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雪の花のような君に
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名前も知らない誰かとやり取りをするという非日常的な体験も。時間が経てば経つほどに、また日常へと溶け込んでいく。
いい意味でやり取りに特別感が薄れてきた頃、ノートの持ち主も彼にとって良き友人となっていた。
「最近どうよ?」
部活が始まる前の着替え中、友人がさり気なく声をかける。
彼は中学生の入学当初に友人に誘われたことでバスケ部に入部していた。そのまま高校でも成り行きでバスケ部を続けているのである。
運動神経も悪くないので、バスケ自体は苦ではなかった。だが、高校に入るとスタメン争いで周りの部員は闘争心を顕にしており、その運動部っぽいノリが合わず、正直居づらく思う。
男ばかりのむさ苦しい部室は施設は清潔でも汗の臭いが篭り、衣服も脱ぎ散らかしたまま。
女マネのいない男子校では怪我で引退を余儀なくされた男子部員が一人、マネージャーをしているが、清掃はサボりがちなため、意味を為してない。
「普通に日常会話とか続けてるよ。ノートの持ち主──名無しさんは、あまり自分のことを話したがらない性格っぽいけど」
適当に流しながら体育着に着替え、その上からビブスを被った。
彼の言う"名無しさん"というのは、ノートの持ち主について話すときに名前が無いと不便だという理由で、彼らの中で勝手につけたあだ名で。
もっとも、その名無しさん自体も雪花からの要望で、彼のことを"匿名"と呼んでいるらしいが。
また、彼の言うとおり、名無しさんは私情についてあまり明かしてはいなかった。言わないということは触れてほしくないことなのだろう、と思い、深くは言及していない。
たいてい彼が自分のことについて話して、それに対する感想や質問を名無しさんがする。というのが、二人の中のお決まりだ。
彼にはこれくらいの会話のリズムが気を遣う必要がないこともあり、何だかんだ気にいっていた。
「そっちじゃなくて……。ほら、お前が好きな加藤くんの方だよ」
相槌を打って話を聞いていた友人も何がか違うなと気付き、遅れて訂正をいれる。真意が読み取れない友人の呆れ顔は、どこか変顔のようにも思う。
名無しさんとのやり取りはほぼ毎日彼の口からどういうものだったか伝えてくれていた。そのため、近状報告を求める必要は無に等しい。
「ああ、そっちか……別に何もない」
とぼけたようにさらりと答える彼。
返答を聞いた友人もがっかりと肩を落とす。
しかしながら、なぜ近状報告について問われて、好きな人のことではなく、名無しさんとのことを無意識に答えてしまったのか。
最近はノートでのやり取りのことばかりを頭の中で考えていたというのもあるかもしれないが、理由は不明瞭で、定かではなかった。
「だよなあ。てかさ、お前って加藤くんに一目惚れだったんだろ? そんなにきれいなわけ?」
彼が一目惚れしたときのエピソードについて語るたび。堂々と凛の美しさを力説するものだから、気になっていたのだろう。
何と無しに友人の様子は不服そうだ。
「綺麗に決まってるよ。あんなに素敵な人、今もこれからも見たことないし。綺麗って言葉じゃ足りないくらい本当に綺麗なんだ」
どうしてそんな当たり前のこと問うのか、と言いたげな顔をしている。
微塵も照れもせずに、こうも『綺麗』という常人には言い辛い言葉を連呼されると、逆に聞いているこちらの方が恥ずかしくなっていく。
友人は自分が褒められているような気分になり、頬赤く染めていた。
「へえ、学校でもマスクしてるし、前髪で目元も隠れてるから綺麗って言われてもわかんねえから」
凛の前髪は多少は長いかもしれないが、長すぎるというわけではない。
が、下を向いていることが多いため、髪が流れ、目元がちょうど影になるのだ。
日本舞踊をするときは背筋が自然と伸び、顔が上がる。つまり、顔立ちもはっきりと見えるものの、日常生活ではそうもいかなかった。
