君は浴せずして愛し

朽葉

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雪の花のような君に

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 スタメンが発表されてから、忙しさゆえに、数週間のときがまたたく間に流れる。
 あの後、スタメンに初めて選ばれたことを伝えると、名無しさんは自分のことのように一緒になって喜んでくれた。
 他人の幸せを喜べるって名無しさんはなんて優しい人なのだろう、と思ったのは記憶に新しい。
 相変わらず変わりのないやり取りを続けている二人だが、日本舞踊の方は試合に向けて部活動の練習時間を増やすためにしばらくお休みをもらうことに。
 したがって、最近想い人である凛とは学校以外では顔を合わせることがなくなっていた。

 ──ちょっと、寂しいな。

 ノートを撫でながら、ぽつり、と心の中で囁く。
 今までは朝練のない早朝に空き教室で日本舞踊の練習をすることを日課としていた。だが、その時間さえも部活に充てるようになったのだ。
 一度だけ、練習が終わったあとたまたま空き教室で凛と鉢合わせたことを思い出す。
 どうして凛がこんな空き教室に用があったのかは検討もつかない。
 が、こんなことになるのなら、あの機会にきちんと話しておけばよかったと後悔してしまう。
 ノートもその自主練習の合間に読んでいたものの、最近は授業中にこっそり読んでいる。
 ただ、今日のように朝練が長引き、ノートを取りに行く時間がない日もあった。
 というわけで、仕方なく放課後の部活動が終わってから空き教室に寄ったのである。

 ──今日はなんて書いてあるんだろう。

 大会も間近で、疲れも溜まっていた。
 名無しさんからのメッセージで疲れを和ませるためにと、期待を膨らませながらノートをぺらぺらと開く。
 目に入ったのは普段通り達筆でお手本のような文字……のはずだ。
 ところが、彼はそれに対して何かしらの違和感をおぼえる。
 通常は半ページにびっしりと文章を埋めているのに比べて、今回は文章がかなり短い。
 心なしか、字体も震えているように思えた。

 ──体調でも悪かったのかな。

 普段が書きすぎていると言っても良いほどなため、ちょっと休憩の時間があったほうが良いくらいなのだから。
 特に気に留めることもなく、返事を書くためにページをめくろうと、そっと文字を撫でる。

 ぴくり。

 その刹那、動きを急に止めてしまった。言語化できない引っかかりがそこにはあったのだ。
 胸の中に浮かんだちぐはぐな感じの正体を探るために、再び文字を指でなぞっていく。

 ──ここ、少し紙が凹んでる……?

 余程、強い筆圧で文字を書きなぐったのか。
 肉眼では読み取れない消し跡の重なっている文章のある場所が、少しだけ削れている。
 それと同時に、風によって雲が流れ、橙色をした強い陽の光が教室の中に射し込んだ。
 もしかしたら、と彼は眩い夕日に向かってページの裏側を照らしてみると。
 先程までは読み辛かった消し跡も、紙が光に透けることで少しばかりわかりやすくなった。

 その文字を読み取ろうと、彼は懸命になって目を凝らす。


『君に会ってみたい』


 確かに、そこにはそう書かれていた。
 言葉を読み取ったことで、沈んでいた感情が休む暇もなく外に流れていく。
 並外れてやるせない思いに、涙ではなく、喘ぐような苦痛の声が延々と漏れるだけである。

「──あ、ぁあ……。っむりだよ、名無しさん。無理なんだよ」

 名無しさんの気持ちが痛いほどに分かるから。
 悶絶するように、床に向かって身体を小さく丸めると、掠れた音を言葉にして絞り出した。
 もし、名無しさんに会ったとき、彼は名無しさんのことを純粋に友達としては見られないと思う。
 既に手の施しようがないくらいに、名無しさんの内面や人間性に惹かれているのだから。
 自分と同じように男の人に恋をする人に会うのも初めてだった。自分が恋愛について抱く感情を理解してくれる人が現れたのも初めてだった。
 誰かとの名前のない関係を築く中でを望んだのも初めてだった。
 数え切れないくらいに、たった一人のことだけで頭が埋め尽くされてしまう要素が揃っている。
 この文字が残されずに消されていたということは、きっと、名無しさんも彼と同じことで躓き、苦しんでいたのだろう。

『そのときはセツが容姿とその人との関係を切り離して考えることができて、且つ、お前から会いたいって思ったときだよ』

 友人の言ってくれた言葉を思い出す。
 ざためて、容姿だけではない。それ以外にも彼とノートの持ち主が対面するまでには、たくさんの壁があることに気づく。
 しかしながら、名無しさんの気持ちを汲み取り、自分から『会おう』と綴る勇気を、彼は持ち合わせていなかった。

「……俺は、今すぐ君に会いたい」

 ノートを抱き締めては、悔しそうに呟く。
 彼は君と想いを共有しあうことで、覚えたての愛の美しさが何なのかを知った。自分の気持ちを人に心から理解される喜びを覚えてしまった。
 密かに抱いている友情というには大きすぎるこの感情を恋と言わずに何という。
 けれども、雪花はどうしても凛への淡い恋心と、一目惚れしたときの無垢で大切な思い出を捨て去ることはできなかったのだ。
 埃っぽい教室の中、小さく「ごめん」と囁いて。
 その言葉を受け止めることしかできない彼をマジョリティな世間は不断だと思うだろうか。不純な想いを抱える彼に、誰が手を差し伸べてあげることができるのか。
 答えはまだ、誰にも分からない。
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