君は浴せずして愛し

朽葉

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凛として咲く君に

1

「さくら、さくら──」

 鼻歌交じりに歌う凛とした冷淡な声がする。
 開かれた障子からは、紺色の着物を身に纏い、美しい舞踊を容易く披露する青年の姿が見えた。
 足先から頭の天辺まで、糸で吊るされたように空きのない所作。伏し目がちの目と、影が落ちたみたく艶やかな黒髪は、大和男児らしさを伝えるのに十分な要素ではなかろうか。
 朝光に桜が揺れている。手足を動かして行くにつれ、体全体がリズムに乗り、段々と気分が高揚していく。

「のやまも……さとも」

 隅々まで手入れがされた広くて風情のある庭園に植わったがくのついた桜の花が、一つ二つと和室へ忍び込む。
 まるで、青年の"日本舞踊"を今か今かと待ちわびて観覧しに来たかのように。

「兄さん」

 また更に冷たく色のない声がした。
 丁度勢いに乗っていた手足をぴたりと止めると、縁側の方へ振り返る。
 その瞬間、意図せずに青年を呼び止めた声の正体と目があった。弟と思わしき人物は、硬い敬語を使って言葉を続ける。

「朝食の時間です」

 レンズ越しに佇んでいる生気を失った光のない瞳。一歩下がって見た顔立ちは、人形の造形のように非の打ち所がなく、惑うことない美麗である。
 桜の木をバックにしていることと、逆光により輝きを失った外見が合わさったことで元より眩い外見が、更に情緒が溢れているように思えた。

 そして、それら『青年』とは完膚なきまでに異なっている。

「今、行きます」

 青年は決して表情を崩さず、素っ気なくあしらうように返事をした。

 その後の食卓は、いつも通り覇気がなく、人がいないように静かで。ただ家政婦の用意した品々に、無言で箸をつつくだけだった。
 食事を終えると、この家のドレスコードである着物を脱ぎ、高校の制服と"顔を隠す為"のマスクを身に纏う。
 居心地の悪い家庭に長く居座りたく無かったため、十五歳と六歳の弟たちが出かけるより早く家を後にする。
 しかし、普段とは違う家の外の光景に、思わず顔を引きつらせた。

「きゃあ、加藤くん出てきたよっ」
「えっ。連絡先もらえるかな?」

 頭の奥の方に響く、甲高い何人もの若い女の声。期待をしたような表情で彼女らはこちらへと近付いてくる。
 足が竦んでその場から動けなくなった。
 恐らく、前回の日本舞踊の公演を見たファンの人たちだろう。まだ朝早いというのに、学校に行く時間帯を見計らって待ち伏せしていたようだ。

「──ってあれ? 弟くんじゃなくて、兄の方じゃん」
「なんだあ、喜んで損した」

 落胆した声色で、後退りをする彼女たち。不満を顕にした高圧な態度を感じて、一緒になって俯いてしまう。

「はぁ、りん……だっけ。紛らわしいことするなっつうの」

 そう、彼女らの目的は兄の凛ではなく弟の方である。理由なんて言うまでもない。
 彼女らは"日本舞踊"のファンなのではなく、弟のファン、それだけ。
 且つ舞踊には全く持って興味がないようで、ここに来るのは、弟と少しでもお近づきになりたいから、または、あまりにも弟が国宝級の顔面だと聞くから物珍しさで野次馬に来る、そんな邪心ばかりの理由だ。

「ってかさ、弟二人はあぁんなに綺麗なのに、何で兄だけこんな微妙な顔なんだろぉね」
「やだ、言い過ぎ。絶対聞こえてるよ」

 わざと本人に聞こえる声のトーンで話しているのが、嫌でもかと言うほど伝わってくる。
 悪意に満ち溢れた棘の数々は既に爛れた凛の心に、何度も何度も追い打ちをかけては突き刺さった。顔は下ばかりを向き、彼女たちを一目見ることさえできない。
 次第に呼吸が浅くなっていく。苦しい。額から滲み出た汗が、マスクの中を蒸らしている。
 今にも吐き出しそうな刹那、肩をぽん、と手のひらで優しく叩かれたことに気付いた。