好きな人の良いところを同感されないのは彼にとって悔しいことだが、言っていることは的を得ているのである。
「日舞の公演もオレ見に行ったことあるけど、本人の面影ないくらいに化粧してるじゃん? 似合ってないとかじゃなくてさ、日本舞踊とか歌舞伎の化粧って現代の美的感覚とは違うよな」
日本舞踊の化粧が白塗りの理由は、とにかく舞台映えをより重視しているため。顔の特徴もあえて消し去るようにできている。
観客が役者に容姿の良し悪しを求めていないのは、そういうわけがあった。
世間体からすれば、加藤家の中で顔がいい弟が評価されるという事態の方が異質だと思う。
「俺が一目惚れしたときの加藤くんは、稽古中で化粧してなかったし……」
頭の中で初めて凛を見たときの記憶を掘り返す。
公演以外では、滅多に化粧はしないこともある。思い返せば素顔のまま着物だけを羽織って舞う凛の姿の方が見慣れていた。
日本舞踊に触れる機会がない若い女性は凛ではなく、その弟のファンばかりなこと。
今まで納得がいかずに疑問を浮かべていたが、きちんとした原因があったのだと気づく。
「そういえば、加藤くんの弟の方は公演でも薄化粧じゃなかった? 若い人が傍から見れば、弟だけが美人だってそりゃあ勘違いするわ」
友人はとても不満気な顔で話し続ける。
いくら弟たちより劣っていたとしても、凛も美男美女で欠点のない両親から生まれてきた息子だ。
あそこまで白い目で見られて、周りに貶されるほどの理由を持ち合わせていないのは当然として、百人中百人が凛のことを醜いと言うはずはない。
弟が舞台上で白塗りではなく、薄化粧であるのなら。持ち前の容姿を更に生かすようにメイクしているのだと想像がついた。前例を覆す薄化粧と、メイクで素顔より華やかさが増した美男子がいれば、目を引いてしまうのも頷けてしまう。
「弟の方は化粧が嫌で、あれやるくらいなら出ないって言ってる。真面目にやってる加藤くんの方がきちんとした評価されないの、酷な話だよ」
加藤家の敷地内で偶然、凛と鉢合わせするとき。いつも凛は日本舞踊の稽古に励んでいた。
それを見ていれば、体調の悪い日や休日も休まずに、自主練習していたという可能性も考えられる。
それでも周りに正当な評価をされない本人の気持ちを想像すると、いたたまれない気持ちになった。
「かといって、弟が悪い訳ではないから。てきとぉに見てるミーハーな観客の意見なんて気にしないほうがいいとは思うけど。声でかいと嫌でも耳に入るし、世知辛れえわな」
友人の言葉で周りの空気はしんみりとしている。
話に夢中になってしまっていたが、時計を見ると、完全に部活に遅刻をする寸前だ。監督たちは時間に厳しい方ではないものの血の気が引いていく。
二人は「やべ」とそれぞれ口にすると、急いで部室から出て体育館へと向かう。
もう部員や監督とコーチは揃っていて、彼らの姿を視界に入れた途端、早くしろと手招きをされた。
軽く全員に対して謝罪の会釈をしてから、列の一番後ろに体育座りで腰を掛ける。
「えぇ、インターハイに向けた地区予選のスタメンを発表する。呼ばれた人から新しいユニフォームをコーチから受け取るように」
監督が咳払いをして、話し始めた途端、一気に雰囲気がぴりついた。今回のインターハイが一年生は始めて出場する公式試合になり、三年に関してはこれが最後になる可能性もある試合だ。
皆がスタメンを狙って真剣に練習に励んでいる。雪花や友人もそれは同じだった。
友人は去年の春の選抜大会では初めてスタメンに選ばれているが、雪花はまだベンチにすら選ばれたことがない。
二年の彼らにとっても今回の大会は必ず出場したいという気持ちがある。
「四番キャプテン、山田」
監督が生徒の緊張が解れるまで、発表を待ってくれるはずもなく。
キャプテンは順当に去年の三年生が卒業した後、エースとして活躍していた先輩が選ばれた。
力強い声で返事をする先輩を見ていると身が引き締まる思いになる。キャプテンに期待を寄せる早々に五番、六番……と三年生の名前が呼ばれていく。
