君は浴せずして愛し

朽葉

文字の大きさ
19 / 24
さくら さくら

18

 休み明けの学校。今一番に凛は空き教室へと走っていく。
 いつメッセージを書いたとしても返事が来るのが早まるわけではないものの、すぐにでもこのぐちゃぐちゃになった思いを消化したかったのだ。

「えっ……?」

 空き教室に足を踏み入れた瞬間。
 凛の動きは凍りついたように固まる。そこには既に雪花という先客がいたのだから。
 目元は休日も夜通し泣いていたことが分かるほどに、真っ赤に腫れていて表情は心配になるほどに仄暗い。彼は床にへたりこんで、何かに向かって文字を書きなぐっていた。

「かと、く……ん」

 凛の存在に気づいた雪花は限界を迎えたように、ただでさえか細い声を限界まで絞り出す。
 元気のない枯れ果てた姿は目を逸らしたくなるほど痛々しくて、強く胸が締め付けられてしまう。
 けれども、そんな彼の手元には凛と匿名しか知らないはずのやり取りをしているノートがあった。
 そこにははっきりと、


『たすけて』


 という震えた文字が、見開きのページを丸々と使って、大きく記されていたのである。

「粧くんが、匿名……だったのか?」

 この状況で思い浮かぶ推測は一つしかない。表情を歪めて、ただ問いかける。
 月曜日に返事をするのを忘れて、名無しさんがノートを取りに来る前に書こうとしたのか。返事はしたものの辛くなって文字を書き足そうとしたのか。
 答えは見つからなくても、彼が凛からの拒絶で、一人では抱えきれないくらいにボロボロになっているのは目の前にある事実だ。

「っごめん。加藤くんの、気持ち、考えずに、自分の言いたいことだけ言って、ごめん」

 自分の文字が書かれたページをぐちゃっと思い切り掴むと、彼は縋るように謝罪の言葉を述べた。
 凛が恋をした感情的にならない、いつだって寡黙な彼が周りが見えなくなるくらいに情緒を掻き乱されている。
 それもそのはず、雪花は好きな人である凛だけには、何を失ってでも嫌われたくなかったのだ。
 どんなに人形のように綺麗な姿をしている人でも弟のように、ちゃんとした人間で傷つくことも、間違えることも、笑うことだってある。
 そんな当たり前のことを忘れてしまっていたことに気づき、負い目を感じて、彼の側に駆け寄っていく。

「──ちがう、違うよ。僕が素直に君の言葉を受け入れられなかったから……。僕こそ、粧くんを泣かせてしまってごめん」

 また溢れ出た涙を止めることに必死になっている彼の背中をそっと撫でる。
 彼を傷つけてしまった以上、すべては自分に原因があり決して彼は悪くないことと、あの言動に至った理由を包み隠さず明かさなければならない。
 凛はそう思う。

「よかったら、僕の話を聞いてくれないか。『匿名』として僕の話を聞いてほしいんだ」

 傷つけられた『粧雪花』としては話を聞かなくてもいいから、今までノートの中で互いの話を聞きあったときのように知らない人の話として、今から聞くことを受け流してほしい、と。
 そう言う凛の表情がやけに真剣だったことから、彼の中には提案を拒む選択肢はなかった。

「う、ん。その後に、俺の話もきいてほしい。『名無しさん』として」

 無理だと言って拒否してもいいのにもかかわらず、彼が肯定して答えてくれたことに、安堵する。

 それから、二人は窓際の壁にもたれて並んで座った。凛はぽつりぽつりと話を始めていく。

 ところどころ言葉に詰まりつつも、不器用ながら『匿名』に会おうとしなかった理由と自分の醜形恐怖症について誤魔化さずに全て明かす。
 彼は顔色を変えることなく、過去の痛みを黙って聞いていた。されど当然、心の中では感情が二転三転し、渦になっている。
 話を聞いているだけでも、感情移入しては苦痛を感じるのに。それを真っ向から経験した凛は一体どれだけの痛みを負ってきたというのか。
 今までそれを知らずに傷の隠された表面だけを見て勝手に盛り上がり、手を差し伸べることをしなかった自分に嫌悪感がした。

