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異世界転生から始まる……?
長屋の夜
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「そうか、ご両親が魔術師か」
パンを齧りながら、シアさんはふんふんと頷いた。
部屋の掃除に使用した、なんちゃって風魔法。
夕食を誘いに来てくれたシアさんに見られてしまったが、小さい頃から両親に魔術を仕込まれたという説明で納得してくれたようだ。
この世界では、人間は魔法を使えない。
例外的な存在もあるようだが、それを見た事のある人は王族といった一部のお偉いさんくらいなものらしい。
人間が行使できる超常現象は魔術であり、超常現象を起こしていたのであれば、それは魔術なのだという先入観に助けられた形だ。
加えて、魔術は実戦的ではないという認識があり、両親には生活に便利な使い方を仕込まれたという事にした次第である。
ちなみに、夜であっても室内はそこそこに明るい。
魔術による【発光】を再現したものをはじめ、生活を便利にする様々な【術具】はかなり普及しているそうだ。
ちなみに【発光】は40ワット電球といったところか。すごく明るいという程ではないが、特に不便さを感じたりはしない。
(う~ん、嘘を嘘で塗り固めていってるなぁ……)
いずれ本当の事を告げられればとも思うが、誤魔化せる内は誤魔化し通していくしかないのだろう。
「…姉さん、お待たせ……」
シアさんと向い合せで座るテーブルに、一人の少女が近付いてきた。
年齢は俺と同じか少し上といったところか。シアさん、妹さんがいたのか。
「はじめまして。シアさんにはお世話になってます」
俺の挨拶に小さく会釈を返してくるが、儚げというか活力というものがまったく感じられない。
それになんというか、敬遠されている感じだ。
バリバリの冒険者のシアさんと比べるのは酷なのかもしれないが、色白で線の細い様子からは冒険者どころか姉妹にも見えない。
シアさんの隣に腰を下ろした彼女は、もそもそと手と口を動かし始める。
「はは、悪いな。フィリスはちょっとばかし人見知りが激しくてな」
困ったようにシアさんが笑うが、俺としても何と返して良いのか分からずに同じような笑いを浮かべるしかできない。
初対面の異性に露骨に避けられるのは割とショックだが、シアさんの説明通りであるならば致し方ないと納得するしかない。
それにしても――と、妹さん……フィリスさんの前に並ぶ食事に目を向ける。
この長屋の食堂にはギルド組合から賄いさんが派遣されており、質素ながらも格安で食事を用意してくれる。こんなところも寮っぽい。
これではまったく足りないという者は追加料金を出して2人前食べるなり、自前で用意しろというスタンスだ。
こちらの世界の食材を把握できたら、自炊するのも悪くないかもしれない。
今夜のメニューは、パンにスープ、肉入りのサラダ。
説明に違わず質素ではあるが、味は悪くないし、朝から晩まで肉体労働に勤しんでいたのでなければ十分だと思う。
……問題は、フィリスさんの食事量だ。
少ない。半分どころか四半分あるかどうか。
単純に小食なのかもしれないが、小食であるがゆえに線が細いのだというのは明らかだ。
「フィリス、もっと食えって言ってるだろう。こいつも後でちゃんと飲むんだぞ?」
そう言いながら、フィリスさんの前に茶色い小瓶を置く。
液体なのは分かったが、瓶のせいで中の色は分からなかった。
「……うん」
姉の言葉に頷くも、なんとなく嫌々そうに見えたのは俺の気のせいだろうか。
「それは?」
シアさんが身内を大切にしているだろう部分を疑っている訳ではない。
余計な事とは思ったが、気に留めておく程度には知っておいた方が良いような気がした。
「これが、サマンズさんに取り寄せてもらってる薬なんだ。フィリスは見ての通り身体が弱いからな」
なるほど。
サマンズさんを助けたのが、こういう形でシアさんに感謝される事になったのか。
「ちょっと見せて貰っても?」
断りを入れてから、瓶を目の前で揺らしてみた。
瓶の色のせいもあるのだろうが、なんとなく栄養ドリンクっぽい雰囲気だ。
(アメジィ、中身は分かるか?)