「兄さん、ここはもういいので。先に学校へ」

 弟の気遣う言葉でハッとなり、何も言わずその場から逃げるように駆け出して行く。
 「ごめん」と、振り絞ったような小さな謝罪が弟の口から囁かれたような気がした。何故、確信できるものではないのか。それは同時に耳に届いた

「そもそもさあ、日本舞踊なんて古臭いもの、弟の方が居なければ見に来ないよね。公演でも加藤くんの顔しか見てないし、兄の方は顔が悪すぎて踊りなんか頭に入ってこないもん」

 という嘲笑う彼女の誹謗の方が、凛の鼓膜に焼き付いて離れなかったからだ。

 ※※※

 周りに言われなくてもずっと自分の顔が嫌いだった。
 物心付いたときから弟は側にいて、自分と弟の容姿の差異を無理にでも分からせられてしまう。
 いつも周りにチヤホヤされるのは自分ではなく、弟で。
 一緒に居れば家庭内でも外でも肩身が狭い。
 自己評価が下がるのも必然的だ。誰からもありのままの姿を愛されない凛は世界の誰よりも醜いのだと高校生になった今でも思っている。
 そんな中で唯一、凛が堂々としていられたのが、小さい頃から家で習ってきた日本舞踊をしているときだった。
 世間は踊りや舞をしている人に対して、優れた容姿を求めないのだ。
 それどころか、年配の人は「あなたの所作は今まで見たことがないくらいに美しい」と感激して褒めてくれた。人に美しいと言われたことがなかった凛はこれが喜ばしくて、日本舞踊を続けることに大きな意欲がうまれたのである。

 けれども、加藤家は日本舞踊の家元。何れ弟も日本舞踊を習うことになる。
 弟が日本舞踊を始めてから、少しの間もなく凛の立場は消え失せ、弟に奪われていく。弟には華があった。不安定で弱々しい所作でさえも儚いものとして、観客を虜にする。覚えきれてない振り付けによって出来る間も、演技の一部と錯覚する程に雰囲気があった。
 実力も才能も圧倒的に凛の方が優れていたのにも関わらず。誰も凛の演技を見なくなった。
 日本舞踊に優れた容姿を求めるようになった。

 マスクを外したくない。人と目を合わせたくない。顔を見られたくない。
 どう取り繕っても、他人に悪く思われてしまうから。弟と比べられてしまうから。

 凛は今朝の出来事のようなことが積み重なり、いつの間にか通院を必要とするほど重度の醜形恐怖症を患っていたのだ。
 
「っは──」

 快活な学校のチャイムの音により、目を覚ます。
 嫌な過去を思い出してしまった。どうやら、朝の出来事で体力を消耗し、一限目が始まって直ぐに居眠りをしていたようだ。
 悪夢をみたことで、制服の中は不快な汗で滲んでいた。

「早く行かないと遅刻するぞ」
「いいんじゃね。まだ五分もあるんだし」

 対して、クラスメイトは教室の中で他愛も雑談を交えている。
 今日は二時限目が選択授業の音楽の為、特別教室へと移動をする必要があった。
 他の人とは違い、凛は友達がいないのだから、教室を出るときに誰かを待つ必要なんてない。
 せっせと必要な用具を用意し、教室から出ようとする。
 
「あ、加藤」

 どういうわけか珍しくクラスメイトから呼び止められた。クラス替えして間もなく、他人に興味がない凛にとっては名前も知らないような人だ。
 困惑しつつも、顔色一つ変えずに目と目を合わせる。目が合うとクラスメイトは、無意識に苦笑しながら口を開いた。

「授業始まる前に先週の課題回収したいから、もらってもいい? 残り提出してないの加藤だけでさ。一応LI○Eグループで提出日呼び掛けてたんだけど……」

 一度合った目をわざわざ逸らしながら問われ、内心複雑な気持ちだ。
 凛は暫くクラスメイトを見てモヤモヤとしていたものの、我にかえり、鞄から課題のノートを取り出した。
 次いで、何も言葉を発さずに手渡す。