 続けて、雪花も過去のトラウマや自分の容姿へのコンプレックスについて明かす。
 重い過去を告げられたあとに、一部自分の言葉足らずさが原因で引き起こされた出来事を話すのは気が引けた。が、凛はそれに対して自分の過去のように辛そうな顔をしている。何度も雪花の今を気遣う言葉を挟んでは、寄り添うように相槌を打つ。
 そのときの姿がいつも取り留めのない話にも丁寧に読み込んでは長い文章で返事をくれる『名無しさん』の姿と重なると、ふと『名無しさん』の正体が凛であることを再認識した。

 二人が話を終えたとき、凛が来たときには六時半頃だった時計も七時半を過ぎている。
 五十センチほどの距離を空けたところには、遠い存在だったはずの好きな人がいて。
 その五十センチの近いようで遠い距離が、彼らの心の距離を表していたのであろうが、今の二人にはそれで充分だった。

「やり取りの始まり方も偶然の産物だったし。案外俺たち似た者同士なんだね」

 彼は相手の話を聞いて、自分の話をした後に、うっかりと言葉をこぼしたようにそんなことを言う。
 感情を荒ぶらせた余韻がまだ少し、呼吸の浅さとして残っていた。
 凛はその意見に同意することしかできない。声を出さないで、忍びやかに頷く。

「そういえば、手に持っているのなに?」

 思えば、彼はペンで文字を書きなぐっているときも、ページを片手でぐちゃぐちゃにさせたときも。
 反対の手には何か別のプリントのようなものを持っていた。
 さすがにそろそろ物の正体が気になったのか、違和感を口にしながら指をさす。

「あ。これここに来る前にセンセにもらった。文化祭の有志の募集だって。やりたい人が歌を歌ったりパフォーマンスしたりするやつ」

 彼も手に持っていたプリントの存在を、凛に問われるまでは忘れていたようだ。
 教師からすれば、こんな朝早い時間に明らかに様子のおかしい雪花を見たら心配になる。
 きっと、プリントを渡す行為自体にこれといった意味はない。
 教師なりに最悪の事態を防ぐためには声かけが必要だと思い、試行錯誤した結果、唯一浮かんだ手段だったのだと思う。

「へえ、そうなのか……」

 美術部員が描いたアニメ風のイラストが載ったプリント。去年、クラスメイトの中では、陽キャ二人組が漫才を披露していたなということを思い出す。
 たいてい学校の中でもノリがよく、目立つ人たちが文化祭を盛り上げるために率先して行うようなイベントだ。
 住む世界の違う自分には縁がない話──と凛は最初こそは思い浮かべた。

「……なあ、よかったら、僕たちの持つ殻を破るために、一緒に文化祭で"さくらさくら"の日本舞踊を披露しないか?」

 ふと、そんなことを思案していたことから、知らぬ間に声に出してしまう。
 己の言っていることの突飛さに気づいたのは全てを話しきった後だった。
 文化祭のステージというのは当然たくさんの人が見に来ることになる。ということは、たった一回成長を意識してたくさんの人に注目されれば、自分の容姿に向かう視線も気にならなくなるのでは。
 それに、二人が多くの生活を送る場所は学校の中であり、周りの生徒との交友関係もステージに立ったことで変化が望める気がしたのだ。
 彼はその提案を聞いてしばらくは何かを考えている。

「……いいよ。加藤くんの提案乗るよ。けど、条件がある」

 さほど狼狽えずに提案を飲んでくれたかと思いきや、まさか条件付きだなんて。
 もうやり取りはやめようとか、自分の目の前から消えてくれ、とか。
 自分にとってデメリットすぎる条件だったらどうしようという不安が込み上げて来る。
 凛は雪花の口元が動く姿を、緊張した状態でじっと見つめていた。

「主役の日舞じゃなくて、加藤くんの魅力を最大限に活かすために、俺は箏を演奏させてほしい。小学生の頃から習っているんだ」

 今まで自分が箏を習ってきたのは、このときのためだったのだ、と感じる。
 凛の過去や価値観について聞いたとき、凛を苦しめた人への途方もない怒りと出来事の辛さから伝わる切なさと共に、本人が自分の良さを知らないのはすごくもったいないという感情があった。
 美しさを、その本人にこそ理解してほしい。
 そのためには凛のことを一番に愛している自分が本人の納得がいくような状況を作り出すのが、一番だと考えたのである。