声には出さなかったが、意思疎通は出来たようだった。はしはしと後頭部を叩く気配を感じた。
「そうだ、ユースケ。さっきやってたアレ、私らの部屋にもお願いできないかな?」
シアさんはこちらの意思確認をしてこそいるが、既に俺の手を取って立ち上がっている。
無理強いはしないだろうが、断ればさぞかし落胆するに違いない。
「別に構わないですけど……」
ああいう事が出来るとおおっぴらにされたくない俺としては先に口止めをしたかったのだが、腰を浮かすや、ものすごい勢いで引っ張られた。
「こっちこっち! あ、フィリスはゆっくり戻ってくればいいからな!」
「……ん」
フィリスさんは微かに頷いたようだったが、シアさんに届いているのかどうか。
爪先が地から離れるほどに他人を引っ張り回す事が出来るというのも、ファンタジー世界ならではなのだろうか。
腕を組んで考察に耽りたいと思うものの、片腕を掴まれたままでは無理な話だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
シアさんの部屋は二人部屋だった。
とはいえ、俺の部屋よりも広いという程度で、倍という程ではない。
二段ベッドになっているお陰で、一応の広さを確保しているようなものだ。
(う~ん……)
女性の私室というワードには大いに期待が膨らむところではあったが、予想通りというかファンシーなものは何ひとつ見当たらない。
タンスを開けてみれば下着くらいはあるだろうが、色気のないデザインだったりするんだろうなぁ。
「ささ、ひとつ頼むよ。これでも掃除はマメにしているんだけども、どうにも埃っぽくてねえ。フィリスの身体の事を考えると、少しでも綺麗な環境にしてやりたいんだ」
妹思いな部分を持ち出されると、どうにも断り難いと思った。
断るつもりもないのだが、あまり頼られ過ぎても困った事になりそうなのが心配ではある。
「他の人には秘密でお願いしますよ? あと、術のタネは見ないで下さいね」
うんうんと頷くシアさんを部屋の隅に下がらせると、片膝をつきながら背を向けてゴソゴソと始める。
この辺は実は適当だ。
魔術――術であると謳っている以上、それっぽい手順を踏んでいるように見せ掛けておいた方が良いだろうという浅知恵だ。
「――ふうぅ」
いかにも大仰に深呼吸をすると、なんちゃって風魔法を発動する。
先程と変わらぬ感覚が全身を包み、部屋の隅々に力が行き渡るのを感じた。
既に掴んだ感覚だ。これも練習だと考え、先程よりも速度を上げてみる。
やはり、人の暮らす部屋だというところか。
俺の部屋では埃や塵ばかりだったが、それに加えて髪の毛やパン屑のような物が集まってくる。
頭髪とは違う縮れた毛を見た時はドキリとしたものだったが、離れているシアさんは気付かなかったようだ。
「うわっ!」
驚きの声を発したのはシアさんだ。
集まったゴミを燃やした炎に驚いたようだ。
一瞬ではあるものの、俺の部屋で見たよりも大きな炎であったし、意外とかわいい所もあるのだとしておこう。
「いやはや、凄いもんだな――っと!」
シアさんは下段ベッドに背中から飛び込んだ。
ぼふんと音がして少量の埃が舞うが、あれは飛び込んだ事によって布団の繊維が千切れた分だ。
俺の術が甘かった訳ではない。断じて。
「おー、すごいすごい! 昨日までの埃っぽさが嘘みたいだ!」
二度三度と布団の上で跳ねる姿は、何歳だよあんたと言いたくなってしまう。
「天気の良い日は布団を干したりしてくださいよ」
