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或いは夢のようなはじまり
28 マンション跡地
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「改めて見ると……よくもまあ、無事に脱出できたものよね」
夕焼けに照らされたマンションは――マンションだった建物とその場所は、廃墟然としていた。
敷地の境界には立ち入り禁止のプレートが結ばれたロープが幾重にも張られ、事の重大さを殊更に強調している。
ほんの数日前まで、この場所で多くの人が暮らしていたなどとは、本人でさえ信じ難い。
細かな瓦礫は取り除かれていたが、大型重機を用いねばならない大きなものは公道に影響を与えないように敷地内の中央に寄せられていた。マンション本体の解体に合わせて撤去されるのだろう。
「……ふぅ」
香月の言葉に促されて見上げたは良いが、直樹の口からは溜息しか出ない。
爆発の起きた6階は全壊と言って差し支えなく、そのひとつ上の屋上に至っては、足場さえも残ってはいない。
マンションから避難した後はあえて寄り付かないようにしていたのだが、ここまで損壊が酷いとは思ってもみなかった。
「まぁ、階段からしてアレだったしな」
脱出時に階段は崩落しており、2階に上がる事さえ大きな危険を孕んでいる。
マンション裏手の非常階段ならば使えないでもないが、マンションそのものがいつ崩れてもおかしくないのだ。
この状態でここに留まろうなど、野良猫だって思わないだろう。
「あの女、いつ来るのかしらね」
遠巻きにマンションを眺めながら、香月が呟いた。
それは直樹への問い掛けのようであり、はたまた自問しているようにも聞こえる。
その一方で、香月はマンションへの接近を阻むロープの観察を怠っていなかった。
かつてのマンションを懐かしむ元住人を装いながらも、黒髪の少女が現れればすぐにでも行動を起こせるよう、ロープの潜り抜けやすい場所を探っている。
「さて、どうだろうな」
香月の言葉に静かに応じつつも、直樹は確信にも近いものを感じていた。
(来るワケないよな)
この地に調べ残しているものがあるかは定かではないが、猛然と突っ掛かってくる香月に次の目的地を教えるなどと、親切心どころの話ではない。
屋上で香月に危害を加えた事はかろうじて堪えた直樹であったが、それも香月が先に手を上げたからなのだろうと容易に想像がついたからだ。
香月に対し積極的に害意を抱くようであれば直樹も黙ってはいないし、それは少女側も望む展開ではないだろう。
(つまり、だ――)
香月を遠ざけておくための方便だ。
今頃は別の場所で、本命の調査に精を出している事だろう。
「まだかなぁ……」
ピリピリと張り詰める香月の傍に居続けるのはどんな罰ゲームだと叫びたくなる気持ちをぐっと抑え、これが今の自分に出来る最善の行動なのだと自身に言い聞かせる。
黒髪の少女らがどこに居るのかは知りようもないが、明らかに来ないだろう場所に香月を留め置く事。
地味ではあるが、香月の安全を考慮すれば確実なものであろう。
香月が飽きるまで、もしくは疲れて眠くなるまで時間を費やせれば目的は達したも同然だ。
いくらなんでも徹夜まではしないだろうと希望的観測も交えてしまうが、そこまでの勢いを香月が見せてしまうようであれば、無理矢理に連れ帰る事も考えねばなるまい。
香月の身の安全を至上命題にしながらも、そのために風邪などひかせてしまっては本末転倒だ。
やがて、マンションを染めていた朱色がその彩りを落とし始めた。
もう数分も経てば、この周囲も薄闇に包まれる事だろう。
マンションが生活環境の場という本来の姿であれば、この近辺を照らす灯台のようにも感じられた事だろう。
だが、現状では危険なだけの場所でしかない。
(この辺も、安心はできないかもな)
ここまでの観察による直樹の考察としては、マンション跡地は夜ともなれば死角だらけの危険地帯となるだろうという事だ。