実を言えば、彼は選ばれたいとは思っていても、選ばれるという確固たる自信はなかった。
他に実力のある三年生もたくさんいることに加え、自分と負けないくらいに最近調子のよい二年もいる。友人に至っては、来年のエース候補だ。
それでも淡い希望を抱き、心臓は早鐘を打つ。
「次に七番。スモールフォワードに粧。八番は──」
訳もわからず、頭が回らなくなる。
先程、監督の口からでたのは自分の名前かということを確認するため、助けを求めるように、ふと、友人の方を向いた。
ばっちり目が合うと友人は彼に向かって笑顔でウインクをしてから、ガッツポーズをする。
そこで初めて、自分がスタメンに選んでもらえたのだということに気付いた。
「は、はいっ」
八番を発表し始めている状況だ。遅れてしまったが、声を張り上げて返事をする。
あまりの感慨深さから、ユニフォームを受け取るのを忘れてニマニマとしてしまう。
──嘘だ。まさか、スタメンに選ばれるなんて。
夢から覚める準備をしないと、と思うほどに、ここが現実世界である実感が持てない。
その後には、友人の名前も八番のパワーフォワードというポジションとして呼ばれていた。
未だにスタメンに選ばれたという余韻に浸って、その場に座り続けている彼の代わりにコーチからユニフォームを受け取り、手渡す。
「やったぁ、オレたち一緒にスタメンだぞ」
いつの間にか、秒速の速さでユニフォームを着た友人はくるくると喜びの舞を踊っている。
確かに自分がスタメンに選ばれたということもあるが、友人は雪花と一緒に試合に出られるという事実の方がよっぽど嬉しいのではないか。
春の選抜大会で初めてスタメンになった際よりも倍以上に喜んでいるように思う。
「うん、結果には執着しないようにしてたけど。実力が認められたって考えたら嬉しいかも……」
幸せそうにほほ笑むと『七』と大きく書かれたユニフォームを大切そうに胸に抱く。
このユニフォームは大切にしようと心に決めた。
周りには表に出さなくてもスタメンに選ばれなかったことに、悔やんでいる先輩や同級生もいる。
断じて、その想いを無下にすることなく、今度こそ皆んなで勝利を手にしてここに持ち帰るんだ、と。
「…………」
にしても、彼は過度に機嫌が良さそうに見える。
スタメンに選ばれたというだけではなく、他にも何か楽しみなことがあるような態度だった。
なぜなら普段はクールな彼が、鼻歌を歌っているのだ。
「機嫌良さそうだなっ、セツ」
友人もそのことを察していたらしい。
気になる理由を本人の口から聞き出すため、出来るだけ自然に言葉にして触れた。
でも改めてみれば、友人さえも言及せざるを得ないほどの機嫌の良さはかなり異例なことである。
友人のボディタッチで気を取り戻すと、いつもの無表情に戻った。
「うぅん、えっと。はやく名無しさんに、このこと伝えたいなって思って」
予想していなかったことが本人から告げられ、友人は目を丸くさせている。
こんな時でさえ、ノートの持ち主のことを考えている姿を見たことで、友人の頬が緩む。
中学で様々な不幸な出来事が積み重なってからは、人見知りで内向的な雪花が余計周りに心を閉ざしているように思えた。
友人にとっても、彼が自分以外に心を許せる存在ができたことはとても嬉しいのだ。
「加藤くんじゃなくて名無しさんの方に伝えたいのか。ふぅん」
大っぴらちょっかいをかけている友人。
同性のみを恋愛対象としている彼が、好きな人ではない同性のことで頭を埋めているのは恋心が揺れているようにも感じられる。
けれども、どんないきさつからか、友人はそれを咎めることをしない。
「だ、だって、加藤く……んは、俺がバスケ部ってことも知らないじゃないか。急に伝えても変なやつだって思われるだけだよ」
頬を膨らませて拗ねたように答えた。
本心では、凛にもこのことを伝えて喜びを共有したかったのであろう。
「そうか、そうか」
特にそれ以上彼をイジらず、ひとりでに肯定を示すように頷く。
頭の上を右手で軽くぽんぽんと叩けば、ほほえましそうに彼のことを慈愛に満ち溢れた見つめている。
