WorldReversi

りすわん

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プロローグ――少女兵と、雨に濡れた廃墟

Ep.1 泥にこぼれた命

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 苦痛、怖れ、悲しみ。
 生命の負の感情を糧とする、異次元より襲来する存在――シェイド。
 黒い霧が濃縮して魔物の姿をかたどったその者らは、強い苦痛の感情を求めて人を襲う、人類の敵だった。

 そのシェイドに対抗するために結成され、世界中に支部を持つ軍事組織・ASAG。
 これは、ASAGの隊員として影の魔物シェイドと戦う、ひとりの少女兵の物語である。



   WorldReversiワールド=リバーシ



 ここは日本州の十八番地域の外れにある打ち捨てられた街道で、道端のところどころに風化した廃墟と遺跡が点在している。
 その街道で、ひとりの少女が、小さな体にそぐわぬライフルを手に、巨大な影の魔物シェイドと交戦していた。
 外見は十代前半くらい。あどけない顔つきと、それに似合わぬ冷ややかな眼差し。艶のある黒髪は肩の辺りで切りそろえられている。
 暗い色のボディスーツとレギンスが細身スリムな体をぴったりと包み、その上には丈の短いジャケットとハーフパンツという姿。
 ASAG隊員の正式な戦闘服一式。
 彼女は幼い頃よりシェイドと戦うため訓練されてきた、少女兵だった。

「どうして戻ってきたのですか。逃げるように支持したはずです!」

 雨と泥に濡れた少女が緊迫した声で叫んだ。

 大型のシェイド――牛角の生えた人のような上半身と、無数の触手がうごめく異形の下半身。
 影がそのまま質量を持ったように全身は漆黒で塗られた、引き締まった体躯の巨大な魔物。

 その大型シェイドの触手が、瓦礫の影からこちらに近づいてきた民間人に襲いかかる。
 少女兵は細い腕を精一杯振るい、小銃ライフルの先端に装着した銃剣でなんとかそれを切り払い、受け流しながら、守るべき民間人の元へと駆け寄った。

「だって、おねえちゃん……こんなに怪我してて……」

 命がけの戦場に割り込んできたのは、少女兵よりもさらに年下の幼い女の子だった。
 少女兵はもう一度叱咤しようとしたが、すぐにやめた。幼女の小さな体が、恐怖で今にも崩れ落ちそうなほど震えていたからだ。
 兵士として訓練された自分とは違う、平和な日常を過ごしてきた女の子。彼女にとって巨大な化け物が暴れているこの地に戻ってくることは、並大抵のことではなかったはずだ。

(それでもこの子は、私の身を案じて戻ってきてくれた)

 そんな幼女の勇敢な想いを、強く叱ることはできなかった。
 代わりに安心させるように――少女兵は少し無理をして、苦手な笑みを作る。

「ありがとう。私の心配はいりません。
 ――さあ、早く両親のところへ戻ってください」

 すると幼女が微妙な表情をした――ように少女兵には見えた。
 少し冷たい言い方だっただろうか。うまく笑えていた自身だってない。
 やっぱり、こういうのは苦手だった。

「おねえちゃんは?」
「あなたたちが逃げのびたら、私もすぐに離脱します。
 ……そう訓練されているので」

 だから心配しなくていい、と幼女を安心させる。
 少し離れた場所にある廃墟の影には、彼女の両親であろう一組の男女が見える。彼らは今にも飛び出してきそうな焦った様子でこちらを伺っていた。

 少女兵は今日、訓練施設を卒業して初めての現場の部隊へと配属される予定だったのだが、合流地点への移動中にこの大型シェイドと遭遇したのが現状への経緯だった。
 なので幼い頃から施設で訓練を受けて暮らしていた少女兵にとって、軍の関係者ではない一般の人間と出会うのはこれが初めてのことだった。

(予定より早い初陣になってしまったけど……私が初めて出会う外の人が、あなたたちでよかった)

 少女兵は、自らに与えられてきた過酷な訓練と使命の意味が、少しだけ理解できた気がした。
 敵と遭遇したのであれば、民間人および他の隊員の安全が確保できるまで、囮となり盾となること。それが少年兵ないし少女兵の役目だと教わってきた。
 たとえ敵が、本来は一個中隊以上で対処をするべきといわれる大型シェイドで、対する自分は経験の少ない少女兵であっても。
 状況は絶望的だけど――だからこそ、やらなくてはならない。

