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1章
36.善良な殺人犯
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三年前のその日も立ち眩みが起きそうなくらいに頗る快晴で今日のように太陽が光り輝いていた。
母親を亡くした事で父子家庭になった洋平は、朝から自分と父の分の布団を干す。
それから、トラックの助手席で、自販機で買ってもらったオレンジジュースを持って鼻歌を歌いながら、座っていた。
まあ、これはトラックの運転手だった父の駐車禁止対策の為である。
大学が休み……或いは授業を取っていない時はこうやって助手席で父の仕事の様子を微笑ましく見ていた。
「悪いなあ……。折角の休みなのに」
申し訳無さそうに、軽い溜息を付きながら言う父。この年になってまで彼にれっきとした反抗期が訪れる事はなく、こうやって雑談を交わすほどには彼等は仲が良かったのだ。
自分は全然嫌ではないのに勝手に遠慮してしまっているのが何だか面白くて、彼はくすりと笑いながら口を開いた。
「別に何もやることなんてないから、大丈夫だよ!」
その言葉を聞いた父はホッとした表情をして、彼の頭を優しく撫でると、ふわりと微笑んだ。
思わず、自分も笑顔になりそうなくらいに優しい笑みも、直ぐに他人の様子を伺ってしまい人柄も、さり気なくジュースを買ってくれる気遣いも、洋平は父のことを家族として本当に大好きだったのである。
***
トラックを運転し始めて数分が経った頃、父がいきなりお腹を抑え始めた。
トイレに行きたいからといっても、今からトラックをUターンさせて会社に戻る訳にもいかない。
どうやら朝、まだ大丈夫と思って口にした納豆にカビが生えていたようだ。
「大丈夫? 薬いる?」
いつも風邪薬や胃薬等、薬を常備している彼は特に心から心配する様子も無く、カバンを持って父に薬を飲むかと問いかけた。
「ああ、お願いしようかな」
それが痛恨のミスだった。
洋平が手に取ったのは下痢止めの薬ではなく、『睡眠薬』。
しかも、当時母親が亡くなった事が原因で酷い不眠症になった洋平が病院で処方された、常人にはかなり強い睡眠薬だ。
普通は気付くであろうミスだが、手元が狂っていて手探り状態だった彼は気付かない。
関係なく父は口の中に薬を放り込む。
「ありがとな……」
先程と同じように父は彼に向かって、ふんわりと優しい笑みをみせる。
この言葉が彼が耳にした父の最期の言葉となってしまった。
***
時間が経ち、段々と父の運転が荒くなっていく。
洋平は少しばかりは不思議に思いつつも、気のせいだろうと考えたのか、トラックを止めることを強要しない。
「…………」
ようやく違和感に気付いた洋平が父の方を見ると、父は既に深い眠りについていた。
アクセルを踏んだまま、こくりこくりと変に動くハンドルによってトラックは暴走していく。
「父さん、父さんっ! 起きてっ! ぶつかる!」
激しく揺さぶっても、大声を耳元で叫んでも、父は目を覚まさない。
洋平が父に声を掛け始めて数秒程で、物凄い大きな音と共にトラックと乗用車が激しくぶつかる。
その衝撃で洋平は気を失った。
***
目を覚ますと、トラックは横転していて、衝突したと思われる車の大きな爆発音も頭の奥に響く。
父の頭は誰か分からないくらいに潰れていて、その面影もない。
幸い助手席に座っていた洋平は軽症で、シートベルトの凄さを改めて実感した気がした。
──死んでる……のかな……。
ショックで声もでない。
よくよく考えれば分かったことだが、事故が起きた瞬間は何故、父が眠っているのかすらも理解できなかった。
突然、心臓発作でも起こしてしまったのか、昨日、夜更かしでもしていたのか、元々病気を持っていたのか、と。
ニュースに大きく取り上げられたその大事故は、結果的に洋平含め、死者四名、重傷者一名、軽傷者一名を出す事になってしまった。
あの後、警察の調査によってトラックがいきなり暴走した原因は、父が睡眠薬を摂取していたせいだと分かる。
──間違えて僕が睡眠薬をあげていたんだ……。
そう察するまでに時間は然程掛からなかった。
勿論、罪悪感というものはかなりあったが、そのことを洋平は警察に言わないことに決めたのである。もしかしたら罪に問われるのでは、と不安に感じたのだ。
皮肉にも彼の証言が無かったおかげとでも言うべきか、父が誤って睡眠薬を飲んだという判断になり、洋平は罪に問われる事にはならなかった。
けれども、これは決して良かった、という出来事ではない。
洋平はこのせいで、心に重い十字架を背負う事になる。
正直に言わなかったという後悔と、あのとききちんと薬を確認しなかったという後悔……。
不幸なことに身体の状態は、精神的な酷い苦痛に反して、みるみると良くなっていくのだ。
とうとう、睡眠薬を一錠も摂取しなくても眠れる程に。
加えて、唯一の生き残りである被害者の一人とは、一度も対面した事はない。
警察が彼は責任を負う理由はなく、対面することで精神的な問題にもなると客観的に決断したのだ。
被害者の彼はまだ自分より年下で、何一つ非がないのに、あの瞬間で家族を全員失った。
それなのにも関わらず、自分の家族を殺した洋平に会って文句を言うことさえ叶わなかったのだ。
洋平が自分も被害者だという立ち振る舞いを変えなかったせいで。
自業自得かもしれないが、それからは反省したくてもすることが出来ないせいで、ニュースを見る度に『殺人犯、他殺』という言葉に過剰に反応してしまう。
しかし、洋平は結局のところ、殺人犯である。
