美味しくなると思え」
「何それ。そうなの?」
「しっとり感が段違いになる。ほっておけば水分が抜けてパッサパサ」
「なーる」
ちなみに、この時点ですでに念は込められている。どの段階でどれだけ込められているかは本人たちにも分からないらしい。
「ねえ」
「ん?」
「お兄ちゃんが作ると、どうして効果が高いのかな」
「そりゃあ、あれだ。芋が好きだからに決まっている」
「じゃあ絶対にお兄ちゃんには敵わないじゃん」
がっくりとうなだれる妹。兄の芋に対する情熱は並大抵のものではないことを良く知っているからだ。どれくらい並外れているかと言えば、芋を追及すると公言して自ら進んで職を手放し、牙城である自宅で日がな一日を芋と戯れる程度であり、それゆえ、ご近所さんから芋ニートと陰で噂されているのも当然なのである。
「兄ちゃん以上に芋好きなヤツがいたら連れてこい。もしいたら、の話だがな」
兄はからからと笑いながらも、ラッピングの手を休めることは無い。美味いものを作りたい心意気はすでに無意識化で作業することさえも可能にしたようだった。
そんな芋にまみれた兄を尊敬するわけにはいかぬと肝に銘じつつも、そのどこか超人めいた泰然さに妹は呆れを通り越して不思議な感情さえも覚えるのだった。
こうして、スイートポテトの形をした惚れ薬が完成した。
許可を得て一つだけつまみ食いした妹の証言によれば、「これを毎日食べられるなら、私は世界を敵に回してもいい」とのことだった。
○ ○ ○
翌日。
夕食の準備にと兄がせっせと台所で料理をしていると、妹が高校から帰ってきた。
今日はてっきりそのまま意中の相手とデートにでも行くのだろうと兄は思っていたが、帰ってきた時間を確認すると放課後すぐさま帰ってきたようである。
「どうした、妹よ。お目当ての彼が欠席でもしていたか」
台所から顔を出してそう声をかけるが、妹から返事は無い。ゆらりとリビングに入ってきた妹は兄の姿を確認するなり膝から崩れ落ちた。
「何事ッ!?」
慌てて駆け寄る兄。ぼそぼそと何かを呟いているようだったので耳を近づけて聞いてみると、どうしていつも、どうして、と繰り返していた。
すうっと伸びた妹の手が兄の肩を掴む。
「お兄ちゃんはどうして……」
「い、妹よ、痛い痛い」
「どうしていつも私の恋路を邪魔するのッ!?」
大きく見開かれた目。ぎりぎりと力の込められる手。髪が一筋前に流れて、まるでホラー映画の幽霊のようだと兄は痛みをこらえながら考えた。そして、ああまたダメだったのかと事態を半ば呑み込んだ。
「待て待て。昨日は素材も申し分なかった。完璧な惚れ薬だったはずだ」
「じゃあどうして食べた相手がいきなり五体投地するのよっ!」
五体投地。チベットやインド発祥の仏教において、相手に最上級の敬意をもって行われる礼拝の方法であり、両ひざ、両ひじ、額を地につけて行う礼拝である。
平たく言えば、うつ伏せに寝るような姿勢になる。土下座の上位版とでもいえば良いかも知れない。
「そりゃあ、崇め奉る存在だと認識されたんじゃないか?」
「私は神にも仏にもなりたくないの! 心ときめく彼氏が欲しいの!」
兄の肩を掴む手にさらに力がかかる。
「やめろ! 頼むから右肩はやめろ! 料理が作れなくなる!」
「うぅ……お兄ちゃんのバカぁ! なんでこうなるのおおぉ」
ついに泣き崩れる妹をなんとかなだめ、リビングのテーブルへと座らせる。まだくすんくすんとすすり泣く妹にホットミルクを渡し、落ち着いて話せと兄は言った。
「また一人、妹の信者ができてしまったなあ」
「いらない……私を対等に見てくれる優しい彼氏が欲しい」
「で、つまりはあれか? 手渡した惚れ薬が美味すぎて、好意が信心にジョブチェンジしたと」
「確かに美味しかったけど。美味しかったけど! 食べた第一声が"My god..."て! その後に五体投地って! 仏教なの? キリスト教なの!? 宗派も何もありゃしない! 起き上がったら泣いてるし! 泣きたいのこっちだし! いつでも先輩の為に死ねますって言われたああぁ。いやだ、もう、死にたい。私が死にたい」
「死ぬ前に偶像崇拝は禁じておけよ。宗教は時に無用な争いを生む」
一気にまくしたてる妹に、兄は冷静に返事をする。
「神も仏もねえわー。私は法王でも教皇でも尊師でもないのー」
言いたいことを言ってすっきりしたのか、残ったホットミルクを飲み干した妹はカップをことりとテーブルにおいた。
「私なりに色々と考えてるんだからね。将来のこととか。それに、お兄ちゃんは彼女つくらないの?」
「ぬぐっふ」
兄から変な声が漏れる。妹に将来の心配をされては世話が無い。
「あ、あのな。妹よ。兄は彼女その他もろもろ、色恋沙汰になど興味を示しているヒマはないのだ。芋を極めなきゃならないからな」
「九ノ宮おねえちゃんは?今でも遊びに来てくれるじゃん。お兄ちゃんの変態振りを知ってても引かないなんてスゴイよ?」
「アレは女であって女ではない。半分は魚介類で出来ている」
「ふうん。後で伝えとくね」
妹はにやりと口の端を上げる。
「彼女ほど聡明で見目麗しい人は見たことが無い。兄にとっては高嶺の花だと伝えてくれ」
「手のひら返すの早っ」
妹は妹なりに兄を安心させるため、良い彼氏を見つけようと努力しているようだった。なにせ、たった二人の家族である。数年前に母を亡くした際、妹はちょうど義務教育を終えようとする頃だった。兄が自分の世話のために仕事をやめてしまったのではないかと、妹は今でもそう思っているが、もちろん兄はそうではないと言ってのける。
いつまでも兄に甘えていてはいけないと思うし、兄が自分のために色々なことを諦めてしまっているのではないかと考えると、妹は申し訳ない気持ちになってくる。
それなのに、自宅でニートよろしく芋と蜜月を過ごしている兄の姿を見ていると、何とも言えぬ複雑な気分になるのだった。
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