反対に、雪花はなぜ友人が嬉しそうなのか分からないようだ。首を傾げることしかできない。
凛と雪花の人生が好転していくことを望んでいるのは彼らだけではなく、友人も同じだった。
いい意味でやり取りに特別感が薄れてきた頃、ノートの持ち主も彼にとって良き友人となっていた。
「最近どうよ?」
部活が始まる前の着替え中、友人がさり気なく声をかける。
彼は中学生の入学当初に友人に誘われたことでバスケ部に入部していた。そのまま高校でも成り行きでバスケ部を続けているのである。
運動神経も悪くないので、バスケ自体は苦ではなかった。だが、高校に入るとスタメン争いで周りの部員は闘争心を顕にしており、その運動部っぽいノリが合わず、正直居づらく思う。
男ばかりのむさ苦しい部室は施設は清潔でも汗の臭いが篭り、衣服も脱ぎ散らかしたまま。
女マネのいない男子校では怪我で引退を余儀なくされた男子部員が一人、マネージャーをしているが、清掃はサボりがちなため、意味を為してない。
「普通に日常会話とか続けてるよ。ノートの持ち主──名無しさんは、あまり自分のことを話したがらない性格っぽいけど」
適当に流しながら体育着に着替え、その上からビブスを被った。
彼の言う"名無しさん"というのは、ノートの持ち主について話すときに名前が無いと不便だという理由で、彼らの中で勝手につけたあだ名で。
もっとも、その名無しさん自体も雪花からの要望で、彼のことを"匿名"と呼んでいるらしいが。
また、彼の言うとおり、名無しさんは私情についてあまり明かしてはいなかった。言わないということは触れてほしくないことなのだろう、と思い、深くは言及していない。
たいてい彼が自分のことについて話して、それに対する感想や質問を名無しさんがする。というのが、二人の中のお決まりだ。
彼にはこれくらいの会話のリズムが気を遣う必要がないこともあり、何だかんだ気にいっていた。
「そっちじゃなくて……。ほら、お前が好きな加藤くんの方だよ」
相槌を打って話を聞いていた友人も何がか違うなと気付き、遅れて訂正をいれる。真意が読み取れない友人の呆れ顔は、どこか変顔のようにも思う。
名無しさんとのやり取りはほぼ毎日彼の口からどういうものだったか伝えてくれていた。そのため、近状報告を求める必要は無に等しい。
「ああ、そっちか……別に何もない」
とぼけたようにさらりと答える彼。
返答を聞いた友人もがっかりと肩を落とす。
しかしながら、なぜ近状報告について問われて、好きな人のことではなく、名無しさんとのことを無意識に答えてしまったのか。
最近はノートでのやり取りのことばかりを頭の中で考えていたというのもあるかもしれないが、理由は不明瞭で、定かではなかった。
「だよなあ。てかさ、お前って加藤くんに一目惚れだったんだろ? そんなにきれいなわけ?」
彼が一目惚れしたときのエピソードについて語るたび。堂々と凛の美しさを力説するものだから、気になっていたのだろう。
何と無しに友人の様子は不服そうだ。
「綺麗に決まってるよ。あんなに素敵な人、今もこれからも見たことないし。綺麗って言葉じゃ足りないくらい本当に綺麗なんだ」
どうしてそんな当たり前のこと問うのか、と言いたげな顔をしている。
微塵も照れもせずに、こうも『綺麗』という常人には言い辛い言葉を連呼されると、逆に聞いているこちらの方が恥ずかしくなっていく。
友人は自分が褒められているような気分になり、頬赤く染めていた。
「へえ、学校でもマスクしてるし、前髪で目元も隠れてるから綺麗って言われてもわかんねえから」
凛の前髪は多少は長いかもしれないが、長すぎるというわけではない。
が、下を向いていることが多いため、髪が流れ、目元がちょうど影になるのだ。
日本舞踊をするときは背筋が自然と伸び、顔が上がる。つまり、顔立ちもはっきりと見えるものの、日常生活ではそうもいかなかった。
好きな人の良いところを同感されないのは彼にとって悔しいことだが、言っていることは的を得ているのである。