常駐する警備員がいない以上、この死角を悪用しようとする不届き者が現れるのは時間の問題と思える。
夜遊びを偏愛する者やホームレスといった程度であれば許容できなくもないが、そういった暗がりに婦女子を引きずり込もうとする輩が出ないとも限らない。
直樹が同行している以上、香月に対してそういった不逞を働こうとする者は実力で排除するだけだが、そもそもそういった可能性のある場所に香月を置いておく事自体が我慢ならない。
(日没までだな)
かの少女らが姿を見せるのは、暗くなってからだと香月は考えているだろう。
そんな香月を家に帰すのだ。どうやって言い包めたものかと、直樹は眉根を寄せた。
「かづきん! ここに居たんだ!?」
いくつか浮かんだ案の吟味に入る事を、香月を呼ぶ声が遮った。
自身の発した声を追うようにして姿を見せたのは、香月のクラスメイトである思惟子だった。
香月と別れてから帰宅していないのだろう。制服姿の思惟子は香月の前で立ち止まると、膝に両手をついて大きく肩を上下させた。
最初に香月の名を叫んだきり呼吸を荒げている様子からするに、結構な運動量を伴って香月を捜し求めていたのだと察せられる。
「どうしたのよ、そんなに慌てて?」
香月が持参していたペットボトルを思惟子に手渡す。
身振りで礼を述べた思惟子は、ボトルのお茶の半分程を喉の奥に流し込んだ。
急ぎの用事があるのならば携帯電話を鳴らせばと思った直樹だったが、そういえば香月の携帯電話はマンション爆発の際に失われてしまったのだったと思い至る。
香月の部屋を探せば見つけられるかもしれないが、爆発事故の現場となった部屋からでは、原型を残しているかどうかも怪しいものだ。
普段から携帯電話を多用しない香月であり、事故の後も特に困った様子は見せていなかったので、新たに入手しなければという切迫感は持っていなかったのだ。
「実は、キィが帰ってないって……」
「っ!?」
思惟子の言葉に、香月が身を堅くした。
希理の両親は随分と心配性であり、希理は学園からの帰りであっても常に自宅に一報を入れていたという。
親に不要な心配を掛けまいと希理は考えていたようで、連絡を入れた際に伝える時刻には間に合うように帰っているのを、親しい友人らは知っている。
その希理が連絡した時刻を過ぎても帰っておらず、彼女が持つ携帯電話も繋がらない状態なのだという。
希理の母親は居ても立っても居られず、連絡先の分かる友人に尋ねて回っているらしい。
「一緒にユキのお見舞いに行って、病院を出る時に自宅に連絡していたのは見ているの。まっすぐ帰るとも言ってたし…」
行動を共にしていた事もあり、最後に希理を見ているのは思惟子で間違いないだろう。
(別れた後に行方不明、か)
黙り込んで眉根を寄せる香月に視線を向けながら、直樹は希理の姿を思い出す。
直樹程度の交流ではその性格を掴むには至っていないが、快活で聡明そうな部分は虚飾されたものではない筈だ。
両親の話もあるし、希理自らの意思によって姿を消すとは考え難い。
ここ最近の出来事のせいか、連想してしまうのは黒髪の少女だが、希理に手を出すような要素は見当たらない。
希理が隠し設定を抱えた超のつく重要人物であるならば話は変わってくるが、今はその可能性は無いものとして考えるべきだろう。
「わかった。とにかく探すわよ!」
拳を握り締め、香月は力強く言い放つ。
直樹は頭を抱えたくなったが、香月ならばそう言うだろうという確信があっただけに、諦観にも似た思いを奥歯で噛み締めた。
しかしそうは言っても、心のどこかで香月を誇らしくも感じた。
友人のために即断即決できるというのは、やはり美点だ。周囲が見えなくなるという部分は、直樹がカバーすれば良いだけの話だ。
(しかし、これは……)
状況は、直樹が想定した以上に悪い展開を見せている。
黒髪の少女を待ち構えていただけであれば、口八丁で香月を丸め込む事も出来たろう。
