たとえ“愛“だと呼ばれなくとも

朽葉

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1章

40.若者の恋事情

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 部屋は薄暗く、仄かな珈琲の香りが漂う。
 窓辺の席では暖かな陽が差し込み、小さな埃が音もたてず静かに宙を待っているのが分かった。

「ま、愛斗のことですよね……?」

 席について直ぐに衣月は、唇を震わせて二人に問いかける。
 チャラチャラした見た目から、警察に疑われて暴言でも吐くのか、と良からぬことを考えていた卓郎だが、そうでも無かったようだ。

「ああ、そうだ。もし、心当たりがあるなら早めに言え。お友達くんと友達で居る為にもな……」

 卓郎自身に悪気がある訳ではなかった。
 しかし、衣月の癪に障ったようで、微かに強張る表情からも怒りを感じ取れる。
 隣にいた彗も呆れたように、何やってんだよ、という顔で卓郎を睨み付けた。

「心当たりなんてある訳がありません……! 親に聞いたので、去年行方不明になったのは知ってますけど、愛斗とは卒業以来会っていないので」

 衣月の表情は至って真面目で、とても嘘を付いているとは思えない。
 ところが、その発言の"心当たり"とは違う箇所に対して、彗は何処か気掛かりに感じたようだ。少しばかり顔を顰めている。

「……親に、聞いたの?」

「あ、はい。警察の方なら分かると思うんですけど、父親が実は 五重十文字こじゅうもんじ会社に勤めてまして……」

 紛れもなく五重文字会社とは、愛斗を激推ししているという、あの社長が経営する大手企業である。
 社長の推しが行方不明になったとなれば、事件のことを彼の父親が小耳に挟んだとしても、少しも違和感はないだろう。

 因みにだが、愛斗が弓道を出来なくなったと聞いた際には、その腹いせで社員を数人リストラしようとしたらしい。
 直接関係が無いのに会社をリストラされてしまったら、本人からすれば溜まったものではないのだが。

「あっ、弓道が趣味な社長の……。へぇー、君のお父さん、凄いイイとこに勤めてるんだね~」

 一瞬何かに勘付いたような、曇りのある表情が見えたが、直ちに切り替えて、ニカッと太陽のような明るい笑みを見せる。
 それから、卓郎のやれやれと言わんばかりの深いため息が、耳に届く。

「おい、彗。狙うんじゃねーぞ」
「妻子持ちなんか狙いませんよ! 人聞きが悪い!」

 刑事という正義感溢れる職業に就いていても、たまにはジョークだって口にするだろう。
 妻子持ちどころか、彗本人は今まで身内を除いて、茂と卓郎以外に会話のできる人間なんていなかったのだから。

 二人の雰囲気にあてられたのか、衣月はクスクスと声を出して笑っている。

「ところで……。彼は怪我をして選手生命まで絶ったのに、君は卒業後、彼と一度も会っていないのか?」

 その真剣な声を聞き、衣月は肩をビクリと反応させた。
 卓郎が追い打ちをかけるように、引き続き深堀をする為の質問をしたのだ。

「そ、それは俺が会いたくなかったからで……」

 額には汗が滲み、太腿の上に置いてある拳が小刻みに震えていることに気づく。
 まあ、怪我をさせてしまった後に平然と何事も無かったように、話し掛けるのは無理な話である。
 不穏な空気が漂う席を如何にかしたかったのか、彗は口を開いた。

「ちょ、ちょっと世間話しましょーよ! 衣月君は弓道部だったんでしょ? 今でも大学で続けてるの?」

 けれども、言葉を誤ってしまったようで、衣月の青い顔は、ますます青褪めていった。
 一滴だけ衣月の柔い頬に冷や汗が流れる。

「……ま、まさか! あ、あの事がトラウマで、卒業してからは一度も弓道なんてしてません」

 それは言い換えれば、高校卒業までは普通に弓道を続けていた、とも読み取れた。
 事故のトラウマが愛斗のように身体にまで躊躇に影響しているというわけではないのだろう。
 あくまで自分の判断で、弓道をしていないということだ。

「あっ、それはごめんね。思い出させちゃって……」

 彗は眉を下げながら、小さな声で謝った。
 いつの間にか緊張で無意識に飲み終えていた珈琲の残り香が、つんと鼻に香り、苦い青春をフラッシュバックさせる。

「とんでもないです! 悪いのは俺なので……」

 過去のことを思い出したせいか、表面上の言葉に反して、衣月の手の震えが、先程よりも躊躇になっている。
 これ以上話を掘り下げるのは、本人の傷口を抉るきっかけとなってしまうかもしれない。
 卓郎は話を切り上げることに決めた。

「じゃあ、今日はこれで。連絡先渡しておくから何かあったら連絡してくれ」

 煙草の匂いが染み付いたメモ帳に、素早く連絡先を記入して、衣月に手渡す。
 衣月は話が終わったことにホッとしたみたいだ。「分かりました」と小さな声で呟いた。

 ***

「──あの!」

 三人が飲んだ珈琲代を卓郎が払っているときだ。衣月は今までの様子を伺っていれば、全く持って想像できないくらいに、大きな声を荒げた。

「アイツは友達なんかじゃねーからっ」

 頬を赤く染めた表情とは反対に、声は鳥肌が立ってしまいそうなほど怒っている。
 一瞬だけだが、衣月に睨まれたように、卓郎は感じた。だが、置かれた状況に気が付いたときには、衣月は既にカフェから逃げるように、出ていってしまっていた後だった。

「はあ? それは幾ら何でも酷いだろ……。お友達くんが聞いてたら絶交されるぞ」

 突然の態度に若干キレ気味だが、お友達くんとの関係を心配しての言葉なのかもしれない。
 卓郎のうんざりしたような感情も読み取れた。

「……先輩、気付かなかったんですか? まあ、気付いてないだろうなあとは思ってましたけど……」

 彗が一連の流れで何も感じ取れなかった卓郎を見下しているのか、馬鹿にした態度をとった。
 よっぽど気付いたことが完全なる真実だということに信頼を抱いているのか、かなり立ち振舞いが堂々としている。
 卓郎は不思議に思ったようで無意識に「え?」と声を出す。

「あの二人、"恋人"ですよ。ペアリングのネックレスを着けてましたし、衣月君はTシャツのサイズが不自然に合ってませんでしたから。昨夜、彼の家に泊まって服を借りたんでしょう。友達と言われて怒ったのも、それしか思い付きません……」

 きっと、確信に至るまでの要素は他にもあったのだろうが、そこまで踏み込んで話すことではないので、簡単に理由を述べていく。
 初めて彗の推理が、これ程までに役にたったような気がした。
 卓郎は鈍いので全く気付いていなかったが……。

「……な、なるほど。察しろと言われれば無理があるが、それは悪いことをしてしまったな」

 二人の格好を頭の中で思い出し、そういえばそうだったかな……と納得した様子を見せる。
 普通は友達と勘違いされたくらいで、あんなに怒ることではないと思うので、あの二人はお互いを"恋人"として大切に思っているのであろう。
 友達という言葉に若干のプライドが見える。

 理解し得ない若者の恋事情に頭を抱えながらも、卓郎はカフェを後にしたのだった。
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