職業柄難しいのかもしれないが、手入れを怠れば遠くない未来には埃っぽい布団に逆戻りだ。
風魔法で埃や多少の汚れは除去できても、天日干しした布団の心地良さには及ばないだろう。
(太陽光に近いものを魔法で再現できればいけるか……)
ちょっと考えてみたものの、布団を燃やしてしまう結果しか想像できなかった。
イメージができないうちは絶対に失敗するパターンだ。
「まぁまぁ、そう堅い事言うなって!」
シアさんは上半身を起こすと、あっという間に俺をベッドに引きずり込んだ。
「ほら、柔らかいだろう。贅沢を言い始めたら際限なんてないんだ。今はこの布団を堪能しろって事だよ」
たしかに柔らかいが、俺の頬が感じている柔らかさはシアさんの胸だ。抱きかかえるように引っ張り込まれたのだから、そうなって当たり前だ。
冒険者装備である革鎧は脱いでおり、室内着となっている今はダイレクトに胸が押し付けられている状態だ。
服に使われている布は硬めだが、その中に感じる体温を宿した肌は想像通り……いや、それ以上に柔らかい。
(う~ん、ブラは着けていないのか)
着けなくとも現役冒険者である限りは問題ないのかもしれない。
そう思える程に、彼女の胸は見事な張りを持っている。
あるいは、家に居る間は開放感を求めて着けていないだけなのかもしれない。
まさか俺を誘っているなんて事はあるまいが、この状況が続けば我慢できなくなりそうだ。
「と、とととっ、ところで!」
理性を総動員して身体を引き起こすと、ベッドから離れて置いてある椅子に腰掛けた。
立ったままだと、男の生理現象を見せ付けてしまいそうだからだ。
「冒険者登録をした以上は生活費くらいは稼ぎたいんですけど、オススメの依頼とかってありますか?」
シアさんの意識を逸らすための話題ではあったが、口から出任せという訳でもない。
いずれ――そう遠くない未来に、俺はこの世界から去る。
どの程度現実的なものかは何とも言えないが、俺がこの世界にいる経緯を考えれば妥当な目標だろう。
そういった意味で、俺はこの世界では地に足を着けた生き方というものが考えられないでいる。
だが、生きていく上で金銭は重要だ。
資産とまではいかずとも、町から町を渡り歩く程度は稼げるだけの手段は得ておきたい。
手っ取り早く冒険者という道を選んだ俺だが、他に適した道を見つければいつでも乗り換えるつもりだ。
俺がその腕の中から逃れた事で手持ち無沙汰になったのか、シアさんも身体を起こして視線を向けてきた。
「そうだねぇ。ランクの低い依頼を受けていって自分に合ったのを見つけるしかないけど、とりあえずは明日から動く依頼があるから一緒に来ると良い」
にかっと白い歯を見せて笑う、面倒見の良い姐御だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
『ずっと隠れているのは窮屈なの!』
部屋に戻るなり、アメジィが飛び出してきた。
頭の後ろに隠れているのは気配で分かるのだが、アメジィの姿を覆うほどに俺の頭は大きくはない。どうやって人目を避けているのだか。
『髪の毛に擬態してるの! 他の人からはゆーすけの髪にしか見えていないの!』
なるほど。今度、鏡を見る機会があれば確かめてみよう。
妙にボリュームのあるウィッグとかで無ければ良いのだが。
「ところで、アレはどうだった?」
アレとは、食堂で見たフィリスさんの飲み薬だ。
『ゆーすけの世界でいうところの栄養ドリンクなの!