決して自分の手を汚していないとしても、たった一度の償う機会には真実を口にせず、四名もの善良な人々を死に追いやったのだから──。
母親を亡くした事で父子家庭になった洋平は、朝から自分と父の分の布団を干す。
それから、トラックの助手席で、自販機で買ってもらったオレンジジュースを持って鼻歌を歌いながら、座っていた。
まあ、これはトラックの運転手だった父の駐車禁止対策の為である。
大学が休み……或いは授業を取っていない時はこうやって助手席で父の仕事の様子を微笑ましく見ていた。
「悪いなあ……。折角の休みなのに」
申し訳無さそうに、軽い溜息を付きながら言う父。この年になってまで彼にれっきとした反抗期が訪れる事はなく、こうやって雑談を交わすほどには彼等は仲が良かったのだ。
自分は全然嫌ではないのに勝手に遠慮してしまっているのが何だか面白くて、彼はくすりと笑いながら口を開いた。
「別に何もやることなんてないから、大丈夫だよ!」
その言葉を聞いた父はホッとした表情をして、彼の頭を優しく撫でると、ふわりと微笑んだ。
思わず、自分も笑顔になりそうなくらいに優しい笑みも、直ぐに他人の様子を伺ってしまい人柄も、さり気なくジュースを買ってくれる気遣いも、洋平は父のことを家族として本当に大好きだったのである。
***
トラックを運転し始めて数分が経った頃、父がいきなりお腹を抑え始めた。
トイレに行きたいからといっても、今からトラックをUターンさせて会社に戻る訳にもいかない。
どうやら朝、まだ大丈夫と思って口にした納豆にカビが生えていたようだ。
「大丈夫? 薬いる?」
いつも風邪薬や胃薬等、薬を常備している彼は特に心から心配する様子も無く、カバンを持って父に薬を飲むかと問いかけた。
「ああ、お願いしようかな」
それが痛恨のミスだった。
洋平が手に取ったのは下痢止めの薬ではなく、『睡眠薬』。
しかも、当時母親が亡くなった事が原因で酷い不眠症になった洋平が病院で処方された、常人にはかなり強い睡眠薬だ。
普通は気付くであろうミスだが、手元が狂っていて手探り状態だった彼は気付かない。
関係なく父は口の中に薬を放り込む。
「ありがとな……」
先程と同じように父は彼に向かって、ふんわりと優しい笑みをみせる。
この言葉が彼が耳にした父の最期の言葉となってしまった。
***
時間が経ち、段々と父の運転が荒くなっていく。
洋平は少しばかりは不思議に思いつつも、気のせいだろうと考えたのか、トラックを止めることを強要しない。
「…………」
ようやく違和感に気付いた洋平が父の方を見ると、父は既に深い眠りについていた。
アクセルを踏んだまま、こくりこくりと変に動くハンドルによってトラックは暴走していく。
「父さん、父さんっ! 起きてっ! ぶつかる!」
激しく揺さぶっても、大声を耳元で叫んでも、父は目を覚まさない。
洋平が父に声を掛け始めて数秒程で、物凄い大きな音と共にトラックと乗用車が激しくぶつかる。
その衝撃で洋平は気を失った。
***
目を覚ますと、トラックは横転していて、衝突したと思われる車の大きな爆発音も頭の奥に響く。
父の頭は誰か分からないくらいに潰れていて、その面影もない。
幸い助手席に座っていた洋平は軽症で、シートベルトの凄さを改めて実感した気がした。
──死んでる……のかな……。
ショックで声もでない。
よくよく考えれば分かったことだが、事故が起きた瞬間は何故、父が眠っているのかすらも理解できなかった。
突然、心臓発作でも起こしてしまったのか、昨日、夜更かしでもしていたのか、元々病気を持っていたのか、と。
ニュースに大きく取り上げられたその大事故は、結果的に洋平含め、死者四名、重傷者一名、軽傷者一名を出す事になってしまった。
あの後、警察の調査によってトラックがいきなり暴走した原因は、父が睡眠薬を摂取していたせいだと分かる。
──間違えて僕が睡眠薬をあげていたんだ……。
そう察するまでに時間は然程掛からなかった。
勿論、罪悪感というものはかなりあったが、そのことを洋平は警察に言わないことに決めたのである。もしかしたら罪に問われるのでは、と不安に感じたのだ。
皮肉にも彼の証言が無かったおかげとでも言うべきか、父が誤って睡眠薬を飲んだという判断になり、洋平は罪に問われる事にはならなかった。
けれども、これは決して良かった、という出来事ではない。
洋平はこのせいで、心に重い十字架を背負う事になる。
正直に言わなかったという後悔と、あのとききちんと薬を確認しなかったという後悔……。
不幸なことに身体の状態は、精神的な酷い苦痛に反して、みるみると良くなっていくのだ。
とうとう、睡眠薬を一錠も摂取しなくても眠れる程に。
加えて、唯一の生き残りである被害者の一人とは、一度も対面した事はない。
警察が彼は責任を負う理由はなく、対面することで精神的な問題にもなると客観的に決断したのだ。
被害者の彼はまだ自分より年下で、何一つ非がないのに、あの瞬間で家族を全員失った。
それなのにも関わらず、自分の家族を殺した洋平に会って文句を言うことさえ叶わなかったのだ。
洋平が自分も被害者だという立ち振る舞いを変えなかったせいで。
自業自得かもしれないが、それからは反省したくてもすることが出来ないせいで、ニュースを見る度に『殺人犯、他殺』という言葉に過剰に反応してしまう。
しかし、洋平は結局のところ、殺人犯である。
決して自分の手を汚していないとしても、たった一度の償う機会には真実を口にせず、四名もの善良な人々を死に追いやったのだから──。
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