しかし、親友たる希理のために動く香月をどうやって止められるものか。
希理を探し回った結果として、黒髪の少女と鉢合わせる可能性は相当に高い。
かの少女が希理の件とはまったくの無関係だとしても、顔を合わせてしまえば香月が突っ掛かっていくという図は容易に想像できてしまう。
再三にわたり警告を発しているにも拘らず、直樹らがまともに取り合っていないというのが現在の状況だ。
直樹としては唯々諾々と従う気はないが、積極的に逆らうような行動を取るつもりもない……筈なのだが、どうにも間の悪いタイミングが重なってしまっている。
実際のところ、少女が何を危険視しているのか。
また、それが本当に危険な存在なのかどうかを直樹は知りえていない。
被害者が生まれる可能性を少しでも減らしたい少女が、危険性を誇張して伝えているのだという考え方もできるのだが。
(微妙なところ、だよな……)
被害者を増やしたくないというのは、良識を持つ人間であれば当然とも言える心情だ。
あの少女らに関して言えば、その場に他の者が居れば足を引っ張るだけの存在になりかねないので、それを避けたいという意味合いが強そうだが。
敵性――敢えて『敵』と呼称して差し障りないだろう――の存在については何の情報も無いが、少女らが見つけ出せていないようである事から、それなりに知恵の回る相手なのだろうと推測できる。
誰の目からも姿を隠そうとしているのであれば良いのかもしれないが、力の劣る相手を見極めて襲い掛かってくるような性質を持っていたら厄介かもしれない。
直樹は、これまでの少女とのやりとりを思い起こしてみる。
(寄りつくな、とか言っていたからな)
記憶に残っている少女の言葉から、直樹が導き出した解答はこうだ。
ある程度のテリトリーを持っている相手であり、その範囲に踏み込んでしまわなければ、とりあえずは安心して良いと判断できるのだろう。
その『とりあえず』がどの程度まで有効なのかは不明だが、少女らが一日も早く目的を達成するのを願うばかりだ。
「ちょっとー! 直樹ぃー! 先に行ってるからねーっ!?」
「え?」
遠くから聞こえた香月の声に、直樹は現実に引き戻された。色々と考え込んでいるうちに、香月はさっさと先に行く事にしたらしい。
見れば、薄汚れてはいたが見覚えのある自転車に跨っていた。
瓦礫の山と化していた自転車置き場だった付近から自転車を掘り起こしていったようだ。なんとも行動が早い。
「かづきん、よろしくねー」
未だ呼吸が整わない思惟子は、先行する香月を見送っていた。
今しばらくは身体を落ち着かせつつ、後に希理の捜索に合流するつもりのようだ。
「よし、まずは学園ね。希理の足取りを追っていくわ!」
誰に聞かせるでもなく、香月は意気込んで見せた。膝丈のスカートの裾を靡かせ、優雅さすら感じさせるフォームで自転車は滑り出した。
どこからか金属の擦れ合う音も聞こえてくるが、車輪がスムーズに回転している以上、今しばらくの走行に問題はないだろう。
「学園!?」
香月の言葉に、直樹は一瞬だが血の気が引く音を聞いた気がした。
(何だ? 何か忘れてないか…?)
遠ざかる香月の背を見送りながら、直樹は慌てて記憶を掘り起こす。
毎日通っている見慣れている筈の学園が、ひどく不吉な単語に聞こえてしまうような記憶が。
『……しばらく寄りつかない事ね』
黒髪の少女の言葉が再度、耳朶に甦る。
(……、待て。どこに寄り付くなと言ってた…?)
自らの喉が鳴る音が、いやに頭の奥に響く。
『……学校にはしばらく寄りつかない事ね』
(……あ)
『とにかく、夜の学校にはしばらく寄りつかない事ね』
「い……いかーーんっ!!!」
発作的に叫んだ。
その豹変ぶりに、思惟子がぎょっとして目を剥いた。普段の物静かな印象など一瞬で砕け散る。
直樹の中でどんな情報がどう繋がったのか思惟子には見当すらつかなかったが、香月絡みなのだろうという事だけは察するに至った。
(置いていかれたのがショックだった……ってワケじゃないよね?)