効果はなくはないけど、肉をもりもり食べた方がよっぽど精がつくの!』
やっぱりそうかとは思うが、小食がゆえの栄養ドリンクかと思うと難しいところだ。
『あの子は……』
大口を開けたまま、アメジィは固まった。
「? ど、どうした!?」
初めて見る現象にさすがに焦るが、アメジィはすぐに動き始めた。
『なんでもないの! 明日は早いの! さっさと寝るの!』
一方的に捲し立て、アメジィは枕の陰に埋もれるように潜り込んだ。俺の頭と合わせれば、入り口からは死角になる位置だ。
そして自分の寝場所を確保すると同時に、さっさと寝入ってしまった。
厳密に言えば生き物とは違う筈だが、胸まわりが僅かに上下し小さな寝息が聞こえてくる。
まぁ、微動だにせずにいられても死んでしまったように見えるので、これはこれで構わないのだが。
「……おやすみ」
なるべく振動を与えないように、俺自身もベッドに横になる。
なんとなく腑に落ちない部分はあるものの、あまりギャーギャー言っても仕方ない。
アメジィとは長い付き合いになるのだし、のんびり構えていくしかないのだ。
こうして、異世界初日の夜は更けていった。
パンを齧りながら、シアさんはふんふんと頷いた。
部屋の掃除に使用した、なんちゃって風魔法。
夕食を誘いに来てくれたシアさんに見られてしまったが、小さい頃から両親に魔術を仕込まれたという説明で納得してくれたようだ。
この世界では、人間は魔法を使えない。
例外的な存在もあるようだが、それを見た事のある人は王族といった一部のお偉いさんくらいなものらしい。
人間が行使できる超常現象は魔術であり、超常現象を起こしていたのであれば、それは魔術なのだという先入観に助けられた形だ。
加えて、魔術は実戦的ではないという認識があり、両親には生活に便利な使い方を仕込まれたという事にした次第である。
ちなみに、夜であっても室内はそこそこに明るい。
魔術による【発光】を再現したものをはじめ、生活を便利にする様々な【術具】はかなり普及しているそうだ。
ちなみに【発光】は40ワット電球といったところか。すごく明るいという程ではないが、特に不便さを感じたりはしない。
(う~ん、嘘を嘘で塗り固めていってるなぁ……)
いずれ本当の事を告げられればとも思うが、誤魔化せる内は誤魔化し通していくしかないのだろう。
「…姉さん、お待たせ……」
シアさんと向い合せで座るテーブルに、一人の少女が近付いてきた。
年齢は俺と同じか少し上といったところか。シアさん、妹さんがいたのか。
「はじめまして。シアさんにはお世話になってます」
俺の挨拶に小さく会釈を返してくるが、儚げというか活力というものがまったく感じられない。
それになんというか、敬遠されている感じだ。
バリバリの冒険者のシアさんと比べるのは酷なのかもしれないが、色白で線の細い様子からは冒険者どころか姉妹にも見えない。
シアさんの隣に腰を下ろした彼女は、もそもそと手と口を動かし始める。
「はは、悪いな。フィリスはちょっとばかし人見知りが激しくてな」
困ったようにシアさんが笑うが、俺としても何と返して良いのか分からずに同じような笑いを浮かべるしかできない。
初対面の異性に露骨に避けられるのは割とショックだが、シアさんの説明通りであるならば致し方ないと納得するしかない。
それにしても――と、妹さん……フィリスさんの前に並ぶ食事に目を向ける。
この長屋の食堂にはギルド組合から賄いさんが派遣されており、質素ながらも格安で食事を用意してくれる。こんなところも寮っぽい。
これではまったく足りないという者は追加料金を出して2人前食べるなり、自前で用意しろというスタンスだ。
こちらの世界の食材を把握できたら、自炊するのも悪くないかもしれない。
今夜のメニューは、パンにスープ、肉入りのサラダ。
説明に違わず質素ではあるが、味は悪くないし、朝から晩まで肉体労働に勤しんでいたのでなければ十分だと思う。
……問題は、フィリスさんの食事量だ。
少ない。半分どころか四半分あるかどうか。
単純に小食なのかもしれないが、小食であるがゆえに線が細いのだというのは明らかだ。
「フィリス、もっと食えって言ってるだろう。こいつも後でちゃんと飲むんだぞ?」
そう言いながら、フィリスさんの前に茶色い小瓶を置く。
液体なのは分かったが、瓶のせいで中の色は分からなかった。
「……うん」
姉の言葉に頷くも、なんとなく嫌々そうに見えたのは俺の気のせいだろうか。
「それは?」
シアさんが身内を大切にしているだろう部分を疑っている訳ではない。
余計な事とは思ったが、気に留めておく程度には知っておいた方が良いような気がした。
「これが、サマンズさんに取り寄せてもらってる薬なんだ。フィリスは見ての通り身体が弱いからな」
なるほど。
サマンズさんを助けたのが、こういう形でシアさんに感謝される事になったのか。
「ちょっと見せて貰っても?」
断りを入れてから、瓶を目の前で揺らしてみた。
瓶の色のせいもあるのだろうが、なんとなく栄養ドリンクっぽい雰囲気だ。
(アメジィ、中身は分かるか?)