「あざす」

 そう言って、男子生徒は友達のグループの元へと颯爽と去っていく。
 少しでも早く凛の元から逃げたい気持ちでいっぱいだったのが、ひしひしと伝わってきた。

 ──僕、LI○Eグループ入ってないや……まあ、いいか。

 重要なことを思い出すも、後から呼び止めたら迷惑になるだろう、と席を立つ。
 廊下へと出る瞬間、先程の男子生徒のグループの会話が聞こえてしまう。

「はああ、怖かった。威圧感ハンパねー」
「お前よく話しかけたな」

 男子生徒の頭をよしよしと手のひらで撫でるその友達。凛は同時に唇をぎゅっと歪ませた。

「アイツ表情見えないから、何考えてるかわかんないし、冷たいし、なんか話しかけづらいよな」

 思いを汲み取った対応に、怖かったよ、と甘えて男子生徒の胸の中で空泣きをしている姿。それを見ると、凛がまるで何かの加害者だと言っているようなものではないか。
 けれども、それ以上に男同士がゼロ距離で抱き合う姿に酷く苛立ちをおぼえている様子だ。

 ──だから聞こえてるっつうの。そんなに、冷たい態度とってたか? どっちにしろ、さっきは言葉が足りなさすぎたから気をつけないと。このままじゃ、嫌われる……。

 一歩教室から出ると、息苦しさで無意識に浅いため息をついていた。
 本人がいる場であれだけのことを言われているのだから、自分がいなくなった後にはもっと酷いことを言われているのではいか、と勘繰ってしまう。
 窓の外で堂々と咲き誇る桜に反して、凛の心は既に枯れきっていて憂鬱だった。

 ──いやだめだ、マイナスなことは考えないようにって医者にも言われてんだった。平常心、平常心。

 心の中で自分にエールを送るガッツポーズをしてから、留まっていた重い足を運ぶ。
 当然、誰かがこんな心境でも、無頓着なことに楽しげで賑やかなままの隣のクラスの光景。誰よりも先に、とある男の姿が目に入り、図らずも表情が明るくなる。

「ぁ……」

 外見のイケている一軍グループの中でも、飛び抜けて秀でた容姿をした美青年。
 日本人とはかけ離れた、目鼻立ちのはっきりとした顔だ。色素が薄い色の抜けた髪や瞳は触れることは決して許されないと思ってしまうくらいに、清涼で余計な混じりけがないように思える。
 小顔で手足の長いスタイルも、周りの人が劣って見えてしまうほどに凌駕していた。

「……  粧よそい雪花せつかくん」

 その華々しさから、ゆくりなく彼のフルネームを呟く。名前も清らかで美々しいだけではなく、全く持って名前負けしていない。
 無意識的に自分の名前の書かれたノートに目線を移すと、持っていた用具を押し潰すように強い力でまとめて抱え直した。
 黒々した感情が浮かびかけるも、再度彼の姿を見れば、根本から吹き飛んでしまう。

 ──同じ人間とは思えないくらいに綺麗なんだよな。

 目の奥を輝かせながら凛は心の中で自分に肯いた。
 こんなにも美しいと、人より遥かに劣った容姿を持つ自分でも嫉妬心すらわかない、と。
 自身の体の奥が徐々に熱を帯びていることに、凛は気付かないふりをしている。

 ──わかっているんだ。僕は粧くんを好きになることすら赦されないんだって。

 スクールカースト上位で人気者の雪花と、根暗で悪い意味でクラスから浮いている凛。
 中学校から同じ学校ではありつつも、同じクラスになったのは数回だけで、更にはきちんとした会話すらもしたことがない。誰だって凛が雪花を好きだとは分からないだろう。

 当面の間、心を癒やすために彼のことをぼんやりと眺めていた。
 すると、彼が友達の煩さにため息をついて、常に無表情な顔に仄暗い色を足す。
 普通の人がやれば、周りを不愉快にさせるであろう冷然たる態度も、凛に心地よい感情を与える。
 
 "あのとき"、彼をひと目見た瞬間から、凛は雪花に自分さえも受け入れることのできない恋心を抱いていた。
 住む世界が違うから。彼がどう笑うかも、好きな色も、嫌いな食べ物も知らない。
 そんな正反対の二人でも既に世界を見放したようなドライな性格と、身体から切り離すことのできない性別だけはお揃いだった。
 付き合うことも仲良くなることも望まないから、どうか影で恋をすることだけは赦してほしい。
 そんな感情も凛にとってはわがままで、彼を好きでい続けることへの後ろめたさが心にこびりついて落ちなかった。