「さあ、行ってください」

 少女兵の真摯な想いが伝わったのか、幼女はそれ以上なにも言わずに背を向けて、両親の待つ廃墟へと駆け出した。
 逃すまいと大型シェイドが少女兵の腕よりも太い触手を振るい、迫りくる。

「……させない!」

 少女兵はライフルと銃剣でなんとかそれを受け流しながら、逃げる幼子に攻撃が向かないように撹乱し、凌ぐ。
 しかし、そう長くは続かなかった。その手数も質量も違いすぎた。
 振り下ろされる攻撃を銃身でなんとかそらすものの、少女の体には重すぎる一撃に体勢を崩してしまう。
 そこへ、シェイドが間髪入れずにもう一本の触手を横薙ぎに払った。
 少しでも威力を削ぐために少女兵は肩と手首の二点で防御するが、当然、受けきれるはずもなく。

「あ、くッ――うぅぅ!」

 吹き飛ばされ、雨で泥濘んだ地面を転がり滑る。殴打の衝撃で束の間呼吸が止まり、こらえきれずに咳き込みながら唾液を吐き出した。
 きしむ体に鞭を打ち、幼女を守るために立ち上がる少女兵。
 まともに動けないその体に、触手による刺突が、人知を超えた速度で襲いかかった。

「かはっ……!」

 避けきれず、触手が少女兵の華奢な脇腹をかすめる。
 赤い血と服の切れ端が飛び散る。激痛で目の前が真っ赤に染まった。
 二撃目、三撃目。絶え間なく襲う触手に翻弄される小さな体。
 こめかみ、肩、ももと傷が増えていく中、少女兵はシェイドの本体がこちらとは別方向へと移動を始めたことに気づいた。
 魔物が進む先には、両親のもとへと走る幼女の姿。

(やっぱり……簡単には逃してくれない、か)

 ギッと奥歯を噛み締めて自分自身を叱咤し、少女兵は幼女の元へと走った。
 その途中、少しでも意識をこちらに向けるため、貴重なライフル弾をシェイドめがけて撃ち込んでは、ボルトを引いて薬莢を排出。

「走って! もっと速く!」

 少女兵が呼びかける。
 その切迫した声と銃声に、幼女が驚いて振り返った。
 彼女の眼前には迫りくる大きな魔物と、高く振り上げられた黒塗りの触手。

「え……? きゃああ!」
「――くっ!」

 狼狽して悲鳴をあげる幼女のもとへ、少女兵は全力で駆けた。
 降りしきる雨が傷ついた体を冷やす。泥濘ぬかるみと水たまりに足をとられながら、がむしゃらに前へと進んだ。

「させッ……ない!」

 少女兵は幼女を押し倒すように飛びつき、胸の中に抱いた。
 直後、シェイドの触手がブーツをかすめ、直前まで幼女が立っていた地面に叩きつけられた。
 衝撃で飛散した石と泥水をその身に受けながら、少女兵は自らの体がクッションになるよう背中から地面に落下した。

「ぐうっ……はぁ……はぁ……」
「お、おねえちゃん」
「無事、ですか……?」
「うん。でも……」
「あなたは……必ず、私が守りますから」

 ――大丈夫。
 少女兵は四つん這いになって幼女に覆いかぶさると、安心させるように穏やかな表情を見せた。
 その少女兵の背を、触手の豪打が襲う。

 ドパンッ!!

「が、ぁ……!」
「むぎゅ! ケホ……。あぅ……おねえちゃん、大丈夫!?」

 まるで背中に榴弾が炸裂したような音と威力に、意識が遠のく。泥で手が滑り、こらえきれず幼女にのしかかってしまった。
 自分より年下で、見るからに脆い幼い子ども。その子の負担を減らすため、少女兵は腕と足に力を込めて、必死に自分の体を持ち上げた。
 それを嘲笑うように。魔物は少女兵の華奢な体に、幾度も痛打を浴びせる。

 ドゴッ――バシンッ! ボゴォォ!! ドスン!