声には出さなかったが、意思疎通は出来たようだった。はしはしと後頭部を叩く気配を感じた。
「そうだ、ユースケ。さっきやってたアレ、私らの部屋にもお願いできないかな?」
シアさんはこちらの意思確認をしてこそいるが、既に俺の手を取って立ち上がっている。
無理強いはしないだろうが、断ればさぞかし落胆するに違いない。
「別に構わないですけど……」
ああいう事が出来るとおおっぴらにされたくない俺としては先に口止めをしたかったのだが、腰を浮かすや、ものすごい勢いで引っ張られた。
「こっちこっち! あ、フィリスはゆっくり戻ってくればいいからな!」
「……ん」
フィリスさんは微かに頷いたようだったが、シアさんに届いているのかどうか。
爪先が地から離れるほどに他人を引っ張り回す事が出来るというのも、ファンタジー世界ならではなのだろうか。
腕を組んで考察に耽りたいと思うものの、片腕を掴まれたままでは無理な話だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
シアさんの部屋は二人部屋だった。
とはいえ、俺の部屋よりも広いという程度で、倍という程ではない。
二段ベッドになっているお陰で、一応の広さを確保しているようなものだ。
(う~ん……)
女性の私室というワードには大いに期待が膨らむところではあったが、予想通りというかファンシーなものは何ひとつ見当たらない。
タンスを開けてみれば下着くらいはあるだろうが、色気のないデザインだったりするんだろうなぁ。
「ささ、ひとつ頼むよ。これでも掃除はマメにしているんだけども、どうにも埃っぽくてねえ。フィリスの身体の事を考えると、少しでも綺麗な環境にしてやりたいんだ」
妹思いな部分を持ち出されると、どうにも断り難いと思った。
断るつもりもないのだが、あまり頼られ過ぎても困った事になりそうなのが心配ではある。
「他の人には秘密でお願いしますよ? あと、術のタネは見ないで下さいね」
うんうんと頷くシアさんを部屋の隅に下がらせると、片膝をつきながら背を向けてゴソゴソと始める。
この辺は実は適当だ。
魔術――術であると謳っている以上、それっぽい手順を踏んでいるように見せ掛けておいた方が良いだろうという浅知恵だ。
「――ふうぅ」
いかにも大仰に深呼吸をすると、なんちゃって風魔法を発動する。
先程と変わらぬ感覚が全身を包み、部屋の隅々に力が行き渡るのを感じた。
既に掴んだ感覚だ。これも練習だと考え、先程よりも速度を上げてみる。
やはり、人の暮らす部屋だというところか。
俺の部屋では埃や塵ばかりだったが、それに加えて髪の毛やパン屑のような物が集まってくる。
頭髪とは違う縮れた毛を見た時はドキリとしたものだったが、離れているシアさんは気付かなかったようだ。
「うわっ!」
驚きの声を発したのはシアさんだ。
集まったゴミを燃やした炎に驚いたようだ。
一瞬ではあるものの、俺の部屋で見たよりも大きな炎であったし、意外とかわいい所もあるのだとしておこう。
「いやはや、凄いもんだな――っと!」
シアさんは下段ベッドに背中から飛び込んだ。
ぼふんと音がして少量の埃が舞うが、あれは飛び込んだ事によって布団の繊維が千切れた分だ。
俺の術が甘かった訳ではない。断じて。
「おー、すごいすごい! 昨日までの埃っぽさが嘘みたいだ!」
二度三度と布団の上で跳ねる姿は、何歳だよあんたと言いたくなってしまう。
「天気の良い日は布団を干したりしてくださいよ」
職業柄難しいのかもしれないが、手入れを怠れば遠くない未来には埃っぽい布団に逆戻りだ。
風魔法で埃や多少の汚れは除去できても、天日干しした布団の心地良さには及ばないだろう。
(太陽光に近いものを魔法で再現できればいけるか……)
ちょっと考えてみたものの、布団を燃やしてしまう結果しか想像できなかった。
イメージができないうちは絶対に失敗するパターンだ。
「まぁまぁ、そう堅い事言うなって!」
シアさんは上半身を起こすと、あっという間に俺をベッドに引きずり込んだ。
「ほら、柔らかいだろう。贅沢を言い始めたら際限なんてないんだ。今はこの布団を堪能しろって事だよ」
