1 / 3
1.八歳:一人になる(前)
しおりを挟むマリオン・ダーシャルは八歳の時に家族を失った。
「ねえマリオン。こうみえても私ね、学校では成績優秀だったのよ」
ライジンク国においては貴族も平民も同じ学校に通ことが通例だ。『貴族という立場に甘えず己自身を常に見直し、国と民に認められる職に就くべく学習せよ』がライジンク国貴族子息子女に課せられた学習目的である。孤児であったが、マリオンの母親は奨学生としてその学校に通ったと話す。
「そこでね、彼に出会ったの」
常に明るい母親エイダが、殊更表情を輝かせて話すその姿がマリオンは好きだった。
「とても綺麗な先輩でね。光に輝く髪も瞳も素敵でね、なんと名門貴族の御子息様だったのよ」
エイダに幾度となく聞かされた母の大好きだった人。その話をするときのエイダは学生時代の少女に戻り、とても幸せそうだった。
「ミゲルというお名前なのだけれど、その人には立場も見た目にもお似合いな綺麗な婚約者がいたのよねぇ。卒業してから私は仕事に就いて、あなたのお父さんに出会って恋をして。家族になってあなたが生まれて……私は幸せよ」
そうは言ってはいたが、エイダが愛した夫はマリオンが生まれて一年もたたない頃に事故で亡くなっており、辛いことも多々あったに違いない。けれど、エイダはマリオンの前では全てを笑顔で隠していた。
父のことは全く知らないマリオンは、物心ついた時からエイダとの二人での生活が当たり前だったからエイダほど父を恋しいと思ったことはない。
共に笑い、泣き、支え合っていた、大好きな母。
そのエイダが父と同じように事故で亡くなった。
父の親戚とは疎遠だったことから、一人となってしまったマリオン。寂しく悲しくても支えてくれる人はなく、誰の温もりも得られず、同情だけ向けられてただ過ぎていくだけの時間。
花で飾られた墓の前でひざまずきエイダに祈りを捧げていたマリオンは、八歳という年齢でこの先一人で生きていかなければならないという事実と向き合い、同時に未来への不安に包まれていた。三日後までに家賃の支払いをしなければ母と過ごしていた家を出ていかねばならず、けれどわずか八歳という年齢では家賃分を稼ぐことなどできるはずもない。
近所の人は親切心から評判の良い孤児院や修道院を紹介してくれたが、どちらも母や父の眠るこの場所からは遠い場所だった。結局は道賃も移動手段もないので、推薦された場所へ行くことは諦めて、この墓場に縁ある孤児院に行くことにマリオンは決め、今日はその報告をしにここへ来たのだった。
それでも母を失った寂しさでいっぱいになり、涙が零れ落ちた時。
「君がマリオンだね」
足音に気付かず、しかも聞いたことのない声で名を呼ばれたことに驚いて身体を震わせた。けれどその声は優しくて温かくて心地が良くて、何よりもマリオンの心に響いた。涙も拭かずに顔を上げてみれば、
『とても綺麗な先輩でね。光に輝く髪も瞳も素敵でね』
ふと、大好きだった母親がいつも語っていた台詞が思い出された。
―――この人はお母さんの大好きだった人だ。
見たこともないはずなのに、マリオンは何故かそう思った。
目を見開いたマリオンは声を出すことができず、綺麗な顔立ちで背の高い男性をただただ見つめた。
「私は君のお母さんとは知り合いでね。今回のことは非常に残念だ。幼い君を残して逝ったことは彼女にとって心残りだったに違いない」
墓を見つめたまま苦渋に満ちた顔でその男性は言ったが、やや間をおいて視線をマリオンに移してぎこちなく微笑んだ。
「エイダと約束していたんだ。互いの家族が困ったときには助け合おうと。マリオン、私の家に来ないかい?」
マリオンは子供ではあったが、知らぬ者について行ってはいけないことは学んでいる。母親からも口酸っぱく言われていたことだ。母親の知り合いで恋した相手であるかもしれないが、身元の分からぬ相手からいきなり『家に来ないか』と言われても『行きます』と言えるわけがない。口を固く閉ざして相手をじっと見つめていると、マリオンが身を寄せることを決めた孤児院の職員の男が駆け寄ってきた。
「ロングラム様。この子がなにか? 私どもの孤児院に近々入る予定の子なのですが」
「その子とは縁あってね。私の所に来ないかと誘っているのだよ。其方の孤児院には私の使いを送ってある」