思案の結果であるとはいえ、自身の持つ情報をまったく外に出していない直樹である。
思惟子のように的外れな想像をしてしまうのも、無理からぬ事ではある。
「くっそ……!!」
視界に入っている思惟子の存在も既に忘却の彼方であり、直樹は舌打ちをしながらも、とにかく走り出した。
運動能力がずば抜けている直樹とはいえ、軽快に走る自転車にはどうあっても追いつけない。
差は開く一方であり、いくつかの角を折れたところで完全に見失ってしまった。
「まだだ…。まだ、大丈夫……」
焦る気持ちを落ち着かせるべく、そう自身に言い聞かせる。
追いつけなかったとはいえ、目的地は分かっているのだから。
大丈夫だと口の中で繰り返しながらも、駆ける速度は一向に緩む気配を見せない。そして表情には悲壮感さえ漂い始めている。
口先だけでも強がってみるものの、直樹の中では災厄が降りかかってくるのは確信に近いものとして認識されてしまっている。
だが、その災厄がどのような形をとるのかは漠然としており、その不確かさがまた直樹の焦燥感を煽る。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「………」
肩をゆっくりと上下させながら、直樹の足が止まった。
直樹の眼前には、闇の中に聳え立つ、異様な威圧感を放つ桂守学園があった。
夕焼けに照らされたマンションは――マンションだった建物とその場所は、廃墟然としていた。
敷地の境界には立ち入り禁止のプレートが結ばれたロープが幾重にも張られ、事の重大さを殊更に強調している。
ほんの数日前まで、この場所で多くの人が暮らしていたなどとは、本人でさえ信じ難い。
細かな瓦礫は取り除かれていたが、大型重機を用いねばならない大きなものは公道に影響を与えないように敷地内の中央に寄せられていた。マンション本体の解体に合わせて撤去されるのだろう。
「……ふぅ」
香月の言葉に促されて見上げたは良いが、直樹の口からは溜息しか出ない。
爆発の起きた6階は全壊と言って差し支えなく、そのひとつ上の屋上に至っては、足場さえも残ってはいない。
マンションから避難した後はあえて寄り付かないようにしていたのだが、ここまで損壊が酷いとは思ってもみなかった。
「まぁ、階段からしてアレだったしな」
脱出時に階段は崩落しており、2階に上がる事さえ大きな危険を孕んでいる。
マンション裏手の非常階段ならば使えないでもないが、マンションそのものがいつ崩れてもおかしくないのだ。
この状態でここに留まろうなど、野良猫だって思わないだろう。
「あの女、いつ来るのかしらね」
遠巻きにマンションを眺めながら、香月が呟いた。
それは直樹への問い掛けのようであり、はたまた自問しているようにも聞こえる。
その一方で、香月はマンションへの接近を阻むロープの観察を怠っていなかった。
かつてのマンションを懐かしむ元住人を装いながらも、黒髪の少女が現れればすぐにでも行動を起こせるよう、ロープの潜り抜けやすい場所を探っている。
「さて、どうだろうな」
香月の言葉に静かに応じつつも、直樹は確信にも近いものを感じていた。
(来るワケないよな)
この地に調べ残しているものがあるかは定かではないが、猛然と突っ掛かってくる香月に次の目的地を教えるなどと、親切心どころの話ではない。
屋上で香月に危害を加えた事はかろうじて堪えた直樹であったが、それも香月が先に手を上げたからなのだろうと容易に想像がついたからだ。
香月に対し積極的に害意を抱くようであれば直樹も黙ってはいないし、それは少女側も望む展開ではないだろう。
(つまり、だ――)
香月を遠ざけておくための方便だ。
今頃は別の場所で、本命の調査に精を出している事だろう。
「まだかなぁ……」
ピリピリと張り詰める香月の傍に居続けるのはどんな罰ゲームだと叫びたくなる気持ちをぐっと抑え、これが今の自分に出来る最善の行動なのだと自身に言い聞かせる。
黒髪の少女らがどこに居るのかは知りようもないが、明らかに来ないだろう場所に香月を留め置く事。
地味ではあるが、香月の安全を考慮すれば確実なものであろう。
香月が飽きるまで、もしくは疲れて眠くなるまで時間を費やせれば目的は達したも同然だ。
いくらなんでも徹夜まではしないだろうと希望的観測も交えてしまうが、そこまでの勢いを香月が見せてしまうようであれば、無理矢理に連れ帰る事も考えねばなるまい。
香月の身の安全を至上命題にしながらも、そのために風邪などひかせてしまっては本末転倒だ。
やがて、マンションを染めていた朱色がその彩りを落とし始めた。
もう数分も経てば、この周囲も薄闇に包まれる事だろう。
マンションが生活環境の場という本来の姿であれば、この近辺を照らす灯台のようにも感じられた事だろう。