たしかに柔らかいが、俺の頬が感じている柔らかさはシアさんの胸だ。抱きかかえるように引っ張り込まれたのだから、そうなって当たり前だ。
冒険者装備である革鎧は脱いでおり、室内着となっている今はダイレクトに胸が押し付けられている状態だ。
服に使われている布は硬めだが、その中に感じる体温を宿した肌は想像通り……いや、それ以上に柔らかい。
(う~ん、ブラは着けていないのか)
着けなくとも現役冒険者である限りは問題ないのかもしれない。
そう思える程に、彼女の胸は見事な張りを持っている。
あるいは、家に居る間は開放感を求めて着けていないだけなのかもしれない。
まさか俺を誘っているなんて事はあるまいが、この状況が続けば我慢できなくなりそうだ。
「と、とととっ、ところで!」
理性を総動員して身体を引き起こすと、ベッドから離れて置いてある椅子に腰掛けた。
立ったままだと、男の生理現象を見せ付けてしまいそうだからだ。
「冒険者登録をした以上は生活費くらいは稼ぎたいんですけど、オススメの依頼とかってありますか?」
シアさんの意識を逸らすための話題ではあったが、口から出任せという訳でもない。
いずれ――そう遠くない未来に、俺はこの世界から去る。
どの程度現実的なものかは何とも言えないが、俺がこの世界にいる経緯を考えれば妥当な目標だろう。
そういった意味で、俺はこの世界では地に足を着けた生き方というものが考えられないでいる。
だが、生きていく上で金銭は重要だ。
資産とまではいかずとも、町から町を渡り歩く程度は稼げるだけの手段は得ておきたい。
手っ取り早く冒険者という道を選んだ俺だが、他に適した道を見つければいつでも乗り換えるつもりだ。
俺がその腕の中から逃れた事で手持ち無沙汰になったのか、シアさんも身体を起こして視線を向けてきた。
「そうだねぇ。ランクの低い依頼を受けていって自分に合ったのを見つけるしかないけど、とりあえずは明日から動く依頼があるから一緒に来ると良い」
にかっと白い歯を見せて笑う、面倒見の良い姐御だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
『ずっと隠れているのは窮屈なの!』
部屋に戻るなり、アメジィが飛び出してきた。
頭の後ろに隠れているのは気配で分かるのだが、アメジィの姿を覆うほどに俺の頭は大きくはない。どうやって人目を避けているのだか。
『髪の毛に擬態してるの! 他の人からはゆーすけの髪にしか見えていないの!』
なるほど。今度、鏡を見る機会があれば確かめてみよう。
妙にボリュームのあるウィッグとかで無ければ良いのだが。
「ところで、アレはどうだった?」
アレとは、食堂で見たフィリスさんの飲み薬だ。
『ゆーすけの世界でいうところの栄養ドリンクなの!
効果はなくはないけど、肉をもりもり食べた方がよっぽど精がつくの!』
やっぱりそうかとは思うが、小食がゆえの栄養ドリンクかと思うと難しいところだ。
『あの子は……』
大口を開けたまま、アメジィは固まった。
「? ど、どうした!?」
初めて見る現象にさすがに焦るが、アメジィはすぐに動き始めた。
『なんでもないの! 明日は早いの! さっさと寝るの!』
一方的に捲し立て、アメジィは枕の陰に埋もれるように潜り込んだ。俺の頭と合わせれば、入り口からは死角になる位置だ。
そして自分の寝場所を確保すると同時に、さっさと寝入ってしまった。
厳密に言えば生き物とは違う筈だが、胸まわりが僅かに上下し小さな寝息が聞こえてくる。
まぁ、微動だにせずにいられても死んでしまったように見えるので、これはこれで構わないのだが。
「……おやすみ」
なるべく振動を与えないように、俺自身もベッドに横になる。
なんとなく腑に落ちない部分はあるものの、あまりギャーギャー言っても仕方ない。
アメジィとは長い付き合いになるのだし、のんびり構えていくしかないのだ。
こうして、異世界初日の夜は更けていった。
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