「日舞の公演もオレ見に行ったことあるけど、本人の面影ないくらいに化粧してるじゃん? 似合ってないとかじゃなくてさ、日本舞踊とか歌舞伎の化粧って現代の美的感覚とは違うよな」
日本舞踊の化粧が白塗りの理由は、とにかく舞台映えをより重視しているため。顔の特徴もあえて消し去るようにできている。
観客が役者に容姿の良し悪しを求めていないのは、そういうわけがあった。
世間体からすれば、加藤家の中で顔がいい弟が評価されるという事態の方が異質だと思う。
「俺が一目惚れしたときの加藤くんは、稽古中で化粧してなかったし……」
頭の中で初めて凛を見たときの記憶を掘り返す。
公演以外では、滅多に化粧はしないこともある。思い返せば素顔のまま着物だけを羽織って舞う凛の姿の方が見慣れていた。
日本舞踊に触れる機会がない若い女性は凛ではなく、その弟のファンばかりなこと。
今まで納得がいかずに疑問を浮かべていたが、きちんとした原因があったのだと気づく。
「そういえば、加藤くんの弟の方は公演でも薄化粧じゃなかった? 若い人が傍から見れば、弟だけが美人だってそりゃあ勘違いするわ」
友人はとても不満気な顔で話し続ける。
いくら弟たちより劣っていたとしても、凛も美男美女で欠点のない両親から生まれてきた息子だ。
あそこまで白い目で見られて、周りに貶されるほどの理由を持ち合わせていないのは当然として、百人中百人が凛のことを醜いと言うはずはない。
弟が舞台上で白塗りではなく、薄化粧であるのなら。持ち前の容姿を更に生かすようにメイクしているのだと想像がついた。前例を覆す薄化粧と、メイクで素顔より華やかさが増した美男子がいれば、目を引いてしまうのも頷けてしまう。
「弟の方は化粧が嫌で、あれやるくらいなら出ないって言ってる。真面目にやってる加藤くんの方がきちんとした評価されないの、酷な話だよ」
加藤家の敷地内で偶然、凛と鉢合わせするとき。いつも凛は日本舞踊の稽古に励んでいた。
それを見ていれば、体調の悪い日や休日も休まずに、自主練習していたという可能性も考えられる。
それでも周りに正当な評価をされない本人の気持ちを想像すると、いたたまれない気持ちになった。
「かといって、弟が悪い訳ではないから。てきとぉに見てるミーハーな観客の意見なんて気にしないほうがいいとは思うけど。声でかいと嫌でも耳に入るし、世知辛れえわな」
友人の言葉で周りの空気はしんみりとしている。
話に夢中になってしまっていたが、時計を見ると、完全に部活に遅刻をする寸前だ。監督たちは時間に厳しい方ではないものの血の気が引いていく。
二人は「やべ」とそれぞれ口にすると、急いで部室から出て体育館へと向かう。
もう部員や監督とコーチは揃っていて、彼らの姿を視界に入れた途端、早くしろと手招きをされた。
軽く全員に対して謝罪の会釈をしてから、列の一番後ろに体育座りで腰を掛ける。
「えぇ、インターハイに向けた地区予選のスタメンを発表する。呼ばれた人から新しいユニフォームをコーチから受け取るように」
監督が咳払いをして、話し始めた途端、一気に雰囲気がぴりついた。今回のインターハイが一年生は始めて出場する公式試合になり、三年に関してはこれが最後になる可能性もある試合だ。
皆がスタメンを狙って真剣に練習に励んでいる。雪花や友人もそれは同じだった。
友人は去年の春の選抜大会では初めてスタメンに選ばれているが、雪花はまだベンチにすら選ばれたことがない。
二年の彼らにとっても今回の大会は必ず出場したいという気持ちがある。
「四番キャプテン、山田」
監督が生徒の緊張が解れるまで、発表を待ってくれるはずもなく。
キャプテンは順当に去年の三年生が卒業した後、エースとして活躍していた先輩が選ばれた。
力強い声で返事をする先輩を見ていると身が引き締まる思いになる。キャプテンに期待を寄せる早々に五番、六番……と三年生の名前が呼ばれていく。
実を言えば、彼は選ばれたいとは思っていても、選ばれるという確固たる自信はなかった。