だが、現状では危険なだけの場所でしかない。
(この辺も、安心はできないかもな)
ここまでの観察による直樹の考察としては、マンション跡地は夜ともなれば死角だらけの危険地帯となるだろうという事だ。
常駐する警備員がいない以上、この死角を悪用しようとする不届き者が現れるのは時間の問題と思える。
夜遊びを偏愛する者やホームレスといった程度であれば許容できなくもないが、そういった暗がりに婦女子を引きずり込もうとする輩が出ないとも限らない。
直樹が同行している以上、香月に対してそういった不逞を働こうとする者は実力で排除するだけだが、そもそもそういった可能性のある場所に香月を置いておく事自体が我慢ならない。
(日没までだな)
かの少女らが姿を見せるのは、暗くなってからだと香月は考えているだろう。
そんな香月を家に帰すのだ。どうやって言い包めたものかと、直樹は眉根を寄せた。
「かづきん! ここに居たんだ!?」
いくつか浮かんだ案の吟味に入る事を、香月を呼ぶ声が遮った。
自身の発した声を追うようにして姿を見せたのは、香月のクラスメイトである思惟子だった。
香月と別れてから帰宅していないのだろう。制服姿の思惟子は香月の前で立ち止まると、膝に両手をついて大きく肩を上下させた。
最初に香月の名を叫んだきり呼吸を荒げている様子からするに、結構な運動量を伴って香月を捜し求めていたのだと察せられる。
「どうしたのよ、そんなに慌てて?」
香月が持参していたペットボトルを思惟子に手渡す。
身振りで礼を述べた思惟子は、ボトルのお茶の半分程を喉の奥に流し込んだ。
急ぎの用事があるのならば携帯電話を鳴らせばと思った直樹だったが、そういえば香月の携帯電話はマンション爆発の際に失われてしまったのだったと思い至る。
香月の部屋を探せば見つけられるかもしれないが、爆発事故の現場となった部屋からでは、原型を残しているかどうかも怪しいものだ。
普段から携帯電話を多用しない香月であり、事故の後も特に困った様子は見せていなかったので、新たに入手しなければという切迫感は持っていなかったのだ。
「実は、キィが帰ってないって……」
「っ!?」
思惟子の言葉に、香月が身を堅くした。
希理の両親は随分と心配性であり、希理は学園からの帰りであっても常に自宅に一報を入れていたという。
親に不要な心配を掛けまいと希理は考えていたようで、連絡を入れた際に伝える時刻には間に合うように帰っているのを、親しい友人らは知っている。
その希理が連絡した時刻を過ぎても帰っておらず、彼女が持つ携帯電話も繋がらない状態なのだという。
希理の母親は居ても立っても居られず、連絡先の分かる友人に尋ねて回っているらしい。
「一緒にユキのお見舞いに行って、病院を出る時に自宅に連絡していたのは見ているの。まっすぐ帰るとも言ってたし…」
行動を共にしていた事もあり、最後に希理を見ているのは思惟子で間違いないだろう。
(別れた後に行方不明、か)
黙り込んで眉根を寄せる香月に視線を向けながら、直樹は希理の姿を思い出す。
直樹程度の交流ではその性格を掴むには至っていないが、快活で聡明そうな部分は虚飾されたものではない筈だ。
両親の話もあるし、希理自らの意思によって姿を消すとは考え難い。
ここ最近の出来事のせいか、連想してしまうのは黒髪の少女だが、希理に手を出すような要素は見当たらない。
希理が隠し設定を抱えた超のつく重要人物であるならば話は変わってくるが、今はその可能性は無いものとして考えるべきだろう。
「わかった。とにかく探すわよ!」
拳を握り締め、香月は力強く言い放つ。
直樹は頭を抱えたくなったが、香月ならばそう言うだろうという確信があっただけに、諦観にも似た思いを奥歯で噛み締めた。
しかしそうは言っても、心のどこかで香月を誇らしくも感じた。
友人のために即断即決できるというのは、やはり美点だ。周囲が見えなくなるという部分は、直樹がカバーすれば良いだけの話だ。
(しかし、これは……)
状況は、直樹が想定した以上に悪い展開を見せている。
黒髪の少女を待ち構えていただけであれば、口八丁で香月を丸め込む事も出来たろう。
しかし、親友たる希理のために動く香月をどうやって止められるものか。
希理を探し回った結果として、黒髪の少女と鉢合わせる可能性は相当に高い。
かの少女が希理の件とはまったくの無関係だとしても、顔を合わせてしまえば香月が突っ掛かっていくという図は容易に想像できてしまう。
再三にわたり警告を発しているにも拘らず、直樹らがまともに取り合っていないというのが現在の状況だ。
直樹としては唯々諾々と従う気はないが、積極的に逆らうような行動を取るつもりもない……筈なのだが、どうにも間の悪いタイミングが重なってしまっている。
実際のところ、少女が何を危険視しているのか。
また、それが本当に危険な存在なのかどうかを直樹は知りえていない。
被害者が生まれる可能性を少しでも減らしたい少女が、危険性を誇張して伝えているのだという考え方もできるのだが。
(微妙なところ、だよな……)
被害者を増やしたくないというのは、良識を持つ人間であれば当然とも言える心情だ。
あの少女らに関して言えば、その場に他の者が居れば足を引っ張るだけの存在になりかねないので、それを避けたいという意味合いが強そうだが。
敵性――敢えて『敵』と呼称して差し障りないだろう――の存在については何の情報も無いが、少女らが見つけ出せていないようである事から、それなりに知恵の回る相手なのだろうと推測できる。
誰の目からも姿を隠そうとしているのであれば良いのかもしれないが、力の劣る相手を見極めて襲い掛かってくるような性質を持っていたら厄介かもしれない。
直樹は、これまでの少女とのやりとりを思い起こしてみる。
(寄りつくな、とか言っていたからな)
記憶に残っている少女の言葉から、直樹が導き出した解答はこうだ。
ある程度のテリトリーを持っている相手であり、その範囲に踏み込んでしまわなければ、とりあえずは安心して良いと判断できるのだろう。
その『とりあえず』がどの程度まで有効なのかは不明だが、少女らが一日も早く目的を達成するのを願うばかりだ。
「ちょっとー! 直樹ぃー! 先に行ってるからねーっ!?」
「え?」
遠くから聞こえた香月の声に、直樹は現実に引き戻された。色々と考え込んでいるうちに、香月はさっさと先に行く事にしたらしい。
見れば、薄汚れてはいたが見覚えのある自転車に跨っていた。
瓦礫の山と化していた自転車置き場だった付近から自転車を掘り起こしていったようだ。なんとも行動が早い。
「かづきん、よろしくねー」
未だ呼吸が整わない思惟子は、先行する香月を見送っていた。
今しばらくは身体を落ち着かせつつ、後に希理の捜索に合流するつもりのようだ。
「よし、まずは学園ね。希理の足取りを追っていくわ!」
誰に聞かせるでもなく、香月は意気込んで見せた。膝丈のスカートの裾を靡かせ、優雅さすら感じさせるフォームで自転車は滑り出した。
どこからか金属の擦れ合う音も聞こえてくるが、車輪がスムーズに回転している以上、今しばらくの走行に問題はないだろう。
「学園!?」
香月の言葉に、直樹は一瞬だが血の気が引く音を聞いた気がした。
(何だ? 何か忘れてないか…?)
遠ざかる香月の背を見送りながら、直樹は慌てて記憶を掘り起こす。
毎日通っている見慣れている筈の学園が、ひどく不吉な単語に聞こえてしまうような記憶が。
『……しばらく寄りつかない事ね』
黒髪の少女の言葉が再度、耳朶に甦る。
(……、待て。どこに寄り付くなと言ってた…?)
自らの喉が鳴る音が、いやに頭の奥に響く。
『……学校にはしばらく寄りつかない事ね』
(……あ)
『とにかく、夜の学校にはしばらく寄りつかない事ね』
「い……いかーーんっ!!!」
発作的に叫んだ。
その豹変ぶりに、思惟子がぎょっとして目を剥いた。普段の物静かな印象など一瞬で砕け散る。
直樹の中でどんな情報がどう繋がったのか思惟子には見当すらつかなかったが、香月絡みなのだろうという事だけは察するに至った。
(置いていかれたのがショックだった……ってワケじゃないよね?)
思案の結果であるとはいえ、自身の持つ情報をまったく外に出していない直樹である。
思惟子のように的外れな想像をしてしまうのも、無理からぬ事ではある。
「くっそ……!!」
視界に入っている思惟子の存在も既に忘却の彼方であり、直樹は舌打ちをしながらも、とにかく走り出した。
運動能力がずば抜けている直樹とはいえ、軽快に走る自転車にはどうあっても追いつけない。
差は開く一方であり、いくつかの角を折れたところで完全に見失ってしまった。
「まだだ…。まだ、大丈夫……」
焦る気持ちを落ち着かせるべく、そう自身に言い聞かせる。
追いつけなかったとはいえ、目的地は分かっているのだから。
大丈夫だと口の中で繰り返しながらも、駆ける速度は一向に緩む気配を見せない。そして表情には悲壮感さえ漂い始めている。
口先だけでも強がってみるものの、直樹の中では災厄が降りかかってくるのは確信に近いものとして認識されてしまっている。
だが、その災厄がどのような形をとるのかは漠然としており、その不確かさがまた直樹の焦燥感を煽る。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「………」
肩をゆっくりと上下させながら、直樹の足が止まった。
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