ロングラムと呼ばれた男は孤児院の職員に告げた。ロングラムの言葉を受け、孤児院の職員はマリオンを見下ろして目を細めた。
「何とも寛大でお優しい。あなた様の元なら、その子の未来は明るいでしょう」
「わたし、行ってもいい、のですか」
マリオンは思わず孤児院の職員に尋ねていた。すでに孤児院に明後日行くことは決まっており、ここに来る直前まで目の前の職員と共に荷物もまとめていたのだ。それに《ロングラム》という男が自分を本当に受け入れてくれるつもりなのか、安全な環境を提供してくれるのかもわからなかった。
「もちろん。ロングラム様は生まれ育ちやお立場だけではなく、孤児院に寄付もして下さっているお心も立派なお方ですよ。マリオンが行きたいと希望するのであれば、ロングラム様は正式な手続きを取ってくださるでしょう。ロングラム様は信頼できるお方ですからね」
目の前の孤児院の職員は、マリオンに常に事実しか口にしてこなかった。『母親は死に二度と会えない』『家族はもうどこにもいないのだ』『一人で生きる術を身に着けろ』など、厳しい事実さえも躊躇なく言い、マリオンが《夢》を持ってはいけないと思うほど厳しい言葉しかその男からは聞いていない。その彼が信頼できると言ったのならば、それは事実なのだろう。となればマリオンの答えは一つだ。
「わたし、ロングラム様のお家に行きたい、です」
一緒に行けば、誰からも聞くことのできない母の話をしてもらえるかもしれない。
そんな淡い期待を含んだ彼女の返事にロングラムの顔が綻んだ。
「手続きのために後で代理人を向かわせる」
「お待ちしています」
ロングラムの言葉に職員の男は頷いてマリオンの髪を一撫でした後その場を立ち去った。エイダの墓前にはマリオンとロングラムの二人だけになった。二人はしばらく会話も交わさずエイダの墓の前で佇んでいたが、突然吹いた冷たい風に身を震わせたマリオンに気付いたロングラムが
「ここにいては風邪をひく。さあ、別れを」
マリオンに勧めた。別れの言葉は言いたくなかったマリオンは、母親に『また来るね』と言葉をかけた。
0
あなたにおすすめの小説
双子の姉がなりすまして婚約者の寝てる部屋に忍び込んだ
海林檎
恋愛
昔から人のものを欲しがる癖のある双子姉が私の婚約者が寝泊まりしている部屋に忍びこんだらしい。
あぁ、大丈夫よ。
だって彼私の部屋にいるもん。
部屋からしばらくすると妹の叫び声が聞こえてきた。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
今宵、薔薇の園で
天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。
しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。
彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。
キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。
そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。
彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さくら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
幼馴染の婚約者ともう1人の幼馴染
仏白目
恋愛
3人の子供達がいた、男の子リアムと2人の女の子アメリアとミア 家も近く家格も同じいつも一緒に遊び、仲良しだった、リアムとアメリアの両親は仲の良い友達どうし、自分達の子供を結婚させたいね、と意気投合し赤ちゃんの時に婚約者になった、それを知ったミア
なんだかずるい!私だけ仲間外れだわと思っていた、私だって彼と婚約したかったと、親にごねてもそれは無理な話だよと言い聞かされた
それじゃあ、結婚するまでは、リアムはミアのものね?そう、勝手に思い込んだミアは段々アメリアを邪魔者扱いをするようになって・・・
*作者ご都合主義の世界観のフィクションです
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる