黄泉の七瀬は呪われる?

冬野一

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第一章

2:電柱の不審者さん

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 さて、従姉にも認知されている通り、わたしこと黄泉野七瀬は根暗である。これにはそれなりに理由があることをここで語っておきたい。

 というのも。わたしは地元で、同級生から『こそたく女』と言われていた。

 いつでもどこでも、建物から外に出るときには必ず両手を合わせて『こそたくまやたく』と唱える女――だから『こそたく女』。どうしてそんなヘンテコな呪文を唱えていたのかというと、それはひとえに祖母のせいだからである。

 うちの祖母は幽霊や怪異を心から信じる無類のオカルト好きとして、小さな田舎町では有名な人だった。
 両親を事故で早くに亡くしたわたしは、父方の祖母に引き取られ、小学生の頃から二人暮らしをしていた。幽霊や妖怪といったら、老人は信じていてもおかしくないだろう。けれどもうちの祖母はグレードが違った。彼女は心霊スポットをしらみつぶしに巡ることがもっぱらの趣味で、好奇心のままに曰くつきの物に手を出すわ、幽霊見たさに禁足地に分け入るわ、つまりはスーパー罰当たり老人だったのだ。他にも珍しい御札が手に入れば余所《よそ》様の家に押しかけたり、どこぞから降霊術を伝授してきては昼間の公園のど真ん中で術に勤しむなど、奇行は留まることを知らず。もちろん孫であるわたしも彼女の餌食になったことは言うまでもない。

 『こそたくまやたく』は小さい頃から祖母に強要されてきたおまじないである。外に出るときには必ず『こそたくまやたく』を三回唱えて、合掌した手の間から強く息を吹く――。家だけでなく学校でも、買い物先でも、とにかく建物から外に出るときには絶対にしなければならない、実に面倒で恥ずかしいおまじないだった。

 案の上、わたしは小学生の頃からクラスの笑いものにされてきた。友達もできず、先生からも敬遠され、常に根も葉もない噂がまとわりついた。辛かったことは言うまでもない。かといっておまじないをサボれば、どういうわけか必ず祖母に見抜かれ、こっぴどく怒られる。祖母の怒り方はねちっこくて、年寄りだけに何十回も話が周回する。それを正座して聴かねばならないから、なお辛い。小言を避けるためには不承不承おまじないを続けるしかなく、わたしは毎日ウンザリしながら登下校していた。卑屈で、無口で、根暗な女の子の出来上がりである。

 ――でも、そうして耐え続けていた中三の夏だった。クラスでひっそり片思いしていた男の子に、陰で『こそたく女』と笑われていたことを知った。

 ものすごく傷ついて、恥ずかしくて、涙が出て。

 わたしはそれまで溜めに溜めてきたストレスを全部祖母にぶつけましたよ。ひどいことも言った気がする。それからはおまじないも一切やめて、幽霊やオカルトも大嫌いになった。
祖母とも口を利かなくなった。

 高校二年の春。祖母が他界したことをきっかけに、わたしは他県の大学に進学することを決めた。中学生の頃のわたしが、無事に祖母の家を出て一人暮らしをすることになった今のわたしを見たら、きっと手を叩いて喜ぶことだろう。でも実際今のわたしは、喜びよりも安堵している。

 ようやくこれで昔の自分と区切りがつけられる――心機一転、新しい自分を作るチャンスがきたわけだ。今までの自分をリセットして、薔薇色とまでは言わないけどそれなりに色づいた生活を送りたい。

 そう、わたしは普通で無難な女の子のまま、普通で無難な人生を生きるのだ。

     ◇◇◇

 アパートのドアを開けて外に出ると、天気予報の通り、水色の絵の具をぼかしたような春らしい空が広がっていた。とはいえ三月の朝はまだ寒い。紺色のコートにマフラーを巻いて出てきたわたしは吹きつけてきた風に身震いする。二、三度瞬きして周囲を見た。

 蒼ちゃんの部屋は二階建てアパートの二階、角部屋にあたる。等間隔に設けられた部屋の扉と細い廊下、その奥に見える階段は一見なんの変哲のない景色だ。実際なにもないだろう。だけどわたしの目には――階段に至るまでの短い距離の中に数々の得体の知れない影が映っていた。

 壁に張り付いているアメーバのようなものもあれば、天井にまで達するほどの背丈で優雅に歩く人らしきもの、泡みたいに宙を漂うもの、岩のように足下に根を下ろしているもの――。まさしく奇々怪々、奇々妙々。この世のものじゃない。

「……幻覚……だよね。なんで急にこんなのが……」

 足下の岩みたいな黒い影を見下ろす。黒い影は依然として動く気配がない。さっき洗面所で触った際はとくに感触もなかったから害はないだろうけど……なんなんだろう、これ。人の形に見えたり、アメーバだったり泡だったり。いろいろな形がある。

 二階から下を見てみる。細い路地にも同様の景色が広がっていた。登校する小学生たちも、犬を連れて散歩しているおばさんも、路地を走って行くバイクも、みんなそこらに発生している影に気づく様子もなく日常の中にいる。

 やっぱりわたしだけおかしいのかと路地から視線を外す。向かいの電柱に目を留めた。あ……なんかおかしい奴がいる。

 わたしはなるべく影たちを意識しないように俯いて、足早に階段に向かう。べつに臭くもないのに息を止めて一気に下まで下りた。壁に背を這わせて、そっと先ほどの電柱を窺う。

 視線の先には、黒のキャップとサングラスとマスクと黒ジャージという怪しさを全力で詰め込んだ男が、電柱の影に隠れてアパートを見上げていた。ひょこっと顔を出してはサッと隠れ、また顔を出しては隠れている。へったくそだな。

 そこに先ほどのおばさんと犬が通りかかった。突然男に唸り、狂ったように吠える犬。「セバスチャン! めっ! 近づいちゃダメ!」とリードを引っ張るおばさん。騒音に釣られて集まってくる小学生。なんだなんだと出てきてひそめき合う隣人。瞬く間に男は不審者に出世した。これはお縄も近い。

 いきなり注目の的となった不審者さんは、なんとかその場を切り抜けようと「あ、あい、アイムノットジャパニーズ!」とか「アイドントライクケーサツ!」とか懸命に外人のフリをする。だがしかし、涙声。うーん苦しい。

 つと、視線を感じたのか、不審者さんがこちらに顔を向ける。わたしは咄嗟に壁に隠れた。遅かった。「ああー!」と奇声もとい喜声が上がったかと思うと、足音が近づいてくる。

「七瀬ちゃあああああああん‼ いいところに出てきてくれた! 我が救世主! 女神!」

 目の前に勢いよく不審者さんが現れる。現れたと思ったらゼエゼエと膝に手をついた。たかだか十メートルそこらの距離だというのにこの息切れ。歳かな。

「あの、どちら様ですか。わたしあなたのこと知らないんですけど」
「やだな、七瀬ちゃん。昨日会ったばかりの超絶イケメンであるこの俺のことをもう忘れてしまゲェッホゴッホゴホッ!」
「先に息を整えてください」

 壁に手をついてむせる彼の背中をさすってやる。

「ちょ、待って七瀬ちゃん。テイク2させて。今の失敗だわ。俺こんな……こんなカッコ悪い登場を思い描いていたわけじゃないんだ。もっとこう、バシッとビシッと格好よく決めてさぁ、キラキラした背景がほしかったのよ。これじゃ俺、ただ十メートルを全力ダッシュしてむせただけじゃん。めっちゃダセェ奴じゃん」

 電柱のところからずっとダサいよ。

 ようやく息が落ち着いた不審者さんは黒キャップとグラサンとマスクを取って、その下にある顔を見せる。短く整えた黒髪に、そこらの人よりかは綺麗に見える鼻筋の通った顔立ち(本人のいう超絶イケメンほどではない)。二、三歳年上を思わせる風貌。彼はコホンと一つ咳払いすると、頭一つ分ほど背の低いわたしを軽く覗き込むようにして笑った。

「まぁでも顔見りゃ一発で分かるよね。俺だよ、橘新太。覚えてくれてた?」
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