他に実力のある三年生もたくさんいることに加え、自分と負けないくらいに最近調子のよい二年もいる。友人に至っては、来年のエース候補だ。
それでも淡い希望を抱き、心臓は早鐘を打つ。
「次に七番。スモールフォワードに粧。八番は──」
訳もわからず、頭が回らなくなる。
先程、監督の口からでたのは自分の名前かということを確認するため、助けを求めるように、ふと、友人の方を向いた。
ばっちり目が合うと友人は彼に向かって笑顔でウインクをしてから、ガッツポーズをする。
そこで初めて、自分がスタメンに選んでもらえたのだということに気付いた。
「は、はいっ」
八番を発表し始めている状況だ。遅れてしまったが、声を張り上げて返事をする。
あまりの感慨深さから、ユニフォームを受け取るのを忘れてニマニマとしてしまう。
──嘘だ。まさか、スタメンに選ばれるなんて。
夢から覚める準備をしないと、と思うほどに、ここが現実世界である実感が持てない。
その後には、友人の名前も八番のパワーフォワードというポジションとして呼ばれていた。
未だにスタメンに選ばれたという余韻に浸って、その場に座り続けている彼の代わりにコーチからユニフォームを受け取り、手渡す。
「やったぁ、オレたち一緒にスタメンだぞ」
いつの間にか、秒速の速さでユニフォームを着た友人はくるくると喜びの舞を踊っている。
確かに自分がスタメンに選ばれたということもあるが、友人は雪花と一緒に試合に出られるという事実の方がよっぽど嬉しいのではないか。
春の選抜大会で初めてスタメンになった際よりも倍以上に喜んでいるように思う。
「うん、結果には執着しないようにしてたけど。実力が認められたって考えたら嬉しいかも……」
幸せそうにほほ笑むと『七』と大きく書かれたユニフォームを大切そうに胸に抱く。
このユニフォームは大切にしようと心に決めた。
周りには表に出さなくてもスタメンに選ばれなかったことに、悔やんでいる先輩や同級生もいる。
断じて、その想いを無下にすることなく、今度こそ皆んなで勝利を手にしてここに持ち帰るんだ、と。
「…………」
にしても、彼は過度に機嫌が良さそうに見える。
スタメンに選ばれたというだけではなく、他にも何か楽しみなことがあるような態度だった。
なぜなら普段はクールな彼が、鼻歌を歌っているのだ。
「機嫌良さそうだなっ、セツ」
友人もそのことを察していたらしい。
気になる理由を本人の口から聞き出すため、出来るだけ自然に言葉にして触れた。
でも改めてみれば、友人さえも言及せざるを得ないほどの機嫌の良さはかなり異例なことである。
友人のボディタッチで気を取り戻すと、いつもの無表情に戻った。
「うぅん、えっと。はやく名無しさんに、このこと伝えたいなって思って」
予想していなかったことが本人から告げられ、友人は目を丸くさせている。
こんな時でさえ、ノートの持ち主のことを考えている姿を見たことで、友人の頬が緩む。
中学で様々な不幸な出来事が積み重なってからは、人見知りで内向的な雪花が余計周りに心を閉ざしているように思えた。
友人にとっても、彼が自分以外に心を許せる存在ができたことはとても嬉しいのだ。
「加藤くんじゃなくて名無しさんの方に伝えたいのか。ふぅん」
大っぴらちょっかいをかけている友人。
同性のみを恋愛対象としている彼が、好きな人ではない同性のことで頭を埋めているのは恋心が揺れているようにも感じられる。
けれども、どんないきさつからか、友人はそれを咎めることをしない。
「だ、だって、加藤く……んは、俺がバスケ部ってことも知らないじゃないか。急に伝えても変なやつだって思われるだけだよ」
頬を膨らませて拗ねたように答えた。
本心では、凛にもこのことを伝えて喜びを共有したかったのであろう。
「そうか、そうか」
特にそれ以上彼をイジらず、ひとりでに肯定を示すように頷く。
頭の上を右手で軽くぽんぽんと叩けば、ほほえましそうに彼のことを慈愛に満ち溢れた見つめている。
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