 次々と燃え上がる、彼に対する行き場のない感情を必死に堪えながら足を止めずに歩いていく。
 彼の姿が視界から消える一瞬は、常に何だかもどかしさを感じるのだ。

 いつも通り、出来るだけ人の目に入らない窓際の後ろの席に座るのと併せて、担当の教師が教室へ入ってきた。
 もう直ぐ授業が始まるのにも関わらず、生徒は未だに複数人で集まって駄弁っている。
 それもその筈、この高校はあまり芸術科目の教育に熱心ではなく、スポーツや主要科目の教育に重きを置いていた。生徒の音楽への探究心や興味も高くない。
 普段は真面目に芸術科目の授業を受けている凛さえも今日はミュージカルを鑑賞するだけの内容だと分かったので、暇潰しにと、事に無関係な『数学』と表紙に書かれたノートを机に置く。

 ──我ながら、高校生にもなってこんなことやってんの女々しいよな。

 小っ恥ずかしさから顔を赤らめながらも、凛はパラパラとびっしりと字の書かれたノートを捲る。
 簡単に記された内容を振り返ると少し前の出来事も、ああ、こんなこともあったな、と。何だか最近のことのように懐かしく思えた。

 不意に、いくつかの文章が目に止まった。
 『どうして友達にもなれない雲の上のような人を好きになってしまったんだろう』『せめて相手が異性であれば』という恋愛感情に向けられたマイナスな想いの数々。
 恋愛と好きな人を理由に、生きる世界に意味を得られると思って書き溜めているのに、いざ想いを吐き出そうとすると、暗い感情ばかりが浮かんでいた。

 そう、表紙に書いてある数学という文字はカモフラージュに過ぎず、中身は想い人に向けた吐き出せない想いを書き連ねた日記なのだ。

 ──このノート平日暇なときに書いてて、もう何冊目だっけ。

 実のところ、もう日記は小学生の頃から授業が退屈なとき等に暇潰しに書き続けている。
 容姿を貶められ、家にも学校にも居場所のない退屈な日々。しかし、好きな人の存在を思い出せば、そんな鬱憤も一瞬にして晴れるのだ。
 男子校で同性への恋愛感情が包み隠さず明かされたノートをむやみに持ち歩くのはよくないとは理解しているが、お守りのように四六時中大事にしていた。
 念の為、日記の中で雪花の名前は出さないようにはしているものの、勘のいい人なら顔がいいという一文だけで気付いてしまうのではなかろうか。

 ──えっと、『朝から嫌な出来事があって憂鬱だった。けど、今日も好きな人が綺麗だったから、頑張ろうって思えた』……。

 最も直近の日記の次のページに、今日の出来事を何となく綴っていく。幼い頃から書道を習わされていることから、高校生の男児にしては達筆な字。
 とは言っても、一日はまだ始まったばかりなのだが。
 しかし、斉しくあることを悟った。

 ──今日も合わせて、今まで書いた日記、粧くんの好きなとことか、 粧くんのこと、容姿の話しかしていなくないか……?

 試しに一ページ前の日の出来事を見てみるが『教室から見えた体育の授業で汗を流すところが、神々しくて腰を抜かしそうになった』といった内容しか書いていない。
 その前の日も、前の前の日も、同じようなことばかり書かれていた。
 机に顔を埋めて、落胆する。

 ──これじゃあ、今朝家の前でたむろってた女たちと一緒じゃん。アイツらも自分も、好きな人の顔だけを好きで囃し立ててるわけだし。

 何だか、自分の恋愛感情が酷く無粋なものに感じられた。
 気持ちを落ち着かせる為に癖のないストレートの髪をくしゃくしゃとさせるが、今すぐにでも何かしらの言葉を吐露したくて結局唸りそうになる。

 ──なんか、あの女の人たちのこと、心の中で蔑んでたけど悪いことしたな。

 好きな人に対する想いの熱量や年季は違っても、同じく人の容姿を見たときに"衝撃"を受けて、胸を鷲掴みにされた者と考えたら彼女らのことも無下にはできない。
 凛としては、あれは本当に嘗て味わったことのない奇想天外な感情の芽生えだったのだ。
 初めて比喩ではない、息を呑むという場面を体験し、無色の世界に色がつく瞬間を目撃した。
 一生忘れられない、いや忘れさせてくれない体験。
 凛はページを捲って過去の気持ちを掘り起こしながら、あの日のことを頭の中で思い出していった。
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