「わかった。言いたいことはあるけど。まあ、条件なら仕方ないな」

 彼と日本舞踊ができないのは残念だが、彼の思いを尊重することの方が凛には大切だった。
 否定することなく、その提案を受け入れる。

「でもなんで、現代のポップスとかじゃなくて箏曲の"さくらさくら"なの?」

 純粋に選曲の理由が分からずに、彼は質問した。
 まず、日本舞踊は様々なものがあり、創作舞踊というジャンルもある。
 例えば、今流行りの曲や人気のJ-POPでも振りを考えさえすれば日本舞踊として披露できるのだ。
 若い世代の高校生にとって、そういう聞き馴染みのある曲のパフォーマンスの方が需要があるのではないか、と思ったのだろう。

「うーん……。その曲が僕にとって大切で、思い出の曲だからかな」

 朗らかに微笑んで、多くを語らずに言葉を返す。
 どうして大切な曲であるかということは、彼には述べなかった。
 彼の中にある大きな疑問は残ったままなので、その返事を聞いても、首を傾げて眉をひそめ続けている。

 ──粧くんに一目惚れしたときに、 粧くんが練習してた曲だから、なんてさすがに言えないけど。

 彼のふわふわとした表情を愛しく思いながら、凛は心の中で答えを口にした。
 そう、実は雪花が見た凛の最初の日本舞踊が『さくらさくら』だったというだけでない。
 凛が初めて見た彼の日本舞踊も、彼が凛に影響を受けて『さくらさくら』を演じている姿。
 彼らは互いに一目惚れしたときに、相手が披露していた曲を好きになり、思い出として大切にしていたのだった。

 まだ、鈍感な二人は相手の好きな人が自分だとは気付いていない。
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】恋した君は別の誰かが好きだから

海月 ぴけ
BL
本編は完結しました。後日、おまけ&アフターストーリー随筆予定。 青春BLカップ31位。 BETありがとうございました。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 俺が好きになった人は、別の誰かが好きだからーー。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 二つの視点から見た、片思い恋愛模様。 じれきゅん ギャップ攻め

『2度目の世界で、あなたと……』 ― 魔法と番が支配する世界で、二度目の人生を ―

なの
BL
Ωとして生まれたリオナは、政略結婚の駒として生き、信じていた結婚相手に裏切られ、孤独の中で命を落とした。 ――はずだった。 目を覚ますと、そこは同じ世界、同じ屋敷、同じ朝。 時間だけが巻き戻り、前世の記憶を持つのは自分だけ。 愛を知らないまま死んだ。今度こそ、本物の愛を知り、自ら選び取る人生を生きる。 これは、愛を知らず道具として生きてきたΩが、初めて出会った温もりに触れ、自らの意思で愛を選び直す物語。 「愛を知らず道具として生きてきたΩが転生を機に、 年上αの騎士と本物の愛を掴みます。 全6話+番外編完結済み!サクサク読めます。

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 【エールいただきました。ありがとうございます】 【たくさんの“いいね”ありがとうございます】 【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。

六年目の恋、もう一度手をつなぐ

高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。 順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。 「もう、おればっかりが好きなんやろか?」 馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。 そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。 嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き…… 「そっちがその気なら、もういい!」 堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……? 倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡

【完結】恋人になりたかった

ivy
BL
初めてのキスは、 すべてが始まった合図だと思っていた。 優しい大地と過ごす時間は、 律にとって特別で、 手放したくないものになっていく。 けれど……

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

地味メガネだと思ってた同僚が、眼鏡を外したら国宝級でした~無愛想な美人と、チャラ営業のすれ違い恋愛

中岡 始
BL
誰にも気づかれたくない。 誰の心にも触れたくない。 無表情と無関心を盾に、オフィスの隅で静かに生きる天王寺悠(てんのうじ・ゆう)。 その存在に、誰も興味を持たなかった――彼を除いて。 明るく人懐こい営業マン・梅田隼人(うめだ・はやと)は、 偶然見た「眼鏡を外した天王寺」の姿に、衝撃を受ける。 無機質な顔の奥に隠れていたのは、 誰よりも美しく、誰よりも脆い、ひとりの青年だった。 気づいてしまったから、もう目を逸らせない。 知りたくなったから、もう引き返せない。 すれ違いと無関心、 優しさと孤独、 微かな笑顔と、隠された心。 これは、 触れれば壊れそうな彼に、 それでも手を伸ばしてしまった、 不器用な男たちの恋のはなし。

僕の恋人は、超イケメン!!

八乙女 忍
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?