「かはっ! く、あぁぁ! うぐぅぅ――ッ!! あぁ……ん……」

 先端の形状を鉄球のように変えた触手が、少女の背に、腰に、ももに、次々と叩き込まれていく。
 背中をしたたかに打たれてからは呼吸すらまともにさせてもらえず、少女はただ耐えるしかなかった。

「――ゴポォ……か、は……」

 少女は耐えきれずに喉の奥からこみ上げてくる血を吐き出した。

「も、もうやめて……おねえちゃんが死んじゃう」

 少女兵の小さな口からこぼれ落ちたおびただしい量の血に驚いた幼女が、瞳に涙を浮かべながらか細く声をあげる。
 当然、影の魔物はそんな哀願など聞く耳も持たず、鉄球のごとき触手で少女兵をなぶり続ける。

 メキッ――ドゴォォ!!
「ぐぁ――は……ァ……」

 触手で殴られるたび、水の入った袋を踏み潰すように、少女兵の口と、脇腹の傷から紅が舞う。
 吹き出した血が雨に流れて泥に混ざるたび、あどけない少女の意識が、命が削り取られていく。

(……だ、め……耐えられ、ない……)

 触手の一本が、鉄筋のような重さと鞭のような速度をもって、少女兵の首筋に叩きつけられた。

「――がッ!」

 視界がぶれて、脳がぐらぐらと揺れる。
 体を支える力を失った少女兵は、庇っていた幼女の上にもたれかかってしまった。
 血圧が急降下して、悪寒と酸欠で気が遠くなっていく。
 強すぎる衝撃で呼吸もままならずひゅーひゅーと弱々しく喉を鳴らす少女兵。

「はぁ……はぁ……はぅ……ん、ぅ……」

 焦点の合わない虚ろな瞳――それでも幼女に負担をかけないように、どうにか体を起こそうともがく少女兵。だが思うように力が入らず、細い指が泥をひっかいただけだった。

 獲物が動けなくなったことを理解したのか、大型シェイドが攻撃を中断。複数の触手をまとめて点に掲げる。それが一つに合わさり、大きな鉄球のような形状へと変化した。
 どうやら魔物は、少女兵にトドメを刺そうとしているらしい。

(私はきっと……もう、ここで終わり……。だけど……)

 あの凶悪な黒い塊を叩きつけられたら、少女兵はもちろんのこと、下にいる幼女も一緒に潰されてしまうだろう。
 その前に、せめてこの子だけでも――。

「今の、うちに……走って……ご両親の……ところに……」
「あ、あ……」

 瀕死の少女兵を、幼女が悲痛な表情で見つめる。
 それから、ぐっと嗚咽をこらえて走り出した。
 その子を、同じようにこちらへと駆け寄ってきていた両親が抱きとめる。

「パパ! ママ!」
「チカ……ああ、よかった……」

 抱き合う親子。その姿を見て、わずかに口元を緩めた少女兵。
 幼女は抱きしめていた父親の手からいったん離れると、切迫した様子で叫んだ。

「パパ、ママ、おねえちゃんを助けて!」
「……ッ! ……ああ! そうだな!!」

 娘の言葉に、父親は迷いが吹っ切れたようにうなずいた。
「この子を頼む」母親は不安そうに浅い呼吸を繰り返しながらも、夫と娘の想いを汲み取って強い意志を込めた瞳で見守る。
 ――捨て駒として育てられ、過酷な世界で生きてきた少女兵は、そんな家族の優しさに戸惑いながら――ぐっと地面の泥を握りしめ、残る力を総動員して精一杯息を吸い込む。

「――行って!!」

 男は思わず足を止めて、息を飲む。

「行って、ください。――私はもう、助かりません!!」

 不器用な少女にはこれ以上、上手な伝え方も思いつかなかった。言うなれば、軍人らしい率直な言葉。
 聡明なだけに状況を理解してしまった心優しい男は、強く歯を噛み締めた。

「すま……ない……」

 父親は瞳に涙を浮かばせながら、子を抱え、妻の手を引いてその場を離れた。
 少女兵はそれを見て、安堵とともに、やっと肩の力を抜いた。

(よかった……これで、最低限の……役目は、果たせ――)

 シェイドの作り出した黒き鉄槌が、振り下ろされた。
 少女兵の身を案じ、必死に叫ぶ幼女の声が遠くに聴こえる――。

「ッッッ――。あぁぁぁぁッ!!」

 メキメキ――バキッ。
 肋骨が砕け、脊髄にひびが入る。地面に押し付けられて潰されたお腹と胸。内蔵が無残に破裂する。

「ゴハッ……お……ぇ……」少女の小さな口から、血と一緒に臓器の分泌液が吐き出された。
 脱力した下半身――失禁して流れ出た液体が、雨にさらわれて水たまりに溶けていった。

「……」

 意識が薄れていく少女兵を、大型シェイドが見下ろす。影のごとき黒塗りの顔。その表情、感情は、人間にはうかがい知ることはできない。
 命が、血と一緒に泥に流れて溶けていく中、少女はふいに生まれて初めての自問をした。

 私は、なんのために――生まれてきたのだろう。

 …………。
 ……。
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